白書
予防原則とサンフランシスコ市及び郡
2003年3月

情報源:The Precautionary Principle and the City and County of San Francisco March 2003
http://www.sfenvironment.com/aboutus/policy/white_paper.pdf
訳:安間 武 /化学物質問題市民研究会
http://www.ne.jp/asahi/kagaku/pico/
掲載日:2003年7月4日
このページへのリンク:
http://www.ne.jp/asahi/kagaku/pico/precautionary/whitepaper_sf/sf_0.html

−予防原則に関する1998年ウィングスプレッド声明−
 ある行為が人間の健康あるいは環境に危害を与える恐れがある場合には、原因と結果の関連が科学的に完全には証明されていなくても、予防的措置がとられなくてはならない。
 このような状況においては、科学的証明の責務は市民にではなく、行為を行なおうとする者にある。
 予防原則を適用する過程は公開され、開示され、民主的でなくてはならず、影響を受けるかもしれない関連団体を参加させなければならない。また何もしないということも含めて代替案について十分に検討しなくてはならない。

 内 容
 はじめに
 T.なぜ今、予防措置か
 U.予防原則の歴史
 V.有機的な原則としての予防措置
 W.予防措置と経済性
 参照
はじめに
 サンフランシスコ市及び郡の環境法第1章で、”市のすべての職員、理事会、委員会及び部局は、市及び郡の業務を遂行するにあたり、予防原則を実行しなくてはならない”と述べている。この白書では予防原則の歴史、意図、内容、含意について述べる。
 サンフランシスコ市の指導者と市民の理解を得るために順を追って下記について説明する。
  • 人々は危害を未然に防ぐために先行措置(anticipatory action)をとる義務がある。
  • 製品及びサービスの提供を行なおうとする者はそれらの製品とサービスの安全性について責任がある。
  • 政策決定者は代替案について十分な検証を行い、環境と人間の健康に有害な影響を最も与えない代替案を選択する。
  • 決定にあたっては参加民主主義的で、透明性があり、現状で最良の科学と完全な製品情報により情報が開示されなくてはならない。
  • 政策決定者は、製品とサービスについて製造、使用、廃棄に至るまでの全てのコストを勘案しなくてはならない。経済的評価においては長期的コストと環境政策による出費の削減を十分考慮しなくてはならない。
サンフランシスコ市の予防原則採用については、レイチェル・ニュース#765をご覧下さい。


T.なぜ今、予防措置か
A.地球が変化している

 近年、科学者達は人間が地球に与えている影響について評価している(例えば Vitousek et al. 1997)。彼らは、人口の増加と資源の枯渇がかつてない仕方で地球を変化させていると結論づけている。
 下記のようなことがわかった。
  • 60億人以上の人々が地球上に住んでおり、控えめな推定でも21世紀の中頃には90〜100億人になると予想される。もし、全ての人々がアメリカ人と同じように多量の資源を使うこととなれば、今日の人口を支えるためにはあと2.5個の地球が必要である。
  • 約85,000種の産業化学物質が世界の生態系に入り込んでいる。その多くは人間及び生物の生息域を汚染しており、母乳や卵黄、卵巣、羊水中で検出されている。その多くの毒性は知られておらず、ほとんど理解されていない。
  • 非常に多くの植物や動物が絶滅に追いやられており、多くの海洋漁獲高は激減している。世界のさんご礁の半分以上は人間の活動により危機に瀕している。
B.人間の暴露

 人間の体内の環境有毒物質を測定するバイオモニタリングで、人間は毎日、体内に有毒化学物質を取り込んでいることがわかった(CDC 2003)。例えば、マウント・シナイ医学校の最近の分析で、9人のボランティアの体内から167種の汚染化学物質が検出された(1人当たり平均91種)。それらには下記のものが含まれている。
  • 53化学物質:人間及び実験動物でがんに関連
  • 62化学物質:脳と神経系に有毒
  • 55化学物質:先天性欠損症あるいは発達異常に関連
  • 53化学物質:免疫系に有毒
  • 55化学物質:健康への影響が不明
 疾病管理センター(CDC)のテストによれば、子どもたちは不釣合いに多くの化学物質に暴露している。最近の科学研究で、ある物質に早い時期に暴露すると免疫システムがダメージ受けるか(Weisglas-Kuperus et al. 2000)、あるいは成人してから喘息、高血圧、あるいはがんになる危険性が増大する(Sorensen et al., 1999, Peden et al. 2000; Czene et al. 2002, Hemminki and Li, 2002)。

C.病気のパターンが変化している

 健康問題の専門家達は、最近、人間の病気や障害のパターンの傾向に変化がみられると指摘している。(例えば McCally 2000, Schettler 2002)
  • アメリカでは1億人以上の男性、女性、子どもが慢性的な疾患や不調に悩まされている。この数は人口の1/3以上である。がん、喘息、アルツハイマー病、自閉症、先天的欠損症、発達障害、糖尿病、子宮内膜症、不妊症、多発性硬化症、パーキンソン病などがいたるところで増加しており、これらは環境中の有毒物質と関連があるという証拠も出てきている。
  • アメリカでは1200万人(17%)近くの子どもたちが一つあるいはそれ以上の発達障害を持っている。学習障害児が公立学校では5〜10%に達し、その数は増加傾向にある。注意欠陥多動症は少なく見積っても全ての学童の3〜6%にみられ、実際にはもっと多いと思われる。自閉症児も増大している(Schettler et al., 2000)。
  • 喘息は過去20年間で2倍の増加となっている。サンフランシスコ公衆衛生局の最近の調査によれば、サンフランシスコの15歳以下の子どもの喘息入院率は、カリフォルニア州の都市部の中で最も高い。市内のベイビュー・ハンターズ・ポイント地区では、6人に1人の子どもが喘息にかかっている。
  • 黒色腫、女性の肺がん、非ホジキン・リンパ腫、前立腺がん、睾丸がん、甲状腺がん、肝臓がん、乳がん、脳腫瘍、食道がん、膀胱がん、等の年齢補正した発生率は、過去25年間増大し続けている(SEER 1996))。例えば、乳がんは現在、世界中で、女性のがんの中で最も多くなっている。過去半世紀の間にその発生率は50%増大している。1940年代は、乳がんの生涯罹患率は1/22であったが、現在、アメリカの生涯罹患率は1/8、マリン郡では1/7である(Evans 2002)。マリン郡のがん発生率は全米平均より40%高い。
  • アメリカでは、男性器異常、先天性心臓疾患、尿道閉鎖障害、等の先天的欠損症が増大している(Pew 2003, Paulozi 1999)。アメリカのある地域、及び世界中で、精子数が減少している((Swan et al., 1997)。

