QアンドA44
日本語とシンハラ語って何か関係があるのですか


 日本語の文法でシンハラ語が分かるとおっしゃいますが、日本語とシンハラ語は全く関連のない言語ではないのですか。


No-44初出不詳 2015-July-08 2015-Aug-15


 日本語とシンハラ語の言語学的な対応関係ですが、ウェブのウィキペディア百科辞典にあるように、そんな関係などは「多くの学者に認められない」状態です。
 言語の仕組みは日本語が膠着語、シンハラ語が屈折語に分類されます。系統としてはシンハラ語がインド・ヨーロッパ語族で日本語が不明とされるのですから、どうにも較べようがありません。もし、この二つの言語の比較を試みようとする研究者があれば言語研究者の言語学知らずとさげすまれます。そうした現状ですから研究もなおざりにされたまま。あまつさえシンハラ語の研究者が「関係などあるなずもない」と比較研究を門前払いしてきたこの国の現状。昨今までのこうした言語学での常識がウィキペディアに日本語とシンハラ語の対応関係に対する否定的な見解を書かせています。

 その風土が塗り替えられようとしています。そうした一般言語関係者の一般常識とは別に、旧来の外国語研究や国語研究の手法から転じて、新しい言語学による統語論・意味論の解析がシンハラ語に対しても数多く試みられるようになってきました。新たな取り組みの姿勢が生まれて日本語とシンハラ語に関する古い常識を揺さぶろうとしています。チョムスキーを起点として生まれた言語解析の方法論がシンハラ語に適用されて言語解析に新たな成果を生み出しつつあります。日本語とシンハラ語の関係を解くという未知の分野に新しい言語解明への取り組みが日米の研究者によって始まっています。ウィキペディアのシンハラ語に関する「多くの学者に認められない」言語的対応という記述が書き換えられる日もそう遠いことではないと思います。

 日本語と対照するシンハラ語研究は進んでいます。統語論からはWh-in-situやpied-pipingといった言語が持つ構文上の癖がシンハラ語にも発見できることを日本人を中心とする複数の研究者が指摘しています。これはこの研究の先駆者があって、その論文を追随者が検証するというものですが、解析の手法がどんどん新しくなっています。認知言語学の手法でシンハラ語を解析する研究は日本語で論文が発表されてもいます。
 ただし、こうした試みによる成果は英語による研究成果の公表という手段がとられる場合が多く、また、解析の理論がチョムスキーの流れを汲む言語研究者によって行われることから、言語学会の一部の成果にとどまっています。日本語とシンハラ語の研究であるにもかかわらず、解析理論が米国生まれのために、それを日本で広げなおし日本の言語研究の風土に焼きなおして理論を再構成するという面妖な経路を介する手順が必要ですが、そこまでは至っていない状況です。言語を解析する用語(英語)の日本語訳も、シンハラ例文の表記法も研究者によってまちまちで、シンハラ語と日本語の対象研究の脆い現状がそこにあります。
 日本でシンハラ語研究が進みにくいのは、発表された論文を評価する先達がいないことが第一の理由かもしれません。日本語で発表されたシンハラ語関係の論文を審査する人材はシンハラ語の研究者ではなくほかの分野の言語研究者です。シンハラ語の分析手法への評価はできても、研究の素材であるシンハラ語そのものへの言及ができないのです。
 
 しかし、これまでは日本語とシンハラ語には何の関係もないと声を大にしていたシンハラ語の稀少な研究者も、「シンハラ語は日本語に似ているの?」と訝り始めた小さな漣に逆らえなくなったのか、このところは日本語とシンハラ語は類似するところがある、などということを、とても注意深げにではあるのですが、そこかしこで漏らすようになりました。シンハラ語を比較言語学の俎上に乗せ始めた新しい傾向が日本でも風を呼び始めたのでしょう。


助詞、ニパータという用語①

シンハラ語のニパータと日本語の助詞を品詞として捉えながら相互に対応させたのは「日本語 ජපන භාෂාව හා ව්‍යාකරණය (2001年・タランガッレー・ソーマシリ)と『熱帯語の記憶』(2015年7月 完全復刻版) 『シンハラ語の話し方・増補改訂』(2011年12月丹野冨雄)があげられます。パーリ語に起原を持つニパータ(不変化詞)という用語はまだまだ日本人研究者の間に浸透していません。英語を通してシンハラ語を研究すればニパータという用語にすれ違うこともないのですから、ニパータというシンハラ文法の用語は英語を母語とする研究者には特殊極まりないのです。今のところシンハラ語研究は殆ど英語によるものばかりが紹介されるのですが、本家本元のシンハラ語によるシンハラ語研究もシンハラ語解析の視野に入れておく必要があるでしょう。
 シンハラ語の文法を通してシンハラ語を見つめようという気運は、まだ、言語学会にはありません。そうした機運が生まれたときは、J・B・ディサーナヤカさんの「シンハラ語の未来」සිංහල භාෂාවේ අනාගතය を一読されることをお勧めします。シンハラ人によるシンハラ語批判がラジカルに、肯定的になされています。シンハラ語によるシンハラ語研究を考慮に入れてこそ日本語による(英語による)シンハラ語解析は始めて有意義なものになるでしょう。

※「シンハラ語の話し方」(南船北馬舎刊)は絶版になりました。
これに代わって著者の個人出版社Khasyareport/かしゃぐら通信から「シンハラ語の話し方・増補改訂」(紙の本、電子書籍)が発刊されています。旧版はkindleの電子書籍でお求めになれます。

  


  

