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詞書・詩歌 | 出典 | 巻・頁 | 年月日 |
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「天明五のとし霜月十八日、はじめて松葉楼にあそびて いざゝらばふすまをはるのまつばやの玉だれのうちに冬ごもりせん」 | 三保の松 | ②506 | 天明5年 1785/11/18 |
「天明六のとし正月二日、松葉楼にあそびて | 天明6年 1786/01/02 | ||
「五月五日 | 天明6年 1786/05/05 | ||
「六月四日の朝 | 三保の松 | ②506 | 天明6年 1786/06/04 |
「美人、衣を贈る | 南畝集7 漢詩番号1331 杏園詩集三 | ③460 ⑥85 | |
巴人集 | ②462 | 天明6年 1786/07/15 | |
「雨ふる日、坂本(下谷)にて | 三保の松 | ②507 | 天明6年 1786/07/ |
「寄水恋 | 三保の松 | ②507 | |
「さんやわたりのしのびありきの比、雨ふりつづきて大路に水たかくいでければ おなじ心を 「さんやわたりのしのびありきの比、雨ふりつゞきて大路に水たかう出たりければ よみ人しらず | 三保の松 狂歌才蔵集 | ②507 ①45 | |
「浅草矢大臣前何がしのやどりをとふとて 「浅草馬道のほとりに女をゝきてかよひけるに雨ふりて水出けるに よみ人しらず | 三保の松 狂歌才蔵集 | ②507 ①45 | |
「この頃ふりつづきたる雨にかよひの空いかゞならんと思ふ給へらるゝによべよりおほやけの事さへしげくて朝とく出なんとするに、れいのもとより消そこ給はれり。このひの月いかゝみるらんともいふべき心ばへなり | 巴人集 | ②462 | 天明6年 1786/08/15 |
「十五夜思ふ事侍りて | 美保の松 | ②508 | |
「題しらず 「やめる女のかたはらにそひふし侍りて よみ人しらず | 三保の松 狂歌才蔵集 | ②508 ①45 | 天明6年 1786/08/ |
「八月二十八日、逍遥楼にうつりて | 三保の松 | ②508 | |
「秋のよ雨をきゝて 「あらしはげしきあした、やめる女のもとを立出侍りて | 三保の松 | ②508 | |
「九月尽 | 三保の松 | ②508 | 天明6年 1786/09/30 |
「冬日、逍遥楼の朝望 〈妾、阿賎の寓居。漆園は荘周を指す〉 | 南畝集6 漢詩番号1302 | ③416 | 天明6年 1786/02/ |
「神無月十八日のよかみなり雨つよく雹さへふりければ | 三保の松 | ②508 | 天明6年 1786/10/18 |
「題しらず | 三保の松 | ②508 | 天明6年 1786/10/ |
「別荘節分 | 三保の松 | ②508 | 天明6年 1786/12/17 |
「閏十月十八日 冬がれのながめも花の江戸町や山屋のもみぢみねのまつばや」 | 三保の松 | ②508 | 天明6年 1786/閏10/18 |
「江戸川にいけるふなをはなつとて | 三保の松 | ②508 | 天明6年 1786/閏10/? |
三保の松 | ②509 | 寛政11年 1799/07/10 | |
「六月十九日、亡妾阿賤の十一三年の忌日に値ふ。感有り【法謚を晴雲妙閑と曰ふ。分ちて句首に置く】 | 南畝集15 漢詩番号2696 | ④388 | 文化2年 1805/06/19 |
「是政村に宿りけるやよひ廿あまり六日のあした十七年さきにうせにし人をゆめにみしかば | 調布日記 | ⑨273 | 文化6年 1809/03/26 |
「水無月十九日、晴雲妙閑信女の十七回忌の忌にあたりければ、例の甘露門につどふとて、しづのおだまきといふ七文字をかみにおきて、老のくりごとくりかへし、そぞろなるまゝにかいつけぬ つくゞくとながめつる哉こしかたを思へばながき夏のひぐらし のちの世はかくとみのりの味ひをあまなふ露の門にこそいれ をみなへしをりつる時に思ひきや草の原までとはんものとは たむけつるとうとうことの言のはのちりやつもりて山となるらん まつのはのちりうせぬ名の高殿にちよを一夜の夢とちぎりき きのふけふいつか十年に七かへりたなばたつめの秋もちかづく と、よみけるも猶も思ひのやるかたなければ | をみなへし | ②41 | 文化6年 1809/06/19 |
