乗る、上へ。.... 佐久間學

(14/10/5-14/10/23)

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10月23日

That's Christmas to Me
Pentatonix
RCA/88843-09690-2


今年の「サマーソニック」に出演のために来日も果たしたペンタトニックス、もはやその人気は確固たるものになったようですね。Youtubeには来日した時のイベントで歌っている彼らをシロートが撮影した動画などがアップされていますが、演奏よりもまわりの「キャーッ!」という歓声の方が大きく録音されているというすさまじいものでした。そういう「熱狂的」なファンがついているなんて、すごいですね。
以前彼らのアルバムを紹介した頃は、「Madison Gate Records」というSONY傘下のちょっとマイナーなレーベルからのリリースだったのですが、今年の春には同じSONYでも「RCA」というメジャーに晴れて「昇格」したのも、そんな人気の裏付けがあってのことなのでしょう。その時点で、旧譜も全てRCAからリイシューされています。SONYに吸収されてからのRCAは、クラシックではもはや申し訳程度に新録音を出すだけで、基本的にはカタログ・レーベルと化していますが、ポップスの世界ではこうやってきちんと「メジャー」と認識されています。なんたって、ジャケットでこんな「遊び」をやってくれているのがうれしいじゃないですか。
そんなデザインでも分かる通り、これはペンタトニックスのおととし、去年に続く3枚目のクリスマス・アルバムです。とは言っても前2作は単なるバージョン違いですが、こうやって毎年新しいクリスマスを届けてくれるなんて、素敵ですね。もはやクリスマスのア・カペラは、山下達郎ではなくペンタトニックスという時代です。
オープニングはまず讃美歌の「天には栄え」が、ごくフツーに歌われます。これは去年のアルバムと同じ手法、そうやってちょっと敬虔な(なんだか、素朴すぎて怖いぐらい)気持ちになって油断しているところに、いきなりベースとヴォイパが入ってきてゴスペル調のア・カペラに変わるという演出です。
今回は、結構クラシカルなナンバーも加わっています。まずは、ルロイ・アンダーソンの「そりすべり」。もはやクリスマスの定番ですが、オリジナルのヴォーカル・バージョンをあまりいじらない素直なアレンジが、逆にとても効果的です。そして、本物の「クラシック」も登場。チャイコフスキーの、こちらはクラシック界での定番「くるみ割り人形」から「金平糖の踊り」が、見事なア・カペラに生まれ変わっています。これはイントロからオリジナルと同じですから、ちょっとハッとさせられますね。
やはり定番の「サンタが町にやってくる」では、あえてのどかなアレンジは避けて、ハードなリフのオスティナートで押し通すというちょっとへヴィーなテイストに仕上がっています。そんな中で、メロディはジャクソン・ファイヴみたいな変なフェイクが入っていない素直なところが、いい感じ。
もちろん、彼らのオリジナル曲も入っています。アルバムタイトルにもなっている「That's Christmas to Me」がそれ、ヴォイパを外して、4人だけのホモフォニックなコーラスでまとめられた、とても美しい曲ですよ。
この中で一番気に入ったのは、「Winter Wonderland」を、なんとボビー・マクファーレンの「Don't Worry Be Happy」とマッシュ・アップしたというナンバーです。しかも、そこにはトリ・ケリーという漫画家(それはとり・みき)ではなく、期待の大型新人シンガーがフィーチャーされているではありませんか。トリ自身も一人ア・カペラを手掛けたりしていますから、コーラスもお手の物、メンバーともしっかり溶け合って、カースティーとはまた違った魅力を加えています。あのボビーのまったりとしたフレーズの間の取り方なんかは、絶品ですね。
ボーナス・トラックが、国内盤のコンピにはすでに入っていた「Let It Go」です。オリジナル通りの構成ですが、ベースラインの趣味の良さが光ってます。最初聴いたときにはメイン・ヴォーカルはカースティーだと思ったのに、映像を見るとどうやらミッチが歌っているようですね。彼は女声の音域まで完璧にカバー出来るみたいです。凄すぎ。

