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   人物編Ⅰ 【い】大田南畝(四方赤良・蜀山人)の詩・狂歌 〔人物編Ⅰ〕大田南畝関係
  【市川 団十郎 五代目】(いちかわ だんじゅうろう 5)◯は欠字、◎は表示不能文字
詞書・漢詩・狂歌出典巻・頁年月日
「市河三升しばらくの画賛 市川のながれて四方にひゞくらん愁人のためにしばらくのこゑ」をみなへし②14天明1年
1781/
「ことの中村座春狂言の名題を江戸花三升曽我といふ。去年の冬、江戸花海老といへるふみつくりける事を思ひ出て。花道のつらねがもとに申つかはしける
 小本から大名題をも江戸の花みます曽我とははからざりしを」
巴人集②391天明3年
1783/01/15
「花道つらね、山科の親玉のわざおぎ(大星由良之介役)をなし侍るときゝて
 見物の心もゆらぐゆらの介初ねのけふのやぐら太鼓に
 座がしらの文字もいろはのかな手本忠臣蔵にみつる金箱」

「そののちむまはむまちの友どちと芝居見にまかりて
 五月雨のはれまにひとつ大星を見つけてうれし雲の幕明」
巴人集②405天明3年
1783/05/
「花道つらねが木場のやどりを訪ひ侍りしに、門に二もとの松のたてるを見て
 はるばるとたづねてき場の隠れ家は杉にはあらぬ松たてる門」
巴人集
徳和歌後万載集
②423
①33
天明3年
1783/11/
「栢筵が外郎売の図に題す
 天下市川海老蔵 三升紋所衣裳に耀く 今に至て弁舌流水の如し 学び得たり外郎透頂(トウチン)香
「市川三升が扇面に題す
 福寿草開く周代の春 三升の若水一陽新なり 名は高し自慢の鼻の江戸 天地乾坤此人に有り」
檀那山人藝舎集①466
同472
天明4年刊
1784/03/
「市川三升が助六
 真成に揚巻君が為に労す 親玉が藝評助六高し
 二百蒸籠(セイロウ)樽廿五 鶏を割くに何ぞ新場の刀を用(モチイ)ん」
檀那山人藝舎集①469天明4年刊
1784/03/
「五代目市川三升その子柏筵(海老蔵)【七歳】の時かける達摩の画に賛して曰
 如何是祖父西来意 庭前柏筵子」
俗耳鼓吹⑩52天明4年?
1784/
「芝居のかほみせの日、花道つらねに幕をおくりける人々とをなじくよみてつかはしける
 花道のつらねによもの夷うた東夷南蛮北狄西戎」
狂歌才蔵集①47天明7年刊
1787/01/
「市川三升【五代目】狂歌をこのむ。名を花道つらねといふ。丁未のとし十月晦日、雑司谷へまうでたりとて、帰路にたちより、暫といへる大字をかき、かたへに
 いまがさいごかんねん仏といふうちに暫ありてたちかへる春」
俗耳鼓吹⑩49天明7年
1787/10/30
「市川白猿をいたみて 〈烏亭焉馬編『追善数珠親玉』(文化四年刊)所収〉
 市川の泡ときえしかこはいかに親とよばれし玉のひかりも
 わびしらにましらななきそつみものゝ山のかひある顔見せの前」
序跋等拾遺⑱630文化3年
1806/10/30没
「五代市川三升の顔見世扇に題す
 花道春風本舞台 颯開切幕暫徘徊 鼻高五代名家藝 胸飲三升大入盃」
をみなへし⑩45文化6年?
1809/?
「十月廿九日は市川白猿十三回忌なり。ことしは廿七日に芝のあかん堂にて追善会ありときゝて
 十あまり三ますます/\くりかへす子の子の珠数の親の親玉
 面白き猿の顔見せ思ひいでゝあかん堂へとまいる人々」
紅梅集②355
②357
文政1年
1818/10/29
「霜月廿九日、市川白猿十七回忌 わびしさにましらなゝきそ大入の山のかひある顔みせの度」をみなへし②52文政5年
1822/11/29