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   本人編【し】大田南畝(四方赤良・蜀山人)の詩・狂歌 〔本人編〕大田南畝関係
  【述懐】(じゅっかい)(寛政八年(1796)九月六日没 七十三歳) ※◯は欠字、◎は表示不能文字
詞書・詩歌出典巻・頁年月日
「壁に題す【明和三年丙戌作時歳十八】
 生長牛門十八秋 濁酒弾琴拊髀遊 人生上寿縦満百 三満六千日悠々 功名富貴浮雲似 笑他文繍羨犠牛
 満堂尽是同懐子 無酒須典我貂裘 濁酒一杯琴一曲 一杯一曲忘我憂 時人若問行楽意 万年江漢向東流」
杏園詩集⑥21明和3年
1766/
「春日 草堂生事自来微 却掃閑庭到夕暉 鳥雀声従幽谷転 比隣花過短墻飛
    文章達命無今古 富貴浮雲有是非 人生百年須一酔 莫令樽酒此中違」
牛門四友集⑥11明和4年刊
1767/
「漁樵 漁海樵山一放歌 長将丘壑対煙波 江流滾々迎垂釣 谷響丁々答伐柯
    拾菓行随榛路去 得魚時向酒家過 羨君各自安生計 世上機心不耐多」
杏園詩集
三餐余興
⑥24
⑧13
明和9年
1772/07/
「逝くを歎ず 二首
 可歎人間事 哀情日夜新 死生頻屈指 匍匐共傷神 縦作千金子 還非百歳身 功名兼富貴 総比北邙塵
 逝矣東流水 悠々不可留 生涯猶有待 身後亦何求 文費千秋思 杯忘一日憂 但令歓楽尽 遮莫託山丘」
南畝集1
漢詩番号0140-1
杏園詩集
③48
⑥29
明和9年
1772/09/
「感遇 翩彼九皋鶴 戢翼在鶏群 々々豈無匹 小大志自分 飢啄空倉粟 鶏鶩乱紛々
    一鍛凌風翮 若何蒙塵氛 徘徊延頸鳴 哀響徹天聞 何日羽毛成 翻飛入白雲」
〈「感遇」張九齢〉
南畝集1
漢詩番号0148
③44明和9年
1772/10/
「寒夕。来字を得たり
 独坐初寒夕 蕭々落照催 景迎南至近 遶経霜華重 敲窓木葉摧 何人能好我 携手一徘徊」
南畝集1
漢詩番号0149
③44明和9年
1772/10/
「古意 咋栽桃李樹 共約及花時 花散実還結 佳人無見期」三餐余興⑧14明和?年
177?/
「歳暮
 行蔵何索莫 歳月忽崢嶸 佩剣生塵挂 窓書映雪明 聊依金馬隠 猶代石田耕 遠媿東方朔 三冬業自成」
南畝集1
漢詩番号0158
③55安永1年
1772/12/
「歳暮、酒壚に飲む。情字を得たり 将向旗亭一解酲 黄公壚上伴同盟 坐容酔客憐常満 杯泛斜陽惜未傾
 縦飲偏甘郫県酒 豪遊那羨霍家名 嚢銭兌得忘憂物 遮莫年光欲暮情」
南畝集1
漢詩番号0160
③56
「秋日村居
 一径通閭巷 清秋半掩扉 風乾黄葉落 天敝白雲飛 独対樽中酒 長忘世上機 若逢知己客 鶏黍不相違」
南畝集2
漢詩番号0250
③79安永2年
1773/08/
「歳暮独酌
 独酌清樽一酔歌 玉山頽処正嵯峨 胸中磊隗応須澆 身後功名豈足多 日月能開青眼少 風塵転逐白駒過
 人生幸有忘憂物 遮莫年光送逝波」
南畝集2
漢詩番号0259
杏園詩集
③90
⑥33
安永2年
1773/12/
「独酌 独酌望青天 青天何所識 唯憐濁酒杯 不帯浮雲色」南畝集2
漢詩番号0280
③94安永3年
1774/04?
「歳暮の感懐
 抱疾多時臥敝廬 三冬已破歳将除 南枝暗洩芳春色 北斗先廻閏月余 誰向轍中憐涸鮒 還応肆上索枯魚
 文章豈為窮愁就 伏枕悠々懶著書」
南畝集3
漢詩番号0450
③156安永4年
1775/閏12/
「春夜、酒を思ふこと甚だしきも得ず。慨然として賦す
 蕭条春雨夜 展転臥空牀 渇甚同司馬 憂来憶杜康 欲賖無近市 相顧不過墻 安得乗飛夢 陶然入酔郷」
南畝集3
漢詩番号0473
③164安永5年
1776/02/
「三日、感懐
 賞心易負時易失 桃李花飛将結実 暮春々服浴沂時 永和少長修禊日 我思古人悲昔遊 千載之下感如一
 自慚奄々地下人 見在偏同蜍志匹 去秋伏枕度冬春 転覚煙霞為痼疾 美景良辰雨兼風 柴門一杜都不出
 偶逢三日好風光 力疾窺園立夕陽 間関啼鳥背人語 流乱游糸惹恨長 縦把羽觴臨曲水 愁来恐似九廻腸」
南畝集3
漢詩番号0473
③166安永5年
1776/03/03
「正月晦、戯れに送窮の詩を作る
 行矣高陽子 春宵設別筵 緑楊垂払駕 青草結為船 憂極難埋地 窮来更仰天 慇勤臨祖道 空誦逐貧篇」
南畝集5
漢詩番号1060
③363安永6年
1777/01/30
「七夕、懐ひを書す 乱飛烏鵲渡河辺 枕箪秋風興有余 但使清樽酬綺節 従他更乏腹中書」南畝集4
漢詩番号0555
③195安永7年
1778/07/07
「秋夜、懐ひを書す 凄風苦雨夜初長 四壁陰虫満草堂 鐘漏沈々天未暁 秋声断尽幾人腸」南畝集4
漢詩番号0558
③197安永7年
1778/07/
「冬夜書懐 独夜寒燈意転幽 無端還憶歳年流 古人已遂三冬業 未必功名待白頭」南畝集4
漢詩番号0595
③204安永7年
1778/10/
「斎中読書
 楊子守泊如 漆園遺吏務 或可嘲寂寞 庶以消世慮 虚堂絶囂塵 閑居多暇予 厳霜凛満地 北風吹庭樹
 感此歳時移 俯仰思今古 隠几読我書 濡翰且作賦 寥寥千載下 旦暮一相遇 九原如可起 尚友将誰慕」
南畝集4
漢詩番号0596
③208安永7年
1778/10/
「除夕
 看過三十載 万事共茫然 雲澹星杓転 風来夜雨懸 窮陰分晦朔 独坐嘆推遷 香動椒盤上 春生柏酒前
 感時誰採筆 列炬幾開筵 別有幽懐子 耿々不作眠」

「歳暮偶成 吏隠蔵名已十霜 又看除歳近春陽 寸陰聊得開書帙 猶似山中日月長」
南畝集4
漢詩番号0625-6
③218安永7年
1778/12/29
「無題 天上清歓祇暫同 瓊漿余酔思無窮 醒来忽落人間世 髣髴黄粱一夢中」南畝集4
漢詩番号0714
③247安永8年
1779/08/
「夏夜、諸子の過らるるを謝す。七虞を得たり
 一雨新晴片月孤 牛門樹色鳳城隅 階前移席沾華露 燈下論心対玉壷 句句欲裁天錦美 人人自抱夜光珠
 莫言吾党多狂簡 海内文章定有無」
南畝集5
漢詩番号0791
③274安永9年
1780/05/
「立秋の日、感有り 秋風入戸暑将残 一葉梧桐落井欄 今日生潘三十二 二毛先映鏡中寒」
〈南畝この年三十二歳、自らを西晋の潘生(潘岳)に擬えたか。二毛は白髪〉
南畝集5
漢詩番号0819
③282安永9年
1780/07/06
「歳暮、懐ひを書す 江城明日是陽春 歳暮風光已自新 且喜膝前児女子 煕煕坐作太平人」南畝集5
漢詩番号0892
③305安永9年
1780/12/
「自ら遺る 波波生事幾時休 半日間居即菟裘 憎愛不関心若水 長伸両脚臥牀頭」
〈生事はもめごとであるが、具体的には何か、菟裘は隠居の地〉
南畝集6
漢詩番号1121
③386天明2年
1782/07/
「述懐 いかにせん心のこまのすゝみつゝめでたい事におはれぬる身を」めでた百首夷歌①84天明3年刊
1783/01/
「月前述懐 世の中はいつも月夜に米の飯さてまたまふしかねのほしさよ」万載狂歌集①11天明3年刊
1783/01/
「述懐 いたづらに過る月日もおもしろし花見てばかりくらされぬ世は」万載狂歌集
巴人集
①15
②447
「放屁百首歌の中に おろかなる人はぶつとも放屁ともしらではかなき世をやへひらん」万載狂歌集①15
「ねてまてどくらせどさらに何事もなきこそ人の果報なりけれ」
(『蜀山百首』(文化15年刊・①312)『清好帖』(文政7年刊・⑳385)所収)
巴人集②447天明3年?
