ジョン、軽視。.... 佐久間學

(16/1/14-16/2/2)

Blog Version

2月2日

BACH
Harpsichord Concertos Vol.3
Trever Pinnock, Marieke Spaans, Marcus Mohlin(Cem)
Katy Bircher(Fl)
Lars Ulrik Mortensen/
Concerto Copenhagen
CPO/777 681-2


バッハのチェンバロ協奏曲のうち、2003年ごろに第1集、2005年に第2集として、ソロ・コンチェルトを録音していたモーテンセンとコンチェルト・コペンハーゲンが、2011年と2013年に残りの2台、3台、4台のチェンバロのための協奏曲を録音した2枚組CDがリリースされました。チェンバロを弾いているのはもちろん指揮者のモーテンセンですが、今回はそこに彼のロンドン時代の師、トレヴァー・ピノックというビッグ・ネームが加わっています。
これらのチェンバロ協奏曲は、すべてライプツィヒ時代に作られたもので、ほとんどのものは1730年代の作品です。つまり、かつては「宗教曲の時代」とされていたライプツィヒ時代では、聖トマス教会のカントルとしての「本業」には、バッハ自身は必ずしも満足してはおらず、責務であった毎週のカンタータの演奏でも1730年代になるともはや新作はほとんど作らず、他人の作品を使ったり過去に演奏したものの再演でお茶を濁すようになってきます。
そして、このころから彼が熱心に取り組んでいたのが、「カントル」ではなく「楽長」としての活動です。ライプツィヒにはテレマンが創設した「コレギウム・ムジクム」という、プロの音楽家や学生などが集まった演奏グループがあり、ゴットフリート・ツィンマーマンという人が店主を務めるコーヒー店で毎週コンサートを開いていましたが、バッハは1729年にそこの「楽長」に就任するのです。このコンサートはツィンマーマンガ亡くなる1741年ごろまで続けられました。
そこでバッハが演奏したのが、いわゆる「コーヒー・カンタータ」として知られるBWV211や、「フェーブスとパンの争い」というサブタイトルのBWV201といった世俗カンタータや、ケーテン時代に作りためた多くの作品と、それらを含めた以前の作品を装いも新たに作り直した作品群です。このCDで演奏されているのも、そのようにして生まれた複数のチェンバロのための協奏曲です。2つのヴァイオリンのための協奏曲BWVBWV1043を作り直したBWV1062や、元のオーボエとヴァイオリンのための協奏曲の形に復元(オリジナルの楽譜は消失しています)されて演奏されることも多いBWV1060などは、オリジナルの形とともに有名になっていますね。
中には、4台のチェンバロのための協奏曲BWW1065のように、ヴィヴァルディの4つのヴァイオリンのための協奏曲を作り直したものなどもありました。これらの協奏曲では、もちろんバッハ自身と、彼の息子たち、さらに弟子たちが加わって和気あいあいとした中で演奏が繰り広げられていたのでしょう。このCDでも、ピノックを始めとしたソリスト同士の丁々発止のやり取りは、そんな雰囲気が伝わってくるような楽しげなものでした。
その他に、フルート、ヴァイオリン、チェンバロのための協奏曲BWV1044も演奏されています。これも、第1楽章と第3楽章はクラヴィーアのための「プレリュードとフーガ」BWV894、第2楽章はオルガンのためのトリオソナタBWV527の第2楽章が編曲されたものです。ここでフルートを吹いているのが、この間の「ロ短調」でも素晴らしいソロを聴かせてくれたイギリスのフルーティスト、ケイティ・バーチャーです。なんでも彼女はあのジェームズ・ゴールウェイから大きな影響を受けて、最初はモダンフルートを勉強していましたが、大学を卒業するころにバロック・フルートに目覚めたのだそうです。
彼女の演奏からは、この楽器の演奏家にありがちなストイックなところは全く見当たらず、もっと開放的なパッションを感じるのは、そんな経歴のせいかもしれませんね。現在はこのコンチェルト・コペンハーゲンの正規メンバーですが、以前はマクリーシュのガブリエリ・コンソートの首席奏者も務めていました。たしかに、「マタイ」でもソロを吹いていいましたね。この協奏曲でも、3つのソロ楽器だけで演奏される第2楽章は絶品です。ブックレットの写真を見ると、彼女は別嬪です。

CD Artwork © Classic Produktion Osnabrück


1月31日

LES AUTOGRAPHES VOCAUX
V. d'Indi, C.-M. Widor, J.-G. Ropartz,
H. Büsser, F. Schmitt, G, Hüe,
A. Roussel, D. É. Ingheobrecht/
l'Orchestre des Concerts Pasdeloup
TIMPANI/1C1201