D.科学的証拠と科学的不確実性

 環境と人間の健康に関するこれらの変化については多くの文献が報告している。しかし、これらの現象の多くに関して直接的な原因を挙げることは容易なことではない。

 太陽光線、喫煙、及び食物では、これらの病気に関する傾向についてほとん説明できない。遺伝的要素はこれらの変化について少しは説明できるが、大部分については説明できない。このことは他の環境要因が働いているということである。
 新たな科学分野がこのことを示唆している。実験動物、野生生物及び人間における悪性腫瘍、先天性欠損症、生殖障害、行動障害、及び免疫障害と、環境汚染との関連性について、多くの証拠が報告されている。科学者たちは、生物学的発達と機能がどのようにしてこれらの結果に至るか理解するようになってきている(Schettler 2002)。

 しかし、内分泌かく乱、気候変動、がん、生物種の滅亡などの深刻で明白な現象に関し、それらを引き起こす決定的な単一要因を挙げることは不可能である。原因と結果が複雑に絡み合っている場合、すなわち、潜伏期間が長い、暴露のタイミングが非常に重要である、暴露していないコントロール群が存在しない、外乱要因を区別できない、等の場合には、確実性について科学的規準を設けることは難しい。

E.不適切な政策

 今日のほとんどの環境規制は、廃棄物として、あるいは測定可能な汚染物質として排出される有毒物質を管理することを目的としており、それらの使用を制限したり排除することを目的としていない。
 これらの政策も排出管理がうまくいかず、有害、特に子どもたちにとって非常に有害、となりうる。建物に使用される有毒化学物質、洗剤、農薬などであり、それらは家庭や車庫、事務所、学校などで使用された後、焼却炉で処理されるか埋立処理される。

 しかし、有毒物質と環境保護の政策における最大の弱点は、保護措置(protective action)をとるためには有害性の確たる科学的証拠が必要とされるところにある。

 今日、製品や技術、開発プロジェクトによる有害な影響の度合いを決定するための手法として、定量的リスク評価法が広く採用されている。リスク評価法では、まず、標準モデルに基づき、どの程度の危険性がありうるかを数値で示す。次に政策決定者はどの程度の危険性なら許容できるかを決定する。しかし、1980年代中頃にアメリカで標準的な手法となり、1990年代に世界的な貿易協定のなかで制度化されていったリスク評価法は、政策決定者に対し、リスクを本質的に削減するような代替案がないかどうかの検討を促がす仕組みにはなっていない。
 例えば、毒性についてあまりよくわかっていない化学物質を溶出するプラスチック製のおもちゃで遊ぶと何人くらいの子どもたちが発達障害やがんの被害を受けるかを確定しようと試みるであろう。このようなリスク評価に基づき、政策決定者は何人くらいの子どもたちなら被害を受けても許容できるか(1万人に1人?、10万人に1人?)を決定するであろう。このような政策決定のプロセスでは、おもちゃの材質を子どもに対する安全性が確認された材質のみに限定するというような代替案を考える機会はでてこない。

 もし不確実性が比較的小さく、利害関係が限られているなら、リスク評価法は有用な情報を提供し、社会が代替案を選択する助けになるであろう。しかし明確にすることが難しく、あるいは不可能で、利害関係が大きい場合、例えば子どもたちの健康や学習能力に関わること、不特定でその数もわからない個人の生死に関わること、生物種や生態系の生存に関わることなどに関しては、リスク評価法は政策決定のための手法としては不適切である。
 リスク評価法は不確実性を明確にしようと試みるが、そのような企てには仮定と単純化が必要となる。リスク評価法では通常、限られた数の潜在的危険性のみを取り扱い、定量化することが難しい社会的、文化的、あるいはより広い環境要因についてはしばしば見逃す。また規制により生ずる直接的なコストは定量化して限定したコスト−利益評価をするが、通常、長期にわたる社会に対するコストと利益についての評価を行なうことはできない。

 リスク評価法は、取るべき措置に対し有用な指針を出すことがしばしばできないだけでなく、実施する規制当局に膨大な金と人的資源を使わせることとなる。有害性の許容限界を決め、潜在的危険性を定量化し、危険防止措置にかかるコストを定量化するリスク評価法は、重要な科学的ツールに基づくが、それらのツールに大きな負荷を与え、本質的に不正確なプロセスから確実な答えを引き出さなければならない。リスク評価を実施するための時間と人的資源を確保することは、人間と環境を保護するために広範囲な職務を全うしなくてはならない規制当局にとって、非常に難しいことである。より安全な代替案を特定しそれに置き換えることの方が、当局の、特に地方レベルにおける資源を有効に活用できる。

F.警告が出てからずっと後に教訓を得る

 法規制を行なうまでに時間がかかり、”科学的確実性”を主張し、直接的に発生するコストを重視するので、有害な影響が疑われる場合でも、製品や技術に対する疑義にとって有利に働く。その結果、国際的環境協定も国内の法規制も環境が受けるダメージのスピードとその蓄積に追いつくことができない。

