QアンドA08
 東北弁がアジアに通じるというので驚きました


東北弁がシンハラ語に関連を持つというお話ですが、実際、私の友達で、山形県から来ていた協力隊員はコロンボの事務所で「シンハラ語は東北弁に近い」と言っていました。そうだとそると、「なぜ?」という疑問が生まれるのですが、説明はつきますか。
 


No-08 2004-07-**  


 はっきり言って、なぜかは分かりません。そうした研究は何もないんです。ですから、『熱帯語の記憶』では「なぜか分からない」と繰り返しました。私が『熱帯語』で示したことは「日本語はシンハラ語とソックリだ。なかでも、日本語の中の東北弁は構文も、単語も、音韻もシンハラ語と似ている。だから、東北弁でシンハラ語が話せる」という”実体験としての事実”です。
 
 『熱帯語』の前に私は『あじまさの島見ゆ』(南船北馬舎・1997)というスリランカのフォークロアを紹介する本を書きました。そこで日本の民俗伝承とスリランカのシンハラ人の間に伝わる古い伝承が似ていることを指摘しました。この時のキー・ワードは”神の木”、そして”まつり”でした。
 『あじまさ』で触れたお話を少し繰り返します。
 日本で”神の木”とされるものの中に「松」があります。スリランカでは「松」が「デーワ・ダーラ」、つまり、「神の枝」と呼ばれています。偶然にも一致してしまうのです。さて、ではこれが偶然かどうか。それを確かめられれば面白いと思って『あじまさ』を書きました。
 民俗のことを追求するのは今の私には難しいのですが、言葉に関してだけなら”偶然の一致”はまだまだあります。 

 <まつり>という言葉は神と結びつきながら今に伝えられている日本語ですが、これと意味を二重写しにしているシンハラ語があります。<マツリーマ>という言葉です。これは呪(のろい)を意味しています。<マツリーマ>という単語は動詞では<マツラナワ>となりますが、これら名詞と動詞を合わせてみるとmathur-までが変化しないです。日本語の<まつり>は神を称えるという明るい様子が覗えます。シンハラ語の<マツラナワ>は呪い、人の心の暗い部分を覗いています。しかし、祭祀の祀は「呪を恐れて死者を崇めたてる」ということですから、日本語の<まつり>も何処かでシンハラ語のマツリーマに繋がっているかも。