バラ肉とジュレ。.... 佐久間學

(13/10/10-13/10/28)

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10月28日

Sprung Rhythm
Richard Scerbo/
inscape*
SONO LUMINUS/DSL-92170(CD, BD)


かつての「DORIAN SONO LUMINUS」というレーベル(その前は「DORIAN」)は今ではただの「SONO LUMINUS」と名前を変えていますが、品番(DSL)にはまだその名残があります。持ち主は変わっても、どこかにレーベルの元の名前を残しておきたいという願いの現れなのでしょうね。日本でも、かつてあった「EMIミュージック・ジャパン」という会社では、品番の頭に「TO」という文字を入れていましたが、これもこの会社が出来たときの社名「東芝音楽工業」の頭文字をずっと守っていた結果なのでした。
「輝ける音」という名前の通り、SONO LUMINUSはまず音にこだわるレーベルとして再スタートしたようでした。そこで、こちらにあったように、CDBDオーディオとを同じパッケージで発売するようなアイテムもリリースされています。もちろん、このレーベルのBDオーディオには、24bit/192kHzのハイレゾPCMデータが収録されていて、BDプレイヤーで再生すればSACDをしのぐほどの高音質を楽しむことが出来ることは、すでにご存じでしょう。
今回のアルバムも、そんな音質重視のBDCDの2枚組でした。タイトルは「弾けるリズム」、いかにも生き生きとした音が弾け出てくるようなイメージがありますね。とは言っても、これはそんな浮ついた、これ見よがしに大音響で音の良さを誇示するというようなものではありませんでした。
ここでは、3人の若い作曲家の作品が、それぞれ2曲ずつ収められています。まず、ナタン・リンカン=デクサティスという、自身がジャズ・ピアニストでもある作曲家の作品の「A Collection of Sand」を聴いてみましょう。編成はこの中では最も大きいものですが、それでも弦楽五重奏+木管四重奏+ハープ、ピアノ、打楽器というコンパクトな室内楽です。一聴してスティーヴ・ライヒの影響を強く受けていることが分かる作風で、同じ音型の繰り返しや単調なパルスが続く曲ですが、もちろんそれだけでは終わらない独特のリリシズムも持っています。そんな、何層にも重なった音の綾が、CDだとイマイチぼやけてしまっているのですが、それがBDではすべての楽器がしっかりと浮き上がってくっきりと聴こえてくるのですね。そこからは、プレイヤーそれぞれの息遣いまでもが伝わってきて、より深いところで音楽と向き合えることが可能になります。これこそが、ハイレゾで再生音を聴くときの最も重要なポイントなのかもしれません。オーディオ的な追求というのは、最終的には音楽をより作り手の思いに近いところで聴くための手段にすぎないのですよ。
次のジョセフ・ホールマンという作曲家からは、それとは全く異なるバックグラウンドが感じられるというのが、やはりアメリカらしいところです。この人のスキルはおそらくかなりの多様性をもっているのではないでしょうか。基本的には伝統的なところを押さえつつ、もっとアヴァン・ギャルドな技法にも果敢に挑戦する、といった姿勢でしょうか。「Three Poems of Jessica Hornik」ではソプラノのけだるいソロに伴奏を付けるという手法ですが、もう一曲の「imagined landscapes」では、シュプレッヒゲザンクまで使って前衛的に迫ります。
そして、三人目のジャスティン・ボイヤーという人は、聴く人を喜ばすことを考えられる作曲家のようです(写真を見るとただのボーヤ)。「Con slancio」ではバス・クラリネット、「Auguries」ではファゴットというソロ楽器を立てて、弦楽器との愉悦感あふれるプレイを披露させています。
この「Auguries」という曲だけが、CDには時間が足らずに収録されていません。しかし、BDで聴き終わった後にCDを聴くと、もうこんなものは二度と聴きたくなくなるような気持になってしまうほど。まさにこのCDは、ただBDの音の良さを際立たせるためのサンプルにすぎないのですから、1曲ぐらいなくても全くどうでもいいのですよ。そのぐらい、このBDはすごい音を聴かせてくれています。