CD Artwork © RCA Records

10月21日

棒を振る人生
指揮者は時間を彫刻する
佐渡裕著
PHP研究所刊(PHP新書951
ISBN978-4-569-82059-0

佐渡裕さんは、ご存知の通り世界的な指揮者として活躍するかたわら、「題名のない音楽会」の司会者として、全国の「お茶の間」にもその姿が浸透している人気者です。正直、忙しいスケジュールの中でほぼ毎週そのテレビ番組に出演しているというのは、かなりすごいことなのではないかと思っているのですが、さらにその隙を縫ってこんな本まで書き上げてしまうのですから、驚いてしまいます。なんでも、これが「単著」としては3冊目のものになるのだそうですね。もちろん、そんな忙しい中でもきっちりとご自身でペンを走らせて(あくまで比喩ですが)いるのは、その畳み掛けるような勢いのある文章からも分かります。最後に、ジャーナリストの方の名前が「編集協力」という肩書でクレジットされていますが、この方は客観的にデータを整えたりしたのでしょう。ご本人の記憶には、えてして勘違いというものがありますからね。
前半は、「楽譜とは何か」とか「指揮者とはどういうものか」ということに関しての、佐渡さんなりの的確な「解説」の部分です。ここでは、彼の師であったバーンスタインと、その作品を引き合いに出して、興味深い逸話が語られます。となると、当然そのバーンスタインの「天敵」であったカラヤンの話も登場することになります。そこでその頃のベルリン・フィルの団員だったゴールウェイの名前が出てくるのには驚いてしまいます。なんでも、彼はバーンスタインの姿をプリントしたTシャツを着てカラヤンのリハーサルに臨んだのだそうですね。そしてそのあとに、ゴールウェイがベルリン・フィルを辞める時には、その最後の演奏会でアンコールにラヴェルの「ボレロ」を、ゴールウェイのソロで演奏した、という逸話を紹介しています。そんなことがあったのでしょうかねえ。ゴールウェイの自伝によれば、最後のシーズンが始まる前に辞表を提出した後は、カラヤンが指揮をする演奏会では全く出番がないようになっていたはずなのですから、「最後の演奏会」でそんな粋な計らいを受けたとは考えにくいのですが、さすが、カラヤンはオトナだった、ということなのでしょうかね。
後半では、佐渡さんの最近の活動について述べられています。その中で注目されるのは、やはり兵庫県立芸術文化センターの芸術監督としての仕事ぶりでしょう。阪神淡路大震災の震災復興事業の象徴として建設されたこの建物は、佐渡さんの尽力で単なるホールではない、豊かな成果を産み出しています。震災を乗り越えて、ホール専属のオーケストラを作ったり、オペラまで上演できるようになってしまうなんて、うらやましすぎます。というのも、その後に起こった東日本大震災では、そのような確固たるビジョンを持った事業などは全く期待できない状況にあるのですからね。いや、たしかに音楽ホールを作ろうとするような動きはありますが、それはどうやら薄汚い利権が絡んだ、将来の展望など望むべくもない計画のようですしね。
そして、最後を飾るのが、最新のトピックス、ウィーン・トーンキュンストラー管弦楽団の音楽監督就任のニュースです。この部分の佐渡さんの筆致は、かなりハイテンションのように思えます。それだけ、本場ウィーンで「自分のオーケストラ」を持つことが出来るようになったことがうれしいのでしょう。そこから止めどもなくほとばしる将来への思いには、熱いものがあります。なんたって、この決して知名度が高いとは言えないオーケストラを「ウィーン・フィルよりいい音のするオーケストラ」にしたいと言っているぐらいですから。
そんな充実した人生を送っている人の本のタイトルがまるで「棒に振る人生」のように読めてしまうのは、ジョークでしょうか。そんなマゾっぽいセンスは、この人は持っていないような気がするのですが(いや、彼はサド)。

Book Artwork © PHP Institute

10月19日

BACH
Mass in B Minor
Lydia Teuscher, Ida Falk Winland(Sop)
Tim Mead(CT)
Samuel Boden(Ten), Neal Davies(Bas)
Jonathan Cohen/
Arcangelo
HYPERION/CDA68051/2


