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   人物編Ⅰ  大田南畝(四方赤良・蜀山人)の詩・狂歌〔人物編Ⅰ〕   大田南畝関係
  (浮世絵師・狂歌師・役者・遊女・芸者等、当世の人物)
  【い】※浮世絵師は名前別。◯は欠字、◎は表示不能文字
人名詞書・詩歌出典巻・頁年月日
いいだ
きんじゅうろう
飯田 金十郎
「市場村のやどのあるじ飯田氏の母八十二歳のよはひをことぶきて
 せんねんとかぎりつるみもまんぢうの米にひかれてよろづ代やへん」
玉川余波②142文化6年
1809/03/12
いちかわ だんぞう
市川 団蔵
「優人市川団蔵死
 余哭詩曰
 伎芸曾攀海老髭 市川流不止須臾 姓名忽白評判記 又有団蔵黒吉無
 嬾翁哭詩曰〈嬾翁は耆山和尚〉
 市川一統三升紋 画一団蔵最出群 豈意評判余巻軸 頓令追善泣諸君」
半日閑話
巻12
⑪360明和9年
1772/06/
いちかわだんのすけ
市川 団之助(三光)
「早春、清河氏の宴集。優.杜若・三紅坐に在り
 山郭移舟向海浜 食医樽酒進奇珍 春初月地千金夜 燈下梨園両玉人
 入老益生当壮気 知雄愈見守雌真 当時色藝誰殊絶 最是芳州杜若新」
南畝集17
漢詩番号3311
⑤145文化7年
1810/01/
「優三紅に与ふ 看君姑射一真人 綽約還疑婦女身 三尺寒泉浸紅玉 緑雲鬟上紫綸巾」南畝集18
漢詩番号3569
⑤223文化8年
1811/11/
いちかわ まさもち
石川 雅望
 石川雅望 (別資料)
いちまつ
市松 (芸者)
「三日、高田 与清 松屋の擁書楼の集ひ。浪華の歌妓市松酒を佐く
 千古蘭亭欠管絃 唯余墨本慕群賢 不如咫尺斜橋外 酔擁蔵書与妓眠」
南畝集19
漢詩番号4152
⑤389文化13年
1816/03/03
いずへい・いづ平
泉屋平兵衛
竹本八重大夫
「(文化五年、中村歌右衛門初下りして「艶色競廓操」の堀川の段、猿回しの与次郎を演じたときの詠)
 いづ平が節も覚へぬ二才どもめづらしさうにみる猿廻し
いづ平は泉屋平兵衛(竹本)八重太夫が事也
「鏡山旧錦絵(ママ)、天明二年寅正月より中芝居(薩摩座)にて大あたり也。此時竹本八重大夫下りて堀川の段をかたる中に、猿の場大あたり也(中略)八重大夫俗称泉屋平兵衛【文化五年戊辰、中村歌右衛門芝翫中村座下りて、此猿廻し大あたり也】」〈『俗耳鼓吹』⑩24〉
をみなへし②33文化5年
1808/04/
いずみや
泉屋(書肆)
「とし比うつし置る灘酒譜といへるふみをかし失ひしてみえずになりにしを、ことしむつき十一日、浅草新寺町泉屋といへるふみひさぐあるじの、わが南畝文庫といへるおしでをしるしとして求め置たりとて、おくれるもうれしくて
 うしなひし浮世の灘の酒の名も南畝文庫にたち帰る波」
紅梅集②321文化15年
1818/01/11
いずみや
和泉屋(堺町)
「五月雨の比、四方赤良のとぶらい給ひし折から朝ゐしたりければ 梅旭女 堺町泉屋
 とひきます四方はひるもなき比のさみだれ髪で筆をとりけり
 返し 入梅に旭もいまだいづみやを雨ふりはへてたづねこそすれ」
〈「判取帖裏書」の小伝に、梅旭女、五代目市川団十郎の女、堺町芝居茶屋の主婦とあり〉
徳和歌後万載集②321文化15年
1818/01/11
「神無月十三日甲子の夜、堺町泉屋のもとに、万秀斎の花を挿むを見て
 甲子にこがねのきくをいけの坊水ぎはたちてきよきいづみや」
七々集②267文化12年
1815/10/13
いずみや へいべえ
泉屋 平兵衛
 いづ平参照
いせ の たねなり
伊勢 種成
「伊勢利といへる人を伊勢種成とよびて
 是よりは難波のあしも浜荻もともにいせりの歌のたねなり」
巴人集②413天明3年
1783/07/
いせ の はまおぎ
伊勢 浜荻
「伊勢浜荻六十の賀に
 神風のいせの浜荻ことしよりなにはのあしの長き友鶴」
紅梅集②344文政1年
1818/06/
いせや はんすけ
いせや 半助
「堺町茶屋いせや半助がもとにて
 よい客の入来るふくの神風やいせやがみせはいつもはん昌」