CD & BD Artwork © Sono Luminus LLC

10月26日

GOUNOD
The Complete Works for Pedal Piano & Orchestra
Roberto Prosseda(Ped.Pf)
Howard Shelley/
Orchestra della Svizzera Italiana
HYPERION/CDA67975


「ペダル・ピアノ」と言えば、以前にもこちらで、そんな楽器のために作られた作品のCDを聴いていました。あの時は、それらの作品が作られた時代に存在していた「本物」のペダル・ピアノを使って演奏されていましたね。その時の写真を見ると、普通のグランド・ピアノとはかなり違う形をしています。足元にオルガンと同じような足鍵盤(ペダル)があり、そこから操作される低音用のピアノ線が収納されているケースが、縦になって足元に設置されていました。もちろん、こんな楽器は19世紀の中ごろに現れて、すぐに消えてしまいますから、現在では同じ形の「新品」は存在してはいません。
HYPERIONレーベルの貴重なアンソロジー「The Romantic Piano Concerto」の最新アルバムで取り上げられていたのが、このペダル・ピアノを使ったグノーの作品でした。おそらく「アヴェ・マリア」やオペラの作曲家としての認識しかないシャルル・グノーは、こんなジャンルの作品も残していたのですね。もちろん、グノーもさっきのリンク先で登場する作曲家たちと同じ時代の人ですから、やはりあのエラールやプレイエルの楽器を使って演奏するためにそれらの曲を作ったのでしょうが、このアルバムでは、そのようなヒストリカルな楽器ではなく、「モダン楽器」としてのペダル・ピアノが用いられているという点が、まず注目されるのではないでしょうか。実際にロベルト・プロセダが演奏している楽器の写真が、これです。

これは、スタインウェイのフル・コンサート・グランドの「D」タイプを2台、上下に並べた物です。下に置かれたスタインウェイは、脚を取り外してキャスターだけの状態、その上に、イタリアのオルガン製作者クラウディオ・ピンチが考案した「ペダル」がセットされています。そう、「ペダル・ピアノ」という名前から、ペダルの部分で演奏される音は本来のピアノよりも低い音であるかのように思いがちですが、ピアノはそれ自体でオルガンのペダルに相当する低音を出すことが出来るのですね。ですから、このピンチのペダル・システムでは、足鍵盤によって低い方の鍵盤を操作するだけのものなのです。ただ、鍵盤としてのペダルの数は37しかありません。これでは3オクターブしか出せませんが、実際には5オクターブ、低音寄りの61の鍵盤をこのペダルを使って操作することが出来るそうなのです。つまり、足鍵盤である「ペダル」のほかに、「ペダル」が3本付いていて、それでピアノの鍵盤にハンマーが当たる場所を1オクターブずつ移動させているのです。ですから、これはオルガンの「ペダル」というイメージではなく、連弾の時の第2奏者、みたいなものになるのでしょうね。
ここでの演奏を聴いてみても、そんな感じは伝わってきます。「ペダル」とは言っても要は同じピアノの低音部を弾いているだけなのですから、音色も全く一緒、特に1886年に作られた「協奏的組曲イ長調」の方は、独立してペダルのパートが聴こえてくることはほとんどありません。両手両足を使って一生懸命弾いていても、音を聴くだけではそれが報われない、ちょっと悲しい使われ方です。
しかし、1889年に作られた「ペダル・ピアノのための協奏曲変ホ長調」では、全然様子が変わって、ペダルのパートがきちんと別の声部に割り当てられて、ポリフォニックに扱われていますから、存分にその威力を聴きとることが出来ます。「ロシア国歌による幻想曲」では、テーマである、あの「1812年」にも登場するメロディが、絶対に両手だけでは弾けない豊かな低音を伴って披露されています。
グノーの曲自体は、まさにオペラのエッセンスが詰まった、カラッとした明るさ満載のキャッチーなものです。こんな楽しい曲で、ソリストが体全体で名人芸を披露してくれれば、パリのサロンはさぞや華やぐのーでしょうね。聴いていたマダムたちもうっとりだったことでしょう。

CD Artwork © Hyperion Records Limited

10月24日

GOTTWALD
Transkriptionen für gemischten Chor a cappella
Georg Grün/
KammerChor Saarbrücken
CARUS/83.458