2010年に結成されたばかりの若いアンサンブル「アルカンジェロ」の最新アルバムです。外出には車を使います(歩かんでも行けます)。なんでも、ピリオド楽器とモダン楽器の双方の達人を集めたグループなのだそうです。2011年にはデビュー・アルバムとして、このHYPERIONレーベルからカウンター・テナーのイエスティン・デイヴィースをソリストに迎えてのポルポラのカンタータをリリースしました。そして、その2年後の201310月にはバッハの「ロ短調」という大曲をレコーディング出来るだけの信頼を勝ち得たのですから、すごい「出世」です。
このアンサンブルを作ったのが、1977年生まれのチェリスト、指揮者、そしてチェンバロも演奏するジョナサン・コーエンです。彼自身も、バロック・オペラから古典的な交響曲まで、幅広いレパートリーを誇っています。
「ロ短調」ですから、当然合唱が加わります。この合唱のメンバーも、やはり「アルカンジェロ」の中に含まれているようで、こちらも他の団体で活躍している人たちを適宜集めているのでしょうね。そこで問題になるのが、その合唱のサイズです。特にこの曲の場合は、なんと言ってもジョシュア・リフキンが最初に「各パート1人ずつ」というやり方を実践したものになるわけですから、それを採用するか否かがまず問われることになります。しかし、この方式をあらわした「OVPP」という言葉自体が今では殆ど死語と化していることでも分かるように、どうやらこれは単なる一過性の「流行」に過ぎなかったことが明らかになってしまったのではないでしょうか。というか、知ったかぶりをしてそんな「誰も知らない」言葉を使うのって、ものすごく恥ずかしくないですか?
ということで、この「最新」の「ロ短調」では、合唱は各パート4人という、おそらくピリオド楽器で演奏する時にはほど良い人数が集められています。一応5声部の場合のパート分けに対応して、総勢20人という編成で迫ります。この合唱が、なにか、指揮者がきっちりと自分のやりたいことを押しつける、というのではなく、まずメンバーの自発的な音楽を重んじて、その上で全体的にまとめる、というような作り方をしているように思えて、とても聴いていて気持ちのいいものでした。
まず、しょっぱなの「Kyrie」という合唱のフル・ヴォイスで、それが持ってまわった表現ではなく、かなりストレートに思いを伝える、というような方向であることが分かります。そして、この作品全体を通じてそのテンションの高さはずっと保たれています。ですから、例えば「Credo」の中の「Et incarnatus est」とか「Crucifixus etian pro nobis」のような、かなり深刻な表現が好まれる曲でも、決して弱々しい「守り」に入ることはなく、あくまで「攻め」の姿勢を貫いています。「Crucifixus」というテキストは、あたかもキリストを十字架に架けざるを得なかった人々を激しく弾劾しているかのように聴こえはしないでしょうか。ですから、3日後に蘇った時の「Et resurrexit tertia die」は、華やかなトランペットとティンパニに飾られて、まるでお祭り騒ぎのようです。
最後の「Dona nobis pacem」も、次第に盛り上がっていく様子がハンパではありません。こんなに生々しく感情を表に出した「ロ短調」なんて、ちょっとすごすぎます。
ソリストたちも、第2ソプラノのヴィンランド(あまりにもアバウト)を除いてはとても素敵な歌を聴かせてくれています。中でも、カウンター・テナーのティム・ミードあたりは、この合唱のセンスと良くマッチしているのではないでしょうか。そういえば、合唱のアルト・パートはすべて男声でしたね。
オーケストラは、低音にちょっとした工夫があって、とても新鮮なサウンドが楽しめます。例えば「Domine Deus」では、コントラバスのピチカートにリュート・ストップのチェンバロを重ねて、まるでシンセのような響きを出していましたよ。

CD Artwork © Hyperion Recoerd Limited

10月17日

Du bist die Welt für mich
Jonas Kaufmann(Ten)
Julia Kleiter(Sop)
Jochen Rieder/
Rundfunk-Sinfonieorchester Berlin
SONY/88883 75741 2


カウフマンの新しいアルバムのジャケットは、彼がNEUMANNの「CMV 3」という、1928年に作られた真空管コンデンサー・マイクの前に立って歌っている図柄です。ここで彼が取り上げているのが、両大戦間に作られたオペレッタや映画の中で歌われていた音楽だということですから、これほどその「時代」を物語っているマイクもありません。なんせ、このマイクはこんな使われ方もされていたのですからね。
もちろん、このマイクはまだ現役でも使われてはいるのでしょうが、今回のCDに関しては単なる「小道具」としての役割しかなく、実際のレコーディングには同じNEUMANNでも有名なU87あたりが使われていたのは、このCDPVを見ても分かります。

そうなんです。今ではクラシックの世界でも、このように大きなセールスが期待できるアイテムではしっかりこんなPVまでが作られて、その宣伝には多額の費用をかけるようになっているのですね。しかし、ここで見るカウフマンのお茶目なこと、ちょっとおどけた表情などは、ハリウッド俳優のブラッドリー・クーパーに似てたりしませんか?
このPVの最後には、お客さんがいっぱい写っています。これは、このレコーディングが行なわれた最後の日に、その会場であるかつての東ドイツの中央放送局の建物(「フンクハウス」と呼ばれていますが、公衆トイレではありません・・・それは「糞ハウス」)の中の、今ではその優れた音響によって、録音スタジオとしてよく使われているホールで「公開録音」が行われている様子なのです。
たまたま手元に、この同じ場所で録音されたSACDがあって、そのブックレットにホール内の写真があったので、見比べてみてください。ちゃんと椅子が設置された客席がありますね。

実は、今回のCDのコンセプトは、2011年にベルリンの「ヴァルトビューネ」という、有名な野外施設で行われたコンサートがきっかけになっているのだそうです。それを聴いてこんなCDが作られるのを楽しみにしていたベルリンの市民が、この、決して交通の便が良いとは言えない会場に、凍った冬の道(ちょうど「大寒」の日でした)を歩きながら集まってきたのだそうです。
もちろん、これはそのような単なる「ファン・サービス」ではなく、その一部始終はしっかり録画されて、DVDとしてリリースされています。ただ、そのDVDは、今回入手したドイツ語版のCDの他に、英語やフランス語で歌っているバージョンのCDと、このDVDとがセットになった、普通に買えば10,000円近くするデラックス・バージョンとしてしか入手はできません。なんという「商売」なのでしょう。さらに、さっきのPVのサイトには、LPもリリースされているような情報がありますが、それはどこでも入手することはできません。
ここでカウフマンが歌っているのは、まさに「古き良き時代」の音楽でした。それは、当時のオペレッタ業界に君臨していたレハールとカールマンという「2大巨頭」だけでなく、名前も知らないような作曲家の、しかし、おそらくドイツの人たちには懐かしくてたまらないようなメロディにあふれた佳曲なのでしょう。さらに、ロベルト・シュトルツという、今ではもっぱら往年の大指揮者として知られる人が作ったオペレッタの中の曲などは、レコードにもなってまさに「ヒット曲」として聴かれていました(シュトルツの友人であったマレーネ・ディートリッヒは、このアルバムのタイトル曲である「君は我が心のすべて」を、よくコンサートで歌っていたそうです)が、それを、そのレコードの完コピのアレンジで聴かせられたりしたら、ノスタルジアもさぞや募ることでしょう。
ただ、それをほとんど共有できない私たちにとっては、ちょっとしたいらだちも感じなくはないかもしれません。これは、この間ケント・ナガノが行わせた日本の唱歌のグローバルなアレンジとは、全く逆の発想です。