1783/01/?
「あふみのやかがみの山を餅にねり 神風やいせ海老のこしかゞむまで 門松のはのちりうせぬざれごとをのぶるとて
 海老の腰おらばや五斗の餅米も輪とりにゝたる人をかがみに」
巴人集②447
「夏日の山斎
 清斎白日絶塵埃 澗戸寥寥自不開 樹密千章連翠幄 山空一雨落黄梅 閑居謾養安仁拙 小隠羞非曼倩才
 向晩甕頭聊欲睡 児童忽折露葵来」
〈「安仁」は晋の潘岳。「曼倩才」は『蒙求』「曼倩三冬」〉
南畝集6
漢詩番号1149
③397天明3年
1783/05/
「秋興 三秋風物自蕭蕭 況復千山木葉凋 径仄陰虫吟白露
    雨晴新雁下青霄 豈無巧宦栄当達 却笑長貧賤転驕 徒到二毛貪寸禄 人生幸得在清朝」
南畝集6
漢詩番号1156
③399天明3年
1783/09/
「七月十二日、泥鰌魚を饋る者有り。尽く諸を溝に放ち、聊か短述を作る
 平生我輩在樊篭 篭鳥池魚思不窮 晩向通溝放頳尾 悠然好去大江東」
〈「樊篭」は鳥籠。不自由な境遇・官職の喩え〉
南畝集6
漢詩番号1150
杏園詩集二
③397
⑥68
天明3年
1783/07/12
「述懐 世の中の人には時のきやう歌師とよばるゝ名こそをかしかりけれ」巴人集
徳和歌後万載集
②412
①31
天明3年
1783/06/
「不風流処亦風流 いたづらにすぐる月日もおもしろし花みてばかりくらされぬ世は」巴人集②457天明3年?
1783?
「述懐 沈香はたゞ一炷もたかずしてうき世をへのみひるぞわびしき」巴人集②457
「秋興 三秋風物自蕭蕭 況復千山木葉凋 径仄陰虫吟白露 雨晴新雁戯青霄
    豈無巧宦栄当達 却笑長貧賤転驕 徒到二毛貪寸禄 人生幸得在清朝」
南畝集6
漢詩番号1156
③398天明3年
1783/09/
「三十五になりける年のくれに かぞふればもはや三十五斗米に腰をこごめてこす年のせき」巴人集②425
天明3年
1783/12/
「歳暮、酒家の壁に題す 富貴功名不可求 楚雲湘水望悠々 今年三百六十日 半在胡姫一酒楼」南畝集6
漢詩番号1165
杏園詩集二
③402
⑥68
天明3年
1783/12/
「一炉茶覚一生夢 千石酒忘千日憂 もゝとせも千よ万よも酒にゑひ茶にうかされて過ん世中」
「述懐 世中は細工貧乏人だからたゞおのが身とうらめや/\」
巴人集甲辰②436天明4年
1784/02/
「偶作 興託三杯酒 官偸一日閑 何時昏嫁畢 随意入名山」 〈「杏園詩集二」⑥79〉南畝集6
漢詩番号1174
③407
天明4年
1784/03/
「直夜、懐ひを書す 二十年来寄散官 随行逐隊一身安 誰知蘭省春風夢 翻作廬山夜雨看」
〈白居易「廬山草堂、夜雨獨宿」蘭省は宮中図書館〉
南畝集6
漢詩番号1176
③407
「自ら遺る
 少年高志在千秋 大業無成日月流 漸与梁園詞客絶 転随燕市酒人遊 送迎曾掛南州榻 唱和空伝下里謳
 莫道吏情難免俗 有時飛夢到滄洲」
南畝集6
漢詩番号1187
杏園詩集続編
③410
⑥79
天明4年
1784/04/
「九日、懐ひを書す
 貧家佳節掃藁莱 彭沢妻孥一笑開 籬畔縦無黄菊発 門前自有白衣来
 雲霄已絶攀竜望 詞賦徒伝戯馬台
 誰憶廿年為俗吏 長将心事附銜杯」
南畝集6
漢詩番号1226
③422天明4年
1784/09/09
「閑居無聊、偶々往年の詩稿を見るに、蠹魚の噛む所と為る。感有り
 嚢中詩草満 鬱々十年余 縦不伝都邑 何堪附蠹魚」
南畝集6
漢詩番号1227
③422天明4年
1784/09/
「秋朝即事
 起坐東軒下 蕭蕭一室中 陰雲含宿雨 暁露冷疎桐 膝為郷人屈 身因世路窮 何当揮羽翼 天地謝樊籠」
南畝集6
漢詩番号1286
杏園詩集続
③442
⑥83
天明5年
1785/08/
「東山の守満師の叡山善住院に主たるを賀す
 身入無為不棄恩 新居大刹道愈尊 遥従東叡臨裨叡 更転梁園作紺園 標塔雁懸秋色度 繋衣珠共露華繁
 自慙長被塵埃縛 心事功名附酒樽」
南畝集7
漢詩番号1334
③461天明6年
1786/09/
「冬日。一夫を傭ひて家園の荒穢を理めしむ。手種の蘭荻、之が為に刈らる。慨然として詠を為る
 已伐劉家荻 還刈楚客蘭 園丁不解事 猶作束薪看」
〈劉家は劉禹錫、楚客は屈原。南畝、自身を両者に擬えたか〉
南畝集7
漢詩番号1337
③462天明6年
1786/11/
「秋林に感ず
 人生同草木 感此変衰時 忽見他山色 偏驚落葉枝 林疎霜露満 秋尽夕陽移 莫問栄枯事 芸芸物白私」
南畝集7
漢詩番号1375
③475天明7年
1787/09/
「秋夜、僧院に宿す 偶投深院宿中宵 落葉寒泉共寂寥 坐久漸知心地浄 開窓山月照渓橋」南畝集7
漢詩番号1377
③475天明7年
1787/09/
「秋尽。春菶仲と同じく酒家に小酌す 那管三秋尽 来遊一酒壚 歩兵還有禄 莫笑不為儒」南畝集7
漢詩番号1377
③475天明7年
1787/09/
「負喧 抄冬晴日照南軒 堰息牀頭更負喧 枯柳蕭蕭経雨雪 新松楚楚繞家園
    人間富貴青雲散 酔裏行蔵白髪繁 坐久便為遺世客 悠然別有一乾坤」
南畝集7
漢詩番号1394
③481天明7年
1787/12/
「なつくさ
 をのがさつきの雨のなごり、猶はれやらで、名だかき雪もけぬといふなる、日よしのまつりも近づきぬらし (以下略)
 此ごろは世をすねくさのうみはててただ膏薬をねるばかりなり」
〈天明2年刊『狂歌若葉集』に「すねくさをうれへ侍りし比」の詞書と共に同詠あり〉
四方のあか①120天明8年刊
1788/01/
「人に答ふ 曾将白雪混巴人 詩酒風流四十春 莫問一官何拓落 生来未掃相門塵」南畝集7
漢詩番号1437
③496天明8年
1788/03/
「春尽 春尽園林白日長 任他流転逐風光 行蔵自笑双蓬鬢 吏隠誰知一草堂
    已老黄鴬求旧友 猶余粉蝶慕残香 明朝更遇清和好 酔臥重陰緑樹傍」
南畝集7
漢詩番号1444
遊娯詩草
③498
⑥291
天明8年
1788/03/28
「五日、命有つて書を都堂に写する事を主どる。因りて賦す
 三冬文史学難成 五日風雪命白明 縦有青黎能照閣 空慚天禄校書生」
〈都堂は評定所。三冬文史は農事のない冬に読書する貧者。天禄校書生は劉向か〉
南畝集7
漢詩番号1455-6
③502天明8年
1788/05/05
「感遇 良時違伏枕 感興入愁霖 未散浮雲色 誰知捧日心」南畝集7
漢詩番号1462
杏園詩集三
③504
⑥89
天明8年
1788/05/
「早春、草堂の集ひ。諸子に示す
 屏居一自避虚名 閑散愈深吏隠情 幸値陽春布徳沢 聊傾濁酒為逢迎 夢余彩筆慙才尽 天上黄河見水清
 寄語少年同学者 好将文武答昇平」
 〈文武を重視する新政に臨む南畝の決意〉
南畝集8
漢詩番号1453
④5寛政1年
1789/01/
「春夜の宴
 良宴知何夕 和風錦度披 酒堪探勝地 客不愆佳期 濯々懸楊柳 翩々勧羽巵 月迎飛蓋出 花近曲欄垂
 豈合耽擒藻 唯須倒接◎ 罰甘金谷苑 興圧習家池 邂逅随沈酔 綢繆慰所思 合樽憐促坐 火棗雑交梨
 謝傅東山妓 巴人下里詞 双蛾顰翠黛 繊手払青糸 堕珥歌宛転 軽羅袖颯纚 三更将向暁 一石亦無辞
 燭滅冠纓絶 籌催玉漏移 已窮欣楽趣 却動歳年悲 但願同仙侶 千春共若斯」
南畝集8
漢詩番号1516
④9寛政1年
1789/03?
