Top       浮世絵文献資料館 本人編
 
   本人編【し】 大田南畝(四方赤良・蜀山人)の詩・狂歌 〔本人編〕大田南畝関係
  【出張・赴任】(しゅっちょう・ふにん) ※◯は欠字、◎は表示不能文字
任地詞書・詩歌出典巻・頁年月日
大坂「留別。二首 都門楊柳緑如糸 勧酒偏歌古別離 行向浪華江上望 蒹葭露白月明時
 又 春風擁伝出江門 駕鶴揚州不足論 五十三亭東海道 煙花月露亦君恩」
「門を出づ。口号 朝雨霏々似渭城 一杯傾尽別離情 明年自有前期在 笑綰垂楊対弟兄」
南畝集
漢詩番号1924-5
1926
④152享和1年
1801/01/
長崎「瓊浦にゆくべき仰せごとうけ給はりける 杏花園
 玉ひろふ浦としきけば白波のかけてもふまじ浜の真砂地
 逃名々益起 辞利々将多 自笑老樗散 無如名利何」

〈『細推物理』「つゐに十あまり八日にその命下りぬ」)〉
巴人集②441文化1年
1804/06/18
「九月小尽 光陰百代幾人閑 帰鳥穿雲入立山 此地明年秋尽日 帰舟己度赤間関」
〈来年の今頃は帰路に就いて赤間関(下関)の辺りい居るだろうと思っていた〉
南畝集14
漢詩番号2542
④340文化1年
1804/09/29
多摩川「留別 酔裏生涯歳又闌 千家洒掃事除残 早春茲見梅花発 求我西郊玉水干
 玉川にゆべき仰ごとうけ給はれるに雪のふりければ 玉川のその調布のあらましにさらす垣根の雪の白妙」
「としのくれに玉川の辺にゆくとて
 玉川のきよきながれに洗ふべき耳したがへるとしのくれ哉
 鴬の谷のふる巣をたちいでゝあら玉川のとしやむかへん」

「玉川にゆかんとせ頃、すみける人によみてつかはしける
 さらさらにむかしの人はさし置てまづ手ざくりのいもぞ恋しき」
〈「洗ふべき耳」とは許由の故事を踏まえる〉
玉川余波②109文化5年
1808/12/16
「案内のもの、わが画図をかりて案内せんといふもおかしく
 人の絵図かりて河辺の案内は不知案内といふべかりけり」
②114文化5年
1808/12/17
「狂詩 川々普請玉川通 御用長持合羽篭 馬駕両懸賞鎗一本 木銭米代日相同」②114文化5年
1808/12/27
「家に還る
 還家方浹旬 纔掃案頭塵 竹長将迎酔 桜枯已失春 漸抽書帙乱 更倒酒壷頻 忽見芙蓉雪 恍疑玉水浜」
南畝集17
漢詩番号3235
⑤123文化6年
1809/04/13