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野口整体と禅

野口整体 気・自然健康保持会

主宰 金井省蒼

     

4、正坐は「和魂」を養っていた

『月刊MOKU』2007年8月号
身体感覚と自己の成長(身体感覚が自己を成長させる)
その三 日本人の心を取り戻す「坐の生活」
V11(最終バージョン)より

  

 野口先生は、ヘリゲルの日本滞在期間とほぼ同時期の昭和六年、我国固有の精神文明と正坐について、次のように書かれています。

  

正しく座すべし (昭和六年)

野口晴哉
『野口晴哉著作全集 第二巻』(全生社)より

正座は日本固有の美風なり。
正座すれば心気自づから丹田に凝り、我、神と偕(とも)に在るの念起る。
正座は正心の現はれなり。
正座とは下半身に力を集め、腹腰の力、中心に一致するを云ふ。
下半身屈する時は上半身は伸ぶ。
上半身柔らげば五臓六腑は正しく働くなり。
正座せば頭寒にして足熱なり。
正座する時は腰強く、腹太くなるなり。

  

婦人にして倚座(いざ)を為すものは難産となり、青年にして倚座を為すものは、智進みて意弱く、智能(よく)腹に入らず頭に止まるのみ。
頭で考へ、行ふ時は思考皮相となり、軽佻
(けいちょう)となるべし。
倚座は腰冷ゆるなり。脳に上気充血し易し。正座して学ばざれば学問身につかず、脳の活動鈍くして早く疲るるなり。
(すべか)らく倚座を排して正座すべし。
倚座は腰を高くし且つ浮かすを以て、腹腰共に力籠
(こも)らず。上半身屈み易く、内臓機関圧迫さるゝなり。

  

アグラをかくべからず。アグラは胡座と書き、胡人即ち「えびす」の座り方なり。日本固有の座り方に非ず。平安朝時代の公卿(くげ)の座姿を見よ。何とその胡座(あぐら)に似たることよ、これ彼等の腰の弱かりし所以(ゆえん)なり。
日本人たるもの腰抜けたるべからず。胡座は下半身を苦しめず上半身を苦しむ、これその正しからざる所以なり。
横座りはゴマカシなり、胡座は横着なり。

  

正座は正心正体を作る、正しく座すべし。
中心力自づから充実し、健康現はれ、全生の道開かる。
日本人にして正座を忘るゝもの頗
(すこぶ)る多し。思想の日に日に浅薄(せんぱく)軽佻(けいちょう)となり行くは、腹腰に力入らざるが故なり。

  

物質文明上、西洋を追及すること急にして、知らず識(し)らず精神的文明上、固有の美を失いつゝあり。
兎角
(とかく)、一般に自堕落となり、浮調子に傾きつゝあり。これ腹力無きが故なり、腰弱きが故なり。
此の時、吾人の正座を説き、正座を勧むるは、事小に似て実は決して小なるものに非ざるなり。

   

腹、力充実せず、頭脳のみ発達するも如何すべき。
理屈を云ひつゝ罹病して苦悩せるもの頗る多し。
智に捉はれ情正しからず、意弱くして、専ら名奔
(めいほん)利走(りそう)せるものの如何に多きぞ。
先進文明国の糟粕
(そうはく)を嘗(な)め、余毒を啜(すす)りて、知らず識(し)らず亡国の域に近づきつゝあるを悟らざるか。
危い哉、今や日本の危機なり。
始めは一寸の流れも、終ひに江海
(こうかい)に入るべし、病膏肓(こうこう)に入らば如何ともすべからず。
然れども、道は近きにあり。
諸君が正しく座することによつて危機自づから去るべし。
語を寄す、日本人諸君、正しく座すべし。
これ容易にしてその意義頗る重大なる修養の法なり。

  

    

 明治期までは、江戸時代までの武士道精神が堅持されていましたが、それは「型(かた)」という身体性を持って継承されていたからです。しかし、その基盤である「正坐」が失われ始めたことで、所謂「和魂洋才」の「和魂」そのものが、失われ始めたのです。

 人間は模倣によって、言葉を覚え、立って、歩くことまでも獲得していきます。どの国の人も、その民族としての基盤は、伝統を模倣することによって獲得しているのです。

 とみに、近年数十年の日本人の生活様式の変化は、少年や若者が模倣すべき、様々な価値ある文化基盤を失いました。これは敗戦による、日本人の文化的信念の喪失が一番の原因ですが、この流れはすでに昭和の初めにはあったことを「正しく座すべし」により識(し)ることができます。

 

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