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   人物編Ⅰ 【い】大田南畝(四方赤良・蜀山人)の詩・狂歌 〔人物編Ⅰ〕大田南畝関係
  【市村 羽左衛門 九代目】(いちむら うざえもん 9)◯は欠字、◎は表示不能文字
詞書・漢詩・狂歌出典巻・頁年月日
「長月廿日、吉田蘭香のもとにてはじめて市村家橘にあひて
 よい風が葺屋町から来る客は今宵の月をめでて太夫元」
「けふなん中興全枝半太夫が三回の忌日なりとて、原夏若の三味線にて家橘半太夫をかたりければ
 半太夫もとをわすれぬ一ふしもけふきく月のはつかにぞしる」
「をなじく夏若の三味線にて誌仲の源平兵揃蓮生道行の段をかたりけるにとりあへず太夫元の舞出ければ
 蓮生の道ゆきかゝりとりあへずうたふもまふもつはものぞろへ
 返し 市村家橘 はじめての連中様へ蓮生の道行かゝりさてもめいわく」
「東牛斎にて布留糸道のさみせんにあはせて誌仲といへる翁、源平つはもの揃蓮生道行の段をかたりけるに、橘大夫舞ければ 蓮生の道ゆきかゝりとりあへずうたふもまふもつはもの揃」 (徳和歌後万載集)
〈画家吉田蘭香(東牛斎)の許にて、全枝半太夫(三代目江戸半太夫・天明元年没)の三回忌。原夏若(布留糸道)の三味線で、誌仲「源平兵揃蓮生道行の段」を語り、市村家橘(九代目羽左衛門・橘太夫元家)が舞う。濱田義一郎著「『蜀山人判取帖』補正」に「千年/\三千年/\是は目出度き寿命糖八十四翁誌仲」とあり、天明3年当時84歳。赤良の注は「八百屋隠居」とする〉
巴人集
徳和歌後万載集
②418
①33
天明3年
1783/09/20
「長月廿あまりひとひ、市村家橘わがやどりをとひ来りたはれ歌の名をこひ侍りしかば、橘太夫元家と名づけ侍るとて 狂言も狂歌もをなじたはふれの名にたち花の太夫元家」巴人集②418天明3年
1783/09/21
「大草屋しきの袖すりの松見のもとにて、吉田蘭香・布留糸道・橘太夫元家など酒のみけるに、あるじの庭ちかき一本の松の大きなるを袖すり松といへるよしをきゝて、かの太夫はいかいのほく、肌寒さ袖すり松にわすれけり、といふをきゝて 橘のかほりをそへて袖すりの松も太夫の昔わすれじ」
〈大草屋敷は大久保の尾張藩外山屋敷。袖摺松と云う一本松が知られる〉
巴人集②420天明3年
1783/10/
「橘大夫元家、葺屋町の芝居やすみて堺町にてみつ人形のわざをぎしける時申つかはしける。天明五のとしきさらぎの比なりけり 大入をみつ人形やひま箱のふたゝびとなき一世一代」
〈立川焉馬編 『江戸芝居年代記』「中村座、二月十八日より、三ッ人形の所作事、市村羽左衛門一世一代、当座にて致す、大当り」〉
狂歌才蔵集①47天明5
1785/02/
「市村家橘、狂名を橘太夫元橘といふ、天明五年二月十八日より堺町へスケに出て、三ッ人形の所作事大入也、此時、狂歌連中、三枚の摺物、各二百枚づゝおくる、これ芝居狂歌すり物のはじめ歟」
「天明五年巳八月二十五日、五(ママ)代目市村羽左衛家橘死、致興院譲誉保寿居士 寺は本庄押上大雲寺」
俗耳鼓吹⑩29天明5
1785/08/25