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   本人編【し】 大田南畝(四方赤良・蜀山人)の詩・狂歌 〔本人編〕大田南畝関係
  【住居】(じゅうきょ) ※◯は欠字、◎は表示不能文字
住居詞書・詩歌出典巻・頁年月日
さんきょ
山居
「山居晩眺。知字を得たり
 一望窓陰晩 前山落照移 孤霞飄暗水 棲鳥繞疎籬 自愛忘言意 難令外物知
 此中天籟寂 長与拠梧期」
南畝集1
漢詩番号0018
③8明和8年
1771/
「夏日山居
 夏雲深処鎖柴関 却掃閑庭坐碧山 一径含煙篭竹緑 千花礙日石榴殷
 自無車馬来相訪 唯有児童往又還 欲到羲皇聊撫枕 清風飄々北窓間」
南畝集4
漢詩番号0658
③228安永8年
1779/06/
えんてい
園庭
「園庭を掃漑して荒穢を理め、聊か短述を作る
 自不窺園歳月徂 手栽松菊幾凋枯 叢荊莫復従滋蔓 悪木行将絶朽株
 為笑一堂堪灑掃 転令三径就荒蕪 草莱新剪閑庭裏 回首愧非大丈夫」
南畝集3
漢詩番号0387
③137安永4年
1775/07/
しんそう
新荘
「夏日新荘。前次を得たり
 長夏園林静 新荘愛地偏 柳移三径上 花謝一庭前 啼鳥宜相近 幽渓復更穿
 従来耽野興 将就緑陰眠」
南畝集6
漢詩番号1137
③392天明2年
1782/04/
はじんてい
巴人亭
「巴人亭記
 かたつぶりのつのをちゞめてはいり、蟹の甲ににせて穴をほるも、家といふものなくてかなはねばにやあらん。かりこものみだれしこもうちかぶり、露霜の宿なしとも身をはふらかすてざらんかぎりは、膝をいるゝの窮屈ならんより、足のばすほどの家居なかんやと、あらたにひとつのやどりをしむ。もとより二尊堂にいまし、妻子室にみてり。そのゑんがはのはしつかたに、ひとつの妻戸をひらきていれば、ひろさわずかに十畳ばかり、こゝに四方のまらうどを迎ふ。維摩が方丈の玄関にて、八万四千の獅子を舞はせし類なるべし。その北に三枚敷あり。東面に戸をあけて、しやらくさきつくえを出せり。螢こい/\雪こん/\の場所なるべし。すべて財乏しければ物ずきなし。床なければ違棚もみえず、かけ物は壁にかけ、柳は隣からのぞく。渋柿はあるにまかせ、草はところまだらにぬかしむ。土蔵の目の上の瘤となり、雪隠のはなのさきにわるくさきも、かの南 のやのかき、東どなりの下水をいとはざりし、司城子罕がむかしをしのび、望海の亭、見山のたかどの、きら/\しききはにはあらねど、張天錫が勧化をもて、家居のいとなみしたぐひに似たり。わが家にくるとしくる人、わが門に入としいる人、こゝにのみこゝにわらひ、こゝにうたひこゝにたのしむ。のむものは何ぞ四方のあからなり。うたふ所は何ぞ下里巴人の曲なり。もしそれ陽春の白雪糕も、また小児のたはぶれなり。いづれをか高しとしいづれをかひくしとせん」
〈天明5年7月19日は『大田南畝全集』解説より(①538)〉
四方のあか①155天明5年
1785/07/19
しょうようろう
逍遙楼
「冬日、逍遥楼の朝望
 小楼宜早起 起坐望朝暾 已蓄東山妓 兼開北海樽 径荒霜已下 楓老菊猶存
 忘却鵬兼鷃 逍遥似漆園」
〈妾、阿賎の寓居。漆園は荘周を指す〉
南畝集6
漢詩番号1302
③416天明6年
1786/02/
そくえんかん
息偃館
「山手閑居記
 わが庵は松原とをく海ちかくと詠けんむさし野の広小路にむすべる、芝のはてにもあらず、ちは振神田浅草のにぎやかならぬも、よしや足引の山の手になんすめりける。春は桃園の花に迷ふ外山の霞たゝぬ日もなく、夏は江戸川の螢をみる目白の滝の音たえず、秋は高田のかりがねに、民の貢の未進をあはれみ、冬は富士を根こぎにして、わが鉢の木の雪とながむ。四季折々の美景をいはゞ、番町の道の一筋ならず、大木戸の駒のひきもきらざるべし。古寺の甍やぶれて、昼無尽の講を催し、神の宮居も所せく、夜うかれめのふしどゝなれり。頭にをくしも屋敷もり、うきをみるめのうらがしやまで、たゞ何となくひなびたり。むべも富ける殿づくりに、みつばよつばのつるをもとめ、よきゝぬきたる身のほども、いざしら壁のいちぐらをうらやむともがらは、此地の住居はなりがたからん歟、さはいへ、ひとへに深き山にかくれん坊をし、とをき海に沖釣をせんとにはあらず。吏にして吏ならず。隠にして隠ならず。朝野の間にのがれんとならば、いづこか此やまの手にしかざらめやは