フランスのマイナーな作曲家のマニアックな曲を専門に録音しているレーベルが、TIMPANIです。ひところクセナキスの作品のCDが大きな話題になったことがありますが、ギリシャ生まれのクセナキスはフランスに帰化しているので堂々と「フランス人」としてここに登場しているのです。
それを日本国内で扱う代理店はかつては東京エムプラスでしたが、2012年の末頃にはナクソス・ジャパンに替わっています。そんなわけですから、交替のゴタゴタでその頃リリースされたアイテムが販売ルートに乗らずに倉庫に眠っているという状況が起きているため、それらを改めて新しい代理店がきちんとインフォを付けて売りさばこうとしているようです。
そんな「在庫処分品」の中に、こんな珍しいものがありました。1930年から1931年にかけて録音された、その当時まだ元気に活躍していた作曲家が自作のオーケストラ曲を指揮した録音を集めたものですが、何よりも貴重なのが、それぞれの演奏の後にその作曲家自身がその曲について語っている声が録音されているということです。
もちろん、その頃はTIMPANIはまだ出来ていませんでしたから、その録音を行ったのはフランスの「パテ」というレーベルです。そもそもは1896年にエミール・パテという人がエディソンのシリンダー式蓄音機をフランスで販売するために作った会社で、そのソフトであるシリンダーの録音も幅広く行っていました。ほどなく、シリンダー式の蓄音機は平板式の蓄音機にとってかわられるようになり、パテも平板、いわゆる「SPレコード」を生産するようになります。ただ、その前にベルリナーが発明していたSPレコードは音の振動を溝に対して「水平方向」に記録するという、その後LPにも引き継がれる方式を取っていたのに対し、パテはあえて、それまでのシリンダーで採用されていた「垂直方向」のカッティングにこだわりました。これは、エディソンが平板方式に転換した時に採用したもので、音信号を上下動に変えてカッティングを行うという方式です。このレコードの再生にはサファイアが先端に付いた針を使用したので、これは「サファイア・ディスク」と呼ばれていました。さらに、このサファイア・ディスクでは、音溝は内周から外周に向かって切られていました。
1927年にはフランスでもそれまでの「アコースティック録音」に替わって「電気録音」が採用されることになります。パテは、この時点では「垂直方向」と「水平方向」を並行して使用していました。
このCDに収録されているのは、パテもすでに世界基準であった「水平方向」のディスクのみを生産するようになったころの音源です。「オーケストラと、声によるサイン」というシリーズのSPの現物から、「板起こし」でトランスファーされたものです。浅草名物ですね(それは「雷おこし」)。ブックレットにはカタログナンバーと、マトリックスナンバーが記されています。ダンディ、ヴィドール、ロパルツ、ビュッセル、シュミット、ユー、ルーセル、アンゲルブレシュトといった錚々たる作曲家たちが指揮をするのは、何も表記はありませんが、当時アンゲルブレシュトが指揮者を務めていたフランス最古のオーケストラ、コンセール・パドルーに間違いないということです。
その、今から85年も前に録音されたものは、サーフェス・ノイズこそうるさいものの、演奏の内容はしっかり味わうことのできるとても素晴らしい音でした。なにより、これらは編集のきかない「一発録り」なので、現場の緊張感まで伝わってくるようです。そして、自作の演奏を終えた直後のそれぞれの作曲家の肉声が、また個性的でうれしくなります。高齢の方が多いのでぼそぼそとしゃべる人が多い中で、ロパルツはとてもはっきりした大きな声、ルーセルは早口でキンキンした声でとても目立ちます。アンゲルブレシュトがまるでオカマのようなしゃべり方だったのも印象的です。

CD Artwork © Timpani


1月29日

MOZART
Requiem
Edith Mathis(Sop), Trudeliese Schmidt(MS)
Peter Schreier(Ten), Gwynne Howell(Bas)
Colin Davis/
The Bavarian Radio Symphony Orchestra and Chorus
ARTHAUS/109180(BD)


ドイツの映像レーベルARTHAUSが、「ハイレゾ・オーディオ」と銘打ったBDを何枚かリリースしました。すべて、音声トラックは24bit/192kHzのPCMによって提供されているため、「スタジオのマスターテープのピュアなサウンドを体験できる」ようになっているのだそうです。ご存知のように、BDやDVDの音声フォーマットは、最初からそのぐらいのハイレゾ仕様になっていましたから、「DVDオーディオ」や「BDオーディオ」といったハイレゾのパッケージが実現できているわけです。それをいまさらわざわざ「ハイレゾ」ということは、今までは映像ソフトではせっかくあったそういうフォーマットを活用していなかったということなのでしょう。だから「の持ち腐れ」と言われても仕方がありません。
そんな、「今までのBDとは音が全然違う」と言わんばかりのこのシリーズ、そこまで言われれば聴いてみないわけにはいかないじゃないですか。その中に、コリン・デイヴィスが指揮をしたモーツァルトの「レクイエム」があったので、さっそくチェックです。
しかし、もちろんこれは以前LDで出たこともある昔の映像です。収録されたのは1984年、その頃ならすでにオーディオの世界ではデジタル録音も始まり、CDもそろそろ普及し始めたあたりですからとても素晴らしい音を聴くことができるようになっていましたが、映像の世界ではそうはいきませんでした。基本的に、こういうものは放送用に収録されたものが横流しされてパッケージとして販売されたものなので、当然、それらはごく普通のテレビで見られ、聴かれることを前提にして作られていますから、音声トラックはとてもしょぼいものだったはずです。
画面については、BDにする意味が全くない、お粗末なものでした。肝心の音声では、メニューで今までの標準だった48kHzと、「ハイレゾ」を謳っている192kHzが切り替えられるようになっていますから、今回どの程度改善されたかを比較することが出来ます。ただ、元の音はあちこちで派手にドロップアウトが起こっている上に、オーケストラだけの時にはそこそこ繊細な音がしているものの、合唱が入ったとたんに完全に音が飽和してひずんでしまっています。そのような音ですから、いくらハイレゾになったからと言って、根本的に改善されるわけはないのですが、やはり、「より、元の音に近い」音に変わっていることは確認できます。それが一番はっきり分かるのが、「Tuba mirum」冒頭のトロンボーンのソロです。ハイレゾでは、この楽器の神々しいばかりの響きをしっかり味わうことが出来ましたが、48kHzになると、その輝きが消えてしまっているのですね。元の録音がもっとちゃんとしたものであれば、この違いはよりはっきりしてくるのではないでしょうか。
これで、手元には、デイヴィスの指揮によるこの曲のソフトが4種類揃いました。それらを聴き比べてみると、彼が使っているのは一貫してジュスマイヤー版なのですが、最初は楽譜通りに演奏していたものが、後に少し手を入れていることが分かります。それは次の2か所。まずは「Dies irae」。トランペットとティンパニのリズムが何か所かで変更されています。


