フリードリッヒは、グルだ。.... 佐久間學

(08/6/1-08/6/19)

Blog Version


6月19日

ANDERSON
Orchestral Music Vol.2
Leonard Slatkin/
BBC concert Orchestra
NAXOS/8.559356


このシリーズが目指しているものは、まさに「コンプリート・エディション」なのでしょう。第1集に続いてリリースされたこの第2集には今まで録音されたことのなかった曲が5曲も収められています。アンダーソン自身は「作らなかったことにしたい」と思っていたものを、遺族の承諾を得て今回晴れて録音出来た、ということなのだそうです。あのチェリビダッケのように、絶対にCDの販売を許さなかったものが、死んだ途端に膨大な録音が市場に流れ出すのと同じようなものなのでしょう。いくら作った本人が恥ずかしいと思っても、ファンとしては骨までしゃぶり尽くしたいと願っているもの、それを手助けするのがレーベルなのですから(NAXOSは禿鷹か!)。
そんな、初めて日の目を見た作品の一つが「Waltz Around the Scale」という曲です。アンダーソンという人は、初心者が簡単に演奏出来るような作品も良く作っていたのだそうですが、これもそんな学習者のアンサンブルを想定して書かれたものです。「Scale」というのは「音階」。初心者が毎日練習させられる音階を、これでもかというぐらいしつこく登場させるという、ちょっとマゾっ気の入ったものです。そんな下降音階の伴奏に乗って歌われるのが、お馴染みの甘〜いメロディ。こんな素敵な曲をなぜボツにしたのでしょうね。同じように初心者のために作られた「Whistling Kettle」は、ヴァイオリンとヴィオラの合奏用。常に聞こえてくるヴァイオリンの高い音が、ヤカンのピーピーいう音なのでしょう。しかし、ちょっとこれは外したな、という感じはしますね。これはボツにして正解かも。
Lullaby of the Drums」という、やはり初めて録音された曲も傑作ですよ。有名な「トランペット吹きの子守唄」の太鼓判、いや太鼓版、しかし、容易に想像出来るように、スネアドラムやボンゴのにぎやかなリズムの中で眠りに誘われるわけなどあり得ません。これはアンダーソンお得意のジョークの精神が発揮された逸品ととらえるべきものでしょう。
ここでは「全集」と言うだけあって、アンダーソンのオリジナルの他に、彼が編曲した名曲なども聴くことが出来るようになっています。今回収録されているのは、ヘンデルのオペラアリアをトランペット・ソロとオーケストラに編曲したものと、クリスマス・キャロルを弦楽合奏のために編曲したものです。これらのものを聴いてみると、彼の編曲のセンスというものは極めてオーソドックスなスタイルを持っていることに改めて気づかされます。ですから、時にはそこからはなんの面白味も感じられないこともあるかもしれません。やはり、彼の最大の魅力はセンスとウィットに富んだそのオリジナル・メロディなのだ、と。
しかし、もしかしたら、そのように感じさせられてしまうのは、少なからずここで演奏しているスラトキンの責任なのではないか、とは言えないでしょうか。実際にアンダーソン自身が録音したものと比べてみると、スラトキンの演奏はあまりにお上品に聞こえてなりません。おそらく彼は、このシリーズのタイトルではありませんが「アメリカン・クラシックス」という概念、あくまでクラシック作曲家としてのアンダーソンを求めているのでしょう。
このアルバムの中には「Home Stretch」という、競馬場のイケイケの様子を描写した曲があります。自作自演では気にもとめなかったことなのですが、そのメイン・テーマは、なんと5拍子という不思議なリズムを持っています。本来、ちょっとしたアクセントとしての「5拍子」だったものが、スラトキンの手にかかると複雑な現代音楽のように聞こえてしまいます。せっかくの全集なのですから、ただのカタログには終わらない、アンダーソンならではの魅力を持ったものに仕上がって欲しいところですが、スラトキンには果たしてそれが出来るのでしょうか。そのあたりを、こちらで聴いてみて下さい。

6月17日

VIVALDI
Flute Sonatas
Mario Folena, Roberto Loreggian(Fl)
ConSerto Musico
BRILLIANT/93703