 ヨーロッパ環境局の2001年の報告書は、有害であることについての早期の警告を無視したことにより発生した莫大な社会的コストを数え上げている。放射性物質、オゾン層破壊、アスベスト、狂牛病、その他の問題にはおなじみのパターンがある。 「危険は存在しないという”確実性”を信じたために、未然防止措置(preventive actions)が遅れることとなった」 と報告書の著者たちは述べている。

 彼らはさらに 「未然防止措置(preventive actions)にかかるコストは通常、明白で、適切に割り当てられ、しばしば短期間ですむ。しかし、この措置を怠るとそのために発生するコストは明白でなくなり、適切に配分されず、通常、長期的になり、問題が大きくなる結果となる。措置に対する是非、あるいは何もしないことに対する是非を推し量るためには、経済的な考慮だけでなく、倫理的考慮が必要となり、非常に難しくなる」 と付け加えている(EEA 2001)。

G.予防原則と倫理的規範

 予防原則は、有害性に関するあいまいな世界、本質的に科学の一部である不確実性、そして公共の政策に対する倫理的な指針である。予防原則は、人間の健康と環境に対する責任ある保護という点で科学と関連している。予防原則に関するどのような記述にも次の決まり文句がある。保護措置(protective action)をとるために、科学的確実性を待つ必要はない。

 これは、政策決定において含蓄ある言葉である。予防原則は、我々が何を知っていて何を知らないかについての科学的な問いを投げかけているが、また、同時に、科学だけでは答えることのできない倫理的で政治的な問いに我々を導くものである。

  • 行動の結果は何か?
  • より良い選択肢はないのか?
  • 誰が傷つくのか?
  • 誰に責任があるのか?
  • 行動するための情報は十分か?
 予防原則を支える倫理的な仮定は、”人間は、我々自身を含む全ての生物が依存している地球の生態系を保護し、維持し、回復させることに責任がある” ということである。

 はじめに
 T.なぜ今、予防措置か
 U.予防原則の歴史
 V.有機的な原則としての予防措置
 W.予防措置と経済性

 参照
U.予防原則の歴史
A.国際法における新たな原則

 1980年代、必ずしも科学的確実性はないが前例のない環境変化の証拠が積み上げられていく情況において、予防措置 (precaution) の概念が国際的な環境協定の中に現れ始めた (参照:Raffensperger and Tickner 1999, AppendixB )。例えば:

  • 1984年初頭、北海の汚染を減少するための一連の議定書における”予防的手法 (precautionary approach)”
  • 1987年、オゾン層破壊物質の排出を規制するためのオゾン層議定書における”予防的措置 (precautionary measures)”
  • 1990年、持続可能な開発に関するベルゲン宣言及び第2次世界気候会議における声明 : 深刻な、あるいは取り返しのつかないダメージを与える恐れがある場合には、科学的な確実性が十分ないということを、環境破壊を防ぐ措置を遅らせる理由にしてはならない。
 1992年リオ地球サミットにおいて、予防措置 (precaution) は、環境と開発に関するリオ宣言の中で原則 15 (Principle 15) として公式に記された。
 環境を保護するために、各国は可能な範囲で予防的手法 (precautionary approach) を広く適用しなくてはならない。深刻な、あるいは取り返しのつかないダメージを与える恐れがある場合には、科学的な確実性が十分でないということを、環境破壊を防ぐための費用効果のある措置を遅らせる理由にしてはならない。

 リオ宣言の後、予防原則 (Precautionary Principle) は国際法における新たな原則として、認められるようになった。例えば:
  • 1994年マーストリヒト条約で、EUの環境と健康に関する政策に対する指針としての予防原則が、汚染者が支払わなければならないとする汚染源を防ぐための原則とともに、確立された。
  • 予防原則は、フランスの核実験に関する1995年の国際法廷での議論におけるベースとなった (Order 22 IX 95)。裁判官は ”リオ宣言における合意” 及び、予防原則が ”環境に関する国際法の一部として支持を広げている” という事実を引用した。
  • 1990年代後半、世界貿易機構(WTO)においてEUは、ホルモン飼料牛肉と遺伝子操作生物の輸入問題に関して予防原則を引用した。
B.強制力のある措置

 1980年代及び1990年代の国際的環境条約において、予防原則は一般的指示あるいは指針としての原則であった。しかし2000年に交渉が行なわれた二つの条約で、予防原則は初めて強制力のある措置として適用された。
  • 生物学的安全性に関するカルタヘナ議定書では、各国が遺伝子操作生物の輸入許可の決定において、予防原則を権威あるものとして引用することを認めた。
  • 残留性有機汚染物質に関するストックホルム条約(POP's)において、同条約が禁止している12の化学物質に新たな化学物質を追加する場合には、予防原則を規準とするよう規定した。
C.国の政策としての予防原則

 ”予防原則”という言葉はドイツ語の Vorsorgeprinzip の訳で、1970年代、ドイツ国民の間に高まった環境汚染に対する懸念、すなわち、火力発電所の排煙が酸性雨及び急速な森林破壊(Black Forest)と関係があるのではないかという疑いが生じた時に、ドイツの環境法と政策の中で発展した基本的な原則であった。
 ドイツ国民は、健全な経済と持続可能な環境が共存できるドイツの将来のための新技術の急速な開発を望んだが、同時に、ドイツの環境を保護するための未然防止措置(preventive measures)を歓迎した(von Moltke 1988)。Vorsorge は文字通り、事前の保護(forecaring)を意味する。この言葉には”先見”と”準備”の意味があり、単なる”警告”ではない。それは、環境技術におけるリーダーとしてのドイツ発展の基礎となった。

 危険物質の代替などを含む同様な原則が以前からスウェーデンとデンマークの国家政策に適用されている。リオ・サミット後、オーストラリア、ニュージランド、イギリス、オランダなど多くの国々が予防原則を法律と政策決定のベースにし始め、時には法廷においてもこの原則を引用し始めた。

