”古いヨーロッパ”と新しいアメリカの予防
2006年6月9日 メリーランド州ボルチモア
第1回全米予防原則会議
持続可能な製造のためのローウェル・センター
マサチューセッツ・ローウェル大学
ケン・ガイザー
情報源:Precaution in "Old Europe" and New America
A Talk to the First National Conference
on Precaution Baltimore, Maryland June 9, 2006
Ken Geiser
Lowell Center for Sustainable Production
University of Massachusetts Lowell
http://www.besafenet.com/prec_conf_proceedings/Ken_Geiser_Talk1.pdf

訳:安間 武 (化学物質問題市民研究会)
http://www.ne.jp/asahi/kagaku/pico/
掲載日:2006年7月3日
このページへのリンク:
http://www.ne.jp/asahi/kagaku/pico/precautionary/NCP/NCP_Ken_Geiser.html


 はじめに、最近の政策レポートからの引用をからお話しします。

 ヨーロッパが予防原則を取り入れれば取り入れるほど、アメリカの政策決定者はますます、この原則は非科学的であり、実行不可能であり、技術的革新への潜在的なじゃまものであり、自由貿易を阻害する疑いがあると主張する。ヨーロッパ人は、予防原則は非科学的ではないと反駁する。実際、予防原則は、予防が適切であるかどうか決定する不確実性のレベルを確認するために科学を採用する。ヨーロッパ人の成長ホルモンを使った牛肉輸入の禁止や、遺伝子組み換え穀物や野菜に対する一般的な抵抗は、アメリカの政策決定者らの予防原則に対する敵対感情を単に煽り、ヨーロッパ人の科学的不合理性を印象付ける。

 なぜ予防原則は、ヨーロッパではそのようによく受け入れられ、アメリカではそのように激しく反対されえるのでしょうか?

 それは単純な質問です。私は先週、スウェーデン人の仲間に彼の説明を求めました。”それは・・・”と彼は言いました。”あなた方アメリカ人は、ヨーロッパを離れることを選択し、大きなリスクをとったヨーロッパ人の子孫だからです。我々は、ヨーロッパに残ることを選んだ用心深い人々の子孫です。我々は、我々の共同体と先祖伝来のものを尊び、あなた方は、機会が訪れればそれらを手放します。”  分りやすくなかなかよい答えです。この考え方を支える多くの文献があります。それを文化の相違の原理と呼びましょう。

 ヨーロッパとアメリカの基本的な文化的、宗教的、法的構造は同根であり、この二つの地域には多くの同じようなやり方が存在しますが、また同じくらい著しい相違を示すやり方もあります。

 アメリカは、一般的に、(旧大陸に)捨ててきた君主制と政府に多大な不信感を持つ人々によって、2世紀以上前に建国されました。アメリカ憲法は、国家の統一の必要性と地方分権統治の維持という約束との間の広範な妥協を表しています。連邦政府は基本的な国家の利益を保証するために存在しますが、一方、その権力は限定されています。社会的には個人の達成に高い価値が置かれますが、一方、一般福祉は地域の共同体と慈善的及び宗教的制度に委ねられています。国家の社会的又は経済的政策は疑いの目をもって見られ、それを策定しなくてはならない時には、そのプロセスは透明であり司法の審理に対しオープンである必要があります。

 もちろん、ヨーロッパ諸国は、しばしば矛盾する倫理的、宗教的及び文化的遺産の長い歴史の上に成り立っています。奴隷制度の歴史と社会の民主的伝統は、一般市民の社会的及び経済的福祉の実施が期待される議会政治をもたらしました。個人の達成は尊ばれますが、共同体、市民社会、及び社会的依存者(弱者)の一般福祉とバランスがとられます。長年の慣行は、国家の社会的及び政治的政策は、定期的な議会に対する説明と、ほんのわずかな公衆の参加の下に、政府のエリートや専門家よって策定されるべきであると示唆しています。

 アメリカにおける政府の権威に対する一般的な不信は、批判的で訴訟好きになりやすい防御的で対立的な気風を生みました。政府の政策、特に、個人と企業の自由を制限すると見られる環境政策は一般的にメディアや法廷の中で異議を唱えられました。したがって、アメリカの環境法と規制はしばしば、長文で、手続き的であり、非常に説明的な議論と広範な科学的証拠に依存しています。