ヴィヴァルディのフルート・ソナタと言えば、かつては「忠実な羊飼い Il Pastor Fido」という、作品13として出版された6曲からなるソナタ集が知られていました。その「第2番」の冒頭は、NHK−FMの「バロック音楽の楽しみ」のテーマ曲として、広く親しまれていたものです。これはランパルが演奏したものですが、その他にも多くのフルーティストがこの曲を録音していました。しかし最近になって、この曲集はニコラ・シェドヴィル Nicolas Shedevilleというフランス人が、ヴィヴァルディの名を騙って出版(当時は、楽譜の売れ行きをあげるために、このようなことはよく行われました)したことが判明、今ではこれらの作品は「伝ヴィヴァルディ」という肩書きでしか呼ばれなくなっています。
協奏曲でしたら、山ほどのものを作っているヴィヴァルディですが、独奏楽器のためのソナタは、それに比べたらほんの少ししかありません。その中でも、フルートのためのソナタといったら、ソロ・フルートと通奏低音のためのソナタが4曲と、2本のフルートと通奏低音のためのソナタが2曲、合わせて6曲しかないそうなのです。それらのものに、有名なヴァイオリン協奏曲集「四季」からの「春」を、フルート1本だけのために編曲したものを加えたものが、このアルバムの収録曲です。「春」の編曲はなんとあのジャン・ジャック・ルソー(ウッソー!)、これは聴いたことがありましたが、それ以外は初めてのものばかり、レアリゼーションにも一工夫あって、これは非常に魅力的なアルバムです。
演奏している「コンセルト・ムジコ」という団体は、おそらくトラヴェルソのマリオ・フォレーナが中心になったアンサンブルなのでしょう。ここではもう一人のフルーティストと、2人のチェンバロ奏者が加わっています。そのうちの一人はポジティーフも演奏、つまり、通奏低音は鍵盤楽器だけということになります。しかし、この2人がとてもファンタジーあふれるバスを繰り広げてくれているので、ヘタにチェロやガンバが入った時よりもスケールの大きな音楽が現れてきます。チェンバロとオルガンがフルで頑張っている時には、まるで協奏曲のようなオーケストラかと思えるほどの世界まで表現してくれていますよ。
曲順も、考え抜かれたものになっています。真ん中にルソー編曲の無伴奏を持ってきて、その前後にシンメトリー風に3種類の異なったプランを持つソナタを配する、という趣向です。まず、最初の「プレリュード」が無伴奏のフルートだけという、意表をつく始まり方を見せるハ長調のソロ・ソナタ(RV 48)、その後も楽章ごとに低音の楽器が変わるという多彩な様相を見せてくれて、一瞬も飽きさせられることはありません。オルガンの鄙びた音色のパイプが、トラヴェルソと一緒に管楽器の合奏をしているような錯覚に陥るほど、生々しく響きます。それに呼応する後半の曲は、ト短調のソナタ(RV 51)、ここでは、カンタータから引用された「レシタティーヴォ」という楽章が加わり、まるで劇音楽のような幅広い世界を見せてくれます。
組曲風の楽章を持つ短調のソナタ2曲(ニ短調RV 49、ホ短調RV 50)は、それぞれにしっとりとした憂いをたたえた、聴き応えのあるもの、そして、まさに協奏曲そのものの3楽章形式の2本のフルートのためのソナタ(ト長調RV 80、イ長調RV 800)では、華麗な曲想の名人芸が楽しめます。最後に鳴り響くRV 800の第3楽章のキャッチーなメロディは、聴き終わった後も耳の中に残っている心地よいものでした。
ルソー編曲の「春」は、ヴァイオリンの難しいパッセージを巧みにフルートに移し替えている、この作曲家のセンスがうかがえる秀作です。フォレーナの名演が、それを気づかせるのに大きな役割を担っているのは明白なこと、コンティヌオの卓越したセンスともども、ヴィヴァルディの新たな魅力が堪能出来る、これは本当に素敵なアルバムです。