「晴雲妙閑信女忌日 雲となり雨となりしも夢うつゝきのふはけふの水無月の空 妙なりしみのりの花をねざしにて露もにごりにしまぬはちすば 閑にもしづの小手まきくりかへし思へば長き夏の日ぐらし」 | あやめ草 | ②75 | 文化7年 1810/06/19 |
「季夏十九日、甘露門の集ひ。感有り 十八年前如昨夢 覚来唯見夏雲晴」 | 南畝集17 漢詩番号3366 | ⑤162 | |
「水無月十九日、甘露門の造作にて晴雲妙閑信女をとぶらふ長歌并反歌 はつかにちかき 友がきの あるはすくなく なきは数 そふる中にも 末のつゆ あきなふ門の 山寺の もとのしづくの とく/\の ながれたへせず としごとに のりのむしろの からにしき たゝまくおしく 思ふぞよ 思ひ出れば 久かたの 天あきらけき としの比 長雨ふりて 川水の みかさもまさり ひたしける 水や空かと たどるまで 船をまつちの 山をかね 岡にのぼりし 高どのゝ 名におふ松の ことのはの ちりうせずして 山ざとに うつろひすみし 年月の 夢のうきはし とだへして むすびもとめぬ玉のをの 長き別れも つれなしや つれなき色に いづるてふ 大田の松の 大かたの なげきならねど たちまじる うき世の事の よしあしの なにはにいゆき しらぬいの 心つくしの はてしなき このまどひこそ 久しけれ とにもかくにも 老にける 身をしる雨の 風さはぎ むら雲まよふ 折からの むかしを今に なすよしも なつの日ぐらし わすられなくに | 放歌集 | ②156 | 文化8年 1811/06/19 |
「隅田川の花みんと、中田圃といふ処を過て大音寺の前にいづる道は、昔若かりし時山谷通ひに目なれし所なり むかしみし鶴の園生の額もなし三本松やいくよへぬらん 若かりし日の出いなりをいく年の関のやしきやこえて行けん ながめやる天水桶のたがためにむかし飛たつ思ひなりけん 千束にあまる思ひや思ひ出る親の異見の大音寺前」 | 放歌集 | ②180 | 文化9年 1812/03/ |
「月ごとの十九日に物かきて人にあたふるは、晴雲妙閑信女の忌日なればなり。ことし水無月十九日、例の甘露門にまどゐして、じふくにちといふ五文字を上にして五首のうたを手向ぬ ふねの中なみの上なる浮草のやどりもいつか六とせ七とせ くりかへす暦の数もはたまきにちうたばかりの手向とぞなる にごり江のみかさまさりてすむ人の門辺もむかしみえずなりにき ちかひてしはねもならべず松のはの枝もかはさず年をふるつか」 | 放歌集 | ②197 | 文化9年 1812/06/19 |
「としごとの水無月十九日は甘露門につどひて、晴雲忌のあとゝふ事になりぬ。ことしは十八日を卜して、もろ人ともにこのむしろにのぞみて、せいうんきといふ五文字を句の上に置て、いつまで草のいつゝのうたのことのはとはなしぬ せん年のいはほともなれうしろまへむすこけ衣きたるいしぶみ せいうんのいまは心もうせはてゝむちうつ駒のきだにすゝまず せきとむるいせきの水のうき舟にむつかしくのりきしかたを思ふ せんも万もいらず今日うちよりてむべあとゝひにきたる人々」 | 紅梅集 | ②343 | 文政1年 1818/06/18 |
「六月十九日、甘露門にて晴雲女廿七回忌 | 紅梅集 | ②368 | 文政2年 1819/06/19 |
「六月十九日、甘露門に集ひて感あり 【自由軒・糟丘・錦江、既に没す】」 | 南畝集20 漢詩番号4546 | ⑤503 | 文政3年 1820/06/19 |
「水無月十九日、例の晴雲忌に甘露門にて | あやめ草 | ②86 | 文政4年 1821/06/19 |
「六月十九日、甘露門浄栄寺晴雲の忌日の作 | 南畝集20 漢詩番号4669 | ⑤537 | 文政5年 1822/06/19 |