D.アメリカにおける予防原則

 アメリカも予防原則を含む国際条約に署名している。例えば、オゾン条約やその他の環境議定書、1992年リオ宣言 (先代ブッシュ大統領が署名)、ストックホルムPOP's条約 (2001年に現ブッシュ大統領が署名)。さらに、
  • 1978年以来、国境をまたがる問題に関し、アメリカ政府とカナダ政府に政策を提言し監視する機関である国際共同委員会は、5大湖への残留性及び生体蓄積性物質の排出を完全に排除するよう要求した。1994年の第7回報告書(2年毎)で同委員会は 「商業ベースでの化学物質の導入と継続的使用に対する予防措置(precaution)が、実質的な排除戦略の支えとなる」 と述べている (IJC 1994)。
  • 1996年、持続可能な開発に関する大統領の諮問委員会は 「科学的に不確実であっても、人間の健康と環境に対する潜在的な危険が深刻で取り返しがつかないと考えられる場合には、社会は合理的な行動をとるべきである」 と述べている (PCSD 1996)。
 名指しで挙げられているわけではないが、予防措置(precaution)はアメリカのいくつかの環境及び食品医薬品の法律のベースとなっている。これらの法律は、将来に対する慎重さ(foresight)、未然防止(prevention)、保護(care)などを取り入れており、その多くは規制者に、可能性はあるが証明はされていない危険性を未然に防ぐための措置をとる権限を与えている。例えば、
  • アメリカ有毒物質規制条例で、環境保護局(EPA)は、新たな物質に過度な危険性がある、あるいはその物質への暴露が重大な結果をもたらすと判断した場合には、その新物質を市場に出すことを中止させ、安全性テストやその他の措置を要求することができる。
  • 食品医薬品局(FDA)は、予防的措置(precautionary measure)として、市場に出す前に全ての新薬をテストするよう求めている。
  • 1996年の食品品質保護条例により、有機リン系農薬のいくつかの用途は廃止されることとなっている。この条例は農薬は子どもに対して安全であることを証明するか、さもなければ排除することを求めている。
  • 国家環境政策条例は次の二つの点で予防原則的である。
    1) 連邦政府の資金が投入されている全てのプロジェクトについて環境影響評価を行うことを求め、将来に対する慎重さと結果に対する注意とを強調している。
    2) 何もしないという代替案を含めて、代替案を検討するよう求めている。
 予防的意図(precautionary intent)をもった例は他にもたくさんある。野生条例ではある地域を入域禁止にした。職業安全衛生条例(OSHA)では雇用者は安全な作業環境と職場を提供する義務がある。絶滅危険種条例では多様性を守ることを最終的目標に掲げている。クリーン・ウォータ条例ではアメリカの水を化学的にも、物理的にも、そして生物学的にも安全なものに回復し、維持することを厳格な目標とする。疾病管理センター(CDC)では広範囲な物質に対する人間の体の負荷を監視し、将来の予防措置政策のためのデータを用意し始めた(CDC2003)。

 残念ながら、アメリカの環境政策において、予防的行為(precautionary action)は法律原則ではなく、規則の例外であった。むしろ、予防的な意図や本質をもった法律さえ、歪曲され、無視され、十分に実施されることがなかった。例えば、職業安全衛生条例(OSHA)を適切に施行するには検査員が少な過ぎる。絶滅危険種条例は重大な危機が実際に起きた時にだけ実施されている。

E.予防的行為を支える他の法的概念

 これらの法律や政策以外に、アメリカの法律における少なくとも他の二つの重要な要素が予防的行為(precautionary action)を支えている。

 知る権利法 は政策決定における透明性に役立っており、予防原則を実施する上での主要な要素である。例えば、
  • 有毒物質排出目録(Toxics Release Inventory) : 公的に開示されるEPAのデータベースであり、特定の産業グループや政府の施設によって毎年報告される有毒化学物質の排出や廃棄物管理に関する情報を含んでいる。
  • 農薬、食品、医薬品、その他消費材に対する表示義務 : 国民が潜在的な危険性を評価する上で有用な非常に多くの情報を提供している。
 そのような法の要求や実施を広げていくこと、例えば、農薬中の不活性成分や化粧品中の全ての成分の表示など、により予防原則の実施をさらに推し進めることになるであろう。

 公共信託の原理 (Public Trust Doctrine) はアメリカの州法廷で認知されている判例法における教訓である。公共信託の原理の下では、州は天然資源を公共と将来の世代のために保護しなくてはならない。例えば、カリフォルニア州最高裁は1983年に公共信託 (public trust) を ”川、湖、干潟にある人々の共通の遺産を保護することは州の義務であると宣言すること” と定義している。

 予防原則と公共信託の原理は、公共の財産を守るという同じ倫理的基盤を共有している。公共信託の原理は州に偉大な財産として天然資源を保護する義務を与えており、予防原則及びその実施手段はその義務を実行するための方法を提供するものである。

F.州及び地方びおける予防原則

 予防原則はアメリカにおいては1998年、ウィスコンシン州ラシーヌのウィングスプレッドでの会議の後に初めて公に導入された。この会議で出された声明が、本白書の冒頭に引用されている。
 その声明では、科学的確実性が完全に満たされていなくても危害を守るために実行に着手するとする原則と、その原則を実施するための主要な方法、すなわち、民主的なプロセス、代替案評価、責任の移行、目標設定、とを初めて結びつけた (第V章参照) (Raffensperger and Tickner 1999)。

 それ以来、地域と政府機関は、予防原則を検討し、州と地方の政策、法律、条例に明示的に導入するようになった。例えば、
  • マサチューセッツ州議会では、予防原則に基づき、代替が可能な有毒化学物質10種の代替を要求する法案を出した。
  • ニューヨーク州議会では、州が財政支援する新技術に関する研究には予防原則を適用するよう求めた法案が出されようとしている。
  • ミネソタ州公共健康局では、予防原則を引用しながら、公共と環境の健康問題に関する早期警告システムを採用した。
  • マサチューセッツ州アマーストの健康法規委員会では、予防原則に基づき、最も毒性の低い洗浄用化学物質及び他の製品を使用することを求めた。
  • デントン、テキサスからハドソン、ケベックまで、多くの自治体は、予防原則に関わる討論、法令、政策、企画に着手した。
F.カリフォルニア州における予防法