そして、「Rex tremendae」では、最初の小節の管楽器の合いの手がカットされています。
さらに、これは楽譜の問題ではなく、演奏様式の違いですが、「Tuba mirum」のソリストのパートに付けられた前打音の解釈が、年代によって八分音符のものと四分音符のものがあります。
これらをまとめると、こうなります。
「Rex tremendae」では後の修復稿からはすべてこの管楽器はカットされていますから、そのあたりをしっかり取り入れるようになったのでしょう。前打音については、まさに演奏様式の「流行」が敏感に反映された結果でしょうね。確かに一時期、ピリオド陣営からは「このように演奏すべきだ」という主張が上がっていたことがありましたが、それも今では過去のものになった、ということなのでしょう。

BD Artwork © Arthaus Musik GmbH


1月27日

ORFF
Carmina Burana
Sheila Armstrong(Sop), Gerald English(Ten), Thomas Allen(Bar)
André Previn/
St. Clement Danes Grammar School Boys Choir
London Symphony Orchestra & Chorus
WARNER/WPCS 13329(hybrid SACD)


かつて「EMI」と呼ばれていたイギリスのレーベルは、SACDのようなハイレゾのソフトには消極的な姿勢を示していました。しかし、なぜかその日本の子会社は、2011年ごろから積極的にハイブリッドSACDをリリースするようになりました。その際には、オリジナルのマスターテープが保存されているEMIの「アビーロード・スタジオ」のエンジニアに、デジタル・トランスファーとマスタリングを依頼していたのです。最初はそれはあくまで日本の顧客向けの仕事だったのでしょうが、しばらくするとEMI自体がそのマスターを「横流し」して、自社製のハイブリッドSACDをリリースするようになりました。もっとも、それは一過性のもので、その後EMIがSACDに手を出すことはなくなったようでした。もっとも、その頃はそんなことよりもっと重大なことが、このレーベルを襲おうとしていたのですけどね。
そんな、本社の「買収」という歴史的な事件が起こる前後に、日本の子会社からは今度はシングルレイヤーのSACDが発売されることになりました。ちょっと値段も高めの、マニア向けのアイテムです。ですから、これらのアイテムは、「EMI」名義と「UNIVERSAL」名義でリリースされることになりました。なぜかEMIでは「SACD」だったものが、UNIVERSALになると「SA-CD」と表記されるようになっていましたね。
その後、2013年にはEMIの中のPARLOPHONEレーベルだけが切り離されてWARNERに買収されてしまいます。その中にはクラシック部門のカタログがすべて含まれていましたから、クラシックに関してはすべてUNIVERSALからWARNERへ移ったことになります。その際、「EMI」というロゴはUNIVERSALに残っていたのでもはや使うことはできなくなり、今までEMIとして知られていた膨大なカタログにはすべてWARNERのロゴが、さらに、以前EMIに買収されていたVIRGINレーベルは、それまでWARNERが持っていた「ERATO」レーベルに移行されることになります。こうなると、もうなにがなんだかわかりませんね。
そんな買収劇が一段落して落ち着いてきたころになって、日本のWARNERではまたハイブリッドSACDのリリースを始めました。その中で、最近プレスされたLPで聴いていたプレヴィンの「カルミナ・ブラーナ」があったので、聴いてみることにしました。公式サイトを見るとEMI時代と同じように、アビーロード・スタジオにマスタリングを依頼したようなことが書いてありますが、製品には単に「2015年リマスター音源使用」としか書かれてはいません。これは、単なる書き忘れでしょう。よくあることです。
その代わり、と言ってはなんですが、ライナーノーツはきちんとこのSACDのために新たに書き下ろされたものでした。もっとも、それはほかのノーマルCDに見られるような、とことん次元の低い読み物でしかありませんでした。こんなところでこのアルバムがLPで発売された時に音楽雑誌で批評を書いていた音楽評論家(故人)をこき下ろすなんて、まさに「下衆の極み」でげす。この、満津岡信育という、ツイッターでは「音楽評論家(自称)」と名乗っている人物は。
LPを聴いた時にはノーマルCDしかなかったので、その音には感激していましたが、このSACDを聴いてしまうとそんな感想も変わってしまいます。LPは外周ではそれほど遜色はないのですが、やはり内周に行くにしたがって音が平板になってしまいます。特にB面の最後に1曲目と同じものが繰り返される時には、そのあまりの音の違いに呆然となってしまいます。そもそもLPの片面に30分もカットするのは、オーディオ的には無理な話なのです。ですから、そんな失望を味わわなくても済むように、これからLPを出すときにはハイレゾ時代に対応して片面の収録時間を短くしてもらっていいですか?あるいは45回転にするとか。その分枚数が増えるのは仕方がありません。現に、音にうるさい山下達郎は、昔は1枚だったアルバムでも、リマスター盤を再発する時には2枚に分けてカットしていますからね。

