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交遊編大田南畝(四方赤良・蜀山人)の詩・狂歌 〔交遊編〕大田南畝関係
(大田南畝、あるいは大田直次郎として交遊のあった人)
【り】※◯は欠字、◎は表示不能文字
交遊詞書・漢詩・狂歌出典巻・頁年月日
りくにょ
六如
「冬日、松子長・六如上人及び東叡の諸尊者と同じく東漸院の後山に遊ぶ
 東山古院絶塵氛 路転閑園木葉分 霜露已荒三径菊 煙霞忽散二陵雲
 池辺満酌移床坐 巌下清談隔竹聞 一酔相忘賓主態 徘徊不覚有陽曛」
南畝集5
漢詩番号1045
杏園詩集二
③357
⑥65
天明1年
1781/10/
りせんきょ
鯉洗居
「菱川氏江戸名所の色紙のうた鯉洗居よりもとむるにまかせて
 目黒不動  かり犬を目黒に手引あし引のやまとたけじやといふもことはり
 両国橋   かつ鹿の背をたちわけぬいにしへはむさし下総両ごくのはし
 深川八幡  永代のはしの東に大鳥居たちはだかりし道の中町
 浅茅が原  はぎ高く裳すそからげて浅茅とはきけども原の露の玉姫
 池上の狂詠 千年のまつさへ石となる山はのちのいほとせ長く栄ゆく」
紅梅集②379文政2年
1819/11/
りつしぎょく
立子玉
 立子玉 (別資料) (平秩東作(へづつとうさく)「立懐之 字 子玉。号 東蒙。綽号 東作。称 稲毛屋金右衛門。亦称 嘉穂」 『月露草』⑱47)
りつしこう
栗士弘
 栗士弘 (別資料)
りゅうくんび
劉君美
 劉君美 (別資料) (彭城仁左衛門(さかきにざえもん)唐通事・劉徳基)
りゅうぎょしゅう
柳魚周
「鍾馗図に題して柳魚周の子を誕むを賀す
 曾見鍾馗嫁妹図 果然生育掌中珠 手持一剣除虚耗 知有終南進子無」
南畝集18
漢詩番号3624
⑤239文化9年
1812/04/
りゅうしこう
柳子厚
「夏昼の偶作。柳子厚の詩句を分ちて韻と為す
 緑槐含露蔭階除 景午南柯一夢余 相約児童能閉戸 莫令褦襶触幽居」
〈「褦襶」は愚か者。誰のことか〉
南畝集18
漢詩番号3892
⑤314文化11年
1814/04/
りゅうしせい
劉子誠
「雲藩の劉子誠の外祖母柳太孺人の九十を寿す
 上寿如君未易逢 華堂高宴玉為容 彩色墻外千重出 白鹿山中二女従
 琴瑟斉張王母堂 児孫羅列大夫松 称觴趨走庭闈下 共指天辺不老峰」
南畝集2
漢詩番号0255
③88安永2年
1773/11/
りゅうしちょう
劉子調
「春雨、新橋の酒楼に重ねて石井仲車の肥前に還るを送る。頼千秋・萩野求之・爽鳩子允・古昔陽・真野氏・福富氏・劉子調と同じく賦して咸韻を得たり (詩は省略、交遊編の「交遊」参照)」
「新橋の酒楼に賦して席上の諸君に呈す 英妙満山東 日聞名下士 憐君弱冠年 先得臨池伎 右劉子調」
南畝集7
漢詩番号1325
杏園詩集三
③458
⑥85
天明6年
1786/03/
りゅうそうろ
竜草廬
「彦嶺の竜草廬の牡丹餅を詠ずるを観て其の韻を歩す
 唐代繁華満帝城 芳餐更借一枝名 紫霞蒸出団雲色 素月疑聞搗薬声
 康楽七言連雋永 何曾十字不分明 竹間水際時携饌 豈譲秋風把落英」
南畝集3
漢詩番号0446
杏園詩集一
③155
⑥42
安永4年
1775/12/
「遙かに彦嶺の竜草廬の吹火竹筒の韻を和す
 美名曾擅会稽東 直節虚中截作筒 窮谷陰随吹律暖 寒灰色変満炉紅
 漢宮熟食伝鑽燧 楚竹炊煙起釣篷 大塊非唯称噫気 更看人籟巧生風」
南畝集3
漢詩番号0465
杏園詩集二
③161
⑥44
安永5年
1776/01/
りゅうくんび