巴人集 甲辰②435天明4年
1784/02/
いそのはま
いその浜 (狂名)
「柳川といへるすまひ来りて名をこひけるに、水戸の産ときけば、その国の名所を見て、いその浜と名づけ侍るとて 潮風に浪の花ふる勝角力いさむ心もいそいその浜」巴人集甲辰②432天明4年
1784/02/
いち
市 (升屋・芸者)
 市(升屋) (別資料)
いちかわ いちぞう
市川 市蔵 初代
 市川市蔵1 (別資料) 〈市鶴・蝦十郎〉
いちかわ
えびじゅうろう
市川 蝦十郎
 市川市鶴・市蔵参照
いちかわ だんさく
市川 団作
「市川団作によみて遣しける
 短冊も団作もまたたはれうた市川流のひとつ反古庵
反古庵はすみだ川の辺にかくれすみし白猿が庵の名なり」
あやめ草②68文化7年
1810/03/
いちかわ
だんのすけ
市川 団之助 三代
「早春、清河氏の宴集。優杜若・三紅坐に在り
 山郭移舟向海浜 食医樽酒進奇珍 春初月地千金夜 燈下梨園両玉人
 入老益生当壮気 知雄愈見守雌真 当時色藝誰殊絶 最是芳州杜若新」
〈三光は団之助の俳号〉
南畝集17
漢詩番号3311
⑤145文化7年
1810/01/
「優三紅に与ふ 看君姑射一真人 綽約還疑婦女身 三尺寒泉浸紅玉 緑雲鬟上紫綸巾」南畝集18
漢詩番号3569
⑤223文化8年
1811/11/
「春雪【欄外。三紅又来る】 清明節近雪漫天 花失芳菲柳失煙 姑射神人膚若個 応将綽約闘嬋娟」南畝集18
漢詩番号3605
⑤234文化8年
1812/02/
いちかわ
だんじゅうろう
市川 団十郎 五代
 市川団十郎5 (別資料)
いちかわもんのすけ
市川 門之助 三代
「紀時事
 明和遠忌日揚塵 火事風邪共送神 千里遙来漠漠躍 一年又過唐唐春
 岩藤於発二人代 高尾頼兼七変新 京鹿子娘道成子 大門之助種桜辰」

〈「七変化」は中村座三月興行の「伊達◎解脱絹川」。「京鹿子娘道成子」は河原崎座三月興行の「松尾上岩藤」〉
巴人集拾遺②499文政4年
1821/03/
「(さつき廿日、河原崎座のわざおぎみし日よめる)市川門之助八百屋お七の役
 八百八千代めでたき野屋の封じ文あけてうれしき大入の門」
あやめ草②83文政4年
1821/05/20
いちまつ 
市松 (芸者)
「三月三日、松の屋にてなにはの歌女市松がうたをきゝて
 三千とせになるてふももの節供にはよもぎが島の内にこそいれ
【浪花島の内の歌妓なれば也】
 三線のねあがり松の髪かたちみればそのまゝ玉山の雛」
七々集②302文化13年
1816/03/03
「三日、高田与清の松屋の擁書楼の集ひ。浪華の歌妓市松酒を佐く
 千古蘭亭欠管絃 唯余墨本慕群賢 不如咫尺斜橋外 酔擁蔵書与妓眠」
南畝集19
漢詩番号4153
⑤389
いちむらうざえもん
市村羽左衛門 九代
 市村羽左衛門9 (別資料)
いなぎ
稲城 (遊女)
「稲城女の画く豊干禅師の図に題す “長風何処起 猛虎自相馴 睡去当無夢 醒来亦不真」南畝集6
漢詩番号1142
③394天明3年
1783/02/
いなげ おくざん
稲毛 屋山
「稲毛 直道 屋山、諸君を東江寺に邀へて古書画を展観す
 曠世図書観古風 東江西序借琳宮 一筵今日如揮筆 宜入千秋逸品中」
南畝集18
漢詩番号3780
⑤284文化10年
1813/04/
いわいくめさぶろう
岩井 粂三郎
「岩井久米三郎に贈る 岩井嫡流水 名称久米三 四里四方内 西北遍東南」巴人集拾遺②498文政2年
1820/
「瀬川路考・岩井粂三郎がわざおぎをたヽへて
 浜村に岩井の水にくさめとは江戸紫のあたりなるべし」
「放駒のおはや 大和屋の岩井のあたりはなれ駒おはやく御出(オイデ)朝はとうから」
あやめ草②99文政5年
1822閏01/
「岩井粂三郎おちよの役 半兵衛も岩井の水にたちよりておちよとまヽよ鳥渡粂さん」
「同牛若の役 振袖の鳥井をこした藝なれははたれもひきての多き牛若」
をみなへし②50文政5年
1822/09/
いわいはんしろう
岩井 半四郎 五代
 岩井半四郎5 (別資料)