SACD Artwork © Parlophone Records Limited


1月25日

Suliko
Wanja Hlibka/
Don Kosaken Chor Serge Jaroff®
PROFIL/CD PH15034


このタイトル「スリコ」というのは、有名なロシア民謡です。そもそもはグルジアの民謡だったようですが、旧ソ連圏を含めて「ロシア民謡」と呼ばれています。そもそも、「グルジア」も今では「ジョージア」と言わなければいけないのですから、その辺は大雑把で構わないでしょうね。あ、お餅の入ったスイーツではないですよ(それは「シルコ」)。
それよりも、注目したいのはここで演奏している合唱団の名前です。ドイツのレーベルから出たCDなのでドイツ語表記になっていますが、これは「ドン・コサック合唱団」、しかもそのあとに「セルゲイ・ジャーロフ」という名前がくっついていますね。もちろん、これはこういう名前の合唱団を創設し、長年にわたって指揮者を続けていた人物の名前です。というか、ある年代以上の人たちにとっては、「ドン・コサック」といえば「セルゲイ・ジャーロフ」と、まるで「SMAP」と「キムタク」のようにワンセットで認識されている言葉同士でした。
ロシア革命によって祖国を追われたコサックたちを集めて、ジャーロフが男声合唱団を作ったのは、1921年のことでした。その後彼らはアメリカに帰化し、コンサート・マネージャーも付いて世界中でコンサートを開くような有名な合唱団となります。ジャーロフは、1979年までこの合唱団の指揮者を務めていましたが、1985年に亡くなりました。その少し前、1981年に、この合唱団のすべての権利を、マネージャーのオットー・ヘフナーに譲っています。
しかし、ジャーロフの死後、「ドン・コサック合唱団」を名乗る団体がたくさん現れ、「本家」の影が薄くなるという事態が起こります。良くあることですね。しかし、1991年に、オリジナルの「セルゲイ・ジャーロフのドン・コサック合唱団」で12年間ソリストを務めたワーニャ・フリプカが中心となって合唱団が再結成され、2001年にはヘフナーが持っていた権利もフリプカに譲られて、文字通り「直系」の「ドン・コサック合唱団セルゲイ・ジャーロフ®」が世界中で活躍するようになったのです。これは、彼らが2015年の1月に、ドイツの教会で録音したものです。
実は、ジャーロフが指揮をしていた時代のこの合唱団を、実際に生で聴いたことがありました。その時の印象は細かいところはもう曖昧になっていますが、とにかくハイテンションの、ひたすら叫び続けているだけのようなものだったことだけは覚えていました。それが、今回このCDを聴いたことによって、そんなぼんやりとした印象が、いきなり鮮明に蘇ってきたような、不思議な感覚にとらわれました。これを、あの時に聴いていたんだ!みたいな感じでしょうか。
それはもう、今の耳ではとても「合唱」とは呼べないような代物でした。歌っている人たちは、誰一人として他の人と合わせようとはしていないんですからね。ひたすらビブラートたっぷりの声を張り上げるだけ、もちろんアインザッツなんか決まるわけがありませんし、いったいどこがハモっているんだ、という恐るべきものでした。ところが、しばらく聴き続けていると、その中に得も言われぬ魅力が感じられるようになってくるのです。おそらく、ここには本当の意味での「魂の叫び」のようなものがあるのでしょう。そこからはハーモニーやメロディを超えたなにかが伝わってくるのですよ。確かに、それがあるからこそ、この合唱団は1世紀近く世界中の人々を魅了し続けることが出来たのでしょうね。
カラヤンが1966年にチャイコフスキーの「1812年序曲」を録音した時には、冒頭のヴィオラとチェロのアンサンブルによるロシアの聖歌をこの合唱団に歌わせていました。それと同じものが、ここでも歌われています。天空に突き抜けるファルセットのテナーと地を這うようなオクタヴィストのベースはまるで世界を揺るがすよう。カラヤンはここに確かな「ロシアの心」を感じていたのかもしれません。