6月15日

VOCAL SPECTRUM
Vocal Spectrum
PRIVATE/No Number


先日、「バーバーショップ・ハーモニー」というスタイルのコーラスグループのコンサートに行ってきました。この言葉、普通の人にとっては、はおそらく聞いたこともないものなのではないでしょうか。もちろん、「バーバーショップ」は「海の家」ではなく(それは、「ハーバーショップ」)「床屋さん」ですが、これは男声アカペラコーラスの起源とも言えるものなのだそうです。なんでも、その始まりは19世紀にまでさかのぼるのだとか、これは殆ど「伝統芸能」の世界です。娯楽の少ない時代でしたから、当時の床屋さんはまるで社交場のようなもの、そこに集まる歌声自慢たちが、4人でよく知られているメロディにハーモニーを付けて歌うようなことが、良く行われていたそうなのです。それが一つのジャンルとして確立、プロ・アマを問わず、多くの愛好者が生まれました。
一時低調になってしまったこのスタイルですが、本国アメリカではこの伝統的な歌い方をしっかり継承しようという動きが、全国規模の組織にまで発展しており、毎年各地で何万人というファンを集めたフェスティヴァルを開催しています。そこで行われるコンテストで厳しい審査(審査員自身も、きちんとした資格が必要です)を経て優勝した「チャンピオン」は、文字通り最高峰のグループとして賞賛を集めることになるのです。
今回のコンサートは、その、2006年のチャンピオングループ「ヴォーカル・スペクトラム」が、日本ツアーの一環として行ったものでした。初めて聴く本物のバーバーショップ、まずなによりも驚いたのは、彼らの声です。一応場内PA用のマイクは立っていますが、それは中央に1本だけ、それを囲んで立っているメンバーたちは、マイクからかなりの距離を置いています。ですから、スピーカーから聞こえてくる音はそれほど目立たず、まるで例えばクラシックの「キングズ・シンガーズ」のように、生の声がかなりの割合で伝わってくるのです。4人の声はそれぞれにとても芯のある力強いものでしたが、なによりも素晴らしいのはそのハーモニー感です。極力ビブラートを抑え、どんな瞬間を取ってみても全て完璧な、場合によっては純正調のハーモニーが鳴り響いているように聞こえます。どんな時にもハーモニーが崩れないように血のでるような練習を重ねていたとしても、それを決して表に出さないで、さも楽々と歌っているように振る舞うという「技」が、バーバーショップで求められる最も重要なスキルなのだそうですが、彼らはそれをものの見事に実践してくれていました。
それとともに、驚異的なのがテナーのティム・ウォーリックが見せてくれる人間業とは思えないほどのロングトーンです。これもバーバーショップのひとつのスタイル(「タグ」と言うそうです)なのでしょうが、曲の終わり近くでテナーが同じ音を伸ばしている間に、他の3つの声部がさまざまな転調を繰り返し、最後にはトニカの三和音で見事にハモる、という実にカッコいい終止を迎えます。その間の彼の「のばし」といったら、まるで外からポンプで息を送り込んでいるのではないか、と思えるほどの信じられない長さ、しかも、それをまさに「楽々」と、「どうだ、凄いだろう」というゼスチャーを交えながらやっているのですから、参ってしまいます。たった4人の生の声だけで味わうことの出来る極上のエンタテインメント、これはまさに得難い体験でした。
そのコンサートの会場で販売されていたのが、このCDです。この白いジャケットのものはリリースされたばかり、ここで初めて手にすることが出来るものなのだそうです。彼らの公式サイトからもまだ購入できないものですので、入手希望の方はこのツアーの主催者宛に直接連絡を取ることをお薦めします。
ちなみに、これは彼らの2枚目のアルバム、同じデザインで黒いジャケットのものも、2年前にリリースされています。それぞれの曲目などはこちらをご覧下さい。

6月13日

BRUCKNER
Sinfonie Nr.4(Urfassung 1874)
Simone Young/
Philharmoniker Hamburg
OEHMS/OC 629(hybrid SACD)


2005年は、シモーネ・ヤングにとっては忘れられない年となったことでしょう。女性指揮者として初めてウィーン・フィルを指揮したのに続いて、ベルリン・フィルの指揮台にも立ったというのですからね。そして同じ年に、彼女はハンブルク国立歌劇場の総監督にも就任しています。ここのピットに入っているオーケストラはウィーン・フィルのように、「ハンブルク・フィル」の名前でコンサートのオーケストラとしても活躍していますから、もちろん彼女はその音楽監督も務めていることになります。
このコンビは、ブルックナーの交響曲の録音を進行中ですが、そこで彼女が選んだ楽譜は、すべて作曲家が最初に作ったもの、つまり「初稿」でした。だいぶ前にエリアフ・インバルが同じような全集を出していましたが、中には厳密には「初稿」とは言えないものもあったので、ここで彼女がどこまで徹底してくれるのか、楽しみに見守りたいところです。ところで、彼女は「初婚」なのでしょうか。
交響曲第4番で「初稿」にあたるのは、1874年に作られた「第1稿」です。この楽譜で演奏されたCDは他の曲の「初稿」に比べて極端に少なく、正規にリリースされたものはわずか5種類しかないはずです。200712月のコンサートでのこのライブ録音は、その最新のもの、そして、初めてのSACDとなりました。
ここで彼女は、オーケストラの弦楽器の配置にちょっとしたこだわりを見せていました。ヴァイオリンを、上手と下手に振り分ける「対向型」を採っているのですが、普通その場合は低弦が下手、ファースト・ヴァイオリンの後ろに来るはずのものを、標準的な配列である上手奥に持ってきているのです。従って下手からファースト・ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、セカンド・ヴァイオリン、そしてセカンドの後ろにコントラバスという、非常に珍しい並び方になっています。少なくとも、現在のオーケストラで、このようにヴィオラが下手側に居るということは、まずあり得ませんからね。
これが、このオーケストラとヤングが演奏するときの標準的な配置なのか、この曲に限ってのことなのかは、他の曲の演奏をまだ聴いていないので分かりませんが、この曲の場合、特に第2楽章では大きな威力を発揮することになります。左肩に楽器を乗せるという通常の構え方では、この位置にあるとf字孔が正面を向くことになり、その結果大きな音となって聴衆に伝わります。この楽章に幾度となく現れるヴィオラの長大なパートソロは、まさに圧倒的な力を持って響き渡っているのです。もちろん、ヴァイオリンを左右に分けたことも、お互いのパートの間の掛け合いやユニゾンの効果が、よりくっきりと伝わってくるものとなっています。これは他の楽章でも同じこと、ヴィオラの位置が変わったことにより、今まであまり感じることのなかった弦楽器の間の微妙なかけひきが、面白いように分かってきます。
この版による演奏が少ないのには、演奏が非常に難しいという理由があります。第2楽章の後半で延々と続くファースト・ヴァイオリンの超絶技巧や、フィナーレでのポリリズムなどはその一例です。ここでのヤングの演奏は、そのような一見前衛的な書法を敢えて目立たせず、全体の大きな流れを最優先させているように感じられます。そこからは、例えばこの曲に於いてはもっとも成功していると思われるギーレンの演奏のように、すべてのパートがきちんと聞こえてきたり、5拍子と4拍子の織りなすモアレがはっきり体験出来るというようなことはありません。その代わり、そこからわき上がってくるのは重厚で落ち着きのあるブルックナーの姿です。彼女の基本的なアプローチは、この「第1稿」を、作られたままの刺激的なものではなく、後に改訂が施されていくぶん丸くなった姿を反映させて演奏することだったのではないでしょうか。