「五日の感懐 去年今日望青雲 今年今日酔醺 年年更対新蒲酒 天地何時出世氛」南畝集8
漢詩番号1550
④20寛政1年
1789/05/05
「病馬。寒韻を得たり
 病来垂両耳 伏櫪意何安 一失飛騰勢 初知歩驟難 影随西日落 声向北風寒 憶昔横門道 駸駸帯玉鞍」
〈杜甫『秦州抒情詩』「病馬」〉
南畝集8
漢詩番号1657
④57寛政2年
1790/06/
「九月十三夜 秋来風雨満溝渠 不見清光度太虚 九月十三晴色好 田家占候更何如」南畝集9
漢詩番号1761
④98寛政3年
1791/09/13
「辛亥十二月七日の作 不随黄鳥競遷喬 空為素餐慙懶朝 忽向青天窺白日 積年雲霧一時消」南畝集9
漢詩番号1773
④101寛政3年
1791/12/07
「冬日、元帥稲葉君に侍して坐して経を講ず
 明時何必問升沈 為感元戎眷遇深 一道紅塵通虎観 高堂瑞気満鳥林 賦詩唯慕国風美 講易寧知天地心
 二十七年充隊伍 差将華髪学青衿」
南畝集9
漢詩番号1775
④101寛政3年
1791/12/
「無題 一自東南孔雀飛 回思少小在香幃 下簾低唱玉箏曲 翻酒従沾金縷衣
    花落色衰時自逝 雨行雲散意多違 可憐徴命如糸日 始信心中万事非」
南畝集9
漢詩番号1854
④127寛政5年
1793/07/
「春日、葛谷に遊ぶ
 凡道異於我者可友邪 将道同於我者可友邪 道同於我者固可相友矣 而道異於我者亦可以相友也
 己今天下書同文 文以載道道不異文 然則其道不可以友矣 而其文可以友也 異其道者問其道則不知
 問其文則吾無隠乎 爾況問其文而学其文者乎 雪山師今年遊西京隷竜谷学黌 将以問其道焉
 同其文者不無一言 孔子曰 道不同不相為謀 吾唯言其同者而不言其異者 試以吾道推之
 学在勉而廃乎怠 功在敏而〈文、棒線で抹消〉」

〈詞書と本文とは無関係〉
南畝集9
漢詩番号1844
④124寛政5年
1793/03/
「中秋、宿衛の作 高閣連雲暑未残 満天何処月華団 独催幽興中秋夜 徒作池魚寵烏君」
<「月に対して懐ひ有り
 素影風前転 清光雨後多 団団辞玉樹 漸漸度銀河 烏鵲飛還集 青娥笑且歌 強将傾美酒 其奈鬢毛何」
南畝集9
漢詩番号1867-8
④131寛政5年
1793/08/15
「同前(九月尽)糟丘亭の韻を和す
 風飄白日没西山 秋去秋来両鬢斑 夙志未酬人已逝 半生功業有何顔」
南畝集9
漢詩番号1900
④142寛政5年
1793/09/30
「花朝節、諸子に示す
 梅柳参差二月初 花朝令節会幽居 群賢尽集少還長 一酔何論親且疎 家苑嚶鳴聞谷鳥 城門災厄免池魚
 莫言樗散為華髪 贏得銜杯与読書」
 〈樗散は役立たず、華髪は白髪〉
蜀山集⑥105不明
寛政6年02/01?
「春日、甘露門に飲す。歌韻を得たり
 歳歳看花一酔歌 法雲深処幾経過 千枝色払青樽嚲 片雪光添白髪多 徒弄文辞遊国学 未逃名利託山阿
 人間万事皆春夢 酒醒明朝若老何」
 〈甘露門は雪山か〉
蜀山集⑥105不明
寛政6年02/01?
「五十初度賀戯文
 東方朔は四十歳、三浦大助七十九、浦島太郎が七世の孫は、思ひもよらぬ厄介を引請たれば、他人にかゝるも同前にて、あまりめでたき事にはあらじ。武内の宿祢の厄払にもれたるは、同名の説あれば、親も嘉兵衛子も嘉兵衛かもしらず。鶴と亀より長生なれば、烏によする祝といへる御出題もなし。私当年五十になり候。お馴染の御方詩歌連俳狂詩狂歌とも皆御断也。名題に愚詠一首
 竹の葉の肴に松のはしたてむ鶴の吸い物亀のなべ焼き」
巴人集①218
②462
寛政10年
1798/03/03
「寛政庚申の年、竹橋の内府にありし書記を改むべしとの命ありけるが、五月のころ雨晴れざるとき
 五月雨の日も竹橋の反故しらべけふもふるちやうあすもふるちやう」
〈『孝義録』作成のための林大学頭への出役(孝行奇特者調べ)は五月二十八日御免となる〉
巴人集拾遺②474
②439
寛政12年
1800/05/
「歳暮、旅の懐ひ
 百代光陰一旅情 宦遊驚見歳崢嶸 身為浪泊芦中客 家在芙蓉雪外城 要会有余供大府 春風已近促帰程
 正逢芳樹籠秦桟 須自岐蘇道上行」
南畝集12
漢詩番号2077
④194享和1年
1801/12/
「即事 休言吏事日紛紜 猶勝学究誇異聞 案牘倦来何所見 梅厓書画阮家文」
【梅厓、名は賜、字は(二字欠)十時氏。長島の文学。阮家、名は秋成。字は余斎。一字、無腸、又字、鶉居。京師の隠者。国文に長ず】
南畝集12
漢詩番号2087
④198享和2年
1802/01/
「自ら遣る 半世行蔵進宦途 満堂孫子尽歓娯 自今如賜空閑地 此外微躯一願無」南畝集12
漢詩番号2116
④212享和2年
1802/05/
「五日、懐ひを書す
 去年午日遊江口 妙妓遺蹤攀岸柳 昨辞浪華還武城 親戚情話勧蒲酒 江口風煙雛可憐 何似児孫列日前
 近来越階酒銭足 且懸綵縷繋残年」
南畝集12
漢詩番号2117
④212享和2年
1802/05/05
「竹軒の小睡
 三竿翠色掃南軒 嫰籜新梢雨後繁 已識睡時纔隠几 須因酔日一分根 鳥窺疎葉看無影 露滴閑庭聴不喧
 幸有風来吹鼎◎ 不令双眼到昏々」
南畝集13
漢詩番号2177
④231享和2年
1802/09/
「人生の至楽、予に如くはなし 人生至楽寞如予 俸有金銭儋有儲 散且来兮食且飽 人生至楽莫如予
「又 人生至楽莫如予 床有清樽架有書 飲且酔今読且記 人生至楽莫如予」
南畝集13
漢詩番号2223
⑧345
④244
享和3年
1803/01/
「偶成 官興闌時多玩日 老情来処転探春 不聞下里新歌譜 儻念西方古聖人」南畝集13
漢詩番号2237
④249享和3年
1803ウ01/
「初夏、酒に中る 午槐円夢蔭南柯 九十春光酔裏過 纔解宿酲還痛飲 遨頭婪尾不勝多」南畝集13
漢詩番号2262
細推物理
④256
⑧361
享和3年
1803/04/01
「即事
 詩思在行吟 時還隠几深 梅天雲更起 槐景気成陰 酒似生前楽 春如夢後心 但須随境転 何必八山林」
南畝集13
漢詩番号2272
④259享和3年
1803/04/
「自ら遣る 江城日日暑如蒸 疎雨軽雷宿霧凝 可憐垂白簿書吏 奔走府中貪斗升」〈簿書吏は支配勘定〉
「其の二 卒伍栖々五十年 謬将黍窃得鶯遷 不知幽谷三春尽 猶自丘隅止一辺」〈鶯遷は立身出世〉
「其の三 世上利兼名共失 老来生与死為隣 且将年少携歌妓 遣興琉球国裏絃」〈琉球国裏絃は三味線〉
「其の四 伐性双蛾眉似斧 腐腸奇薬麹盈車 舎斯二者当何楽 唯有床頭数巻書」
〈伐性之斧は女色。腐腸之薬は美食〉
「其の五紛々墨本占文書 縁飾升平吏術余 休説北閭南瓦事 仕途捷径易躊躇」
〈北閭南瓦とは市中の意味か〉
「其の六 学入朱門専講説 論欽白石事経綸 請看邸報新遷者 応是春闈取捷人」
〈春闈は春の官吏登用試験〉
「其の七 新刊随月読書楼 物子声名溢九州 不合時宜兼学議 七経文字附悠々」
〈物子は荻生徂徠。七経は孔孟の書〉
南畝集13
漢詩番号2304-10
④267享和3年
1803/06/
「酒を病む 痛飲連三夜 岬吟臥一床 不知儀狄後 腐得幾人腸」
「其の二 古来稀七十 々々亦徒然 試計将来日 不過十五年」 【時に予歳五十五】
「其の三 利窃千金富 名食百世芳 不甘天美禄 纍々古墳塋」
南畝集13
漢詩番号2322-4
細推物理
④272
⑧273
享和3年
1803/07/
「夜に倦む
 疎鐘寒柝報三更 耿々中宵奈小明 傾耳書房知鼠走 転身床辱待鶏鳴
 名拌縦飲〈三字欠〉 手廃陳編業未成 少壮幾時今老大 華顛墜落歳崢嶸」
 〈縦飲は暴飲、陳編は古書〉
南畝集13
漢詩番号2364
④284享和3年
1803/10/
「歳暮、壁に題す 依然傲骨是吾真 不屈王侯与大人 富貴功名雖已矣 生涯得与杜康親
 又 五十余年酒飯嚢 無何有是酔中郷 発春将欲移居去 零落牛門一草堂」
南畝集13
漢詩番号2397
④293享和3年
1803/12/
「早春、硯に臨むも筆無し。乃ち敝篋を探りて退筆を得たり。戯れに賦す
 毫毛茂々写斯文 五十年来白首紛 春至貧家無使令 徴書再起中書君」〈中書君は筆〉
南畝集14