CD Artwork © Sony Music Entertainment

10月15日

BERLIOZ
Symphonie fantastique
Valery Gergiev/
London Symphony Orchestra
LSO/LSO0757(hybridSACD, BD)


2000年に発足したロンドン交響楽団の自主レーベルである「LSO LIVE」は、スタート時から音に関しては有名なエンジニアを起用するなどの吟味がされていました。ハイレゾについても積極的な姿勢を取っていて、2004年の末にはCDと並行してSACDでのリリースを開始、ほどなく全ての商品がハイブリッドSACDとなりました。そしてこのたび、ついにブルーレイ・オーディオ(BA)にも手を伸ばすことになりました。その第1弾として発売されたこの「幻想」では、ハイブリッドSACDBDの2枚組という形になっています。つまり、2チャンネルステレオ音声ファイルとしては16bit/44.1kHzLPCM2.8MHzDSD、そして24bit/192kHzLPCMの3種類がある上に、サラウンドのソースも加わっているという賑やかなラインナップとなっているのです。
さらに、BDにはBAとしての音声ファイルの他に、映像データも入っています。こちらももちろん音声はハイレゾ、画面もHDです。
まるで、ベルリン・フィルでも意識したかのような、こんな映像ソフトへの傾倒にも惹かれますが、やはりここに来て他のレーベルがやや消極的になっているように感じられるBAをこのタイミングで導入してきたというところに、なにか熱いものを感じてしまいます。この路線はぜひとも突き進んでいただいて、BA導入が単なる気まぐれの産物ではないことを証明してもらいたいものです。
ということで、まず行ったのはSACDBAとの比較です。その結果、BAの方が、明らかに生々しい音が聴こえてくるのに対して、SACDはなにかヴェールに覆われた(それは、非常に繊細なヴェールではあるのですが)ような、おとなしい感じだという、今までに他の素材で同じことをやった時に感じたことと全く変わらない体験が待っていました。特に弦楽器の高音のナチュラルな伸びはBAだけのもの、SACDではなにか頭打ちの感じが付きまといます。
ただ、このレーベルの場合は、オリジナルの録音はDSDで行われていることが明記されています。ですから、普通に考えればいくらPCMのサンプリング周波数が192kHzだとしても、2.8MHzDSDであれば単なるオーバー・サンプリングにしかならないのですから、SACDの方に利があるはずなのに、結果はそうではありませんでした。もしかしたら、同じDSDでも、録音の際には5.6MHzのスペックだったのかもしれませんね。別の言い方をすれば「64DSD」ではなく、「128DSD」でしょうか。だとしたら、このBAは、現行のパッケージでは扱うことのできない「128DSD相当」の音を味わえるソフトということになりますね。そういう意味での「今までのBAを超えた」BAの投入ということなのであれば、もう大歓迎なのですがね。ただ、このBDSACDも、かなり録音レベルが低いのがちょっと気になります。
映像BDではレベルは通常のものと同じでした。こちらは音声のスペックも記載されていませんし、サラウンドでもないようです。ここでは、指揮者のゲルギエフが、「つまようじ」で指揮をしている様子はよく分かりますが、なにかカメラ割りがいい加減で、そこでぜひ聴きたい楽器がアップになっていない部分は数知れず(どんな「鐘」を使っているのかね、と思ったのですが、とうとう画面には現れませんでした)、さらに、「寄り」ばっかりで全景を写したカットが全然ないのが非常に不思議です。ただ、この映像では第5楽章でクラリネットがちょっとしたミスをしているところが、SACDやBAでは他のテイクが差し替えられて修正されています。そういう細かい編集をDSDで行うのはかなり大変なことのような気がするのですが、果たして本当のところはどうなのでしょう。
ゲルギエフの指揮は、とことんこの作品のアブノーマルな部分を強調した、とても楽しめるものでした。第5楽章の「Dies irae」が終わって、ロンドのテーマがチェロ→ヴィオラ→ヴァイオリンとカノンでつながっていく部分(07:02から)などは、背筋がぞくぞくするほどブキミです。10年以上前のウィーンフィルとの録音とはかなり手応えが違います。