ふつう、クラシックのCDのタイトルと言えば最初に作曲家の名前が付けられているものです。もし、その作品が「編曲」されているものであれば、その編曲者の名前などはゴミみたいに小さな文字で書かれているのではないでしょうか。たとえば、あの有名な「展覧会の絵」でも、まずは作曲家の「ムソルグスキー」があって、そのあとに一歩下がって「ラヴェル編曲」という表記があるのが普通でしょ?ところが、このCDでは、最初にデカデカと書いてあるのは「クリトゥス・ゴットヴァルト」という「編曲者」の名前、その下にあるのはフリードリッヒ・ニーチェの作品のタイトルですが、そのニーチェも含めて「作曲家」の名前なんてどこにもありませんよ。ここには、それこそラヴェルや、ブラームス、シューマンなどの大作曲家の「作品」が収められているというのに。
そう、ゴットヴァルトは、今ではその編曲がほとんど「作品」と同じ価値を持つ合唱曲の編曲者として、このようにアルバムタイトルにまでなるほどの人気者となっているのです。
彼が生まれたのは1925年。最初は合唱指揮者として、1960年に彼自身が設立した「シュトゥットガルト・スコラ・カントルム」とともに音楽シーンに登場します。このチームは、名前が表わすような「古い」音楽だけではなく、当時の「現代音楽」の演奏を積極的に行い、多くの「現代作曲家」が、彼らのために曲を作ることになりました。ブーレーズ、カーゲル、ラッヘンマン、ペンデレツキ、ファーニホーなど、かなり「懐かしい」名前がそこには登場しています。その中でも、リゲティが1966年に作った「Lux aeterna」は、同じ年にWERGOレーベルに録音され、それが1968年に公開された映画「2001年宇宙の旅」のサウンドトラックに採用されることによって、「現代曲」にはあるまじき知名度を獲得することになってしまいました。
いつのころからか、ゴットヴァルトはおそらくこの「Lux aeterna」あたりの書法を強烈に意識した、多声部の無伴奏の合唱のための編曲を始めることになります。その代表作は、マーラーの「リュッケルト歌曲集」の中の「Ich bin der Welt abhanden gekommen」ではないでしょうか。オリジナルはオーケストラとメゾ・ソプラノ独唱のための作品ですが、それをゴットヴァルトは16声部に分かれた混声合唱による緻密な響きによって、まさにリゲティのトーン・クラスターのような肌触りを持つものに変貌させてしまったのです。
それらの、もはや独立した「作品」と呼んでも構わないほどのクオリティを持つ編曲は、このレーベルの母体である出版社から数多くのものが出版されています。その、いわば「サンプル音源」のような位置づけで、今までに何枚ものCDがこのレーベルからリリースされてきました。
今回は、ドイツ・ロマン派の歌曲などを編曲したものが集められています。最初のシューマンの「詩人の恋」などは、オリジナルからはあまり変わっていないごくまっとうな編曲に、逆にショックを受けてしまうほどですが、とても有名なブラームスの「子守歌」になったとたん、やっとゴットヴァルトらしさが聴こえてきたので一安心です。それは、最初はいったい何の曲かわからないほど、メロディがデフォルメされていたのですからね。
もっと「安心」させられたのが、リストの「Richard Wagner - Venezia」です。これは、作曲家の最晩年の1883年に、ワーグナーの死を悼んで作ったピアノ曲ですが、このシンプルな作品の中にその1年前に初演されたワーグナーの「パルジファル」の投影を見た編曲家は、増和音のアルペジオの中に、このオペラのライト・モティーフを挿入して、全く新たな作品に仕上げたのです。これはそういう見事な仕事です。
もう90歳近くになっているのでしょうが、ここでのライナーノーツの執筆もゴットヴァルト自身。まだまだお元気なようですから、こんなサプライズを、もっと期待してもいいのでしょうか。

CD Artwork © Carus-Verlag

10月22日

PETITGIRARD
The Little Prince
Laurent Petitgirard/
Budapest Studio Choir
Honvéd Male Choir
Soloists of the Hungarian Symphony Orchestra Budapest
NAXOS/8.573113