 窓のうちにふじのねながらながむればたゞ山の手にとるとこそみれ」
四方のあか①113天明8年刊
1488/
となりいえ
隣家
「隣家におくれつことば
 (上略)牛ごみのほとり、東南にちまたあれば、この二方に隣なし。北には姉弟はた甥など家ゐしおれば、他人のはじめの隣ともいひ難し。たゞ西隣のあるじのみ、まことの隣といふべくして、したしき中んお垣ねより(後略)
 三年になるてふ桃を垣ごしのはなの先にもみるぞうれしき」
四方のあか①159天明8年刊
1788/01/
せんきょうろう
遷喬楼
 遷喬楼(小石川住居) (別資料)
新宅
(牛込若松町)
「十二月廿五日、新たに宅地を賜はる。喜びを紀す
 嫩松街外大窪西 境静車塵与馬蹄 新賜空閑営宅地 得安禽鳥一枝栖」
「新宅を賜る。大窪通り市谷原町の西、若松町、岩出平左衛門跡。小笠原伊勢守より示さる」
南畝集17
漢詩番号3298
一話一言巻30
⑤141
⑭188
文化6年
1809/12/
「西窓 西窓山靄遠重々 独立雲間不二峰 雪後倒垂幽澗竹 擡頭恐礙玉芙蓉」南畝集17
漢詩番号3321
⑤148文化7年
1810/01/
「偶成 西北長杉囲短壑 東南矮屋出勾欄 赤城霞綺青蓮雪 更倚書楼一柱看」南畝集17
漢詩番号3328
⑤150文化7年
1810/01/
「庚午二月三日、賜地を受く 新賜西郊宅一区 今朝丈量正方隅 引縄規度門庭内 子々孫々見鯉趨」南畝集17
漢詩番号3328
⑤150文化7年
1810/01/
「柴門 仲蔚蓬蒿彭沢松 撫来三径没入蹤 柴門雖設不延客 欲使莓苔随意封」南畝集17
漢詩番号3354
⑤158文化7年
1810/04/
「七月朔日の作 触熱帰来一草堂 乍投褦襶臥林篁 西郊七月新伝令 不待秋風已自涼」
〈褦襶は青絹を張った夏の日傘。仕事帰りか、正装を脱いで涼を取ったのである〉
南畝集17
漢詩番号3369
⑤163文化7年
1810/07/01
しりんろう
帷林楼
(駿河台)
「新たに文庫を造る 槌破江東演武場 移来作箇読房 杏花壇下帷林裏 窃比名山石室蔵」
〈南畝の駿河台淡路坂への転居は七月五日⑳274〉
南畝集18
漢詩番号3651
⑤247文化9年
1812/07/
「新楼の晩眺 昌平橋上暮煙凝 柳外人家幾点燈 独倚新楼東壁柱 悔令童子謝来朋」南畝集18
漢詩番号3668
⑤252文化9年
1812/08/
「初夏の山斎。二蕭を得たり
 誰言姫路勝姫姜 百両将之赤阪傍 盤石宗藩秦匹晋 蕃昌歌詠鳳求凰
 高砂松並双標秀 大社雲含五綵長 華燭玲瓏伝席宴 応占吉夢態羆祥」

「又 緑樹雲埋白板橋 門前細路遠迢々 清斎有酒無魚得 晩市人煙隔一囂」
南畝集18
漢詩番号3777-8
⑤283文化10年
1813/04/
「早(ツト)に園中を歩す 暮春和気入園林 信去番々緑作陰 莫道貧家無一物 菜花満地千黄金」南畝集19
漢詩番号4027
⑤355文化12年
1815/03/
「帷林楼に新たに耳房を造り、小野航と名づく
 重屋呼為小野航 両三人外坐何妨 恍疑楽飲浮盃興 一芥飄々泛坳堂」
南畝集19
漢詩番号4181
⑤397文化13年
1816/06/
「北窓の夜坐 疑是松間月 看来岸上燈 新皇千万古 唯有一丘陵」
〈神田明神は新皇(平将門)を祀る〉
南畝集19
漢詩番号4287
⑤425文化14年
1817/07/
「北窓 孤松堤上偃 窺我北窓中 待入羲皇夢 将生太古風」
「又 八達重門外 千家万点燈 新皇祠廟近 人賽古丘陵」
南畝集20
漢詩番号4383-4
⑤458文政1年
1818/06/
「散歩 晩過楊柳塘 更出泉橋市 閉戸二旬余 逐涼行散裏」〈駿河台から淡路坂を下りると柳原通りそして和泉橋〉南畝集20
漢詩番号4385
⑤458文政1年
1818/06/
「北窓 惜春消夏此楼中 蝶駭鴬残夢亦空 借問千花東后令 何如一枕北窓風」南畝集20
漢詩番号4473
⑤484文政2年
1819/05/
なんぽぶんこ
南畝文庫
「とし比うつし置る灘酒譜といへるふみをかし失ひしてみえずになりにしを、ことしむつき十一日、浅草新寺町泉屋といへるふみひさぐあるじの、わが南畝文庫といへるおしでをしるしとして求め置たりとて、おくれるもうれしくて
 うしなひし浮世の灘の酒の名も南畝文庫にたち帰る波」
紅梅集②320文化15年
1818/01/11