1 2-2 3
4 5 6

野口整体と禅

野口整体 気・自然健康保持会

主宰 金井省蒼

     

2、禅の本質の中に生きていた日本人 (1)

『月刊MOKU』2007年8月号
身体感覚と自己の成長(身体感覚が自己を成長させる)
その三 日本人の心を取り戻す「坐の生活」
V11(最終バージョン)より

  

 大正末から昭和の初めにかけて東北帝国大学講師として来日し、哲学を教え、「弓道」を学んだドイツ人のオイゲン・ヘリゲルは、著書『日本の弓術』(岩波書店)の中で、次のように述べています。

  

オイゲン・ヘリゲル 『日本の弓術』(岩波文庫)

日本のあらゆる術は、その内面的形式から言えば一本の共通な根元たる仏教に溯(さかのぼ)らなければならないということは、われわれヨーロッパ人にとっても、すでに久しい以前からなんの秘密でもなくなっている。これが弓術についても言いうることは、墨絵、茶の湯、歌舞伎、生け花、剣術その他もろもろの術と同様である。(中略)

ここで言う仏教とは、その文献が一見わけなく手に入るところから、実を言えばヨーロッパ人だけが知っている、あるいは知っていると思いこんでいる、かの思弁的な仏教ではなくて日本で「禅」と呼ばれている思弁的でない仏教である。これは何をおいてもまず思弁を志すものではなく、実践、したがって沈思の実践を志すものであり、それゆえに、思弁的に記述されたそれに関する知識にはあまり価値を与えず、その中で行われる生活に挫(くじ)かれない力を得させようとするものである。このことは弓術について言うならば、もちろん仮の定義ではあるが、次のようになる。すなわち弓術の基をなしている精神的修練は、これを正しく解するならば、神秘的修練であり、したがって弓術は、弓と矢をもって外的に何事かを行なおうとするのではなく、自分自身を相手にして内的に何事かを果たそうとする意味をもっている。それゆえ、弓と矢は、かならずしも弓と矢を必要としないある事の、いわば仮託に過ぎない。目的に至る道であって、目的そのものではない。この道の通じるべき目的そのものは、簡単に言ってしまえば神秘的合一(ウーニオ ミスチカ)、神性との一致、仏陀の発現である。(中略)

例えば鈴木大拙氏はその著『禅論集』の中で、日本文化と禅はきわめて緊密な関係にあること、日本のいろいろな術、武士の精神的態度、日本人の生活様式、道徳的・実践的ならびに美的方面はおろか、ある程度までは知的方面においてさえ、日本の生活形態は、その根底をなす禅を無視してはまったく理解することが不可能だということを、証明しようとしている。(中略)

日本人は、自分でそれを説明できるかどうかは別として、禅の雰囲気、禅の精神の中で生活している。それゆえ日本人にとっては、禅と関連することはすべて、内面から、禅の本源から、明瞭に理解される。ちょっとした指示を与えさえすれば、何が問題の中心であるかということが、日本人にはただちに把握される。考えていることを言い表し、伝えようとする時、日本人には簡単な暗示だけで申し分なく事が足りるように思われる。それは、日本人は禅のもっとも深い本質の中に成長していて、身に着いたものを頼りにして考えるからである。

  

 このような生活の基盤となっていたのが「坐の生活」でした。当時の日本では、「正坐」という坐の型(かた)が、一般庶民の生活の中に溶け込んでいました。坐は、腰と「肚(はら)」を鍛えて生活するという「禅の精神」を培う役割を担っていたのです。

 「正坐」による心の落ち着きと静けさから生まれる「場」に、日本人は「神性」を感じ、その身体に「仏性」を見い出してきたのです。
 坐により、心が鎮まっていることで高度な「身体感覚」が生じ、その身体感覚から生じる明瞭な意識を「保持して生活する」というのが、ヘリゲルの言う「禅の精神の中で生活している」ということであったと思います。

 日本では、禅の「不立文字(ふりゅうもんじ)・教下別伝(きょうげべつでん)(註)の教えに見られるように、教典を持たず、心身一如をもたらす「型(かた)」と、これによる「身体感覚」を共有することによって、「神仏」は「坐による身体に在る」ことを代々伝えてきたのです。

(註)

◎「不立文字」(ふりゅうもんじ)

禅宗の根本的立場を示す語。悟りの内容は文字や言説で伝えられるものではないということ。仏の教えは師の心から弟子の心へ直接伝えられるものであるという以心伝心の境地を表したもの。

  

◎「教下別伝」(きょうげべつでん)

禅宗で、仏の悟りを伝えるのに、言葉や文字によらず、心から心へと直接伝えること。

 

  《次へ

1 2-2 3
4 5 6