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オーケストラは素敵だ

(93/10/3初出掲載)


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 書き下ろしの楽器紹介がとんでもなく秀逸。現場の人間でなければ絶対にわからないような「ツボ」がおさえられていて、どんな教科書よりタメになることは必至。わたしはこの本で初めて「ヘッケルフォーン」という楽器を知り、おかげで「惑星」のバスオーボエについてもいっちょうまえに蘊蓄を傾けることができました。
 次の引用は、私が最も感動したエピソードです。
 このツアーで1番オーボエを吹いたのは、ヘダ・ロトヴァイラーという女流オーボエ奏者であった。その人物が、おれを徹底的にしごき抜いたのである。
まず、チューニングのときの「A」からして、いつまでも許してくれない。幾度も幾度も、彼女の「A」と合わさせられる。「A」以外の音をぱら、などと吹こうものなら、すぐこっちを振り向く。ヤスミのときも、音楽に合わせて体をゆすったら叱られる。指を折って小節を数えてもいけない。楽屋で音出しするのも、そーっと、必要最小限にとどめる。音楽に行く遙か手前でこれである。演奏に入ってからの注意の厳しさ、細かさはもう想像を絶するものであった。音量、音程、アタック、音色はもう毎度のように直されたが、まず徹底的にたたきこまれたのは、
「まわりを聞くこと!」
 おれだってなにも、まったく聞かずにやっていたわけではないが、自分が16分音符のコロラトゥーアのさなかに、別の声部のやっていることを聞き分けて、そこにぴったりはまるように自分の音程、スピードを、しかも顕微鏡的精密度でコントロールせよ、と言われては、当時のおれには不可能としか思えなかった。そんな水準の演奏を経験したことがなかったし、そんなことが必要と考えたことさえなかった。それらを決して中途半端にせず、何度でも、何日でも、何年でも(本当である)、諦めず、しつこく、同じことを注意しつづける忍耐を、ヘダは持っていたのである。おれはツアー3日目くらいでもう完全に音をあげた。最後にはもうこのツアーを放棄してミュンヘンに帰ろうか、いや、もう日本に帰ろう、オーボエを止めようとまで思った。
 しかし、なぜかおれはそれをしなかった。
今、おれは思っている。
「あのときに自分は、三流の音楽家として一生を送る危険から、あるひとりの人物の、信じがたい能力と、信念と、経験と、忍耐とによって、救い出された。」       今もし「あのときのおれ」が、おれの仕事のパートナーとして現れたらおれはヘダがあの時見いだしたと同じくらいの問題点を、すぐさま「彼」のなかに見つけるだろう。楽屋で関係ない曲をでっかい音でさらい(聞かせたいのだ)、チューニングもせずにぱらぱらと意味のない音を出し、体をやたらにゆすり、指揮のマネをし、大きく指を折って勘定する。まったくあたりを聞いていず、自分の音程やタイミングが完璧に合った経験そのものがないものだから合っていないことにすら気付いていない。今のおれはこの男を見て、「このまんまじゃ、ぜんぜん使い物にならない!」と思うだろう。しかし、それを、あのときのヘダのように、徹底的に、何年もかけて、直してやろうとするだろうか、自信はない。
 ヘダはそれをしてくれた。(p114117より抜粋転載)

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