CD Artwork © Profil Medien GmbH


1月23日

SILVESTROV
Sacred Choral Works
Sigvards Kļava/
Latvian Radio Choir
ONDINE/ODE 1266-5(hybrid SACD)


1937年といいますから、あのペンデレツキの数年後に生まれたウクライナの作曲家、ヴァレンティン・シルヴェストロフの、最近の無伴奏合唱曲を集めたアルバムです。ロシア料理みたいな名前ですね(それは「ストロガノフ」)。この方はペンデレツキ同様、この世代の作曲家にありがちな作風の転換が激しかった人のようですね。1960年頃の作品をちょっと聴いてみましたが、もろ12音のとんがった音楽、まさにあの時代の「現代音楽」のムーヴメントの只中を突き進んでいた、という印象を強く受けました。そしていつのころからか、中世やルネサンスの音楽や、民族的な素材に目を向けてガラッと変貌する、というありがちなパターンをこの人もたどることになったのでしょう。
このアルバムに収録されている作品の大部分は、2005年から2006年にかけて作られたもの、ここではそのような作風がとても洗練されていった結果、いともすがすがしい、言い換えれば毒にも薬にもならないようなものが大量に生産され始めている、という気が強くします。結局、あの頃の「現代音楽」はなんだったのかという疑問が深まる材料がまた一つ増えたことになるのでしょうか。
おそらく、それを聴くものとしてはそのような「過去」とはきっぱり縁を切った、今の時代に心地よく受け入れられるとても豊かなハーモニーとメロディラインを持つ「合唱曲」としてこれらを味わい、相応の「癒し」なり「快楽」を得るというのが正しい道なのでしょう。そういう聴き方に徹する限り、これらの作品はとても美しいものに思えます。
一番ウケた(いや、心を打たれた)のは、2006年に作られた「夕べ」、「朝」、「夜」の3つの曲から成る「アレルヤ」の3曲目でしょうか。流れるような6/8の拍子に乗って歌われるのはとてもキャッチーなメロディ、それを彩る和声もsus4を多用した、頻繁にテレビドラマのバックに流れる音楽に登場するお馴染みのものでした。他の作曲家で言えば、たとえばジョン・ラッターとか、日本人だと信長貴富などの作品から感じられる「美しさ」のエキスのようなものがふんだんに織り込まれています。ハ長調で一旦終わったものが、続く「アーメン」ではいきなりホ長調に変わり、それがsus4の9thみたいなテンションコードで終止するという「意外性」まで兼ね備えていますからね。
なによりも、ここで歌っているラトヴィア放送合唱団が、そのような「美しさ」を余さずに伝えようとしている姿勢には、感動すら覚えます。写真で見るとかなり高齢の人もいるようですが、そこからは若い人だけでは決して出すことのできないよく練られた音色が醸し出されています。ハーモニー感も申し分なく、やや残響が過剰気味な教会のアコースティックスの中で、得も言われぬ豊潤な響きを作り出しています。その残響があるために、ハーモニーの変わり目でも前の音が残っていて、2種類の和音が同時に聴こえてきてある意味クラスターのような効果をもたらしているのも、おそらく彼らなりの計算なのでしょう。
先ほどの「夜」にも登場していたテノールのソリストは、そんな合唱の中で完全に主観を排した、いとも存在感の薄い歌い方に徹していました。そのほかの曲でのソリストたちも、全てそのような歌い方、そこからは、もはや音楽というものからは「主張」などというものは必要ないのだという、今の時点での作曲家の信条がとても強く感じられます。それは、このアルバムの中での唯一の前世紀(1995年)に作られた「二部作」という曲では、しっかりフル・ボイスで歌い上げるようなところがあることから、少し前とは微妙に音楽に込める気持ちが変わっているようにも思えるからです。ただ、この中の2曲目「遺言」の最後に現れるソプラノ・ソロとテノール・ソロとのしっとりとした掛け合いには、思わず泣けてきます。このあたりの情感の上澄みだけを掬い上げたのが、残りの今世紀の作品群なのかな、と勝手に推測させてください。

SACD Artwork © Ondine Oy


1月21日

MOZART
The Weber Sisters
Sabine Devieilhe(Sop)
Raphaël Pichon/
Pygmalion
ERATO/0825646016259