1950年生まれのフランスの作曲家ローラン・プティジラールは、映画音楽など多方面にわたっての作曲活動と同時に、指揮者としても有名です。ベルリン・フィルやウィーン・フィルといった超一流どころはさすがにまだですが、フランス国内を始め世界中のかなりの数のオーケストラとの共演を果たしています。さらに、彼は1989年には自分で「フランス交響楽団 Orchestre Symphonique Français」というオーケストラを作って、そこの指揮者と音楽監督になります。音楽監督のポストは1997年まで務めたのですが、その後このオーケストラはどうなってしまったのでしょう。記録の上ではプティジラールとの演奏しか見当たらないので、彼が去ったあとは自然消滅したとか。
彼の作品は今まで聴いたことがなかったので、ここは帯解説を頼りに2002年に初演されたオペラ「エレファント・マン」をまず試聴してみましょうか。その解説では「ほとんど無調で強烈な響き」とありますが、この年代の作曲家で「無調」などという前世紀の遺物にこだわっている人というだけで、無性に興味が出てきます。
ところが、そのオペラから聴こえてきたのは、ほとんどミニマルと言っていい小さなパターンの繰り返しの音楽、ハーモニーもフランス音楽の伝統をしっかり受け継いだプーランクとかメシアンあたりとの共通項が容易に感じられるものですよ。確かに「強烈」なところはありますが、これのいったいどこが「無調」なのでしょう。
という予備知識を仕入れたところで、このCDを聴いてみることにしましょうか。ここに収録されているのは、2010年の新作です。サン・テグジュペリの「星の王子さま」をテキストにしたバレエ音楽、アヴィニョンのオペラハウスでのソニア・ペトロヴナの振付による公演のために作られました。編成は合唱にクラリネットとハープと打楽器が加わっただけという、とても簡素なものです。
ここでは音楽のみが収録されていますから、作品としては「組曲」というタイトルが付けられています。要は、映画のサントラ盤のように、それぞれのシーンにふさわしいタイトルが付けられた、全部で14の「楽章 movement」から成っているという構成です。その第1楽章「プロローグ」は、もろにア・カペラの合唱で、何か不思議な音列が演奏されます。まあ、これは確かに「無調」っぽい音列ではありますが、それよりはメシアンあたりの「移調の限られた旋法」のようなテイストを帯びたもののように感じられます。
メシアンとの類似性(あくまで、単なる感想ですが)は、第6楽章の「ばら」でも見られます。ここではなんと最初から最後までクラリネット1本で演奏されているのです。もちろん、これをメシアンの「時の終わりのための四重奏曲」の投影と見るのは、そんなに見当外れのものではないはずです。ここからは、何か瞑想的な情感が感じとられるかもしれません。その対極にあるのが、第4楽章の「バオバブ」。これは、まさにこの恐ろしい植物を描写したかのような、荒々しい7拍子のモチーフが繰り返される、「ミニマル」そのまんまの音楽です。
そんな風に、ジャケットのインレイの英文コメントを引用すれば、この作品ではそれぞれの「楽章によって、夢から現実まで、そして神秘性から無垢な情感までという、『星の王子様』のエッセンスを呼び起こしてくれる」はずです。
ところが、やはりこの部分を引用した帯解説では、「movement」をそのまんま「動き」と訳してしまったために、相変わらずのおかしな訳文が出来上がってしまいました。これがその全文です。

こういう曲ですから、合唱にはキレのいい演奏を期待したいところですが、ここで歌っているハンガリーの団体は、歌い出しのピッチやタイミングはバラバラ、歌い始めれば意味のない深いビブラートと、ちょっと残念です。

CD Artwork © Naxos Rights US Inc.