 ヨーロッパ諸国における政府の政策は、しばしば短く、あまり詳細ではなく、資格のある専門家の判断(議会委員会、専門的政策論文など)により多く基づいています。実際、アメリカ政府の政策策定の公式化された”法の支配”とは際立って対照的に、一般的に理解され公式に明記された予防原則や代替原則のような”原則”がヨーロッパの政策の中に見られます。

 したがって、予防原則のようなある原則がヨーロッパで出現しても少しも驚きません。ヨーロッパの政策は、危険が予測されたなら、たとえ危害の科学的証拠は限定されていても、公衆の健康を守るために措置をとる権限を国家に与える簡潔で一般的な政策です。文化的相違を認めて、政府は権限を制限され、リスクをとる者に機会が与えられ、市場での制限は少なく、合理的で広範な科学的証拠に基づくべきとするアメリカでは、予防についての関心は低いということを予想すべきです。

 我々の理論によれば、ヨーロッパ人とアメリカ人は、異なった歴史と文化を持つので、リスクと機会に関して異なったやり方で対応します。したがって、予防原則に対する異なるアプローチは文化的相違に基づくのです。

 しかし、この理論は説得力もありますが、誤解も与えます。

 もう少し詳しく見てみましょう。

 20世紀の前半、アメリカの環境及び公衆健康問題は、州、産業、又は専門家の責任であると考えられていました。1960年代及び1970年代になって、アメリカはヨーロッパ諸国より幾分早く連邦法を制定することにより、広範な国家環境政策を確立し始めました。アメリカの文化的伝統に従い、これらの法律は非常に広範で厳重でした。例えば、サリドマイドの有害影響に対する公衆の憤りは、1960年代に議会が新薬の厳格な承認手続き規定することで食品医薬品局(FDA)の役割を強化する結果に導きました。同様に、全ての新車に触媒コンバーターの設置を求める1970年法の要求は、アメリカにおける加鉛ガソリンの廃止をもたらしましたが、ヨーロッパで立法されたのは1989年のことでした。

 1960年代及び1970年代のアメリカの立法及び司法裁定はリスクとは反対の予防的アプローチの傾向がありました。例えば、1969年の国家環境保護法は、連邦機関に対し環境的脅威を引き起こすかもしれないプロジェクトに着手する前に広範な選択肢を検証することを求めました。1970年大気浄化法(Clean Air Act of 1970)は排出制限を規定する場合には”適切な安全レベル”を求めました。

 2年後に水浄化法(Clean Water Act)が1985年までにゼロ廃水を実現する国家目標を設定し、1977年改正大気浄化法(1977 Clean Air Act Amendments)は、環境保護庁(EPA)に対し排出基準を定める前に”実際の危害の発生を待つのではなく、リスクを評価する”ことを求めました。実際、1969年労働安全衛生法(Occupational Safety and Health Act of 1969)は、アメリカの雇用主に対し、たとえ適用可能な法的安全基準がなくても、”雇用者及び職場を認識された危険にさらさない”ことを求める”一般注意義務”を確立しました。

 しかし、1980年以降、アメリカにおける国家の環境及び公衆健康政策の取組における傾向は劇的に変化しました。議会の広範な立法活動は停止し、連邦機関は厳格な規制の方向から、(産業に対して)協力的で親切なアプローチへの積極的な実施の方向に急速に変化しました。

 職場におけるベンゼン暴露の規制基準に関する連邦最高裁による1980年の判決は影響が広く及ぶものであり、公衆衛生と環境の規制を制定するに当たり、企業がそれを遵守するためのコストを考慮することを確実にするための著しく厳格な基準をもたらしました。実際、1990年汚染防止法(Pollution Prevention Act of 1990)は1940年代及び1950年代の”州優先”アプローチに先祖返りし、推進と支援は行いますが、汚染や廃棄物の削減や防止については産業側になんら法的義務を課していません。

 これらの証拠は、初期のアメリカ政府の職業的及び環境的危険へのアプローチは予防的であったことを示しています。しかし、1980年以降のある時から何かが変化しました。

 我々はこれをどのように説明することができるでしょうか?