6月11日

MOZART
Gran Partita Arrangement for Strings
Amati Ensemble
Salzburg Soloists
BRILLIANT/93696


「グラン・パルティータ」というのは、12の管楽器と1台のコントラバスのためのセレナーデです。コントラバスはコントラファゴットで代用されることもあるので、「13管楽器のための」とも言われますね。木管楽器のアンサンブル、いわゆる「ハルモニー」では、オーボエ、クラリネット、ホルン、ファゴットの4種類の管楽器がそれぞれ2本という「八重奏」が良くある編成なのですが、ここではそこに、現在では普通には使われなくなってしまった「バセットホルン」という、ホルンの偽物(それは、「ガセットホルン」)ではなく、クラリネットの一種である楽器が2本加わり、さらにホルンが4本に増強されています。そのような大きな楽器編成、中でもオーボエ、クラリネット、バセットホルンという3種類の異なる音色のメロディ楽器によるソロが、曲全体にヴァラエティを与えているのと、7楽章という長大な曲の構成によって、大きな世界の広がる作品になっています。
このCDは、イスラエル・フィルのファゴット奏者であるモルデハイ・レヒトマンという人が、ここで演奏しているアマティ・アンサンブルとザルツブルク・ソロイスツのために、弦楽器9人の編成に編曲したものです。その内訳はダブルの弦楽四重奏プラス、コントラバスということになります。
スピーカーで聴く限りは、二つのカルテットは、左右の端にヴァイオリン、真ん中にチェロという対象形の並びになっているようです。オリジナルの管楽器アンサンブルの場合は、やはり両端にオーボエとクラリネットが座っていて、それぞれに掛け合いの妙を披露するようになっていますから、それを弦楽器で模倣しよう、というプランなのでしょう。
そんな風に弦楽ノネットとして生まれ変わった「グラン・パルティータ」、そこからは、貴族のお館でパーティーかなにかの間に場を盛り上げる音楽、といった猥雑な感じは全く払拭されていました。すべてが均質な弦楽器の響きの中に集約されてしまった結果、とてもお上品な、「高貴」と言ってもいいような雰囲気が漂うようになっていたのです。それはそれで、刺激の少ない、心地よく味わえる音楽には仕上がっていますが、やはりオリジナルに親しんだ耳には、なにかが物足りません。それは、やはり発音原理の異なるさまざまの管楽器が織りなす綾、といったものが消え失せてしまったせいなのでしょう。まず、オーボエとクラリネットという対照的な音色のソロが交互に出てくる場面、確かにそれを担当する2人のヴァイオリニストはそれぞれの個性を出そうとはしているようには聞こえますが、決定的な違いとはなってはいません。しかも、まわりの弦楽器のトゥッティの中では、時としてソロでありながら全く聞こえてこないことすらもあるのです。
さらに、2番クラリネットの低音レジスターの独特の響きがしっかり耳に残ってしまっている音型や、ファゴットのちょっとおどけたような伴奏のパターン、そしてホルンが一体となって作り上げるパートソロの魅力といったような、オリジナルに親しんだ者であれば、ぜひ一緒に感じたいと思っている「小技」がすべて消えてしまっているのも、ちょっと悲しい感じです。
弦楽器だけの編成で無惨にものっぺらぼうになってしまった「グラン・パルティータ」を聴いてみて如実に分かったのは、モーツァルトが各々の管楽器のキャラクターをどれだけ熟知し、それを生かすためにどれだけ腐心していたか、ということです。そう、彼は、ここで決して他の楽器には置き換えることの出来ない完結された編成の音楽を作っていたのです。
最近の研究では、第6楽章の変奏曲は、ハ長調のフルート四重奏曲の第2楽章が使い回されたものだという今までの見解は覆され、フルート四重奏曲の方が後に出来たもの、しかもこれはモーツァルトの仕事ではなかったことが明らかになっているというのも、頷けるような気がしませんか?