フランスの新進オペラ歌手、サビーヌ・ドゥヴィエルの新しいCDです。しかしこのドゥヴィエル嬢のかわいらしいこと。歌なんか聴かなくても、このジャケットだけでCDが欲しくなったりしませんか?
バロック・オペラの歌い手として売り出した彼女は、2013年にラモーのアルバムでこのレーベルからデビューしましたが、今回はモーツァルトの「ウェーバー姉妹」というタイトルのアルバムです。モーツァルトの伝記には必ず登場するヨゼファ、アロイジア、コンスタンツェの「ウェーバー三姉妹」、もちろんコンスタンツェは妻、アロイジアはモトカノですが、モーツァルトは彼女たちにそれぞれの思いを込めていくつかの曲を作っています。それらを集めたのが、このアルバムです。
曲目の構成もちょっと凝っています。全体は4つのコーナーに分かれていて、最初は「プロローグ」として4つのトラック、そしてそのあとにそれぞれの女性の名前を付けた3つのコーナーが続きます。それらは、やはり4つずつのトラックが用意されているのですが、なぜか最後のコンスタンツェだけ3つしかありません。なぜなのでしょう?
「プロローグ」では、全体の序曲ということで、「レ・プティ・リアン」の序曲が演奏されています。そこで、この初めて聴く「ピグマリオン」というピリオド楽器のオーケストラの音を味わうことが出来ます。このアンサンブルは、2006年にここで指揮をしているラファエル・ピションによって創設されましたが、元々はバッハの声楽作品を演奏するためのもので、メンバーには合唱団と楽器のメンバーが両方とも含まれています。今ではレパートリーは大幅に拡大されて、あらゆる国のバロックからロマン派の作品が取り上げられています。趣味のよいサウンドで広がるその演奏は、ピリオドとはいっても一部の人にしか受け入れられないような極端な表現は皆無で、とても耳あたりの良いものでした。
序曲に続いて聴こえてきたのが、無伴奏のドゥヴィエル嬢の声。とても澄んだ響きで歌い出したのは、なんとフランス民謡の「Ah, vous dirais-je maman」ではありませんか。いわゆる「キラキラ星」として知られている、モーツァルトが変奏曲を作ったことで有名な歌ですよね。これを、ドゥヴィエルは言葉を大切にしてとてもドラマティックに歌っています。そこにはいつの間にかフォルテピアノの伴奏が入っていましたが、歌が終わると今度はオーケストラも加わって、なんと「パンタロンとコロンビーネ」というパントマイムのための音楽が始まりましたよ。確かにこれは「キラキラ星」とよく似た音楽ですから、無理なくつながります。こんな面白いアレンジを行ったのはヴァンサン・マナックという作曲家。彼のそんなちょっとしたいたずらは、このアルバムの中で何度も登場します。
ドゥヴィエルのすばらしさは、ヨゼファが歌うために作られた、「魔笛」の夜の女王のアリアを聴けば分かります。コロラトゥーラのテクニックは万全、余裕をもって軽々と歌うのは当たり前とばかりに、その難しいフレーズを「エコー」にして繰り返すなどという超絶技巧まで披露してくれますよ。楽しみな新人が現れました。
さっきの、コンスタンツェのコーナーだけトラックが3つというのは、最後のハ短調ミサの「Et incarnatus est」(これも、素晴らしい演奏です)が終わっても「針を上げないで」しばらく待っていると謎が解けます。そこにはもう一つ「隠しトラック」があったのです。それは、合唱も加わって盛大に盛り上げる6声のカノン「Leck mich im Arsch」です。これを「言葉を大切に」歌っているドゥヴィエルの姿には、ある種ブキミなかわいさがあります。そして、この「ド・レ・シ・ド」というテーマから、「ド・レ・ファ・ミ」という、よく似たテーマを持つハ長調の交響曲の終楽章風に仕立て上げたのも、ヴァンサン・マナックの仕事。このアルバムは壮大に「尻をなめて」幕を閉じるのです。

CD Artwork © Parlophone Records Limited


1月19日

ALBERTO GINASTERA
Karl-Heinz Steffens
Deutsche Staatsphilharmonie Rheinland-Pfalz
CAPRICCIO/C5244