漢詩番号2406
④301文化1年
1804/01/
「即事 眠尽碧窓日 飽聞黄鳥声 移居新活計 可以(一字欠)吾生」南畝集14
漢詩番号2413
④303文化1年
1804/01/
「春雪【二月三日】 不辨鴬花二月天 狂飆捲雪没山川 謫仙髪白三千丈 漢節旄空十九年 〈節旄は任命〉南畝集14
漢詩番号2418
④305文化1年
1804/02/03
「瓊浦にゆくべき仰せごとうけ給はりける 杏花園
 玉ひろふ浦としきけば白波のかけてもふまじ浜の真砂地
 逃名々益起 辞利々将多 自笑老樗散 無如名利何」

〈「老樗散」は役立たず。『細推物理』「つゐに十あまり八日にその命下りぬ」)〉
巴人集
漢詩番号2468
②441
④320
文化1年
1804/06/18
「即事  南畝覃 
 衆鳥来てこれを笑ふ、その智に及ぶべし。木兎ゐながらこれをひく、その愚には及ぶべからず
 小鳥どもわらはばわらへ大かたのうき世の事はきかぬみみづく
〈諺「木菟(ヅク)引きが木菟に引かれる」(相手をやっつけようとした者が、逆に相手の術中にはまってやられてしまうこと)を踏まえる。この狂歌は『四方のあか』(①140)にあり天明年間の詠と思われる〉
巴人集②441文化1年
1804/06/
「海山のさはりもあらじ父母のみかげをうけて君につかへば」巴人集②442文化1年
1804/06/
「百舌の詩幷びに引
 覃崎陽に至れば、官舎の庭雑樹多く、百舌鳥の朝暮樹間に飛鳴する有り。舌を転ずること円滑、殆んど人耳に聒すし。覃、讒人側に在りの語に感じ、百舌の詩を作る
 百舌々々 転舌如簧 胡言之巧 胡舌之長 止我叢棘 以翺以翔 秋冬之交 霜厳気蔵
 暮春煦々 載和載陽 令紀無声 時不可忘 過時不去 古称不祥 讒人在側 其国以亡
 婦言是聴 其家以荒 戒慎多言 慎在予防」
南畝集14
漢詩番号2526
④335文化1年
1804/09/
「夜に倦む 四隣群動寂無声 夜雨空階聴更鳴 欹枕牀頭頻展転 漸分櫺色到天明」
「又  近寺疎鐘報六時 耿々独臥数先知 一宵秋雨如春雨 草木寒遅未変衰」
「偶作 霜遅木葉未飛黄 苔色愈青薛荔牆 予恐南方卑湿地 明年毒熱汗為漿」
南畝集14
漢詩番号2528-30
④336文化1年
1804/09/
「無題 誰道胡姫美似瓊 新粧袨服兆傾城 巴人自有千人和 闘草寧知百草名」
「無題 誰道胡姫美似瓊 新粧袨服一傾城 巴人自有千人和 闘草寧知百草名」 〈⑲書簡60:小川文庵宛〉
南畝集14
漢詩番号2537
④338文化1年
1804/09/26
「九月小尽 光陰百代幾人閑 帰鳥穿雲入立山 此地明年秋尽日 帰舟己度赤間関」
〈来年の今頃は帰路に就いて赤間関(下関)の辺りい居るだろうと思っていた〉
南畝集14
漢詩番号2542
④340文化1年
1804/09/29
「無題 松葉楼中見女仙 花川戸外感流年 旅亭旧雨催今雨 望断江東日暮天」南畝集14
漢詩番号2570
④348文化1年
1804/10/
「鶴羮 焼琴不聞曲 煮鶴更分羮 休笑殺風景 由来是吏情」
〈「焚琴煮鶴」とも。殺風景の意味。長崎の官吏の世界を喩えたものであろうか〉
南畝集14
漢詩番号2602
④358文化1年
1804/10/
「用あるともはやくおきる事なかれ。ひまありとも出る事なかれ 重代氏人後不勝手院(ゴフカツテヰン)不工面侍(フクメンサムラヒ)四方赤良
 己やれ富貴になさでおくべきか貧乏神の勅をそむかば」
巴人集②444文化1年
1804/
「白竜道人の寄せらるるを和す 虎渓纔咫尺 陶謝叵相携 已見梅花落 無由企馬蹄」
「其の二 任他宦遊地 即作無何郷 閑地留方寸 身随世上忙」
「其の三 脱却樊籠役 何時訪遠公 共遺蓮社禁 三笑一時同」
南畝集15
漢詩番号2629-31
④369文化2年
1805/01/
「夏昼偶成 黄梁飯熟黒甜余 一枕薫風満借廬 夏昼如年羈旅客 覚来還点案頭書」南畝集15
漢詩番号2665
④380文化2年
1805/04/
「春夜、旅の懐ひ 崎陽卑湿異寒温 二月初旬草木繁 一夜南風吹大海 不令郷夢到家園」南畝集15
漢詩番号2640
④372文化2年
1805/02/
「偶成 宦海滔々欲海中 波瀾平地起狂風 虚舟一片軽鴎外 不解人間有事功」
〈虚舟は事功(手柄)とは無縁の南畝を擬えたか〉
南畝集15
漢詩番号2643
④373文化2年
1805/02/
「春日、旅の懐ひ 飽飯余閑春昼長 蒲萄架下立彷徨 鳥鳴花老帰期遠 更待炎蒸変早涼南畝集15
漢詩番号2652
④375文化2年
1804/03/
「七月廿五日、懐ひを書す 去年今日発東都 投宿金川海駅隅 三百六旬看又過 秋風唯似促帰途」南畝集15
漢詩番号2705
④392文化2年
1805/07/25
「偶成 人間清福集家門 親戚団欒長子孫 美酒百壺百万巻 余閑飽飯歩丘園」南畝集16
漢詩番号2844
⑤3文化2年
1805/11?
「城南閑歩
 欲向城南歩水湄 已過春立日行遅 泥乾豈有窮途哭 天霽除非弱柳垂
 看避熟人申俗礼 近馴閑鳥学嬰児 自今風物熙々好 一担盆梅発数枝」
南畝集16
漢詩番号2850
⑤5文化2年
1805/12/
「歳暮、尾藤 肇 志尹・岸 綽 汝裕の過らるるを謝す。志尹詩有り。其の韻を次ぐ
 雪霽茅堂会旧盟 談清短景及初更 双投白壁燈前坐 一片氷壷酔裏情
 莫笑図書多玩物 為忘朝市欲逃名 平生縦未辞塵網 不汚滄浪濯後纓」

〈屈原は潔白だが、我は塵芥を辞せず、ただ滄浪の水を汚すことだけはすまいというのだ〉
南畝集16
漢詩番号2854
⑤5文化2年
1805/12/
「口号 左流朝去右流回 日日随流上水隅 家在小陽鴬谷口 晩来開巻且銜杯」南畝集16
漢詩番号2867
⑤11文化3年
1806/01/
「白氏の「三月三十日」の詩に云ふ、「半百九年を過ぎ、艶陽残一日を残す」と。今歳三月小尽、予、歳五十八。慨然として詠を成す
 半百過八年 艶陽少一日 年較白氏減 春先一日失 今春猶是健 明春未可必 日昃府中帰 二孫来就膝
 解衣且偃牀 開樽又散帙 竹籬未抽筍 杏園已結実 良時多愆期 佳会無真率 但使酒銭足 百年志願畢」
南畝集16
漢詩番号2889
⑤17文化3年
1806/03/29
「感有り 世上不慈者 不如鶩与鶏 々猶乳鶩子 終日水辺栖」南畝集16
漢詩番号2890
⑤18文化3年
1806/04/
「却掃 却掃門庭白日閑 々心寓処即深山 巌栖谷飲非吾分 朝市時々往又還」
〈南畝の隠居とは人跡絶えた巌栖谷飲の地ではなく、随時往還可能な市中の隠居。巌栖谷飲の地を望むものの、現実に縛られてやむなくそうしているというより、もともと巷間を離れることはできない体質なのであろう〉
南畝集16
漢詩番号2955
⑤38文化3年
1806/09/
「公退 公退心如口放参 晴開山翠与渓嵐 我廬近在金剛坂 百丈廡西日々諳」南畝集16
漢詩番号2970
⑤42文化3年
1806/11/
「歳杪放歌【欄外。長吉再生】
 春来秋去歳云徂 已失東隅至桑楡 明鏡頻飛千玉兎 万牛難挽一金烏 千載之上千載下 賢与愚兮玉与瓦
 請看纍々上鰻頭 多是酔生夢死者」
南畝集16
漢詩番号2970
⑤42文化3年
1806/11/
「悶へを解く 曾吐千言散百憂 紛々浮慕謾相求 半生功業成何事 涴得人間幾扇頭」南畝集16
漢詩番号2977
⑤44文化3年
1806/12/
「花朝 分春色至花朝 宿酔纔醒寂不囂 戯蝶紛飛誰可撲 流鴬交坐已遷喬
    一団雲共紅霞散 千片風為素雪飄 遅日明窓隠凡坐 閑聞調々之刁々」
南畝集16
漢詩番号3014
⑤55文化4年
1807/02/15
「即事 乱竹生空谷 飄風戦破窓 独傾一壷酒 豪気向誰降」南畝集16
漢詩番号3078
④75文化4
1807/07/
「歳暮 東海奔流瀉漏巵 晨光過午乍崦嵫 人生六十看将至 莫以無涯労有涯」南畝集16
漢詩番号3115
⑤87文化4年
1807/12/
「岩元町、本所、青山、白山、小石川の五所までやしき給はらん事を願ひしに、その事かなひがたければ
 梓弓やしきなきこそかなしけれ五たびねらふ的ははづれて」
をみなへし②19文化4年?