劉君美
 劉君美 (別資料) (彭城仁左衛門・劉夢沢)
りゅうたいふ
柳大夫
「冬日、柳大夫と同じく九嵕の宴を四季庵に施す
 大海千帆酒一盛 臨流寒樹蔭柴荊 即今物換星移後 不改旗亭四季名」
「又 雲行雨散三叉市 物換星移四季庵 (以下欠)」
南畝集18
漢詩番号3827-8
⑤297文化10年
1813/11/
りゅうだいき
劉大基(夢沢)
「遙かに崎陽の劉 大基 夢沢の「壁に題す」の韻を和す
 峨眉山下一閑人 除却浮名不厭貧 高枕鳴滝堪洗耳 看雲峻嶺独○神」
南畝集19
漢詩番号4285
⑤425文化14年
1817/07/
りゅうゆう
ひこじろう
游龍 彦二郎
劉梅泉
「十月の望、小倉駅に宿す。月色昼の如し。崎陽の劉君美【彭城基】游龍生を憶ふ
 海門橋勢似虯竜 月白風清酒満鍾 縦転赤関為赤壁 其如二客不相従」
〈劉君美は長崎通事・彭城仁左衛門〉
小春紀行附録
南畝集15
漢詩番号2774
⑨85
④413
文化2年
1805/10/15
「崎陽の劉梅泉の郷に還るを送る 昔年行役向瓊山 万水千巌夢寐間  今日送君還鎮府 心随明月落西関」
「其の二 眷恋都出郭門 離情恨不共傾樽 風雲会意游竜子 日月争期放虎原 【劉、游竜氏を称す】」
南畝集19
漢詩番号4283-4
⑤425文化14年
1817/07/
「戯れに妓に代つて崎陽の劉梅泉に和す
 一洞花開墨水潯 劉郎不至彩霞深 瓊山縦隔塵凡路 須入行雲夢裏尋」
南畝集20
漢詩番号4351
⑤448文化15年
1818/03/
りょうふうかん
凌風館 (川伯温)
 凌風館 (別資料) (川伯温・せんはくおん)
りょうむぜんじ
了無禅師
「秋日、了無禅師の墓に謁す【八月廿六日小祥忌】 宿草侵墳墓 蕭蕭木葉飛 九原如可起 百世与誰帰」南畝集7
漢詩番号1332
③460天明6年
1786/08/26
りょうやし
良夜子
「九月十三日、良夜子の招宴にて糸瓜の長さ六尺あまりなるをみて
 千金のこがねをいるゝだん嚢へちまの皮の長月のかげ」
紅梅集②348文政1年
1818/09/13
りんかいろう
臨海楼 (井子熙)
 臨海楼 (別資料) (井子熙・せいしき)
りんくんさい
林君采
「歳暮、林君采・山道甫・山士訓・河益之と同じく山君忠に飲す
 (詩は省略、交遊編の「交遊」参照)」
南畝集3
漢詩番号0513
③178安永5年
1776/12/
「無量院に崎陽の林君采に謁す【君采、名は蕙、号は瓊浦、俗称は宮原右大夫。華音及び書画を善くす
 紅樹参差碧溜池 山王壇下夕陽移 相逢晋代陶徴士 蓮社休論一酒巵」
〈この無量院は赤坂溜池山王権現の僧坊。陶徴士は陶淵明〉
南畝集3
漢詩番号0503
杏園詩集二
③161
⑥50
安永5年
1776/09/
りんこじ
林居士
「春日、林居士を訪ねて値はず 棣棠已映海棠開 江水斜通野水来 別有山窓幽竹色 清陰似待つ主人回」南畝集8
漢詩番号1531
④14寛政1年
1789/03/
りんもうこう
林孟高
「林孟高に寄す
 百夫街上掩柴関 好是蔵名吏隠間 不用生涯辞禄去 幽居日対一青山」〈小林孟高か〉
南畝集5
漢詩番号1021
③350天明1年
1781/09/
「秋日、林孟高邀へて竜巌寺に宴す。東韻を得たり
 郭外青山古駅中 行穿一径訪琳宮 矮松枝学幡竜蟄 剰水流争造物工 心払塵襟歌楚調 興移厨饌命郫筒
 晩来更有悠然趣 樹杪芙蓉秀碧空」
南畝集9
漢詩番号1710
④94寛政3年
1791/09/
りんろくそうどう
林麓草堂(渡辺玄対)
 林麓草 (別資料) (辺玄対)
浮世絵師総覧交遊編大田南畝関係