10月20日

BLAKE
Wind Concertos
Jaime Martin(Fl)
Andrew Marriner(Cl)
Gustavo Núnez(Fg)
Neville Marriner/
Academy of St Martin in the Fields
PENTATONE/PTC 5186 506(hybrid SACD)


アルバムタイトルは「The Barber of Neville」、これは、ロッシーニのオペラ「セヴィリアの理髪師」の英語表記「The Barber of Seville」のもじりですね。「Seville」の頭文字を変えると、ここでの指揮者のファーストネーム「Neville」になってしまうという、ベタなものです。これは英語だから笑えるのであって、それを日本語で分からせるのは至難の業。なんで「セヴィリア」が「ネヴィル」なんだと突っ込まれるのがオチです。帯コピーでそのまんま「ネヴィルの理髪師」と訳した代理店は、なんと勇気があることでしょう。
それでも、なんで「理髪師」なのか、という疑問は残ります。それは、インレイにちゃんと英語で説明してありました。なんでも、作曲家のハワード・ブレイクと指揮者のネヴィル・マリナー、そしてネヴィルの息子のクラリネット奏者アンドリューは、お互い全く気が付かないで同じ理髪店に通っていたのだそうです。その利発な店主の計らいで3人が顔を合わせることになり、そこからこのアルバムを作る計画が始まったということです。このジャケット写真は、実際のその「ジャン・マリー理髪店」の中で撮影されました。「なんでこんなとこにいるんですか!」みたいに作曲家と指揮者が顔を見合わせている、というヤラセなのでしょう。
そんな「顔合わせ」の結果出来上がったこのアルバムでは、そのハワード・ブレイクが作った管楽器のための協奏曲と、木管八重奏が演奏されています。もちろん、オーケストラはマリナーが指揮をしたASMF、木管八重奏のメンバーも、その管楽器セクションです。全て、これが世界初録音となります。
ブレイクは、もちろんクラシックの「現代作曲家」ですが、同時に映画音楽なども数多く手がけていて、例えばレイモンド・ブリッグスの絵本「The Snowman」をアニメ化した時の音楽は非常に有名ですね。その中のナンバー「Walking in the Air」は、もはや一つのポップ・チューンとして多くのアーティストにカバーされていますし。つまり、「クラシック」と「ポップス」の両方で活躍している作曲家ということが出来るのでしょう。そういう意味で、このブックレットの中の紹介文では「最近の作曲家で、同じような作曲家を挙げるとすれば、それはレナード・バーンスタインだろう」と書かれています。さらに「しかし、彼は、バーンスタインよりナチュラルで、トラブルの少ない作曲家だ」と続くあたりは、ちょっと意味深。
2001年までロイヤル・フィルの首席奏者を務め、現在はASMFやヨーロッパ室内管弦楽団の首席奏者となっているスペイン出身のフルーティスト、ハイメ・マルティンのソロによる「フルート協奏曲」は、この中では最も「ポップス」寄りの仕上がりになっていました。最初の楽章でフルートに現れるフレーズは、まさに「Walking in the Air」そっくりのテイストを持っているものです。それに続いて弦楽オーケストラが同じテーマを奏でる中で、フルートは技巧的な変奏を披露、というのもとても分かりやすい展開ですね。最後のマーチ風の楽章も、そのまんま「The Snowman」のサントラに使えそうなキャッチーなものですし。
しかし、ロンドン交響楽団の首席奏者を務めるアンドリュー・マリナーや、ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団の首席奏者のグスターヴォ・ヌニェスがそれぞれソリストとして演奏しているクラリネット協奏曲とファゴット協奏曲では、もう少し陰のある和声が用いられていて、ちょっと厳しい一面も感じられることでしょう。おそらく、この2曲あたりが、彼が最も「クラシック」の作曲家としての意地を見せたかったものなのかもしれません。とは言っても、時折現れる軽快なシンコペーションなど、楽しませる要素も満載です。
木管八重奏による「セレナード」は、いにしえのハルモニー・ムジークっぽいからっとした楽想ですが、真ん中の楽章のちょっと切ないメロディには、惹きつけられます。

SACD Artwork © PentaTone Music b.v.