6月9日

CHOPIN
Piano Concertos 1&2
Dang Thai Son(Fp)
Frans Brüggen/
Orchestra of the 18th Century
NIFC/NIFCCD 004


レーベル名のNIFCというのは、ポーランド語でNarodowy Instytut Fryderyka Chopinaつまり「フレデリック・ショパン協会」という団体の略号です。なんでも、ここでは「リアル・ショパン」というコンセプトで、歴史的な楽器によるショパンの作品の演奏を体系的に録音して発表するという事業も推し進めているようで、このCDもその成果の一端となっています。レタリングだけのシンプルなジャケットも共通していて、なかなか壮観です。もちろんこの「協会」は、ショパンの故郷ポーランドのものですから、あちこちに見慣れないポーランド語が踊っているのも、ちょっとしたカルチャーショックになるのかもしれません。なにしろ、ショパンのファースト・ネームがあのようなスペルだったとは、今まで知りませんでしたから(「協会」の名前は、おそらく格変化でしょうか、語尾が変わっていますから、純粋な名前の表記は「Fryderyk Chopin」になります)。
カルチャーショックといえば、ショパンが「歴史的な楽器」、つまり「ピリオド楽器」での演奏の対象となっている、というのも、盲点をつかれた感じです。確かにショパンは19世紀前半の人ですから、例えばマーラーなどよりはずっと前の時代、マーラーで「ピリオド・アプローチ」が行われているのであれば、当然その対象になってもおかしくはないことなのですね。
そこで、まずソリストの楽器には1849年に作られたというエラールのピリオド・ピアノが用いられました。ネジや消しゴムは付いてはいませんが(それは「プリペアド・ピアノ」)。そして、オーケストラは、ブリュッヘンの指揮による18世紀オーケストラという、「ピリオド」界の雄の登場です。1番、2番、それぞれ2005年と2006年に開催された「ショパンと当時のヨーロッパ音楽祭」でのコンサートでのライブ録音となっています。
想像していた通り、イントロのオーケストラの響きも、そしてピアノの音も、今まで聞いてきた「ショパン」の響きとは全く異なるものでした。特に、フォルテピアノのもっさりとした音色と、ちょっとたどたどしいタッチは、あの輝かしいショパン・ブランドからは大きな隔たりのあるもの、これはかなりショッキングな体験です。音域は88健と現代のピアノと変わりませんが、ピッチは半音低く、弦の張力が弱い分、シャープさが無くなっているのでしょう。もちろん、アクションの構造も全然異なっているのでしょうし。しかし、次第に聴き進むうちに、これは他の楽器に関しての「モダン」と「ピリオド」の違いが、この楽器にも端的に表れていることが分かってきます。多くの聴衆を相手にするために、ひたすら遠くまで聞こえる音を追求してきた「モダン」楽器、その課程で失われてしまったものが、やはりピアノの場合もあったのではないか、というごく当たり前の感慨が湧いてきます。ショパンが曲を作ったのがこのような楽器だとすれば、今のスタインウェイから出てくる音は、まるで作曲者の意図が反映されていないものになってしまっているのではないか、と。
もっとも、ピアニストにしてもオーケストラにしても、そのような違和感はおそらくかなり強烈なものであったのは想像に難くありません。特に2005年の第1番の演奏では、ことさらその「違い」に対する戸惑いが、演奏に現れているような気がします。例えば、第2楽章の弦楽器などは、あくまでノンビブラートで押し切ろうとしている結果、表現そのものがなにか硬直したものになっているのではないでしょうか。
2006年の演奏になると、ある意味開き直りのようなものが感じられ、演奏そのものに余裕が出てきます。頑なにノンビブラートにこだわらずとも、必要ならばかければ良いではないか、という思いが、ショパンに関しては湧き起こってきたのかもしれません。第3楽章では、まるで「幻想交響曲」のようなコル・レーニョを聴かせているのは、そんな余裕ゆえのユーモアの発露なのでしょうか。

6月7日

WAGNER
The Great Operas from the Bayreuth Festival
Wolfgang Sawallisch, Karl Böhm,
Silvio Varviso, James Levine/
Chor und Orchester der Bayreuther Festspiele
DECCA/478 0279