1807/?
「驟喧 柳眠花睡宿酲中 已覚軽寒一夜空 午後天光驟喧熱 脱巾床上受和風」南畝集16
漢詩番号3134
⑤91文化5年
1808/02/
「昼倦 簿書期会日相望 堆案囂塵倦昼長 厭倦霎時低首睡 楚雲湘水昨何郷」
〈許渾作「秋思」を踏む、承句は「楚雲湘水憶同遊」結句は「昨日少年今白頭」〉
南畝集16
漢詩番号3162
⑤99文化5年
1808/04/
「述懐 とても世につながるゝ身はいとせめて思ふ人にぞあはまほしけれ」をみなへし②34文化5年
1808/
「耳順のとし わけもしらずものかけかけといふ人の耳に順ふとしぞうるさき」②35
「六十になりけるとしのくれ、むさしのゝのほとりに旅寐して
 わが年も六十余国むさし野の八百里ほど生んとぞ思ふ
 正月二日、監使金沢氏此歌を見て、かへし むさしのゝ末はるかなるみとせになるてふ人やもゝ引でゆく」
玉川余波②114文化5年
1808/12/
1809/01/02
「七夕、懐ひを書す 七夕新涼入竹叢 小楼盃酌命児童 自安六十年来拙 不競人間乞功風」南畝集16
漢詩番号3191
⑤107文化5年
1808/07/07
「秋雨 八月凄風十日霖 蓬門不出鎖秋院 一啼一笑三孫戯 仔細看来莫逆心」南畝集16
漢詩番号3209
⑤112文化5年
1808/08/
「九日の感懐 紫萸黄菊又重陽 節物関心独自傷 二十一年如一日 千秋三復蔘莪章」南畝集16
漢詩番号3210
⑤112文化5年
1808/09/09
「懸厓 懸厓置屋不牢固 柱礎欹傾岸善崩 権使工人支一木 臥聞飢鼠噛枯藤」南畝集16
漢詩番号3220
⑤116文化5年
1808/10/
「十月望の夜 蘇公赤壁幾星霜 月白風清十月望 無酒無肴無二客 夢為孤鶴独飛揚」南畝集16
漢詩番号3223
⑤116
「夜帰 早趨官府晩詩盟 境致雖殊各有営 籃輿夜帰寒月底 小妻温酒勧調羮」南畝集16
漢詩番号3223
⑤116
「自遣 自笑嶔崎歴落人 倏ク然来経玉河浜 松間喝道殺風景 駆使羲皇以上民」玉川余波②114文化5年
1808/12/
「百草村に過(ヨギ)りて関戸村に向かふ 路入千松緑 村知百草名 故関何処是 老矣棄繻生」
〈棄繻生は漢の終軍。年少にて大志の人。関所での挿話は『蒙求』「終軍棄繻」にあり。自らを棄繻生に擬す〉
玉川余波②117文化6年
1809/01/06
「峯村作 決口行春塞玉河 河堤使者日経過 出夫急欲移官担 早起籬辺吹法螺
「峯村 峯村万木傍丘陵 独愛山茶笑自仍 朝日閑看鼯鼠走 深慙五技一無能」
〈「鼯鼠之技」中途半端で役に立たないの意味〉
玉川余波②119文化6年
1809/01/15
「山行 欲窮幽峻入荊榛 処々山林玉水浜 借問当年臨海郡 謝康楽後有何人」玉川余波②131文化6年
1809/02/
「遠桜山人伝
 遠桜山人、如何なる人かを知らず。家貧にして勢利に恬たり。苟も富貴利達を求めんことを欲せず。幼くして書を読み、好みて詩を賦し文を属す。中年、歌酒に放浪し、日々狂生酒人と遊ぶ。時に更張に遭ひ、退きて旧業を修す。酒を載せ、奇を問ひ、屨戸外に満つ。浪華及び瓊浦に宦遊し、四方の諸名士と遊ぶ。而して一つとして其の意に適ふ者無きなり。嘗て一書を著はして千古を商確し百氏を網羅するの志有り、而して未だ遂げざるなり。或いは山水を遊放し、或いは書画を耽嗜し、或いは劇談歓謔、以て抑塞磊落牢騒不平の気を洩らすのみ。其の閉居読書に至りて、異を捜し奇を鉤(サグ)り、寝と食とを忘る。則ち蓋し其の天性と云ふ。近世の清人に石子鉤なる者有り。梅を愛で、遠望尤も 致多し、性と合ふ。故に遠梅居士と号す。主人嘗て玉河を治め、金井を径て、両岸の桜花雲蒸霞蔚を観る。自ら遠桜山人と号す、以て石子の顰みを効かす。桜や桜や、西土無き所、豈啻に美を九春に擅にするのみならんや。庶幾くは百世に流芳せん。若夫れ人の欲する所を欲せざれば、人の求める所を求めず、則ち畢竟如何なる人かを知らざるなり」
玉川余波②137文化6年
1809/03/02
「三日前一夕、大蔵村舎に宿す
 驚風飄兮白日頽 欲落未落碧山隅 須臾暮色蒼然至 一日再晨不復来 六十一年寓世間 得喪禍福日循環
 杪冬奉使春亦暮 遡洄遡游玉水湾 明朝誕日逢三日 無復羽觴催彩筆 何時全了治河功 群賢少長会一室

 【予以寛延二年己巳三月三日生】」
玉川余波②137文化6年
1809/03/02
「防河使の一月の費用はこがね三ひらとぞいふなり。俸米は月々に十四口を養ふべし。去年の師走半ばよりことし卯月のはじめにいたりて五ヶ月をへたるを、衣をちゞめ食を減じて三月の用途をもてつぐのひたれば、二月の衣食の費こがね九ひらをあませり。このこがねをもて酒のみ物くひつくさんも空おそろし。年比たくはへ置たる文の数々、千々にあまれるが、おさむべきくらはあれど、棟かたむきついしくち、上もり下うるほひて風雨をだにさゝえがたし。いでやこのこがねあらまほしかばと思ひおこして、木のみちのたくみをめして、ちをこぼちいしをかへ、柱のくちたるをつぎ棟のかたぶきけるを正して、としごろの文をおさめ、むそじの老の名をなぐさめんとするもおかしくて
 くらなしの浜とないひそけふよりやおさめんちゞのふみの数々」
〈南畝の多摩川巡視は文化5年12月16日発~翌6年4月3日帰府〉
をみなへし②38文化6年
1809/04/
「すでに螟蛉の子を得たり、又よめがきみもあれば、鼠算の子孫はおおかるべし。いでやうき世にはなし亀の池の汀にあそばんとすれば、猶一すじのほだしありて尾を泥中にひく事あたはず。つら/\過こしかたを思へば、首をのべ手足を出して富貴利達をもとめんとせしも、神亀のうれへ桑の木のいましめをまぬがれずして、首尾四足の六をかくして万代のよはひをたもたんには
 つながれぬ心をつなぐ一筋の糸も緑の毛の長き亀」
〈「螟蛉の子」とは養子のことだが、ここでは孫の鎌太郎をいうのだろう。「一筋のほだし」とは、嫡子・定吉に家督相続の見通しが立たず、隠居のままならないことをいうか。あるいはこの頃から定吉に乱心の兆しが見えていたか。緑毛亀は長寿の象徴。孫鎌太郎に家を託すには、南畝が緑毛亀のように長生きして現役を続けるほかないのである〉
をみなへし②38文化6年
1809/04/
「仮寐
 清風入竹来 鳴我西窓外 夢似蝶将飛 身如蝉已蛻 看過日月流 遺却乾坤大 希采此中真 一冥千古会」
南畝集17
漢詩番号3239
⑤124文化6年
1809/05/
「夏晩即事
 雲峰列立闘崔嵬 列欠余光送薄雷 身似蝸涎粘壁湿 樹疑蚊子吐声来 若傾一雨盆中水 不羨層氷井上台
 大府晩帰纔出浴 困眼徒枕読書堆」
南畝集17
漢詩番号3239
⑤125
「浮萍 小陽溝上散浮萍 細逐涓流聚晩汀 時有微風吹水転 将漂一点那辺停」南畝集17
漢詩番号3244
⑤126文化6年
1809/07/07
「雪中の独酌 雪裏余生双白髪 樽前独酌一青釭 読書万巻終無益 伝語孫康早掩窓」南畝集17
漢詩番号3288
⑤139文化6年
1809/11/
「歳暮、懐ひを書す 三十二年編卒伍 還移計府十余年 毀誉成敗看相代 官跡依然一庶人」
「其の二 千郭千山遶小園 二男二女戯諸孫 欲知六十余年楽 万巻蔵書一樽楽」
「其の三 年々粢餅夜舂声 傭作移来杵臼軽 相約比隣因熱釜 童鴻減竃是何情」
南畝集17
漢詩番号3293-5
