QアンドA41
シンハラ語には「私」がないのですか?


 シンハラ語には「私がない」というようなことが『熱帯語の記憶』に書いてありましたが、主語としての「私」は文章や会話に使わないのですか。


No-41 2005-06-23 2015-July-11


ちょっと、話が逸れて始まってしまいますが、いったい日本人はいつからことさらに「私」にこだわり始めたのでしょうか。「私はご飯を食べる」とか「私は勉強をしに学校へ行く」とか、こうした構文をSOV(主語―目的語―動詞)などと言って理解するようになったのはいつからなのでしょうか。
 日本語には「私」、要りませんよね。「ご飯を食べる」「学校へ勉強しに行く」で立派な日本語話法です。ついでに「あなた」だって要らない。日本語の「あなた」は二人称ではなくて呼格の場合が多いのです。呼びかけの言葉なのです。文法的に二人称で使われることはまずないでしょう。「彼氏」も「彼女」も三人称ではないことが多いし、人称の意識が希薄なのでしょう。

 シンハラ語も「私」にこだわりません。「ご飯食べる―バト・カナワ」「スコーラタ・イゲナガンタ・ヤナワ」で、構文としてはOVのかたちですが、これでいいのです。「私―ママ」は必要ありません。主語は要りません。

 では、なぜ、日本語とシンハラ語には「私」がないのでしょう。

 この問題は構文をいくら分析してみても解決しません。構文だけの問題ではないからです。ただ、文章では主語が現れます。会話では省略される一人称ですが、例え口語体で書かれる手紙であっても「ママ(わたし)」という一人称が欠けることはありません。