![]() 堤俊作氏は、いろんな意味で80年代の金大フィルに大きな影響を与えた指揮者だったと言って良いかも知れません。堤さんとの蜜月は3年目(第42,43,44定期)に入りました。この第44回定期演奏会のプログラムは、スメタナの「わが祖国」の3曲を前半に、そしてメインはブラームスの3番という、少々すわりの悪いものでした。ブラームスの3番の交響曲は通常、メインのシンフォニーとしては少し軽量級のため、むしろコンサートン前半に演奏されることが多いと思います。例えば、小沢征爾がボストン交響楽団とともに金沢公演を行なったときのプログラムも、前半に「ブラ3」そして、後半は、小沢得意のラベル(優雅で感傷的なワルツ、ラ・ヴァルス)でした。また、カラヤンは「ブラ3」を前半に据えて、後半はブラ2で盛り上げるというオールブラームス・プログムをしばしば組みました。堤氏も彼の名を冠する、「俊友会管弦楽団」で、カラヤンと同じオール・ブラームスプログラムを組んでおり、勿論「ブラ3」はコンサート前半の曲目でした。「ブラ3」を敢えてメインに持ってくるのには、当時、それなりの事情があったようです。それは、「えぴそーど」をご覧下さい。 堤氏にとっても、3年目と言うのは、学生オケとつきあう上での1つの節目だったのかも知れません。この後、金大フィルは堤氏の御紹介により、末廣氏、金氏と、堤氏とゆかりのある指揮者に引き継がれ、90年代に向かってリードされていくことになります。 因みに、当日のアンコールには、な、なんと、ストラヴィンスキーの「火の鳥」より、子守歌+最終部分が演奏されました。ストラヴィンスキーが演奏される事自体も、金大フィル演奏史上でも、後にも先にもこれが唯一の機会だったようです(その後、第34回定期で組曲第2番を演奏していることが分かりました)。昨今の、アンコールなしの、金大フィル演奏会からすれば、まあ、よくやる!と言う感じもしますが、当時のオケと団員のパワーと意気込みが伝わってきます。立派! 当日の演奏会では、最後のこのストラヴィンスキーの終曲で、Vnが華やかに駆け上がる上行音形を演奏したとき、演奏会場の空気が鬱々とした北陸の冬の日本海の情景から一変したのを印象深く憶えています。(鬱々とした雰囲気はスメタナ、ブラ3の本プログラムでは無理もないかもしれませんね・・・・。)ストラヴィンスキーの虹色の輝きは、金大フィルのその後の、躍進を想像させるに十分なものがありました。 意外なことですが、「ブラ3」が取り上げられたのは、実はこの時が最初で最後の唯一の演奏機会でした。金大フィルが、ブラ3をコンサート前半に演奏できるような時代がやって来ることを期待しています。 金大フィルのアンコール演奏については、こちらへどうぞ。
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金大フィル唯一のブラ3 第44回定期公演 84/01/21厚生年金会館 指揮:堤 俊作 コンサートマスター:山口泰志 ブラームス/交響曲第3番ヘ長調作品90 第3楽章より (1.1MB) 第4楽章より (1.4MB) |