シンハラ語の「ナム」は日本語の「なむ」に対応するというお話ですが、日本語の「なむ」は平安時代以降に用いられたのではないですか。とすれば、「なむ」と「ナム」を関連付けるには平安以降にシンハラ語が日本語に影響したと言わなければなりません。これは日本史の想定外で、思わず腰を抜かします。 |
No-46 2005-09-14 2015-July-07
● 日本語の「なむ」にはその前身があります。「なも」という語形です。例えば、万葉集の、 三輪山をしかも隠すか 雲だにも 心あらなも 隠さふべしや 18 に現れる「あらなも」の「なも」です。 ここに現れる「なも」はあつらえの意味を持っているとされて、「心あらなも」は「心があって欲しいものだ」などと訳されます。全訳としては、 雲さえもが三輪山をこうも隠してしまうのか。 心があって欲しいものだよ、隠すべきじゃないよ。 となって、奈良を追われるすめら尊が日ごろ親しんだ三輪山が雲に隠されて見えない様を悲しんで読んだ歌とされています。 ここで「なも」の解釈ですが、旧来の文法解釈を百歩譲っていただいて、 心があるならば隠すべきじゃあありませんよ と自然への謙譲畏敬の意を持って雲に語り掛けたと情景を思い浮かべれば、この歌の作意はよりはっきりと伝わってきます。しかし、旧来「なも」には強調・願望を表す助詞という解釈はされているものの、いまだ仮定・条件という意味は発見されていません。「心があるならば」とは現状の国語学では訳し得ません。 万葉集の別の歌に現れる「なむ」を『熱帯語の記憶、スリランカ』で同じような意味の取り違えをする実験をしましたが、ここでも「なむ」(なも)は旧来のあつらえという解釈では意味が取りにくく感じられます。仮定・条件という意味を内包しているように取れるのです。 このように平安以降から文献資料に現れる「なむ」はその前身が「なも」という語形で先行しています。 「むmu」と「もmo」の違いですが、これは音韻論の助けを借りて変化の由来を理解する必要があり、これ以上は「かしゃぐら通信」の直感にも限界があります。 ところでシンハラ語の強調と条件を表す「ナム」はnamです。m音に母音は付きません。o音もu音も付かないのです。 m音にそうした母音が付く例があります。例えば、これは動詞なのですが、カナワkanawaaの勧誘形カムkamuをシンハラ人に発音してもらうとkamuなのかkamoなのか、聞き取りにくいのです。「カムka-mu」の二音節は後ろの「むmu」にストレスが置かれるのに/o/音、/u/音とアヤフヤな表記にしなければならない音が発せられるのです。 「シンハラ語の話し方』のCD-ROMで日常会話を吹きこんだシンハラ男性は英語教師をしていましたから発音には注意深いのですが、その彼のkamuの発音は、まさしくmuのようなmoのような…。その両方の中ぐらいの音であるような…。古代日本語の「なむ」はどんな音を持っていたのでしょうか。「なむ」でしょうか、「なも」でしょうか。平安時代で「なむ」の発生を見るのは国語学の常識でしょうが、もうすこし、ゆるやかに私たちの言葉を眺めて、聴き取れないでしょうか。 蛇足ですが、村山七郎「ことばの考古学」(朝日出版社 1980)が九州・沖縄では「食べる」を「カム」と言うと報告しています。琉球沖縄語ではo音がu音に取って代わります。 噛む、噛もう。 なむ。なもう。 音感が古代的な緩やかさを持ち続けているんですね。 |