⑤140文化6年
1809/12/
「としのくれ 衣食住もち酒油炭薪なに不足なかとしの暮かな
此うたよみし師走廿五日、大久保といふ所にて宅地を給はりて住居を得たり。折からもちゐねる日にあたりしも、衣食住もちとつゞけしさとしにや。名家のとくもあればあるもの哉
 年の尾のしるしをみせて大まくり大小にこそ暮て行らめ
 今さらに何かおしまん神武より二千年来暮て行くとし」
あやめ草②56文化6年
1809/12/25
「防河の事うけ給はれる国のかみ二所より、しろがねを贈りければ 御手伝大名二軒二度の雪十七枚
 としのくれのよろこびをしるす 家くらの修復屋うちのきぬくばり子孫繁盛屋敷拝領」
〈「防河の事」とは南畝の多摩川堤防巡視、拝領屋敷の決定は12月25日〉
あやめ草②56文化6年
1809/12/
「紅白二梅 紅白二盆梅 紅衰白半開 可知遅速意 由質不由才」南畝集17
漢詩番号3325
⑤149文化7年
1810/01/
「晴景 祇樹縈回猪水干 天廻慧日照林巒 遠村煙細知薪湿 近寺晴新見瓦乾
    境託養痾忘物我 心因止酒絶悲歓 子規底事催帰去 応笑宦情垂老闌」
南畝集17
漢詩番号3351
⑤157文化7年
1810/04/
「朝霞 誰謂朝霞不入市 朝々赤気射晴窓 百鄽唯有塵風起 十日更無時雨降
    人託観燈遊北里 舟因拝仏簇東江 郊墟早晩新涼冷 披巻閑挑一夕釭」
南畝集17
漢詩番号3384
⑤167文化7年
1810/07/
「九月十日の作 身如十日菊 首似三秋蓬 富貴功名外 酔生夢死中」南畝集17
漢詩番号3412
⑤176文化7年
1810/09/10
「南軒 偃臥聊偸半日閑 悠然目送白雲還 静中有動風鳴竹 望裏無辺雪満山
    著膝孩童纔学歩 争栖宿鳥亦愉顔 片時炙背南軒下 短景徐々転座間」
南畝集17
漢詩番号3428
⑤180文化7年
1810/10/
「偶成 隠雲醸雪甕中天 閑坐西窓曲几前 我爾還抛書巻去 此生何日絶塵縁」南畝集17
漢詩番号3431
⑤181文化7年
1810/11/
「寒巌枯木図 曾聞枯木倚寒巌 婆子焼庵事不凡 六十年来一俗漢 未知詩律近来厳」南畝集17
漢詩番号3435
⑤182文化7年
1810/11/
「冬日、懐ひを書す 大府帰来已夕陽 窓陰景短意空長 傍人浪費閑言語 不使残書読数行」南畝集17
漢詩番号3438
⑤183文化7年
1810/11/
「正月十日、諸侯の東叡の諸廟に謁するを観る
 新正十日望東台 万国諸侯謁廟回 楚々朝衣分牧伯 揚々晏御起塵埃 道容九軌猶如狭 門対三橋已洞開
 始識山林閭巷士 不如都下一輿儓」
南畝集17
漢詩番号3455
⑤187文化8年
1811/01/10
「三月小尽の暁、感有り 忽聞帳裏泣呱々 三十年余一掌珠 夜半疾風燭吹滅 鉄如意砕紅珊瑚」
〈嫡子の異変、頼みとするものが無惨にも打ち砕かれたのである〉
南畝集17
漢詩番号3504
⑤201文化8年
1811/03/29
「一株松下に子規を聞く【麻布に一株松有り】
 一株松下一声鵑 啼破残春首夏天 縦勧不如帰去意 生涯二頃又無田」
〈『十八史略』「鶏口牛後」二頃の田は良田二百畝〉
南畝集17
漢詩番号3504
⑤201文化8年
1811/04/
「感懐
 独把忘憂物 憂深不可忘 所鍾情転切 永歎意空長 孩抱傷夷甫 交歓廃杜康 清和好時節 孤負此風光」
南畝集17
漢詩番号3506
⑤202文化8年
1811/04/
「日没 窓外紅輪没半規 長林尽処是崦嵫 已知明日非今日 徒費光陰更待誰」南畝集18
漢詩番号3553
⑤219文化8年
1811/08/
「歳暮、懐ひを書す
 細閲人情世態遷 昨非今是両茫然 青銭十万揚州鶴 翠黛三千慾界仙
 富貴雲飛天不定 功名玉砕瓦猶全 酒醒茶歇年将暮 独読西窓満架編」
南畝集18
漢詩番号3571
⑤224文化8年
1811/12/
「歳暮 雪片無飛日月闌 千家塵垢事除残 可知畢竟吾身老 今歳寒於去歳寒」南畝集18
漢詩番号3575
⑤225文化8年
1811/12/
「春雪、鴬谷の小集
 歳初偸得病余閑 世事千般附一刪 怯説俗情先掩耳 欣看児戯始開顔
 詩催鼓吹梅辺鳥 雲失波濤雪後山 如此春寒唯有酒 主人不酔客休還」
南畝集18
漢詩番号3585
一簾春雨
⑤228
⑩504
文化9年
1812/01/11
「余、歩兵に籍あること三十二年、計府に入りて十七年、今茲仲春、俶子任を以て計吏を試みる、喜びて賦す
 生涯無一得 唯有天公知 四十八年蔭 補得一豚児」
「即事(俶子に示す) 直鉤魚可得 曲径虎無行 不管窮兼達 唯須尽一精」
「二月三日、任子補蔭のよろこびに うみの子のいやつぎつぎにめぐみある主計のかずにいるぞうれしき
 同じときによめる 子を思ぬやみはあやなし梅の花今をはるべとさくにつけても」
〈「任子補蔭」は父の官位に応じた任官〉
南畝集18
漢詩番号3594・5
放歌集
一簾春雨
⑤231
②179
⑩505
文化9年
1812/02/03
「三日、懐ひを書す
 平生困酒食 況復逢良辰 下里巴人調 蘭亭洛水浜 遨頭行処有 婪尾酌時頻 坐覚流觴速 看過八々春」
南畝集18
漢詩番号3611
⑤236文化9年
1812/03/03
「府より退く。口号 晩衝梅雨出城門 沾湿泥沙印屐痕 徒費陳倉五斗米 折腰辛苦為児孫」南畝集18
漢詩番号3635
⑤242文化9年
1812/05/
「正月晦日の作 留窮文与送窮文 詭激談言豈解紛 富貴在天生死命 曲肱為枕見浮雲」
南畝集18
漢詩番号3742
⑤274文化10年
1813/01/30
「初夏 一日纔晴二日陰 春余宿雨易為霖 石楠争発紅花蘂 文杏新移緑樹林 盃欲忘憂還病酒
    絃知有趣不鳴琴 紛々悪客来相見 千古誰論莫逆心」

南畝集18
漢詩番号3767
⑤280文化10年
1813/04/
「董堂(二字欠)敬義 邀へて江東の宜雲寺に宴す。賦して贈る【宜雲寺は英一蝶の寓する所。俗に一蝶寺と称す】
 天明旧侶已無多 零落巴人下里歌 夢破春余飛一蝶 朋来墨妙換群鵝 正逢急雨随風至 欲問精藍奈晩何
 半道留飲君莫笑 深杯百罰酒如河」
〈「下里巴人歌」とは狂歌。「精藍」〉
南畝集18
漢詩番号3767
⑤280文化10年
1813/04/
「即事 不服錙銖薬 何須尺寸符 由来无妄疾 安寝自然愈」
〈「天雷无妄」何に対して「安寝せが自然に愈ゆ」というのか〉
南畝集18
漢詩番号3895
⑤315文化10年
1813/05/
「仲秋、熱甚だし。坡老の語を憶ふ 毎逢秋熱転思涼 猶似春寒不可当 唯有一身余老健 由来寵辱両相忘」南畝集18
漢詩番号3805
⑤291文化10年
1813/08/
「王質碁を観るの図に題す 俗吏滄洲奈遠何 欲求仙薬已蹉跎 傍観諳尽人間奕 六十余年爛斧柯」
〈『述異記』「爛柯」〉
南畝集18
漢詩番号3816
⑤294文化10年
1813/09/
「無題 乗舟歌吹海中潮 楽酒鴛鴦被底宵 多少人間不平事 如湯沃雪一時消」
〈「歌吹海」は遊里。「鴛鴦被」美しい布団〉
南畝集18
漢詩番号3822
⑤295文化10年
1813/10/
「予、歳十七にして歩兵に籍し、四十八にして計府に入る。今に至つて四十九年なり
 生来宿志入官違 為養妻孥未払衣 四十九年無一是 人間万事悉皆非」
南畝集18
漢詩番号3824