 カリフォルニア州のいくつかの法律は、予防的な意図を実現しているが、連邦政府あるいは国際的な法律や政策と同様に、本来の予防的手法よりも後退して解釈されたり実施されている。

1) カリフォルニア環境品質条例 1970

 1970年、州議会は、予防措置立法の素晴らしいサンプルであるカリフォルニア環境品質条例(CEQA)を成立させた。CEQAの主要な目標は現在及び将来の環境を保護し、良好に保つことである。CEQAの下では、プロジェクトの提案当事者は、そのプロジェクトが環境に対し重大な影響を与えるかどうか、そして重大で有害な影響を与える場合には、その影響を最小にするあるいは除去するための実行可能な代替案(それにはプロジェクトを実施しないという代替案も含む)とともに、環境影響報告書の作成が必要かどうかを決定するために、公共機関からの承認を得なければならない。

2) 提案65(プロポジション 65) 安全な飲料水と毒性条例 1986

 1986年に有権者主導で立法化された”提案65 (プロポジション 65)”では、事業者は、製品あるいは排出物中に発がん性あるいは生殖毒として知られる化学物質が含まれる場合には、それらの製品あるいは排出物に対する環境または職場での暴露に対し、決められた記述による警告をしなくてはならない。
 提案65はまた、これらの化学物質が飲料水中に混入することを禁じている。この警告要求により、消費者、作業者、その他は、彼らの購入または行為に関し選択する機会が与えられる。
 警告を出すという要求は、事業者に製品を替えさせるか製造や排出をやめさせることを意図したもので、これによりこのような警告をしなくてもすむようにしようとするものである。
 提案65はまた、政府がこの法律の履行を怠った場合には、市民は政府に対し法を実施させるよう法的措置をとることを認めている。

G.サンフランシスコにおける予防措置の判例

 予防原則は、サンフランシスコですでに実施されている多くの政策を支える統一された一つの概念である。下記に示すものは人間の健康と環境を保護するために立法化された市の条例であり、政策決定における代替案手法を取り入れている (参照:the Appendix “Resolutions Adopted/Proposed by the Commission on the Environment” for relevant resolutions adopted by both the Commission and the Board of Supervisors.)。
  • 資源保護条例が1992年に採択された。これは市の部局に対し彼らが出す廃棄物をリサイクルし、その量を減少することを求めている。2000年にこの市条例は改訂され、市の部局は廃棄物の削減に対する説明責任として資源保護計画を立案するとともに、リサイクル品の購入を義務付けた。
  • サンフランシスコ市は、統合害虫対策プログラム (Integrated Pest Management Program - IPM)を通じて、市街地における害虫対策を環境的に健全な方法で実施し、市民の健康と環境を保護している。
    このIPM条例は1996年に採択されたもので、サンフランシスコ市に対し、ほとんどの有毒殺虫剤の使用を排除し、危険性が削減されているとして承認された殺虫剤リストに登録されたもののみを使用することを義務付けている。
  • サンフランシスコ市は、他市に先駆けて1999年に資源効率建築条例を立法化した。この条例は市の全ての建物に対し資源効率規準を求めるもので、パイロット・プロジェクトで最新の環境建築技術を披露することを求めている。そのような技術により、エネルギーと資源を最大効率で使用し、環境と人間の健康に与える有害な影響を最小とすることを狙いとしている。
  • 1999年、サンフランシスコ市と郡は、市の運営で使用する製品の健康と環境への悪影響を削減することを目標として、 環境に望ましい購買条例を採用した (このプログラムは現在、その範囲が限定されている)。
  • 2002年、サンフランシスコは、全米で初めて、市の建設プロジェクトにおいてヒ素防腐処理した木材の使用を禁止した。ヒ素含有圧力処理木材条例により、市の部局は建物、公園、桟橋で圧縮処理木材を使用する場合には、毒性がより少ない 代替案を選択することが求められる。
  • 2001年に採択された都市森林評議会条例は、全てのサンフランシスコ市民の健康と安全のために、市内の森林を健全で持続可能な状態に維持管理するための指針を与えている。評議会の使命は、地域の利益を守り、サンフランシスコ市が将来にわたって森林による恩恵を最大限満たすことを見届けることである。
  • 地球全体で現在、残っている森林はもともとの森林の20%以下であるが、アメリカでは4%以下である。熱帯硬材と赤色新材(アメリカ杉)保護のための購入禁止令は、我々に残された最後の森林からの伐採を削減するために、持続可能な代替案として、提案されたものである。
  • 1999年6月、市政監視委員会は、市の全ての機関と部局、及びサンフランシスコ市内の全ての医療機関は、環境と人間の健康を保護するために、水銀の使用を排除する決議を全会一致で採択した。これにより、サンフランシスコ市及び郡で水銀温度計の販売を禁止する市の条例が出された。
訳注:
項目番号としてのF,項のダブりはオリジナルの白書の中でのダブりです。

 はじめに
 T.なぜ今、予防措置か
 U.予防原則の歴史
 V.有機的な原則としての予防措置
 W.予防措置と経済性

 参照
V.有機的な原則としての予防措置


 地方や地域での予防措置に関する取り組みはまだ初期の段階である。サンフランシスコの予防原則を取り入れた環境法の採用及び特定の実施政策は、他の自治体が予防措置を環境政策においていかに統一原則として用いるかのよいモデルとなるであろう。この原則は支配的な指針として用いられる時に、最も威力を発揮する。

 予防原則で実現される主要なことは危険に対する警戒であり、例え、科学的な不確実性があったとしても、次にタイムリーな行動を促がす。しかし予防原則だけでは環境と人間の健康を守るための政策にはつながらない。前述した多くの事例が示す様々なプロセスや行動規範が実施における参考となる。それらは有機的に絡み合っている。