バイロイトで上演されたワーグナーのすべてのオペラのライブ録音が、CD33枚セットのボックスとなりました。怪しげな「ヒストリカル」ではなく、すべてPHILIPSDGなどのメジャー・レーベルから正規盤としてリリースされたものばかり、それが、ネットで割引などが付くとたったの8,000円とちょっとというのですから、これは買うなというのが無理な話です。同じ思いの人も多かったとみえて、「初回限定」のこのボックスは、発売予定日前に予約が殺到して、なんとまだ現物が市場に出る前に「入手不可・廃盤」という扱いになってしまいましたよ。もっとも、しばらく経つと何事もなかったように追加オーダーに応じるようになっていたのですから、「初回限定」とはいったい何だったのかという思いにはなりますが。
そんなわけで、一時は入手をあきらめたものがこうして手元にあるというのは、なんとも感慨深いものです。しかし、値段が値段ですから仕方がありませんが、33枚のCDがただ紙袋に入っただけでドサッと重ねられているというのは、なんとも味気ないものですね。
サヴァリッシュの「タンホイザー」などは、LPで何度も聴き込んだものですし、ベームの「トリスタン」などは、リハーサル付きの輸入盤を買って、そのリハーサルをよく聴いたものです(今回のボックスには、リハーサルはありません)。その頃のベームの「指輪」も、FM放送で聴いていたものばかり、いつかはCDで揃えたいと思っていたところですから、こんな嬉しいことはありません。1960年台から70年台初期にかけての、まさにきら星ような豪華な歌手たちによる、絶頂期のバイロイトの音を、これからじっくり味わうことにしましょうか。はたして、全て聴き終わるのはいつのことになるのでしょうか。
とりあえず、まだ1度も聴いたことのなかった、この中ではもっとも古い録音である1961年のサヴァリッシュ指揮による「オランダ人」を、一通り聴いてみました。お目当てはアニア・シリア、当時は評価が分かれていた人でしたが、それを冷静に聴いてみたいと思ったからです。しかし、そのゼンタが登場する前に、序曲の段階で引っかかってしまいました。最後が、なんだか今まで聴いたことのないような終わり方だったのですよ。「救済のテーマ」が現れない形ではあるのですが、バレンボイムやクレンペラーとは違っていて、そのちょっと前、ハープが出てくるあたりからもう普通の形とは変わっています。そうなると、他の音源を引っ張り出してきて、解決しておかないと先へは進めません。その結果、これはどうやら初稿、1841年のバージョンのようだということが分かりました。「世界初の初稿による録音」を行ったヴァイル以前にも、こんな演奏を残していた人がいたのですね。「ゼンタのバラード」も、1841年の形、「イ短調」になっていましたし。ところが、もっと先へ行くと、なぜか各幕ごとにきちんと終止しています。そして、3幕の最後も、確かに「救済のテーマ」はありませんが、ヴァイルによる実際の1841年版とはまったく違った終わり方でした。なんとも不思議な楽譜を使って演奏されているのですが、その前後の他の指揮者(1955年のカイルベルトと1971年のベーム)によるバイロイトのライブ録音では、普通に「救済あり+ト短調のバラード+幕間の終止なし」の版を使っていますから、もちろんこれは「バイロイトの伝統」などではなく、サヴァリッシュの意向だったのでしょうね。
肝心のシリアですが、やはり極めてユニークな個性でした。とてもドラマティコとは言えないような細めの声なのですが、その奥には不思議な力がこもっています。鋭利な刃物によって、力に頼らず鮮やかに仕留めるといった感じ、こういう颯爽としたキャラは、本当にカッコ良いと感じてしまいます。真面目な役しかやらないんでしょうし(シリアスって)。

