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続・オーケストラは素敵だ

(95/7/2初出掲載)


表紙の写真

 何といっても、ドイツでオーケストラのオーディションを受けた時のリアリティあふれる描写には、引き込まれないわけにはいきません。実際に体験した人にのみ語れることですが、なおかつ客観的に、さらには読者へのウケまでもが計算されつくされている表現能力には完全に脱帽です。
 演奏旅行のレポートでも、次のような的確な描写で、名指揮者の作りだす音楽の秘密を私たちに伝えてくれています。

 デュトワは拍手とともに指揮台にあがり、英語で短いスピーチをした。
 「さっちあおもわぬトラブルで遅れてしまってそーりー。ばっと、えにしんぐういるびーOK。今、ちょっと練習をすればでぃすいぶにんぐ良い演奏がますとびーできるからね。ああ、それから、今度常任指揮者に招いていただいてありがとう。あいむ、べりーぐらっど。素晴らしい仕事をしてゆきましょうとぅぎゃざー」
 にこり、と笑うと楽員から大きな拍手が沸き起こった。
 「さ!練習を始めよう。今はさっとランスルー、本番ばっちり、という段取りね。まず、マーチ、プリーズ!」
 にこやかだった楽員の表情がさっ、とひきしまり、つぎの瞬間にはあの不気味な六連符、ホルンの低音によって幻想の第四楽章、「断頭台への行進」が開始された。
 さすがだ。ここで正直に、遅い音楽である交響曲の「冒頭」からリハーサルを始めるのではダレるのだ。
棒を楽に持ち、両方のひじをいらだたしく前後してテンポを煽ってくる。パウケやトロンボーンのスビト・フォルテがびっくりするような音量に跳ね上がる。低弦に、弓をもっともっと使うしぐさ。快適なテンポにのって、みるみるうちにダイナミックスが二倍、三倍にふくれあがっていく。すべての、ベルリオーズがはるか昔にかすれるインクで書き付けた小さな文字、音符たちが命を持ち、躍り、そして、文章として、論理として機能しはじめる。きのうまでのオケは、ただ、眠っていたかのようだった。
 二階席で見ていたおれは、あまりのことに全身をトリハダにつつまれた。完全にオケのサウンドがデュトワの物に変わった、と思った瞬間に時計を見た。十五時一分!たった、たった、一分。六〇秒で、この指揮者は自分のなすべきことのうち、最も難しいことのほとんど、つまり、オケから自分の音を引き出すことを、なしとげてしまったのだった。デュトワは、トラブルによるぎりぎりのタイム・リミットを、音楽の緊張感に変えていまうという錬金術を演じてみせたのだった。(p210212より転載
)

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