10月18日

Hymn to the Virgin
Tone Bianca Sparre Dahl/
Schola Cantorum
2L/2L-095-SABD(SACD & BD)


ノルウェーのレーベル2Lお得意の、音の良さを売り物にしたアルバムです。その音の良さを表現するのに「アナログのような」という言い方をしているのが、なんか笑えますね。このレーベルは「デジタル」であるPCMの解像度を目いっぱい上げた「DXD」という規格で録音を行っているのですが、それでもまだまだ「アナログ」には負けていると感じているのは、エンジニアの正直な思いなのでしょう。デジタル録音が現れた頃には、それよりはるかに解像度の低いCDの音でさえ「アナログより素晴らしい」と言われていたのは、いったいなんだったのでしょうね。
もちろん、その「DXD」をそのまま再生する民生機などは存在していませんから、それを聴くためには少し解像度を下げて、今ある機器で再生できるだけの「妥協」を図る必要があります。そこで、このレーベルはこんな風に24bit/192kHzBDオーディオとSACDの2枚組で、同じプログラムをリリースするようになりました。
最近では同じソースをBDオーディオとSACDと比較する機会も増えました。そうすると分かったことは、やはりPCMで録音(アナログ音源の場合はトランスファー)されたものは、明らかにBDオーディオのほうが優れているということでした。さらにBDオーディオの場合、ごく普通のBDプレイヤーからのアナログ出力で、充分その特性を発揮出来ているというありがたい面もあります。というより、この分野では、BDオーディオに特化したハイエンドの製品というものは、実はまだ存在していないのですがね。
ただ、このレーベルの場合、せっかくそんな最高の音をBDで提供しているにもかかわらず、その製品管理のせいなのか、そもそも設定された規格のせいなのかは分かりませんが、プレイヤーの機種によっては再生できないものがあるのですよね。今まで購入したものでの実績は1勝1敗でしょうか。これはただ再生できないというような生易しいものではなく、ディスクを入れた時点でプレイヤーがフリーズしてしまって、トレイを開けることすらできなくなってしまうのですから、重症です。
今回買ったものも、そんな「不良品」でした。ただ、フリーズはするもののいったん電源スイッチを切ればトレイは開きますから(以前は、電源コードを抜く必要がありました)、いくらかは「改善」されていたのかもしれませんが。仕方がないので、予備のプレイヤーを使っての再生です。これはいざという時のための本当の「安物」ですが、以前から普段使っている機種と聞き比べて、SACDよりはるかにいい音であることは確認済みです。ということで、SACDと交互に再生しながら聴き比べていくことにしましょうか。
この合唱団は、クヌット・ニューステットという、ノルウェーの合唱界をリードしている重鎮が1964年に学生を集めて作ったものですが、今でもおそらく学生が中心のメンバーという姿勢は貫いているのでしょう。男声も女声も、とても若々しい声が爽やかに響きます。もちろん、アンサンブルも完璧、すべて無伴奏で、様々の国の作曲家が作った聖母マリアをたたえる歌が流れます。それはもう、心が洗われるような美しさが部屋中に響き渡ります。時折ノルウェーの現代作曲家のちょっととんがった作風の曲なども出てきますが、それとても全体の穏やかさの中では、確かな「箸休め」として聴こえます。
例えばブルックナーの「アヴェ・マリア」などでは、冒頭の女声合唱での最も高い声部がBDでは確かにちょっとしたはかなさを持つソプラノとして聴こえてくるのですが、SACDになると、それがなんとも落ち着いたアルトのように聴こえます。SACDでは、何か全体的に薄い紗幕がかかっているような感じ、そのために、なんともなめらかな音になっているのですが、そこからはBDの持っている生々しさを味わうことはできません。「好み」と言われれば、それまでかもしれませんがね。

SACD & BD Artwork © Lindberg Lyd AS

10月16日

MOZART
Requiem
Benjamin-Gunnar Cohrs(Comp)
Musikproduktion Hoeflich(Study Score)