6月5日

Negro Spirituals & Musical Highlights
小澤征爾/
東京混声合唱団
TOWER RECORDS/NCS 623

タワー・レコードが継続的に行っている、今ではメーカーからは顧みられなくなった音源を復刻するという仕事は、なかなか順調に進んでいるようです。今回のビクターの音源には、1961年に録音された、小澤征爾の指揮による東京混声合唱団の黒人霊歌とミュージカル・ナンバーというとんでもない珍品が含まれていました。もちろん、こんなものは初CD化です。
東京混声合唱団は、この5年前に日本初の「プロの」合唱団として誕生した団体です。メンバーは全員が芸大の声楽科を出た人たちですが、もちろん合唱だけで生活していくのは大変なことだったでしょう。こういう、言ってみれば「軽い」曲の録音も、手を抜かずに行わなければ、明日はない、という状況だったのかもしれません。かわいそうに(同情混声合唱団)。
1961年と言えば、その2年前にブザンソンの国際指揮者コンクールで優勝した小澤が、めでたくニューヨーク・フィルの副指揮者に迎えられ、その来日公演に同行して意気揚々と「故郷に錦を飾った」年に当たります。とは言っても、なにしろ指揮者としては駆け出しですから、こんな録音にも「お仕事」として加わることになったのでしょうか。彼としては、こんなものは「なかったことにしたい」仕事なのかもしれませんね。そもそも、こういう録音は「小澤」とか「東混」のアルバムと言うよりは、演奏している人はどうでもいいような「名曲集」といった趣のものでしょう。小澤にしても、たまたまスケジュールが空いている都合のよい指揮者、ということで起用されただけなのかもしれませんし。
従って、このアルバムから現在の「小澤」ブランドをイメージすることにはなんの意味もないはずです。聞こえてくるのは壮大なヒスノイズ、エコー・チェンバーでも使ったのでしょうか、いかにも見てくれだけの貧相なエコーが、あのころの日本のメーカーのお粗末な録音を思い出させてくれます。
しかし、そんな「名前」にとらわれず、演奏だけに耳を傾けると、これはなかなか楽しい仕上がりになっています。「A面」の黒人霊歌(ってジャケットに書いてありますが、使っても構わない言葉なんでしたっけ?)は、おそらくウィリアム・L・ドーソンあたりの編曲でしょうか、まるで、ロジェ・ワーグナー合唱団のような深い響きが味わえます。英語の発音とか細かいことを言えば、不満は多々ありますが、この時点での演奏としてはかなりのものなのではないでしょうか。なによりも、メンバーそれぞれの発声が、不必要に感じられるほど立派なのですからね。ソリスト(もちろんメンバーが担当)などは、サリー・テリーより凄いかも。
「ドライ・ボーンズ」とか「主はダニエルを救いたもう」などにはリズム楽器が加わります。そうなると、幾分力が抜けたのか、とても軽やかな歌になってくるのが素敵です。「ダニエル」など、もう少し洗練されたものであれば、まるでレイ・コニフ・シンガーズと同じ次元で語ることだって出来そうです。
「B面」は、南安雄の編曲で、ミュージカル・ナンバー、ここにはバックに「原信夫とシャープス&フラッツ」などという、当時絶大な人気を誇ったビッグ・バンドが加わっています。もちろん、「キャッツ」や「オペラ座の怪人」が演奏されているわけはなく、その時点での最新ヒットであった「ウェスト・サイド物語」からの「トゥナイト」以外は、ロジャース/ハマースタインなどの古色蒼然たるナンバーが主体です。これはコンサートのライブ録音なのだそうです。拍手をカットするために、曲の最後が無惨にもチョン切れているのが難ですが、なかなか楽しそうな雰囲気が伝わってきます。これから10年ぐらい経った頃、全国のアマチュア合唱団で、このようにバックにバンドを入れてポップス・ナンバーを演奏することが大流行します。これは、そんなムーヴメントの先駆けだったのかもしれませんね。
そんな先のことではなく、この翌年には小澤はN響の団員に演奏をボイコットされるという事件が起こりますが、そんなことは、このアルバムを聴くときに考える必要はないでしょう。

6月3日

FASCH
Passio Jesu Christi
Zoltán Megyesi(Ten), Péter Cser(Bas)
Mária Zádori(Sop)
Mary Térey-Smith/
Schola Cantorum Budapestiensis
Capella Savaria Baroque Orchestra
NAXOS/8.570326


バッハとほぼ同時代の作曲家、ヨーハン・フリードリッヒ・ファッシュの作った「受難オラトリオ」、「イエス・キリストの受難」です。同じようなタイトルの作品は、例えばサリエリミスリヴェチェクのものをここでご紹介したことがあります。ただ、あちらの一連のものは、もう少し時代が先のもの、そして、テキストとして用いられていたのはピエトロ・メタスタージオが1730年に書いたイタリア語の台本です。1717年から1719年の間に作られたとされるこの曲の場合は、1712年に出版されたバルトルト・ハインリッヒ・ブロッケスのドイツ語の台本によっています。蛇足ですが、いい加減さでは類を見ないこのレーベルの日本語タスキのコメントには「J・ブロッケス」とありました。こめんと(困った)ものです。
バッハの先達、シュッツあたりの頃は、「受難曲」と言えば聖書の福音書をそのままテキストにして、レシタティーヴォで歌い上げるという、殆ど「朗読劇」のようなスタイルでした。それが、バッハの作品などでは、その福音書の朗読に加えて、教会で歌われていたコラールや、新たに創作された歌詞によるアリアなども加わった「オラトリオ風受難曲」というものになっていました。しかし、この時代にはすでにこのバッハのスタイルも古いものとなっており、福音書のパートまでも自由に編集された「受難オラトリオ」というものが主流になっていたのです。そんな流れの産物であるブロッケスの台本は、そもそもその当時の4人の作曲家、カイザー、ヘンデル、テレマン、マッテゾンが競作するために書かれたものです。バッハすらも、1724年に「ヨハネ受難曲」を作った時には、歌詞の一部にブロッケスのものを使っています。
このファッシュの作品の場合は、作曲家によってテキストはかなり改変されています。テレマンの作品などはCD3枚分という長大なものなのですが、ここではわずか50分足らずで全曲が演奏されてしまうという、ある意味「聴きやすい」サイズとなっています。ブックレットにテキストは掲載されてはいませんが、「受難」のあらすじが頭に入ってさえいれば、おそらく何も見なくてもついて行けることでしょう。思い切り刈り込まれたレシタティーヴォはとりあえずスルーしても、馴染みのあるコラールや、とびっきり美しいアリアによって、この曲の魅力は十分に堪能出来るはずですよ。そう、なんと言っても3人のソリストによって代わる代わる歌われるアリアは、バッハの作品に親しんでいる人であればまさに「同時代の作曲家」として共感出来るものを、その中に見いだすことが出来ることでしょう。なにしろ、最初にソプラノによって歌われる「シオンの娘」という、バッハにはないキャラクターのアリアが、思い切りチャーミング、しかも、なぜかその次のアリアも全く同じメロディですから、その時点ですっかりお馴染みになっているはずです。これを歌っている人も、とても伸びやかな声で楽しめます。
その次に出てくるのが、バスによるイエスのアリアですが、これも「新しく発見されたバッハの曲」と言われても信じてしまうかもしれないほどの馴染みのある弦楽器のイントロで始まります。あいにく、歌手の人がちょっとお粗末で、半音進行などがグチャグチャになっていますが、曲自体の魅力が損なわれることはありません。最も安定した歌が楽しめるのは、エヴァンゲリスト役のテノールの人。第1部(この曲は2部構成です)の最後あたりで歌われる、フルートソロのオブリガートが入った曲は絶品です。
ただ、コラールを歌う合唱が、あまりにお粗末なのが玉に瑕。ここからもっとピュアな響きが聴けていたら言うことはなかったのですが。こちらで試聴が出来ますよ。