2001年から2007年までベルリン・フィルの首席奏者を務めたクラリネット奏者のカール=ハインツ・シュテファンスは、在籍中から指揮者としての活動を行っていました。現在のポストは、このCDで指揮をしているラインラント=プファルツ州立フィルハーモニー管弦楽団の首席指揮者です。
シュテファンスと彼のオーケストラは、このCAPRICCIOレーベルに、ドイツランドラジオとの共同制作で「Modern Times」というシリーズのCDを録音しています。今までにツィンマーマン、ダラピッコラ、デュティユーとリリースしてきて、今回はヒナステラです。
アルベルト・ヒナステラは、アルゼンチンのクラシック作曲家としては、ほとんど唯一広く名前が知られている人なのではないでしょうか。もっと有名なのがアストル・ピアソラですが、こちらは「クラシック」というよりは「タンゴ」という単語で語られる方が多いでしょうし。
このCDでは彼の様々な時期の作品が万遍なくちりばめられていますから、ヒナステラ未体験の方にもとても役に立つはずです。なんでも、彼の作品は、作曲された時期によってかなりスタイルが違っているそうなのですね。それは3つの時期に分かれていて、1934年から1947年が「客観的ナショナリズム」、1948年から1957年が「主観的ナショナリズム」、そして、1958年から始まるのが「ネオ表現主義」の時代なのだそうです。
ですから、まず1943年に作られた「クリオールのファウストのための序曲」が、そのような、民族音楽の素材をそのまま音楽の中に用いるという「客観的ナショナリズム」のスタイルによる作品ということになります。これは、アルゼンチンの作家スタニスラオ・デル・カンポが、ブエノス・アイレスのテアトロ・コロンでグノーの「ファウスト」を見た時の様子を方言で書いた「クリオールのファウスト」に、作曲家がインスパイヤされて作られた作品です。この中には、グノーの「元ネタ」と、アルゼンチンの民族音楽が素材として用いられています。
同じ時期、1947年に作られたのが、太陽の息子オランタイについてのインカの伝承を元にした「交響的三部作『オランタイ』」、こちらも、民族的な響きとリズムに支配された作品です。
それが、「主観的ナショナリズム」の時代になると、作風がガラリと変わります。ここでは、民族的な素材は表に出ることはなく、作曲家の中で昇華されて純粋に音楽的なものに変えられているのだそうです。そんな時代、1953年に作られた「協奏的変奏曲」は、テーマもあまり民族色は感じられないものですし、それぞれの変奏で様々な楽器が技巧的なソロを披露するというのも、とてもスマートです。ただ、やはり基本となっているのは「リズム」ですから、根本的にはそんな違いはないような気はします。
ところが、最後の、これが世界初録音となる「歌劇『ボーマルソ』組曲」となると、完全に作風が変わっていることが分かります。完成したのが1967年ですから、もろ「ネオ表現主義」の時代ということになりますが、それはまさにその時代を席巻した「現代音楽」の波に影響された作品に仕上がっているのです。もちろん、シェーンベルク風の無調のテイストも満載ですし、なんと言ってもリゲティやクセナキスなどにも見られるようなトーンクラスターやグリッサンドが、表現の重要なファクターになっていることに驚かされます。ただ、技法的にはそのような「新しい」ものに支配されてはいますが、途中でグレゴリア聖歌の「Dies irae」が聴こえてきたり、オーケストラの中にチェンバロ(モダンチェンバロでしょう)を加えて斬新なサウンドを追求したり、さらに何よりも「リズム」が健在なのが、やはりこの作曲家の根っこが何であるかを気付かせてくれます。
おそらく、シュテファンスの指揮だからそのような違いがより際立って聴こえたのでしょう。さらに、とてもエッジのきいた録音も、聴きごたえがあります。

CD Artwork © Deutschlandradio, Capriccio


1月17日

FINGERGULL
In festo susceptionis sanguinis Domini
Anne Kleivset/
Scola Sanctae Sunnivae
2L/2L-114-SACD(SACD)


このレーベルの名前の由来がやっと分かりました。「社名」としてクレジットされているのが「Lindberg Lyd」というものなので、それの頭文字が「LL」ですから、「2L」だというのはすぐに分かります。しかし、最初の「Lindberg」が、エンジニアで創設者でもあるMorten Lindbergさんの名前ですから、もう一つの「Lyd」はおそらく共同経営者の名前なのだろうと思ったのですが、インレイやブックレットを隅々まで探しても「Lyd」さんという名前の人はどこにも載っていませんでした。でも、たまたまネットの翻訳機能が世界中の言語と対応しているのを知って、この単語をノルウェー語から日本語に翻訳してもらったら、それは「オーディオ」だ、と表示されましたよ。なあんだ、という感じですね。「2L」は「リンドベリ・オーディオ」という、とてもベタな社名の略語だったのです。
そんな風に社名に「オーディオ」という文字を入れるぐらいですから、このレーベルの音に対するこだわりはハンパではありません。今では最高の録音フォーマットとして多くの人に認知されているDXDで録音された商品を販売したのは、おそらくここが初めてでしょうし、何よりもリンドベリをはじめとするエンジニア陣の耳の良さは群を抜いています。
今回の録音を担当したのは、ベアトリス・ヨハネセンという人。聞いたことのない名前だったので、これまでのアルバムを見てみたら、確かに「Recording Technician」というクレジットで、バランス・エンジニアのリンドベリの下にありました。さらに、彼らが使っている「Pyramix」というDAWのメーカーのサイトには、この二人の写真がありました。
手前がリンドベリ、奥に座っているのが、ヨハネセン嬢です。かわいいですね。こんな感じで、今まではアシスタントとしてリンドベリの下で修行していた彼女が、晴れてここで独り立ちした、ということなのでしょうか。ここで聴ける澄み切った拡がりの中にある確かな質感は、まさに2Lサウンドの特徴そのものです。
ここで、彼女が録音していたのは、こんな感じのおばちゃんたちです。
スコラ・サンクテ・スンニヴェというこの女声合唱団は、以前こちらで聴いたことがありました。基本的に単旋律の中世あたりの聖歌を歌うことを専門にしている合唱団、と理解できるのでしょうから、こんなガウンのようなものをまとっているのでしょうが、この押しの強さはほとんど「中世の魔女」の集団といった感じですね。ところが、前回のアルバムもそうでしたが、この時代の歌にはあるまじきとても透明な歌声には驚いてしまいます。というか、こんな写真は見たくありませんでした。
ここで彼女たちが歌っているのは、「指の黄金〜主の聖血の祝日」という、13世紀頃に作られた聖歌です。「聖血」というのは、キリストが十字架にかけられた時に脇の下を槍で刺されて流した血のことだそうです。まずは消毒して(それは「清潔」)。その槍は「聖槍」、その血を受け止めた杯が「聖杯」と呼ばれることは、ワーグナーの「パルジファル」が好きな方にはおなじみですが、「聖血」というのは初めて聞きました。
なんでも、かつてノルウェーのトロンハイムにあるニーダロス大聖堂に、この「聖血」が届けられ、黄金の指環に収められたという伝説があるそうで、その「主の聖血の祝日」に行われるミサで歌われたとされる楽譜(ネウマ譜)が、コペンハーゲンのデンマーク国立図書館に保存されていたのだそうです。
これがその現物の最初のページ。ジャケットにもこの写真が使われています。羊皮紙の両面に、全部で9ページに渡って記されているものを、この合唱団の指揮者のアンネ・クライヴセットが中心になって解読したものが、ここでは歌われています。1分にも満たないものから、長くてもせいぜい4分ほどのアンティフォナ、レスポンソリウム、ヒムヌスといった聖歌の数々、そのあくまで澄み切ったユニゾンからは、なぜかとても現代的な響きが感じられます。