SACD & BD Artwork © London Symphony Orchestra

10月13日

FAURÉ
Requiem
Andrew Foster Williams(Bar)
Hervé Niquet/
Flemish Radio Choir
Brussels Philharmonic Soloists
EPR/EPRC 0015


2007年に最初のCDを世に送ったベルギーの新しいレーベル「Evil Penguin Records Classic」の新譜、フォーレの「レクイエム」です。これが15枚目のアイテムということになる、かなり「堅実」な歩みのレーベルですね。「ちょい悪ペンギン」という意味にでもなるのでしょうか、なんかかわいらしいマークが付いていて和みます。
その「EPR」が、フランダース放送合唱団と2011年にその指揮者に就任したエルヴェ・ニケによる録音を開始しました。なんでも、これから5枚の「レクイエム」のCD制作が予定されているのだそうです。その1枚目としてリリースされたのが、このフォーレです。
今まで、バロック音楽やフランス・ロマン派の珍しいレパートリーを紹介してくれていたニケが、この作品の多くのバージョンの中で選んだのは、第2稿の「ラッター版」でした。しかも、その楽器編成中で「省いても構わない」とされているトランペットやファゴットはここでは使われてはいません。ですから、楽器編成としてはソロ・ヴァイオリン、4人のヴィオラ、4人のチェロ、2人のコントラバス、4人のホルン、そしてハープ、ティンパニ、オルガンがそれぞれ1人ずつ、計18人というコンパクトなものになっています。しかも、ハープなどは聴こえるか聴こえないかという扱いで録音されていますから、オーケストラ全体の響きは本当に地味〜なものに仕上がっています。
合唱は各パート6人ずつの24人編成。とてもまとまったハーモニーを聴かせてくれますが、それぞれのメンバーはかなり主張が強そうな感じ、時折張り切り過ぎて一人だけ目立つ声とか、ちょっと邪魔なビブラートが聴こえてくることもあります。
ブックレットには、このフォーレを録音しているときの写真がたくさん載っています。どうやら、かなり大きなコンサートホールのステージの上に、オーケストラと合唱団が向かい合って演奏しているようです。指揮者はその真ん中にいます。普通はオーケストラの後ろに合唱団というケースがほとんどでしょうから、どうしても合唱団との距離が遠くなってしまいますが、これだったらきっちりどちらにも緊密なコンタクトが取れるという配慮なのでしょう。
まず、ユニークに感じられるのは、ラテン語のテキストの発音です。以前ヘレヴェッヘが第3稿を録音した時に採用した、フランス風の発音がここでも聴くことが出来ます。「luceat eis」を「ルーセアト・エーイス」と発音する、といったようなやり方ですね。これはヘレヴェッヘの時よりさらに徹底されていて、そのちょっとゴツゴツした感じはとても「地方色」が感じられるものです。
演奏は、この曲にありがちな「静かに死者を悼む」といったような陳腐なものでは決してなく、かなりアグレッシブ、特に「Offertorium」での殆ど冗談に近いテンポの速さには驚かされます。さらに、あちこちで極端なクレッシェンドやディミヌエンドでかなり個性的な表情を付けていますが、これも従来のスタンダードからは程遠いもの、まさに「殻を破った」ということになるのでしょう。
そして、最もユニークなのが、「Pie Jesu」のソロを、ソプラノパート全員で歌っていることでしょう。これは、ニケによれば当時の社会習慣に従ったものなのだそうですが、そろはちょっとどうかな、という気がします。
初めて聴いた、カップリングのグノーの「十字架上の主の7つの言葉」は、ルネサンスの宗教曲を19世紀に蘇らせたような不思議な作品です。有名なテキストをもとに、ホモフォニーとポリフォニーをうまい具合に使い分けて、時代を超えた合唱音楽の神髄を伝えてくれます。かなりドラマティックな部分や、半音階も登場しますが、それも完全に様式の中に収まっています。もちろんア・カペラ、こちらの方が、ストレートにこの合唱団の長所が味わえます。
フォーレとは別の会場でのセッションで、CDで聴いてもとても素晴らしい録音であることが分かります。

CD Artwork © Evil Penguin Records Classic

10月11日

唱歌
Japanese Children Songs
Diana Damrau(Sop)
Kent Nagano/
Choeur des enfants de Montréal
Orchestre symphonique de Montr©al
ANALEKTA/AN 2 9131