6月1日

BEETHOVEN
Piano Concertos Complete
Friedrich Gulda, 杉谷昭子(Pf)
Holst Stein, Gerard Oskamp/
Wiener Philharmoniker, Berliner Symphoniker
BRILLIANT/93653


ベートーヴェンのピアノ協奏曲「完全」全集。3枚組で2000円以下という、このレーベルならではのリーズナブルな価格設定です。「完全」というのは、ヴァイオリン協奏曲を作曲家自身がピアノ協奏曲に編曲したものが含まれた6曲の「全集」になっているからです。
ジャケットのクレジットを見ると、ライセンス元は「DECCA」となっています。自社制作も行っていますが、基本的にはこのレーベルは世界中の「死んだ」、あるいは「死にかけている」レーベルの音源を集めて発売するというスタンスをとっていますから、そんなところにかつての名門「DECCA」が登場しているというのは、一抹の寂しさを感じるものがあります。確かに、このレーベルはある意味「死んで」います。
1970年、ウィーンのゾフィエンザールで録音」という表記が、ジャケットに記されたデータのすべてなのですが、普通の5つの協奏曲が、そのDECCA原盤、何度となく繰り返しリリースされているグルダによる2度目の録音です。オーケストラはホルスト・シュタイン指揮のウィーン・フィル、エンジニアはゴードン・パリー、ジェームズ・ロックというそうそうたるメンバーです。正確には1970年6月と、1971年1月の2度のセッションで録音が完了したものでした。この頃は、ウィーンでのチーフ・プロデューサーだったジョン・カルショーはすでにDECCAを離れていましたから、プロデューサーはデイヴィッド・ハーヴェイです。
ここでのグルダは、かつて「ウィーンの三羽がらす」という、言ってみれば「ウィーン3大ピアニスト」のような大層な持ち上げ方をされていた評判を裏切らない、ごくまっとうな演奏に終始しています。ただ、今の時点で注意深く聴いてみると、そんなオーソドックスさの中にもグルダらしさを感じ取ることは可能でしょう。弾いている楽器はおそらくベーゼンドルファーでしょうが、そのちょっと甲高い音色が、まるでフォルテピアノのような感触を与えている部分が見られたりもするのです。また、オケと一緒の時にはしおらしく演奏していたものが、カデンツァになるとガラリとテイストが変わって、それまでの重々しさを捨てた軽やかな味が出てくるのも面白いところです。
もう1曲、ヴァイオリン協奏曲に由来する「ニ長調」のピアノ協奏曲については、ライセンスに関する情報は全く記載されていません(ナンセンス!)。演奏しているのが杉谷昭子(すぎたにしょうこ)さんという日本人、1947年生まれといいますから、もはやベテランのピアニストです。オーケストラがベルリン交響楽団、指揮はジェラルド・オスカンプという人です。この録音は1994年の4月に、ベルリンのシーメンス・ヴィラで行われたものです。元のレーベルはVERDI RECORDSという、まさに「死んだ」ところですが、1995年にはビクターエンタテインメントから国内盤もリリースされていました。これに先立つ1993年のセッションでは他の5曲も録音されており、それこそ「完全版」の全集として発売されています。ピアニスト、指揮者、そしてオーケストラが全て同じメンバーによる「6曲」の全集というのは、もしかしたら彼女のものが世界で初めてだったのかも。ですから、BRILLIANTも、少し前でしたらこちらの全集をそのまま使っていたところなのでしょうが、こんな贅沢なDECCAの音源が簡単に使えるというご時世になってしまっていたために、より知名度の高いアーティストでの全集が実現することになりました。
もちろん、この「ニ長調」を聴く限り、他の協奏曲の水準は到底DECCA盤には及ばないことがうかがえますから、それはありがたいことでした。ちなみに、この「ベルリン交響楽団」というのはザンデルリンクやインバルとの録音がたくさん残っている同じ名前の旧東ドイツの団体ではなく、1966年に旧西ベルリンに創設されたオーケストラです。

おとといのおやぢに会える、か。


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