A.民主主義と透明性

 危険に対し未然防止措置(preventive actions)をとるということは、誰かがその危険がどのようなものであるかを決定しなくてはならない。倫理的であり政治的であるそのような決定には、その危険を被るであろう人々が参加しなくてはならない。従って、透明性 (開放性と説明義務) と参加方式による政策決定の仕組みが重要となる。

B.予防的政策決定を支援する科学

 科学ではなく社会が政策に対する最終的な裁定者であるが、有効な科学は予防的政策にとって重要である。予防的科学のいくつかの特性は下記のようなものである。
  • 不確実性のもとでとられる未然防止措置(preventive action)においては、科学的な不確実性があるという認識を持つことが要求される。このことは透明で民主的な政策決定にとっても重要な事柄である。
  • 民主的なプロセスのような予防科学(precautionary science)は、できる限り多くの情報源からの情報収集と使用を前提とする。
  • 予防原則は複雑なシステム、それらの相互作用、及びその結果に関する科学的調査を奨励する。
  • 予防原則は、環境状態及びその変化の監視、危険に対する早期の報告、そして技術、プロジェクト、製品の影響に対する注意深い追跡が重要としている。
  • 予防原則は、生態学的に健全な技術の革新を支持している (Ackerman and Massey 2002)。

C.代替案の評価

 もし危険性がありうる製品や技術の必要性が疑わしいなら、あるいは、より安全な代替案があるのなら、社会はより良い代替案を選択することができるに違いない。
 単一の提案あるいは技術のメリットだけを評価すると、その行為は危険な影響を伴うかのどうか、どのくらい危険なのか、どの程度の危険なら許容できるのか、というような危険に対する視野の狭い問題提起に終わる。このような問題提起は結局、どのような行為も、もし危険性が高度の確実性をもって示されない限り許容できるという結論に容易に導くこととなる。
 リスク評価手法の本質は、”どのくらいの危険なら許容出来るか?”ということである。
 単純な比較を行なうことで、新たな問題が提起される。
  • もし他に代替案があるならば、これだけが本当に必要なのか?
  • なぜこのことをしようとしているのか?
  • これは最良の方法か?
  • いろいろな代替案で誰が利益を得るのか?
  • 誰がその危険の対価を払い、誰がその危険から被害を受けるのか?
  • 代替案によって、いかに被害を回避し、あるいは軽減できるのか?
  • 新たな科学によって、現在の実施方法を再評価する必要はないのか?
 サンフランシスコ市が、”環境的に望ましい購買条例”や”統合害虫駆除プログラム”で実施したように、代替案を評価する機会をもっと設ければ、その後、社会が危険な技術に巻き込まれる可能性は少なくなる。
 代替案を評価するということは、同じ様な選択肢の中から最良のものを選ぶというだけではなく、より大きな問いかけに立ち戻り、それについてよく考えることである。 − どのようにして最も安全で、もっとも栄養のある食品を作るか? 水と殺虫剤に依存する庭の芝生に替わる造園の代替案は何か? 代替案の評価を進めることで環境的に持続可能なプロセスと技術の開発を促進することになる。

D.責任所在の移行

 未然防止措置(preventive action)は、もし技術やその実施が ”有罪であると証明されない限り無罪” という危険を及ぼす側の論理に立つ限り成り立たない。このような仮定に基づくと、措置がとられる前に取り返しのつかない被害が起きることをしばしば許す。従って技術やその実施の企画者や提案者は、製品、プロジェクト、あるいは技術の安全性を実証し、維持し続ける責任を負わなくてはならない。
 透明性をもって事業を行い、製品の成分を完全に開示することはこの責任の重要な一部である。

E.目標

 目標を設定することは重要な予防メカニズムである。目標が設定されると、それに合わせて行動が修正される。目標が設定されることで、製品、技術、プロジェクトに関する政府や市民を含む企画者、使用者、関係者の責任が明確になり、各人は不適切な詮索や重箱のすみをつつくような管理をすることなく、説明責任を負うことが出来る。
 目標の設定は、クロロフルオロメタン(CFCs)の廃止や地球温暖化防止の努力といった国際的な条約や交渉において、主要な遂行手段である。スウェーデンは、危険であるとの証明がなされるかどうかに関わらず、母乳中から検出される全ての残留性有機汚染物質を排除するという目標を設定した。

 カリフォルニア州では、生物学的監視を通じて見出される化学物質による体の負荷を軽減すること、あるいは喘息やがんの発生を削減することが、予防的政策を要する目標として設定される可能性がある。

F.その他の予防的措置の機会

 好ましい予防的政策はこれらの全ての要件に基づくが、多くの政策や行為はこれらの要件の一部をある程度、実現している。包括的な政策が、環境と人間の健康及び安寧を目指した目標に導かれており、また責任と配慮の倫理に基づいている限り、行為の広い範囲が予防的となりうる。

 予防措置はそれだけ単独では機能しない。積極的なそして微妙なことであっても多くの措置を、技術やプロセスの開発段階や実施の段階の多くの時点でとることが出来るし、とらなくてはならない。それにより禁止や延期措置の必要をなくすことができるかもしれない。
 クリーン製造、すなわち廃棄物を最少にする、有毒物質の使用や排出をなくす、などは常に重要な予防的議題である。

 予防原則は、人間と環境に対する危険から守り、行為の結果についてもっと知り、適切に振舞うことに貢献する多くの行為、法律、政策に対していつでもドアーを開いている。この原則は不確実性の中で、より賢い政策決定を行なうための指針である。

 はじめに
 T.なぜ今、予防措置か
 U.予防原則の歴史
 V.有機的な原則としての予防措置
 W.予防措置と経済性

 参照
W.予防措置と経済性


 「予防原則を実施するとどのくらい金がかかるのか? 財政的に耐えられるのか?」 という問いは納税者や政治家にとって当然のことである。予防科学と同様に、予防経済も現実の世界で活動しており、関連、コスト、利益などが複雑で、不確実性に囲まれている。
 予防の”コスト”を数え上げるということは真の”価値”判断が必要であるが、それは貨幣価値での表現しか出来ない ( Ackerman and Massey 2002)。