カナダのレーベルなのに、ジャケットの中央には「唱歌」という漢字が見えますね。これはすごいことだな、と思って調べてみると、インターナショナルなバージョンでは普通に「SHOKA」でした。やっぱりそういうことなのでしょうか
ということは、ブックレットの「対訳」での「ひらがな」も日本向けのサービスなのでしょうね。そう、まさかとは思ったのですが、このアルバムの中では、ドイツ人のディアナ・ダムラウも、カナダの児童合唱団も、しっかり「日本語」で歌ってくれていました。そして、対訳には「ひらがな」だけではなく、英訳と欧文表記による発音(いわゆる「ローマ字」とは微妙に異なります)が載っています。
もちろん、このアルバムを企画したケント・ナガノにとっては、日本語で歌われることは当然のことだったに違いありません。日本人四世としてアメリカで生まれアメリカで育ったナガノは、自分自身のルーツとして日本の「唱歌」をオーケストラ伴奏で演奏するというプロジェクトを始め、その成果がこのアルバムとなるのですが、その契機となったのが、彼の娘です。ある日ナガノが朝食に起きてくると、3歳になる娘が、「唱歌」のレコードを一生懸命聴いていました。そばでは彼の日本人の妻、児玉麻里が、一緒にそれを歌って娘に教えています。彼自身はそのような歌を聴かせてもらった思い出などはないにもかかわらず、そのメロディと日本語の歌詞は彼をいたく感動させるものでした。彼はすぐさま「唱歌」の資料を集め始め、このプロジェクトをスタートさせたのです。
1966年生まれのフランスの作曲家、ジャン=パスカル・バンテュスによって、それらの「唱歌」にはオーケストラの伴奏が付けられ、ソリスト、あるいは合唱団によって歌われる形になりました。それは、2010年の2月28日と3月2日に開催されたコンサートで演奏され、2011年の6月に、ソリストにダムラウを迎えてレコーディングが行われました。その録音が、やっと今になってリリースされたのですね。
「Wolf Tracks 狼のたどる道」でグラミー賞を取った作曲家のバンテュスは、映画音楽のオーケストレーターとしても活躍、「国王のスピーチ」や「ハリー・ポッターと死の秘宝」などのヒット作のオーケストレーションも担当しているのだそうです。そんな職人技を駆使して、ここでも、彼は日本の歌という素材を与えられても、変なオリエンタリズムなどは走らず、ナガノの思いを最大限に汲んで、まさに世界に通用する音楽を作り上げました。もっとも、それは場合によってはかなりリスキーな面も持ってしまいます。正直、まるで印象派のような和声は、素朴な「唱歌」の世界とは明らかな乖離を生んでいるという場面も見られなくはありません。なにしろ、イントロを聴いてその曲がなんだったのかを即座に判別できることは皆無でしたからね。
もしかしたら、このオーケストレーションによって表現されているのは、これらの「唱歌」がかつてこの国で愛されていた(現在では、「あかとんぼ」すら知らないという世代が生まれています)時に人々の中で共有されていた情感ではなく、日本人ですら感じることのなかったもっとグローバルな世界観だったのではないでしょうか。おそらく、今までは世界中のどこにも存在していなかったそんな「深い」ものを、ナガノは彼の嗅覚によって掘りあててしまったのではないか、そんな思いに浸ってしまったのは、モントリオール交響楽団のまるで墨絵のような渋い音色の弦楽器や、ティモシー・ハッチンスが奏でる渋いフルートのせいなのかもしれません。
そのようなコンセプトの中にあっては、児童合唱ほどの完璧なディクションはついに実現できなかったダムラウの「たどたどしい」歌も許されるはずです。メロディや歌詞は同じでも、これはもはや「日本の歌」ではないのですから。

CD Artwork © Analekta

10月9日

WAGNER
Der Fliegende Holländer
Samuel Youn(Holländer)
Ricarda Merbeth(Senta)
Franz-Josef Selig(Daland)
Benjamin Bruns(Steuermann)
Jan Philipp Gloger(Dir)
Christian Thielemann, Eberhard Friedrich(Cho)/
Chor und Orchester der Bayreuther Festspiele
OPUS ARTE/OA 1140 D(DVD)