 『熱帯語の記憶、スリランカ2』(キンドル版)で、シンハラ語のニパータ「ナム」には強調・条件という複数の意味があるということを指摘した2000年の頃は言語学一般常識からの反論が渦巻いて「素人は口を挟むのを止めなさい」といった脅迫めいたことを囁く時代があったのですが、いまでは反論されていた皆さんが口を閉ざすようになりました。シンハラ語への扱いが変化を始めたことがこうした些細な事件からも認められます。

 「あなたが行くなら条件、私だって強調行くわ」という日本語の表現をシンハラ語では「オバ・ヤナワー・ナム条件、ママ・ナム強調・ヤナワ」と言います。『熱帯語の記憶』で始めてこの文を紹介し、今年公刊した『シンハラ語の話し方』でも例文解説に掲載しました。この「ナム」の二つの用法はシンハラ語では日常会話のレベルで浸透しているのですから、これを日本語の「なむ」に対応させ比較することなど、当然に、また、どんな日本語研究者からも出てきて不思議はなかったのですが、それが出て来なかったのです。出てこない背景には、シンハラ語と日本語とを取り巻く言語学の常識という壁がありました。また、学会の師弟関係という縦のラインもあります。研究の場を与えられないのです。

助詞、ニパータという用語②

 言語学では’シンハラ語のニパータと日本語の助詞を比較する’というような言いまわしを使いませんが、ニパータと助詞を形態素と呼びながら比較研究する傾向は2000年前後から頻出するようになりました。
 2003年3月に横浜国立大学で開かれた言語処理学会第9回年次大会で報告された「日本語-シンハラ語における格助詞相当語の対応について」Nayana Elikewala, Samantha Thelijjagoda, 池田尚志(岐阜大学)、また、安田女子大学の宮岸哲也が取り組む日本語とシンハラ語の形態素の一連の比較研究、TA格主語の対比、文構成の研究は、日本語でなされたシンハラ語研究の代表的な存在となるでしょう。
 また、なかでも圧巻なのはDecomposed Questions 
1998で、日本語とシンハラ語の疑問詞(Q-Words)を比較検討する Paul Alan Hagstromはおもに日本人研究者のシンハラ語に関する論文を批判検討する中で、日本語とシンハラ語対応研究に新たな地平を切り開いています。2chanでは彼の論文をパクリと評しているようですが、正面からシンハラ文法に取り組むことで、明瞭に日本語文法との対比が試みられています。


 シンハラ語のニパータ---言語学では形態素、morpheme、markerと呼んでいますが---と日本語の助詞---言語学ではこれも助詞とは呼ばず形態素などと呼んでいますが---の比較研究は統語論・意味論からの研究が先駆的にいくつかなされています。例えば、日本での宮城哲也のTA格主語に関する形態素研究はこの分野での代表的な論文と言えます。その解析には膨大な資料を扱わねばならず、形態素のすべてを一人の研究者が仕切るには量的な問題が出てきます。
 一つの形態素を、例えば「か?」という疑問を表す形態素markerを---疑問を表す形態素markerなどとまだるっこしい言い方をして申し訳ないのですが---シンハラ語の同様の形態素「ダ?」に比較して202ページの論文に仕上げたのはHagstromですが、そうした執着心と時間と---彼は金もかかると暗示しています---を費やすに足る環境が整う必要があります。
 「ナム」に関する言語学的研究はいまだ日米の研究者から、また、シンハラ人の研究者からも出てきませんが、近いうちに「なむ」に関する研究論文がHagstromの「か?」に関する論文のように英語版で公表されることでしょう。日本語の疑問詞「か?」を 'Q' morpheme と呼んで日本語の疑問文構造を解き、そこからシンハラ語の疑問文を解析する研究がなされたことを思えば、また、その解析に「かかり結び」という日本語の法則が用いられていることを思えば、シンハラ語を介しての日本語研究というパターンが今後増えてくることも想定されます。
 日本人と米国人による日本語研究のコラボレイトが日本の国語の文法規則を介してなされるという国際化は国語学者には想像のできないことだったでしょう。日本語とシンハラ語を比較対照することで---Hagstromの場合、ここに沖縄方言(沖縄語の朱里方言)も加えて---言語に普遍の理論を導き出すという手法が登場するなど想像だにしないことだったでしょう。

シンハラ語研究の業績を踏まえて新たに日本語とシンハラ語にかかわる研究を展開し、新たな視野を持った普遍的な言語理論を組み立てるのは一体だれで、一体いつで、一体それは何処から出てくるのでしょうか。楽しみです。(2005-09-11)
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 2015年3月に「日本語とシンハラ語における動詞構文とその格標識の対照研究」(宮岸哲也)が発表された。宮岸シンハラ語は日本語研究の業績を基盤に据えて徹底的に言語資料を収集し、比較し、対照するという手法を長年貫いている。彼のシンハラ語研究の集大成と言える内容。日本でのシンハラ語研究は近年盛んで、特に無意志文、授受動詞、格範疇に関する研究で学位を取る論文が増えている。また、一方ではマイクロソフト社による機械翻訳システムの開発が英語との間で進められ、それに応じてシンハラ語文法の新たな解析がシンハラ人自身によって行われている。これが日本語とシンハラ語の機械翻訳の開発へ波及していることから、この分野からの日本語とシンハラ語の対応関係が新たに見出される可能性も出てきた。すでに2006年の時点で情報処理の分野では日本語の文節bunsetsu文法によるシンハラ語の翻訳処理が進められている。機械翻訳システムの構築に宮岸のシンハラ語解析が貴重な基礎資料となるであろうことは見逃すことができない。(2015-July-08)