A.責任の所在

 ほとんどの製品や技術の値札は、金銭的にも非金銭的にも、その真の価値を表すことはできない。真のコストをより精度よく計算し、コストと利益をより公正に分配する手法がいくつか開発されている。三つのコンセプトが特に有用であろう。

1) 負の外的性質

 負の外的性質 (Negative externalities) とは、個人または組織が自身の利益のために行動する時に、経済、健康、社会、文化等へ及ぼす危険性のことである。負の外的性質が存在する時には製品の全コストは製造者にも消費者にも見えない。例えば、もし製造者が有毒廃棄物を川に流したなら、その川を飲料水や水泳、あるいは漁業に利用している人々にコストが賦課される。しかし、そのコストは製造者が売る製品の値段には反映されない。
 製造者と消費者が、その製品をいくらで売るか、または買うかについて正しい決定を下すのであるならば、川に有毒廃棄物を流したことにより発生するコスト、例えば、病気、種の殺戮、あるいは生息環境の破壊、川での生計、あるいは川の利用、などが製品のコストに計上されなくてはならない。

 負の外的性質を計上する、あるいは内在化するということは、利益を上げる人々にそのコストを賦課するということである。この負の外的性質という概念は、EUの輸送に関する政策等、環境政策において重要である。EU告示 ( EU Bulletin 1.2.127 (1997))で、EUは、持続可能な輸送システムの方向へ展開するため、輸送の外部コストを内在化するという方法をに明示的に採用した。
 EUの多くの国々が内在化コストとして環境税を徴収している。例えば、オランダ水道局は、汚染事業者に、水銀、カドミウム、銅、鉛、ヒ素など排出汚染に応じた税を支払うことを要求している。これにより環境を汚染する製品や技術の値段が上昇するので、市場では汚染物質の排出を抑制しようとするインセンティブが働く。

2) ライフサイクル・アナリシス

 現座のほとんどの製造技術は、地球の天然資源の有限性と両立しない。資源は持続不可能的に採取・消費され、非効率的に処理され、製品となり、やがて廃棄される。製造プロセス中の水銀、アスベスト、鉛、塩素系物質のような有毒物質は、危険な排出物質や副産物となり、また最終製品の成分となる。

 ライフサイクル・アナリシス((LCA)は、製品の生涯の各ステージで、どのくらいのエネルギーと原材料が使用され、どのくらいの廃棄物が生成されるかを定量化する分析手法である。この LCA は、環境毒性及び化学学会やアメリカ環境保護局(EPA)などの機関が発行する指針に基づく新たな学問分野である。

 LCA は、他の数値解析ツールと同様に、もしその意図がコストを明らかにすることではなく、むしろ隠すことにあるのなら、そのような操作ができる。理想的には LCA が健康と環境への影響も見て、それらを分析してくれるとよいのであるが、健康や環境への影響を数値化することが難しいので、そのようなことはほとんどできない。
 LCA は、 ”拡大製造者責任 (extended producer responsibility)” のような本格的予防措置政策を実施する場合に最も有効である。”拡大製造者責任”とは、製造者は、製品設計の段階で排除できなかった環境への影響に対する法的、物理的、あるいは経済的責任を負うというものである。拡大製造者責任により製造者は、汚染を防ぎ、製品生涯の各段階で資源とエネルギーの使用を削減し、廃棄についても考慮するというインセンティブを持つようになる。

 他の関連概念としてライフサイクル会計の概念がある。これは初期購入費用や据付費用は比較的高価でも、保守費用、修理費用、あるいは交換費用が安価なら、長期的には出費を節約できるというものである。

3) 保証金預託

 この概念は回収ビンの預託で考えるとわかりやすい。これにより消費者はビンを最も望ましい方法(リサイクル)で処理し、もし消費者がそのようにしなかった場合でもコストは回収できる。
 保証金預託は建設や鉱山プロジェクトで適用される同様な概念である。例えば、公共の土地で採鉱する場合、採鉱者は保証金(ボンド)を事前に払い、その保証金はその土地が現状に復帰された場合にのみ、採鉱者に返還される。
 環境における保証金預託はもっと広範囲に適用され、例えば、新しい技術の開発者、あるいは社会の資源を使用しようとしている者は、危険をもたらすかもしれないどのような行為に対しても金銭的な責任を負うというものである (Cornwall and Costanza 2000)。

B.コストと節約の程度

 負の外的性質を認め、ライフサイクル・アナリシスと保証金預託を用いれば、予防措置政策の重要な面である責任の所在を適切に配置することが出来る。しかし、これらのツールに厳密さを望むことはできない。なぜなら、”コスト”は生命、健康、子孫の将来、生物種の数など数値で計算できない価値と関連するからである。しかし、予防措置を怠った時に金銭的及び 非金銭的観点から、どの程度のコストとなるのか概略をつかむ上では有用である。以下にこのツールで計算した事例をいくつか示す。
  • インファンタとディスタチオは1988年に、もしリスク評価ベースのベンゼン規制が10年遅れれば、アメリカの労働者のベンゼン暴露による死亡者は白血病で198人、骨髄腫で77人増えると推定した(EEA 2001)。
  • オランダは、オランダが1993年ではなく、もし最初に中皮種との関連が示唆された1965年にアスベストを禁止していれば、34,000人の被害者と建設費及び補償費の410億ギルダー(約200億ドル)がなくて済んだと推定した(EEA 2001)。
  • EUの新たな化学物質政策では、がんやアレルギーのような化学物質に関連する病気の発生率を減らし、また化学物質が環境に与える影響を減らすために、今後11年間で全ての既存の化学物質の完全なテストを製造者のコスト負担(推定21億ユーロ)で実施することを求めている。
    政策の著者たちは化学物質の危険な特性や使用情況は十分にはわかっていないことを認めているが、ヨーロッパではアレルギー対応にかかる年間コストは約290億ユーロであり、喘息の発症数は1970年代から40%増加していると指摘している。
    新しい政策が、例えアレルギーにかかるコスト290億ユーロをの一部を削減するだけでも、この政策によって発生するコストより大きいと結論付けている。
  • マサチューセッツ有毒物質使用削減条例(TURA)は製造企業に対し、化学物質使用量を計上し、有毒廃棄物、有毒物質の排出、有毒物質の使用を削減する計画を立案するよう求めている。1990年から1999年までに企業は化学物質廃棄物を57%削減、有毒化学物質の使用を40%削減、化学物質の排出を80%削減し、1500万ドルを節約した。この金額には定量化できない健康、安全、環境の利益などは含まれていない(Ackerman and Massey 2002, http://wwwturi.org)。
C.ビジネスにおける予防原則