昨年、2013年のバイロイト音楽祭での「オランダ人」がパッケージでリリースされました。これはNHKとの共同制作で、その年の8月末にBSで放送されていました。その時はちゃんと日本語の字幕が出ていたはずですが、なぜかこのDVDBDも)には日本語の字幕はありません。それではNHKが制作に加わった意味がないじゃないですか。
このプロダクションは2012年のプレミアでしたが、その演出についてはかなりの抵抗があったそうですね。そのせいかどうか、この2年目の舞台では、だいぶ手直しが施されているようでした。ネットにある2012年の画像と比較すると、オランダ人とゼンタの衣装が変わっていました。これはかなり重要なポイントです。
1981年生まれという、超若い演出家ジャン・フィリップ・グローガーのプランは、確かにかなりぶっ飛んでいます。時代は現代に置き換えられていて、なんと言っても「船」や「海」が一切登場しない(ちんけなボートは出てきますが)というのがすごいところです。ただ、彼の言葉によれば、「海」というのは象徴的なメタファーとして組み込まれているのだそうです。ですから、オランダ人が登場するのはICチップに埋め尽くされた基板の中という、不思議な設定です。しかし、ワーグナーが作り上げたこの幽霊船の船長というキャラクターは、もともと「あの世」に属するキャストなのですから、こういう設定もありでしょう。現代社会における「あの世」とは、こんなバーチャルな世界なのです。年寄しかいません(それは「バーチャン」)。
対する「現世」、あるいは「俗世」に属するダーラントたちは、かなり「リアル」な扇風機メーカーの社長と社員ということになっています。ここはもうお金がすべてという世界、社員旅行帰りの「船員」ではなくて「社員」たちは、女たちに高価なドレスを買って来て歓心を引くことしか考えていないのでしょう。ダーラントは、オランダ人に札束を見せられれば、何のためらいもなく娘を売り払いますし。
実は、このような2つの世界は、ワーグナーがしっかり音楽の中で描いていたものでした。この作品の中でのダーラントやエリックのとことんロマンティックな音楽と、オランダ人のまわりのまるで未来を見据えたような音楽とのギャップはものすごいものがあります。それを、グローガーはそのまま2つの世界に置き換えただけなのですね。それがワーグナーの意図だったとは限りませんが、ここで出来上がったステージでは演出と音楽が見事にシンクロしています。
そのような聴き方をすると、オランダ人が「あの世」から「俗世」に近づいてくる過程が、音楽と演出の両面からはっきりと感じられるようになります。腕にナイフをあてても決して血が流れることはなかったゾンビ体質は、ゼンタに出会ったことで「改善」され、デュエットの中では堂々と真っ赤な血潮を流しています。同時に、その場の音楽はいともロマンティックに聴こえてくるのです。
エンディングでのちょっとした「小技」が、なかなか効いてます。オランダ人とゼンタがともにナイフで自刃した場面を、社員である「舵取り」が写真に撮ります。そこで一旦幕が下りるのですが、再度幕が開いたときには、扇風機の工場だったところでは、さっき撮った二人の姿をあしらったフィギュアが生産されています。そんなものまで「商品」にしてしまう「俗世」への、嘲笑なのでしょうね。
ティーレマンが、これほど劇的な指揮を出来るとは思っていませんでした。それに乗って、水夫の合唱から始まる長い合唱のシーンでは、エバーハルト・フリードリヒに鍛えられた合唱団が、素晴らしい演奏を繰り広げています。
カーテンコールで演出家が登場した時には、ものすごいブーイングが飛び交っていました。今年も、この「オランダ人」は上演されていましたが、その時はどうだったのでしょう。

DVD Artwork © Opus Arte

10月7日

phase4stereo
Various Artists
DECCA/478 6769


先日のストコフスキーの「シェエラザード」の時にご紹介した、1960年代から1970年代にかけてそのユニークな録音で評判をとったDECCAの「フェイズ4」のCDボックスの方が、やっと手元に届きました。「まとめ買い」にしたりすると、こんな風に他のアイテムが揃うまで送ってこないことがありますから、注意が必要です。
ただ、そのCDを手に取ってみると、あまりにもジャケットの紙が薄いのには驚かされます。もうこうなると「ジャケット」とは呼べないほどの、ただ「紙袋」ですから、なんともお粗末ですね。
それでも、中には「カルメン」と「悲愴」が1枚で84分などという、かなり「増量」されたカップリングもありましたね。とても食べきれません(それは「カップメン」)。
何はともあれ、この前の「シェエラザード」のLPでの転写によるプリエコーが、CDではどうなっているのかを検証です。これはもう、見事に消えていました。本当に、何の痕跡もなく聴こえなくなっているのですから、すごいものです。ですから、もしかしたらこれはテープの転写ではなく、カッティング、あるいはプレスの際の転写(そういうものも有るのだそうです)なのかもしれないと、一応すぐ隣の溝から聴こえているのか確認してしまいましたよ。その結果、例えば第1楽章の最初のヴァイオリン・ソロの間に3回か4回聴こえるプリエコーは、微妙に異なるところから出ていましたから、やはりテープの転写に間違いありません。
実は、以前にもこれはほかのレーベルからCDが出ていました。それを聴きなおしてみても、やはりプリエコーは全く聴こえません。でも、これは波形そのものはわかっているのですから、それをデジタル処理でそのまま元のデータから引き算を行う、ということが出来るのかもしれませんね。いずれにしても、LPとCDでは、マスターが別のものであることははっきりしたわけです。
とは言っても、今回のラインナップを見てみると、かなりの数の初CD化のものがありますから、今まではそれこそ中古LPでしか聴くことが出来なかったものが簡単に聴けるようになったのは、ありがたいことです。そもそも、この「フェイズ4」のアーティストの中に、RCAの専属だと思っていたフィードラー指揮のボストン・ポップスなどが入っていたことも初めて知ったぐらいですから。さらに、これは本当に迂闊だったのですが、この中にはゴールウェイがオーケストラの中でフルートを吹いているものがかなり含まれていたのですよ。ゴールウェイがベルリン・フィルに入団したのは1969年の9月ですが、その前はロイヤル・フィルの団員でした。その時期の録音、例えばヘンリー・ルイス指揮の「田園」や「悲愴」が、ここで初めてCDで聴くことが出来るのですね。ただ、以前は録音時期が特定できなかった同じ指揮者の「カルメン」抜粋などでもゴールウェイが吹いていたとされていましたが、一応ここのデータでは1970年の録音になっているのでもしかしたら違うのかもしれません。実際に、「セギディーリア」の頭のソロを聴いてみても、微妙に違うような気がしますし。
ただ、このデータを全面的に信用していいものか、という問題は残ります。というのも、こんな「面白い」データを発見してしまいましたからね。

