★2つの「巨人」





 第60回の記念定演に因んで、18年前の「巨人」を登場させよう。
 この演奏会は、前年(82年)の「悲愴」に続いて、堤俊作氏によって行われた第43回定期演奏会だ。当時の金大フィルの一つの特徴であった、強力なブラスセクションの演奏能力を背景として、行なわれたと言っても過言ではない。


  当時、団員数が100人を超え、一回の定期演奏会では全団員がステージに乗れないという事態が発生した。総会では、これを喧喧諤諤と論議していた・・・、そんな時代だったと言う。マーラーのような、4管編成の極めて大編成の曲に挑戦した最初の演奏会でもあった。その後続く、数々の大曲への挑戦のさきがけとなった演奏会と言って良い。これは、90年代の「マーラー5番」、ブルックナーの交響曲等の演奏へと、繋がって行く。この「巨人」を演奏した当時のメンバーはすでに、30代半ばを過ぎ、日本社会の核として活躍しているはずだ。


  この「巨人」は、「ロマンティック」との決戦投票を勝ち抜いて選ばれたように聞く。当時、冬の演奏会(定演)では、ロマン派以降の大編成の大曲を演奏するというパターンが踏襲されていた。

 前半が「未完成」で、交響曲2曲だけという、カラヤン/ベルリン・フィルのコンサートのような、シンプルで格好いいプログラミングだった(カラヤンは巨人を一度も演奏していない)。この時、さすがに、アンコールは最初から「なし」と決定し、マーラーに全精力を注いだのだ。2000年の、佐藤功太郎氏の「巨人」では、エルガーのニムロド(エニグマ変奏曲)をアンコール演奏してくれた。
 
(ここまで1999年記)


  



  
17年前の「巨人」の主席VC奏者と主席Fl奏者、この2人と一緒に、2000年の「巨人」を客席で聴くことが出来た。両名とも、はるばる、福島県と群馬県より聴きに来ていた。自分自身も、Tpを演奏しており、特別な期待を持って、東京から夜行バスで聴きに行った。
 今年の「巨人」もこのくらい関心を持たれていたことを、現役の皆さんも心に留めておいて貰えるとうれしいものだ。今年の演奏は、指揮者の個性の違いもあって、17年前のものとはかなり異なる印象の演奏だった。というよりも、演奏者と聴衆という立場の差かもしれない。

  
決して無理をしない響きを常に保ち、学生オケのこの曲の演奏・・・にしては落ち着いた感じの演奏だった。響きの悪さで定評のある厚生年金会館での演奏にしては、充分にオーケストラらしい響きが聴けたと思う。ここ数年、金大フィルの演奏会を聴き続けているが、久しぶりに音楽を聴く「余裕」が持てた演奏だったと思う。現役皆さんの健闘をたたえる。

 4楽章の第2主題への移行部分で、危うく崩壊しそうになるスリルも楽しむことが出来た。あの約10数秒間は、両隣の2人も完全に呼吸が停止して、文字通り息を呑む瞬間だった。まるで数分のことのように長く感じらた。事なきを得て、人揃って大きく深呼吸をしたことは言うまでもない。



第43回定演ホルンパート
43回定期Hrセクション
上段、べん谷、牛山、上野、金曽
下段、田村、土定、増田、坂井の各氏



  
マーラーは、最終部で、ホルン奏者(この18年前の演奏では8人)とバンダ隊(Tp1,Tb1)に起立して演奏することを求めている。プロの演奏では、起立しない場合もあるようだが、金大フィルのこの演奏の場合は、もちろん、全員起立をしてい(上の写真)。
 オーボエやクラリネットのベルアップ(スコア指定)も派手にやっていたので、アンケートにいろいろと書かれた記憶がある。注意して聴くと、ホルン奏者達がいすを蹴って立ち上がる音が(00:54あたり)聞こえる(堤氏が暴れた音かもしれない)。

 3楽章の冒頭も、アップした。通常は日の当たらない、めずらしいコントラバスやチューバのソロが聴かれえう。それぞれ、えぴそーどは尽きない


 日本海側(昔は裏日本とも呼ばれた)では、初演だった「巨人」が大成功だったのは言うまでもない。金管楽器は、パワーを全開している。
 汚い音かもしれないが、このようにしか演奏出来ないと言う、信念と確信に満ちた演奏だった。金沢の地でマーラーの音楽が鳴り響くのはエポックメイキングな事件だった。

第43回定演パンフレット
プログラム表紙

演奏会データ


堤俊作氏との熱い演奏
第43回定期演奏会 83/01/29
 
厚生年金会館 指揮:堤 俊作 コンサートマスター:四条隆幸

マーラー/交響曲第1番ニ長調<巨人>
第3楽章 冒頭 (3.7MB)
第4楽章 最終部 (2.3MB)