SACD Artwork © Lindberg Lyd AS


1月14日

CAGE
Complete Works for Flute・1
Katrin Zenz, Uwe Grodd(Fl)
Maxim Mankovski(Perc)
Ludovic Frochot, Chara Iacovidou(Pf)
NAXOS/8.559773


以前こちらで「ギリシャのフルート音楽」という珍しいものを発表していた、ドイツ生まれのギリシャ在住のフルーティスト、カトリン・ツェンツが、今度は「ジョン・ケージのフルート作品全集」という、とんでもないものを作ってしまいました。まあ「全集」とは言ってもCD2枚だけでおさまるぐらいのものですから、量としては大したことはありませんが、それでも今までにはそういうものは存在していなかったということで、これが「世界初」の企画ということになりました。もちろん、リリースはそんな「世界初」が大好きなレーベルのNAXOSです。
ジョン・ケージの場合は、「作品」そのものが「不確定」、つまり、彼の場合、あるタイトルの「作品」があったとしても、そもそもどういう楽器編成なのか特定されておらず、しかもそれを演奏するための狭義の「楽譜」が存在していないことがありますから、なにをもって「全集」と言うかが問題になってきます。ですから、ここで「世界初のフルート作品全集」と、ライナーの中でこのアルバムのプロデューサーでもあるフルーティストのツェンツがいかに声高に訴えようが、それはほとんど意味のないことになってしまうのです。
とは言っても、やはり「全集」というだけのことはあって、ここにはケージがそのような従来の「音楽」とはかなり異なる様相のものを作り出す以前の、いわば習作のようなものまで網羅されているのは、ありがたいものです。それが、彼がまだ20代だったころの1935年に作られた「フルート二重奏のための3つの小品」です。ここで演奏しているのはツェンツと、NAXOSレーベルでは古典的な作品の多くの録音でおなじみのウーヴェ・グロットです。これは、それぞれきちんとイタリア語の表情記号が付けられており、楽譜もきちんとした五線紙に書かれている、まさに西洋音楽の伝統にのっとった「確定」された音楽です。とても素朴な無調のフレーズを、お互い時間をずらしてほとんどカノンのように演奏するという、いたって「古典的」な書法の作品です。ケージにもこんな時代があったのだな、と思わせられるだけの、逆の意味でのインパクトは確実にあるのではないでしょうか。
そして、彼にとっては「普通の」音楽として、あと3曲収められています。最も有名な「竜安寺」は、まさにその京都の石庭にインスパイアされて作られたもの、元々はオーボエ奏者からの委嘱でしたが、ここではフルートと打楽器で演奏されています。まるで木魚のような打楽器に乗って、ほとんど尺八かと思えるようなフルート・ソロが、「禅」の世界観を表現しています。
1987年に作られた「TWO」は、そのような演奏者の人数をそのまま「数字」で表した一連の作品群の、最初のものです。これは「1」から「108」(さらにソロ楽器が加わった「110」も)まであって、最後のものは18型の弦楽器に木管楽器と打楽器が加わるという大編成のもの。この「2」では、一応ピアノとフルートという楽器が指定されています。ピアノのパートは2段譜表に記されたコードがいくつか書いてありますが、フルートは3つのピッチの単音しか要求されていません。それぞれのパートは互いに「無関係に」演奏しろ、という指定があり、ここでもやはり「禅」に通じる静謐な世界が広がります。
1984年に作られて、1987年に改訂された「Music for」もやはりその「for」のあとに演奏家の人数を続ける、タイトルからして「不確定」な曲です。ここでは、本来は17のパートが必要な作品をツェンツ自身がピアノとフルートのために編曲して「Music for Two」というタイトルで演奏してています。冒頭からピアノの共鳴音が聴こえたり、フルートはいくつもの音を同時に出す「重音奏法」を行ったりと、サウンド的にはかなり刺激的なものが与えられます。
そんな、フルートを通して体験するケージの形而上の世界、第2集も楽しみです。

CD Artwork © Nacos Rights US, Inc.


おとといのおやぢに会える、か。



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