 それは実際、容易なことです。1980年に変化したのは政府のイデオロギーです。ロナルド・レーガン政権にもたらした政策の転回は、明白に異なるリスクと機会に対するアプローチを持つ、よく統制された右翼志向の動きでした。これは個人の自由と巨大な政府に対する敵意に基づくイデオロギーを持つ完全に保守的な動きでした。保守右翼の指導者らは市場及び企業活動における規制を制限したビジネス友好社会を創造し、社会的出費を減らすことによりアメリカの競争力の維持を目指すものでした。政府は規制政策から撤退したばかりでなく、企業の利益の後援者及び推進者となりました。

 環境規制及び職業健康規制は市場活動にとって足かせとなり、企業戦略にとってわずらわしいものとなりました。この考え方にとって予防原則以上に脅威となる概念はありませんでした。ヨーロッパの海洋法やリオ宣言で述べられているように、そして1998年の予防原則ウィングスプレッド声明によってアメリカの取組の中に示されたように、予防原則は明白に安全性の科学的証明を有害な技術の実施者に移行することを意味しています。

 保守右翼にとって、そのような責務は、技術的発展の全てを危険にさらすことであり、保守的な”企業競争力協会”のある会員は次のように述べました。”最も良い意図をもった予防的措置でも悲惨な結果をもたらすであろう。予防原則の技術進歩に対する脅威は、それ自身、公衆健康と環境保護に対する脅威である。世界は、それさえなければ安全であろう。”

 実際、これらの保守右翼の指導者らは、連邦政府の政策の基礎をヨーロッパの政策を変えさせることに置きました。アメリカ電子機器協会、アメリカ商工会議所、及びアメリカ化学工業協会の代弁者として、アメリカ通商代表部、商務省、及び国務省は、EU廃電気電子機器指令(WEEE 指令)や提案されている包括的な化学物質政策 REACH の成立に反対して、はっきりとしたロビーイング活動をはしばしば行いました(訳注1)。

 歴史はアメリカとヨーロッパの社会的及び文化的相違を指摘しますが、保守右翼の厳しい政治学こそが予防原則に反対する第一の原因です。アメリカ人は彼らの家族や彼らの環境についてヨーロッパ人より関心が低いわけではありません。彼らは環境に関する懸念をヨーロッパ人と等しく持ち、環境保護の手段として政府に期待しているのです。

 全ての文化は、日々の生活のリスクを、安全、セキュリティ、及び持続可能性の必要に対してバランスさせなくてはなりません。ヨーロッパ人は技術的リスクを和らげることを求め、アメリカ政府はそれらを無視することを求めています。このように、予防的アプローチに反対しているのはアメリカ人ではなく、それは現在のアメリカ政府の指導者層です。

 我々にとって、保守右翼が持つ強大な権力がアメリカの環境保護の政策路線を決めて行くのを見ることは痛ましいことです。しかし、勇気付けられることもあります。・・・文化が変わるのには時間がかかりますが、政治は急速にそして劇的に変わることができます。予防への反対は文化ではなく政治の中にあるという事実は、この反対が蒸発して消えてなくなるスピードだけでなく、そのようにすることを確実にする方法をも示唆しています。

 アメリカ政府のハザードとリスクに対する非協力的な態度には、政治的な反対が沸き起こっています。この予防原則会議はそのことを良く示すとともに、州と地方レベルでの予防的取組の評価の高まりを示しています。サンフランシスコ市条例(訳注2)、水銀、臭素化難燃剤、及び有害容器包装を規制する州化学物質法、有機農産物とより安全な化粧品を求める市場の動き(訳注3)、グリーン・ケミストリーの出現(訳注4)、ルイビル憲章(訳注5)、そして主導的企業の有害化学物質使用廃止の運動などは、激動の様子と、より安全な技術の探求の熱望をを明らかにしています。

 我々は、より注意深く持続可能な社会を達成するためにアメリカ人の文化を変える必要はありませんが、我々は政府を変えなくてはなりません。この政府を変えることは容易なことではないし、直ぐにはできないかもしれませんが、それは可能であり、我々にとって必要なことであると私は申し上げます。  このように皆さんが集まるのはまたとない機会です。この困難な仕事を成し遂げましょう。


訳注1:アメリカのEU化学物質政策(REACH)への干渉/クリーン・プロダクト・アクション(当研究会訳)

訳注2:白書/予防原則とサンフランシスコ市及び郡2003年3月(当研究会訳)

訳注3:EHP 2006年7月号/カリフォルニア州 化粧品安全法 制定(当研究会訳)

訳注4:カリフォルニア・リサーチ・センター特別報告書:カリフォルニアのグリーン・ケミストリー/化学物質政策と革新におけるリーダシップのための枠組み(エグゼクティブ・サマリーの紹介)(当研究会訳)

訳注5:2004年5月 ルイビル憲章:より安全な化学物質のために(当研究会訳)



化学物質問題市民研究会
トップページに戻る