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   本人編 大田南畝(四方赤良・蜀山人)の詩・狂歌 〔本人編〕    大田南畝関係
 (述懐・家族・住居等南畝自身に関する詩・狂歌)
  【し】※◯は欠字、◎は表示不能文字
事項詞書・詩歌出典巻・頁年月日
しづ
  (別資料) (美保崎・晴雲妙閑信女)
じゅうきょ
住居
 住居 (別資料)
じゅっかい
述懐
 述懐 (別資料)
しょうぐんじょうらん
将軍上覧
「壬子八月二日、竜舟大いに歩兵の游泅を閲る。鈴猶人も亦撰中に在り。為に賦して賀を寄す
 楼船八月繋江皐 大閲当場意気豪 借問沈潜耽翰墨 何如忠信踏波濤」
南畝集9
漢詩番号1808
④112寛政4年
1792/08/02
しゅっちょう
出張
 出張 (別資料)
しょ 書「書に望む 梅天晴又雨 槐夏昼如年 借問臨書楽 何如飲酒眠」南畝集17
漢詩番号3239
⑤124文化6年
1809/05/
しょうしゅう
小集
 小集 (別資料) (南畝宅小集)
しょうぞう
肖像
「わが肖像をゑがきてうたよめと人のいひければ
 食ひつぶす六十年の米粒の数かぎりなきあめつちの恩」
千紅万紫①253文化5年
1808/
(南畝肖像 鳥文斎栄之画)
「江戸食山人 人生七十古来稀 くひつぶす七十年の米粒の数かぎりなきあめつちの恩
 右蜀山先生狂詠 日のもとの宝なりともろこし人もほめたゝへし我がうしにおはしければ仰ぎつゝ世に写し画と 駿河台ふじにならへる蜀山の影 四方真顔拝書」
「蜀山人 大田南畝」展カタログ
2008年 太田記念美術館
しょうようろう
逍遙楼
「八月二十八日、逍遥楼にうつりて 郭中の荘子のひびきあればにや逍遥楼とよばゞよばなん」
〈逍遙楼はお賤の寓居〉
三保の松②508天明6年
1786/08/
「冬日、逍遥楼の朝望
 小楼宜早起 起坐望朝暾 已蓄東山妓 兼開北海樽 径荒霜已下 楓老菊猶存
 忘却鵬兼鷃 逍遥似漆園」
〈妾、阿賎の寓居。漆園は荘周を指す〉
南畝集6
漢詩番号1302
③416天明6年
1786/02/
「山荘早春
 小楼宜独坐 別業望西郊 宿雪消幽谷 遷鴬払露梢 青樽携妓酔 玄草解人嘲
 非吏還非隠 逍遥偃白茅」
南畝集7
漢詩番号1339
③463天明7年
1787/01/
しょくさん
蜀山 (印)
「和歌におすべききおしでを贈らるるにむくふることは
 和歌に印をおす事なし。(中略)やつがれ比人々のもとめによりてたはれうた書ておくれるに、おしでをこふもの多し。ことし(空白)のぬし、蜀山といふ文字をほりて給はれり。そのたくみなる事はいふばかりなし。けふよりしてのち、このおしでをおして名をかく事のわづらはしきをはぶかん事のよろこばしさに、いさゝかそのことはりをしるして、これにむくひたいまつるになん」
〈これによれば「蜀山」印の使用は文政元年の七月から〉
紅梅集②347文政1年
1818/07/
しょくさんじん
蜀山人
「蜀山集はしがき はたとせあまり三とせばかりの事にやありけん。もろこしに渡さるべき銅の事承りて、あしがちる難波にありける時、おほやけごとならぬ市人等と文書つがひて、まことの名書くにもあらじと、銅の名を蜀山居士といへれば、蜀山人々々々とよぶことゝなりぬ
 文政六の年むつきのはじめ 蜀山人七十五歳にしてかく」
零砕随筆一
続日本随筆四巻
④284文政6年
1823/01/
しょくさんおしょう
前大徳利蜀山和尚
「弗子自画賛
 逢仏殺仏 逢祖殺祖 逢弗子殺弗子 逢蚊屋殺蚊屋 過八箇月 始得解脱 前大徳利蜀山和尚」
〈臨済禅の「逢佛殺佛、逢祖殺祖、逢羅漢殺羅漢、逢父母殺父母、逢親眷殺親眷、始得解脱」を踏まえる〉
巴人集拾遺②475未詳
しょくさん
ひゃくしゅ
蜀山百首
「自筆百首歌の奥に いづくまでも此ほん刻はゆるさじな千里必究とらのはつ春」
「蜀山人自筆百首狂歌 此一帖吾家狂歌髄脳也其他一時漫興宜属皮毛云々 蜀山人
 文化戊寅孟春 此本限千部 一字以為証」
紅梅集
蜀山百首
②339
①307
文化15年
1818/04/
じょせい
女甥
「春日、女甥を哭す 粉蝶翩翩遶碧紗 遊魂不返夢中賖 春風一夕吹房闥 零落階庭玉樹花
 其の二 愛汝聡明好女児 豈思纔過免懐時 新衣製作乾紅袖 泣向春風掩篋笥
 其の三 人生夭寿両茫茫 我輩鍾情不可忘 記得帳中疇昔夜 殷勤開口喚爺嬢」
南畝集1
漢詩番号0006-8
③4明和8年
1771/01/