 民間による研究、製品開発、ビジネス遂行において、暗示的にあるいは明示的に、予防原則と整合するようになってきている。
  • 市場に出す前の厳密なテスト、クリーン製造と廃棄物削減計画、ISO等の認証プログラムなどが予防的手法を支えている。
  • ナチュラル・ステップ(持続可能な企業用)、ハノーバー原則(建物と建築用)、グリーン・ケミストリー原則などは企業に対し、予防措置の倫理と科学について指針を与えている。全く新たな産業が持続可能原則の周囲で起き始めている。
 いくつかの企業では特定の政策の中で予防原則を明示的に引用している。
  • 2001年、予防原則を引用しながらベリゾン社(Verizon)は子どもたちによる過度な携帯電話の使用に警告を発した。
  • ブリストル−マイヤーズ スクイブ社(Bristol-Myers Squibb)は同社の研究に対する指針として下記声明を採用した。
    ”科学的不確実性だけで、環境、健康及び安全に関する深刻な脅威に取り組む努力を排除すべきではない。”
    この原則に基づき、同社はこれらの脅威への取り組み方を評価するスコアーカードを開発した。それは薬品が環境中に濃縮するのを最少にすることを求めるものである (BMS)。
 さらに、企業は早期警告に基づき危険を避けるために、科学的にはまだ不確実であっても自主的に製品やプロセスを変更している。例えば、最近多くの企業が、おもちゃ、化粧品、医療器具などに使われていた”フタレート”と呼ばれる一群の化学物質の使用を中止し、これらの用途のために代替品を開発している。これらの化学物質が人間の体に吸収されるという事実、及び動物実験では発達障害、生殖障害、その他の障害に関係しているという事実に懸念が集まっている。

 人々が危険性やより安全な代替案について知るようになったので、これらの実践は倫理的に好ましいだけでなく、ビジネスとしても賢いやり方である。21世紀の市場では、ますます安全な製品と持続可能な技術が求められる。

D.予防措置と仕事

 予防措置とともに繁栄することについて、アッカーマンとマッセイは、環境政策が強くなると経済が弱まり失業が増えるという神話を否定した。彼らの見解は下記のようなものである。
  • リサイクリングのような多くの環境保護の実施策は、埋立のような環境的に危険な実施策より多くの仕事を創出する。環境関連の仕事は地域の経済にしっかり根をおろしている。
  • 環境保護に金を使えば民間企業ではより多くの熟練を要する環境関連の仕事が増える。
  • 環境規制により大規模な就労者の一時的解雇が増えるわけではない。労働統計局によれば、年間1,000人の一時解雇の内、環境規制に起因するのはわずか1人である。一方、環境保護によりより多くの仕事が創出され、年間の仕事の正味量は増える。
  • 環境規制が、企業の環境規制の緩い国への移転に弾みをつけることはない。環境規制により発生するコストは小さく、実際には企業の歳入のせいぜい2〜3%である。賃金や市場など、他の要素が移転の主要な理由である。
 予防的政策は現在及び将来の経済を支えるものである。急速な環境関連ビジネスの発展や、即座のそして長期的な人間と環境の利益のための適切な投資などである。
 予防原則は、経済発展の必要性について疑いを持つものではない。それは人間の生存にとって必要であるだけでなく、我々のより大きな責任を我々に気付かせるものである。それは我々により多くの問いを導き出す。我々は何をしているのか? それはなぜか? その結果はどのようになるのか?
 それは責任を果たすために、最良のツールとしての人間の知識 (特に科学的知識) と行動 (技術を含む) を与えるものである。

 はじめに
 T.なぜ今、予防措置か
 U.予防原則の歴史
 V.有機的な原則としての予防措置
 W.予防措置と経済性

 参照
参照
Frank Ackerman and Rachel Massey, Prospering with Precaution: Employment,Economics, and the Precautionary Principle, Tufts University Global Development and Environment Institute, 2002.

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Treaties and agreements cited
引用された条約・協定

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Second World Climate Conference 1YB International Environmental Law 473, 475 (1990).

Stockholm Convention on Persistent Organic Pollutants, www.pops.int (2000).


The Department of the Environment would like to give special thanks to Nancy Myers of the Science and Environmental Health Network for her excellent input on this document. We were also grateful for the thoughtful and articulate comments from: Francesca Vietor and Davis Baltz, Commonweal; Tim Shestek, American Chemistry Council; Lena Brook, Clean Water Action/Clean Water Fund; Neil Gendel, Healthy Children Organizing Project; Tom Lent, Healthy Building Network; Janet Nudelman, The Breast Cancer Fund; Rachel Massey, Global Development and Environment Institute, Tufts University; Joan Reinhardt Reiss, The Breast Cancer Fund; Rona Sandler, City Attorney’s Office, San Francisco; Katie Silberman, Center for Environmental Health; Joel A. Tickner, Lowell Center for Sustainable Production, University of Massachusetts.



化学物質問題市民研究会
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