⑤296文化10年
1813/11/02
「閏十一月廿日、雪 同雲含凍隠朝暉 醸得珠林万斛璣 白首可憐樗散吏 猶穿敝履雪中帰」
〈樗散は役立たず〉
「雪中の老牧人 牧人駆犢向東皋 六出花寒満野蒿 欲覆凍梨唯一笠 蓑衣昨夜当村醪」
南畝集18
漢詩番号3839
3840
⑤300文化10年
1813ウ11/02
「拝年
 鶏日通猪日 年々労拝年 人闐城溢郭 路越陌兼阡 名刺題凡鳥 干旄礙紙鳶 生涯六十六 未絶区中縁」
〈年始参りの光景〉
南畝集18
漢詩番号3850
⑤303文化11年
1814/01/03
「猪日、懐ひを書す 少年曾耽北閭遊 蒼妓将雛待上頭 忽見春盤生菜嫩 使人長憶二街楼」
〈正月吉原に遊んだ天明の昔を思うのであろう〉
南畝集18
漢詩番号3850
⑤303
「人日、大風中に小酌す 人日狂風払面来 城東何処避塵埃 満天四塞如黄霧 深巷唯須尽一盃」
〈黄霧四塞は世界が乱れる前兆とされるが〉
南畝集18
漢詩番号3852
⑤303文化11年
1814/01/07
「下弦の月夜の作 耳順余生又六年 宿酲纔解復陶然 発春行楽無虚日 残月依々到下弦」南畝集18
漢詩番号3864
⑤307文化11年
1814/01/
「大つごもりの装束榎に狐火見んといひ、洲崎の朝日を七つ起して拝さんといひ、元日の翁わたし、二日は茶屋にゐの日の約束もありましごとにて、年礼の膝栗毛にむちうち、日傭のかみの諸太夫を召連て、大きな玄関の上り下りに、二日三日の光陰を費しぬ。もいくつねて正月とおもひし幼心には、よほどおもしろき物なりしが、今は節分の豆も片手に余り、松の下も度々くぐりて、鏡餅には歯もたゝず、金平牛房は見たばかりなり。ましても酒と肴に悪まれず、一盃の酒に憂きをわすれ、一椀の吸物に舌をうつて、二挺鼓の音をおもひ、三絃枕の昔を忍ぶ。やみなん/\、わが十にあまりぬ頃は、詩は李杜の腹をゑぐり、文は韓柳が金玉をつかまんとせしも、郷里の小児に腰骨折られ、世俗の塵埃に目口を塞ぎて、いつしか白髪三千丈、かくのごときの老父となりぬ。狂歌ばかりはいひ立の一藝にして、王侯大シ人の掛物をよごし、遠国波濤の飛脚を労し、犬うつ童も扇を出し、猫引芸者もうら皮を願ふ。わざおぎ人の羽織に染られ、女のはれぎぬにも、そこはかとなく書散しぬ。これや吉書はじめともいふなるべし
 詩は五山役者は杜若似和嘉(傾はかの)藝者は御勝料理八百善」
巴人集拾遺②480文化11年
1814/01/
「夏昼の偶作。柳子厚の詩句を分ちて韻と為す
 緑槐含露蔭階除 景午南柯一夢余 相約児童能閉戸 莫令褦襶触幽居」
〈「褦襶」は愚か者。誰のことか〉
南畝集18
漢詩番号3892
⑤314文化11年
1814/04/
「七月八日の作 牽引花萎午時前 昨夜牽牛織女天 々上人間歓楽少 不須辛苦学神仙」南畝集18
漢詩番号3906
⑤318文化11年
1814/07/08
「予、明和二年の乙酉七月六日を以て歩兵に籍し、寛政八年丙辰に計府に入る。今茲に至り、官に仕へて五十年なり。七月六日、酒を緇林楼上に置いて酔歌し、志を言ふ
 仕官栖々五十霜 中年窺見度支章 米嚢七十加三十 五口増支七口糧 豚児剰試府中吏 府中日々且相将
 庶人在官天爵足 不羨衣冠列周行 八達城門前七夕 緇帷林下引新涼 欲因糸竹一陶写 狎客歌鬟酒満觴
 酒傾大海溢詞席 歌遏行雲振柳塘 調笑劇談披鬱々 功名富貴附蒼々 一生徒費太倉米 刺草之臣田已荒」
南畝集18
漢詩番号3908
⑤318文化11年
1814/07/06
「述懐 日の鼠月の兎のかはごろもきて帰るべき山里もがな」六々集
万紫千紅
②214
①278
文化11年
1814/10/
「十月晦夜お作 晦夜疑明月 余霞蔚半天 何時餐此物 皎々挟飛仙」南畝集18
漢詩番号3931
⑤325文化11年
1814/10/
「歳暮、懐ひを書す 窮陰積雪逼青陽 七歳将加六十霜 老去府中無事事 濫竿看尽外人忙」
南畝集18
漢詩番号3740
⑤329文化11年
1814/12/
「述懐 功ならず身も又いまだ退かず名ばかりとげて何の役なし」六々集②232文化12年
1815/03/
「人に答ふ 人生垂七十 唯従心所之 高門与懸簿 不必約前期」南畝集19
漢詩番号4038
⑤358文化12年
1815/04/
「秋述懐 いさほしのならぬ名のみや秋の夜の長き夜すがら何かこつらん」七々集②250文化12年
1815/08/
「ある高どのによべより酒のみて、ゑもいはぬものつきちらして
 老ぬれば又あたらしく二丁目にこまものみせを出さんとぞ思ふ」
七々集②274文化12年
1815/11/
「友人に答ふ 弾冠千古事 薄俗有誰存 閉戸当銷暑 信吾知己言」〈「弾冠」は官途につく用意〉南畝集19
漢詩番号4059
⑤363文化12年
1815/06/
「七月六日の作 垂白紛如任倦游 官情五十一年秋 二星明夜応相笑 養拙何須乞巧楼」
【余、明和二年七月六日を以て官に就く。今に至つて五十一年なり】
南畝集19
漢詩番号4060
⑤363文化12年
1815/06/
「仮寐 人嘲玄尚白 我笑黒猶甜 夢見竜蛇走 雲生紫石潭」南畝集19
漢詩番号4064
⑤365文化12年
1815/07/
「秋暑 節過元宵暑未空 片雲無雨又無風 一身願作池辺鷺 飛入荷花世界中」南畝集19
漢詩番号4066
⑤365文化12年
1815/07/
「冬暖 冬暖寒宵不擁炉 一壷清酒一盤魚 偶乗余酔迎歌妓 忘却胸中万巻書」南畝集19
漢詩番号4104
④375文化12年
1813/11/
「老懐 歌鬟将結髪 狎妓亦従良 六十七年老 朝々猶履霜」〈歌鬟は歌姫(芸者)か、狎妓は馴染みの芸者〉南畝集19
漢詩番号4110
⑤377文化12年
1813/11/
「潜別離 十余年外苦相思 今日一朝潜別離 剣没豊城猶望気 断雲難続鴛鴦夢 廻雪猶含鶴毛氅姿
 長謝双成兼弄玉 蓬萊宮裏去無期」〈白居易「潜別離」〉
南畝集19
漢詩番号4115
⑤378文化12年
1813/11/
「六十七になりけるとしのくれに わがとしもけふの日あしも六十あまり七つ下りになりにけるかな」七々集②290文化12年
1815/12/
「鴬谷に家ゐしける比、あたりちかき乳のなき子をやしなひたてしが、ことし弥生つゐたち、うみのはゝのなくなりけるときき
 鴬のかひこの中におひいでゝ死出の田長(ホトトギス)をしるやしらずや」
七々集②303文化13年
1816/03/
「長月朔日によめる いとなみのしげきにつかれ長月のけさは日比のねざめだにせず」紅梅集②310文化14年
1817/09/01
「十六夜、月に対して独り酌む 昨宵明月照高楼 三五光余二八流 志士感秋々已半 人生況遇暮年秋」南畝集19
漢詩番号4299
⑤429文化14年
1817/08/16
「人生七十古来稀 一たびはおえ一たびは痿ぬれば人生七十古来魔羅なり紅梅集②320文化15
1818/01/01
「むかし年十七八のとき古詩十九首をよみて、生年は百にみたずつねに千載の憂をいだく、といへる句にいたりて、反復して世のはかなきをしれり。又短歌行の、酒に対してうたふべし人生幾何ぞ、といふ句をまくらことゝし、酔なきしつゝ人生いくばく/\、とうたひものせしが、うかり/\となす事なく七十のとしたちまちにいたれり。よりてなま物じりの一両句を誦して、七つの数にあはする事しかり
