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(2003年2月27日発行)



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やはり今も変わらない警察
――ここまで嘘とは、これこそ不祥事――

日本国民救援会神奈川県本部    石川 利夫



 今、私たちは、神奈川県警の「不祥事」で、国家賠償請求裁判の支援をしています。その一つが、「保土ヶ谷事件」です。
 1997年7月18日深夜、住民の通報で駆けつけた保土ヶ谷署の警察官は、交通事故でジープ型車中に倒れていた運転者を、「泥酔者」として放置しました。その翌日19日の昼前に、別の住民からの119番通報で、その男性は救急車で病院に運ばれましたが、既に死亡していました。警察は、「運転免許証」がないという理由で、氏名不詳で受付けています。その後、司法解剖した伊藤監察医は、死因を心筋梗塞とする「死体検案書」を書きました。

 今、私たちは、以下の2点に対して、警察の責任を追及中です。
1)午前0時過ぎに、110番で駆けつけた警察官が、事故で倒れていた運転者の危険状態を当然知りえたのに、「酒酔い酩酊状態」と道路脇に移動しただけで放置して死なせた責任
2)伊藤監察医および立ち会い警察官2人は、司法解剖しないで、解剖したと称して「死体検案書」を書いたことは、「虚偽公文書作成」であること。
男性の遺族が「死亡したのは現場を警ら中だった保土ヶ谷署員二人が男性を発見しながら放置したため」などとして告訴しましたが、不起訴処分となりました。その件に対して、さる1月23日に横浜検察審査会は、2000年(平成12年)2月に検察官が出した「2放置警察官の不起訴処分は『不当』と議決、横浜地検は再捜査を開始した」と、マスコミは大きく報道しました。

 監察医が法廷に提出した「司法解剖時の被害者の臓器」が、果たして被害者のものか否かも、近く出されるDNA鑑定結果で明らかになり、警察の嘘が明らかになります。

 そうした折りも折り、「97年1月16日朝、路上酩酊者がいるとの通報で、京都九条署の警察官が駆けつけ、泥酔者を保護。容態急変で、病院に運んだが、死亡した」という事件が報道されました。保護したという場所が、シャッターもない風吹きさらしの駐車場であったにもかかわらず、「保護場所」を「パトカー」の中と書き、これを自殺や病死の場合に作る「変死体取扱報告書」に記入して、府警本部に提出していたと報道されていました。この問題は、内部告発で表面化し、府警が捜査に入り露顕したのだと、さる1月25日の新聞記事で知り、「保土ヶ谷事件」とよく似ている、と感じました。

 泥酔者を寒風の吹き込む駐車場にほったらかした九条署が、「保護した」「パトカーの後部座席に寝かせて、署員2名が監視していた」とは、恐れ入った話です。「保土ヶ谷事件」でも、深夜に警察官が行った時には、車を移動しただけで、その翌日の昼前に、身元不明で送り、遺族には別の警察官から「運転免許証」が渡されたそうです。深夜、車を移動してから、翌日病院に行くまでの約10時間の間が謎の時間です。九条署の事件でも、厳冬の朝8時55分に泥粋状態で発見されてから、夕方発表がされるまでの間、警察の中で何があったのか、その間のことが疑問です。その疑問は、いつか明らかにされることでしょう。

「保土ヶ谷事件」で法廷に提出された「被害者の臓器」なるものの「真贋」は、DNA鑑定で近く明らかになります。いくら何でも、法廷に偽物を証拠として持ち込む警察があるだろうか。私たちの想像を絶します。
「一国は一家也 政府は父母也 警察は保傳也」
という明治警察発足以来の悪しき伝統――国は絶対、官は正義――は、今も生きています。故戒能通孝先生は、新憲法施行まもなく、著書「市民の自由」の序文で、「憲法よりも法律が上、法律よりも規則が上、規則よりも・・・・・・」という戦前の考えが「公共の福祉」を梃子に、生き返りかねないと警告していました。今、この警告を痛感している者です。
(上記の原稿を寄せていただいた直後(2/14)に、「保護男性凍死 組織的に不正」「現場急行もうそ」という見出しの横で、深々とアタマを下げている京都府警石川威一郎警務部長の写真が新聞に載りました。添付資料を参照してください。――編集子)

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