これだと、録音する前にリリースされたことにはなりませんか?
これだけのものを聴き直してみると、「フェイズ4」の初期のものは、インパクトを強めるためには、多少音が歪んでも構わない、という姿勢がありありと見えます。しかし、やはりクラシックでそれはまずいだろう、という意識が働いたのでしょうか、それも次第におとなしくなって行き、結局他の録音との違いがあまり目立たなくなって(その頃には、ほかのレーベルでも普通にマルチマイクが使われるようになっていました)、自然消滅してしまったのでしょうね。しかし、「ちょっと変わった録音」で、歴史に名を残したことは事実です。

CD Artwork © Decca Music Group Limited

10月5日

GRIEG
Complete Symphonic Works ・ Vol.IV
Herbert Schuch(Pf)
Eivind Aadland/
WDR Sinfonieorchester Köln
AUDITE/92.670(hybrid SACD)


グリーグの「Symphonic Works」は全5枚のシリーズを目指してリリースが続けられています。もちろん、完成の折には、史上初のSACDによるグリーグの「交響的作品」の全集となることでしょう。そこで、今回の4枚目となって初めて「交響曲」の登場です。とは言っても、グリーグの場合そんな「交響曲」はハ短調のこの作品1曲しか作っていません。というか、グリーグと言えばまず「ペール・ギュント」が思い浮かぶぐらいで、そもそも彼の作品の中に交響曲があったなんて、知っている人の方が珍しいのではないでしょうか。
グリーグは1858年、まだ15歳の時に才能を見いだされてライプツィヒ音楽院で学ぶことになります。3年半の留学を終えて1863年からは、コペンハーゲンでデンマークの作曲家ニルス・ウィルヘルム・ゲーゼの教えを受けます。余談ですが、この作曲家のファーストネームの「Niels」の日本語表記は「ニルス」でほぼ固まっているのに、同じような綴りの「Nielsen」が、いまだに「ニルセン」ではなく「ニールセン」と呼ばれ続けているのは不思議です。
その、グリーグが20歳になったばかりの1863年から1864年にかけて作られたのがこの「交響曲」です。まだ「習作」と言えるようなもので、全4楽章が完成して実際に演奏はされたのですが、グリーグ自身が「決して演奏されてはならない」という指示をつけてスコアを封印してしまったもので、もちろん出版もされませんでした。
それが日の目を見たのは、198012月のこと。ロシアの指揮者のヴィタリー・カタイエフが、自筆スコアが保存してあったベルゲンの公立図書館でその楽譜を「調査目的」でコピーし、それを演奏してしまったのですね。それは録音もされたそうです。これが契機となって、その直後には「本国」であるノルウェーでも演奏されるようになりました。このあたりの経緯は今回のライナーノーツで述べられていること、WIKIなどでは「1981年にベルゲンで甦演」という昔ながらの情報しか得られません。
さらに作曲されてから100年以上経った1984年に、PETERSから出版もされました。現在では、多くのレーベルからCDが何種類も発売されていますが、そのほとんどはノルウェーのオーケストラによる演奏で、いまだに珍しい作品であることに変わりはありません。
今回のSACDは、指揮者こそノルウェー人のオードランですが、オーケストラがドイツのケルン放送交響楽団、もちろん録音もとびきりの優秀なものですから、この「知られざる」作品に新たな光を当ててくれることでしょう。
初めて聴いたその交響曲は、まさにドイツ・ロマン派の語法のみによって作られたことがありありと分かるものでした。そこからは、まぎれもなくシューマンやメンデルスゾーン、そしてシューベルトあたりのエッセンスがストレートに感じられます。終楽章などは、シューベルトの最後のハ長調の交響曲(つまり「8番」)となんとよく似ていることでしょう。なにも知らずに聴いたら、これが「ペール・ギュント」を作った人のものだとは、まず分からないはずです。ただ、よくよく聴いてみると、そのフィナーレの再現部の少し前(03:27から04:30あたり)では、ほんのわずか、ドイツ・ロマン派ではあり得ないようなテイストの音階が登場しています。しかし、この程度のものでは、グリーグ自身も満足は出来なかったのでしょうね。これを「なかったことに」したかった気持ちは、よく分かります。
カップリングはそのほんの4年後に作られた「ピアノ協奏曲」。「交響曲」からたったそれだけの時間で、それとは全く趣の違う民族的なパーツがてんこ盛りになっている作品が出来上がっていることに、心底驚かずにはいられません。そんな「出世作」を、ルーマニア出身の若手、ヘルベルト・シュフはとても繊細に扱って、この上なく豊かな情感を届けてくれています。あ、この人は男性です(「主婦」ではありません)。

SACD Artwork © Westdeutscher Rundfunk

おとといのおやぢに会える、か。


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