 七十而従心所慾不踰矩  ゆく水の心まかせにしたがへど危き舟にのりはこえまじ
 七十弐膳 ことしより千秋ばん随長兵衛が二の膳すえてまつて居るぞへ
 七十非帛不暖 おかいこにくるまるとしとなりにけりどてら布子の事もわすれて
 七十杖於国 四方の国おさまるのゝ字御城下を杖つきのゝ字してやありかん
 七十不与賓客之事 みなさまに御馳走まうす事さへも孫子やよめにまかせてぞおく
 呂望七十遇文王 つれずともこゝをせにせんせん鯛の文字も渭浜の魚へんに周
 絳県老人 甲子に四百四十五あふといふ二首六身のとしのばけもの
  但日に制すと哀麻のみ身にありといふ故事は今日御沙汰なし。鶴亀/\
        中気持格よい/\見習勤方 蜀山人」
紅梅集②328文化15
1818/03/03
「倦夜 孤燈耿不眠 一夜永如年 起看膏油減 稍知近暁天」南畝集20
漢詩番号4395
⑤460文政1年
1818/07/
「九月六日の作 二十年前雨 三秋夢後情 乍聞簷霤響 疑是断機声」〈孟母断機〉南畝集20
漢詩番号4406
⑤463文政1年
1818/09/06
「師走の廿九日、会計府にて月ごとに三口の粟をまし給はりければ
 竿先になりてめぐみの又おもき三人扶持をつり出したり」
紅梅集②357文政1年
1818/12/29
「戊寅、除夕 看過金烏玉兎奔 歳除風物逼黄昏 病余薬裹親炉火 春入梅花対瓦盆 老大徒懐千里志 生涯不到五侯門 明朝七十還加一 廩粟新増雨露恩 【季冬廿九日、三口を加賜さる。七口を併せて十口と為る】」南畝集20
漢詩番号4432
⑤471文政1年
1818/12/30
「立春前一日、懐ひを書す
 日猟奇書慰所懐 世塵何得到高斎 唯因門外不能歩 初識体中猶未佳 梅柳催人春欲入 衾裯曖節意難諧
 郷隣撤豆頻駆疫 懶著朝衣立阼階」
〈『論語』郷党第十の十「郷人儺、朝服而立於阼階」〉
南畝集20
漢詩番号4437
⑤474文政2年
1819/01/11
「春雪【正月廿一日】 年少曾乗一葉舟 墨河春雪逐軽鴎 老来唯撫衾裯枕 伏櫪高歌想昔遊」南畝集20
漢詩番号4440
⑤475文政2年
1819/01/21
「去年より米のあたえひくければ、くれにつくべき餅米のあたえ例よりいやし。新酒の来るは長月神無月、遅くて霜月には下るべきを、古酒の価のひきくならん事をおそるゝ故にや、ことし年明けてむつき二日に入船あるべきと人のいふをきゝて【後聞正月九日入船也】
 米屋より酒屋はとりの空ねにて二百五十の関はゆるさじ かゝる事、市のものゝわたくしにはかれるを有司のいましめざるは、おほやけのまつりごとにや、もしくはつゝみものゝおこなはるゝにやと、ななそぢあまりのかたひ翁はつぶやきぬ」
〈南畝の珍しい上司批判。酒問屋の入荷の操作は役人への賄賂とワンセットのものと南畝と睨んでいる〉
紅梅集②359文政2年
1819/01/
「午睡 一簟涼風入黒甜 非関爛酔与雄談 北窓唯愛華胥近 不在東西不在南」
〈黒甜・華胥はともに昼寝〉
南畝集20
漢詩番号4474
⑤484文政2年
1819/05/
「春山 春山無伴侶 糜鹿好同遊 不辨清朝色 唯聞伐木幽」南畝集20
漢詩番号4476
⑤484文政2年
1819/05/
「長夜 長夜漫々夢幾回 壮年心事尽為灰 膏油不継残燈滅 無復天光入隙来」南畝集20
漢詩番号4494
⑤489文政2年
1819/07/
「青山の晩帰 籃轝青山郭 北風何颯然 還家極楽国 穏擁紅炉眠」南畝集20
漢詩番号4502
⑤491文政2年
1819/09/
「長月の末に 一とせは枕の上にながめてき梅も桜も菊も紅葉も」紅梅集②376文政2年
1819/09/
「万巻の文をせおふて千家の求に応ず。背はおもきをいとはず足はかろきをいとはず
 世の中のふみ見る人をしるべにてみなあきなひの道にあそばん」
紅梅集②385文政3年
1820/01/
「即事 蟻行深樹下 雀噪敗垣中 独向園庭去 躊躇頷好風」南畝集20
漢詩番号4536
⑤501文政3年
1820/04/
「秋日 三秋将半暑猶余 偃蹇閑窓臥蘧廬 来雁未通千里信 鳴蜩猶響一丘墟
    新知楽事多偸薄 旧社離群嘆索居 歓学阪頭吾老矣 生涯何了読残書 
【昌平橋内に歓学坂有り。今俗に淡路坂と称す】」
南畝集20
漢詩番号4553
⑤505文政3年
1820/08/
「杏園詩集刻成る。鱸猶人に示す
 明和安永至天明 少作詩篇刻已成 唯示謝家諸子姪 不煩皇甫一先生 中年縦乏驚人句 僻性寧渝与国盟
 藝苑滔々宋元調 自甘精衛填滄瀛」
〈「精衛填海」は無駄な骨折り〉
「(附けたり)率かに芳韻を押して答へ奉る 鱸猶人
 蘐園一自唱朱明 天下靡然唐調成 名子爾来相継出 為君常惜後之生
 彩毫無(一字欠)宋元陋 白雪不寒王李盟 夙有芳声驚海内 何須図画列登瀛」

「畳ねて猶人に和す
 経国文章有晦明 師資不正業難成 纔開黄吻譏先輩  謾誘青衿誤後生
 万軸牙籤束高閣 三唐骨格絶同盟 卑々宋調傷風雅 欲望神山隔大瀛」
南畝集20
漢詩番号4560-1
⑤507文政3年
1820/08/
「暮秋
 炎熱為疇昔 寒涼変緒風 秋残霜気外 節過雨声中 籬有牽牛萎 門無害馬通 生涯如此足 偃蹇役児童」
南畝集20
漢詩番号4563
⑤509文政3年
1820/09/
「至後 先王至日閉関余 曝背南軒愛読書 為是分陰添一線 行年七十惜居諸」南畝集20
漢詩番号4574
⑤511文政3年
1820/11/
「十一月廿三日作 寒雲醸雪昼陰々 竹火炉辺擁塞深 憶昔少年乗一葉 飄然飛到墨河潯」南畝集20
漢詩番号4576
⑤512文政3年
1820/11/23
「庚辰歳暮 残年甘伏櫪 往時附亡羊 尽我生涯智 看他世上忙」
〈「老驥伏櫪」伏櫪は馬小屋。「多岐亡羊」〉
南畝集20
漢詩番号4579
⑤513文政3年
1820/12/
「即事 人生七十又加三 世路囂塵総不堪 健歩若聴黄鳥去 何唯斗酒与双柑」南畝集20
漢詩番号4582
⑤514文政4年
1821/01/
「清明節 清明時節愛陽和 三四年来奈抱痾 九十春光何局促 開花未尽落花多」「局促不安」南畝集20
漢詩番号4587
⑤515文政4年
1821/03/05
「病余、後園に休坐ず 強欲忘形骸 其如可患身 緋桃将緑柳 又夢一場春」南畝集20
漢詩番号4588
⑤516文政4年
1821/03/
「蛙を聞く 行年七十読書生 万巻珍奇擁百城 両部鳴蛙多鼓吹 為私鳴不為官鳴」南畝集20
漢詩番号4604
⑤520文政4年
1821/05/
「正月十七日、懐ひを書す 楓山宗廟近西城 三十余年候歩兵 想見蓮池槐陌上 衣冠済々侍輿行」南畝集20
漢詩番号4635
⑤528文政5年
1822/01/17
「九日、感有り 七十余年一病生 不堪霜露日悽清 哀々長廃重陽節 懶向東籬拾菊英」南畝集20
漢詩番号4669
⑤538文政5年
1822/09/09
「即事 富貴高名一聚塵 煙華雪月幾場身 服中空洞如無物 老大猶容数百人」南畝集20
漢詩番号4676
⑤539文政5年
1822/10/
「生過て七十五年食つぶし限り知られぬ天地の恩」
〈松浦静山著『甲子夜話』所収 東洋文庫・第二巻p360〉
狂歌等 追補別98文政6年
1823/
 十あまり七のとしの夏の日にかへせよしのゝ葛のうら風巴人集②460未詳