モーツァルトの「レクイエム」は未完の作品ですが、今では弟子のジュスマイヤーが「完成」させた楽譜が広く用いられているのはご存知のことでしょう。さらに、その、ちょっと完成度の低い楽譜に対して異議を唱え、より完成度の高いとされる楽譜を作った人が5人以上はいたことも、よく御存じのはずです。それは、1971年のフランツ・バイヤーに始まり、1994年のロバート・レヴィンの仕事によってひとまず出尽くした、という感がありました。結局その中で生き残ったのはバイヤー版とレヴィン版の2つだけのような気がしますが、それよりも在来のジュスマイヤー版の存在感が、それらの「新しい」楽譜の出現によって、相対的に高まったのではないでしょうか。もはや、レクイエム業界はその3者によってシェアされているというのが実情なのでしょう。もちろん、トップメーカーはジュスマイヤー版です。
そんな業界に、ここにきて新しい「メーカー」が「参入」してきました。それは、今年、2013年に出来たばかりの、「ベンヤミン=グンナー・コールス版」です。このコールスという音楽学者の名前は、おそらくブルックナーの交響曲第9番の最新の原典版の校訂者として耳にしたことがあるのではないでしょうか。彼はさらに、この交響曲の「未完」だった第4楽章の修復にも関与していましたから、「こうする方がいいよ」と言えるだけのものを持っていたのでしょう。
手元に届いたスコアは、まるで電話帳ほどの厚さがあるものでした。それは、巻末にドイツ語と英語でそれぞれ34ページにも上る解説が加わっているほかに、「レクイエム」を演奏する時の「付録」として、別の曲の楽譜が何曲分か入っていたためでした。
「レクイエム」本体の「完成」に対する基本的なコンセプトは、その長ったらしい解説でつぶさに述べられています。まず、コールスがこの作業を思い立ったものが、こちらでご紹介したバッハの「ロ短調ミサ」に関する書籍を著したクリストフ・ヴォルフの「Mozarts Requiem」という1990年の論文だということです。ヴォルフによると、今まではジュスマイヤーの「創作」とされていた「Sanctus」、「Benedictus」、「Agnus Dei」などには、しっかりと元になるモーツァルト自身によるスケッチがあったのだそうです。ですから、それらの曲に関しては、あくまでスケッチにあった部分は尊重するという姿勢です。その上で、ジュスマイヤーの仕事は破棄して、全く新しいものを作ったそうです。
このあたりは、なんだかレヴィン版とよく似た姿勢ですね。実際に比べてみると、「Lacrymosa」のあとには「アーメン・フーガ」が入っていますし、「Sanctus」のイントロなども、そっくりです。上がコールス版、下がレヴィン版。

参考までに、このジュスマイヤーが作った部分の小節の長さを比較してみました。

さらに、前半の部分はこれもジュスマイヤーのものではなく、彼の前にこの修復作業をコンスタンツェから依頼されたヨーゼフ・アイブラーのものを使います。これも、ヴォルフの「ジュスマイヤーは、モーツァルトの弟子の一人にすぎなかった。それが、コンスタンツェが最初にジュスマイヤーに仕事を頼まなかった理由だ」という言葉によるものなのでしょう。
アイブラーといえば、確か「ランドン版」の前半が、同じようなコンセプトで作られたものだったはずです。確かに比べてみるとほとんど同じですが、中にはコールス独自の部分があったりしますから、まあ、それも彼の姿勢だったのでしょう。
惜しいのは、その解説の中でバイヤー版の成立年を「1991年」と間違えていることです。これはドイツ語のテキストでも同じですから、かなり残念。
この楽譜を紹介していたサイトでの、「レオポルド・ノーヴァクとの問答なども見られる」という記述も、残念。そもそもノーヴァク(ノヴァーク)はだいぶ前に亡くなってますし、それらしい部分はおそらくヴォルフの論文の引用です。
この楽譜で、最初に録音してくれるのは誰なのでしょうね。

Score Artwork © Musikproduktion Hoeflich

10月14日

WAGNER
The Colón Ring
Jukka Rasilainen(Wotan)
Linda Watson(Brünhilde)
Stig Andersen(Siegmund)
Daniel Sumegi(Fasolt, Hunding, Hagen)
Valentina Carrrasco(Dir)
Roberto Paternostro/
Teatto Colón Orchestra and Chorus
C MAJOR/713104(BD)


201111月に、アルゼンチンの首都ブエノスアイレスにあるオペラハウス「テアトロ・コロン」で上演された、ワーグナーの「リング」の映像です。これは、普通に演奏すれば4日間、正味14時間かかる作品を、たったの6時間15分に縮めて一晩で上演したというものなのです。「そんなものは『リング』ではない」というワグネリアンの声が聞こえてきそうですが、そもそもこのアイディアは、ワーグナー教の総本山、バイロイト音楽祭の総帥カタリーナ・ワーグナーが提案したものなのです。
実際のところ、この作品はあまりに長すぎるというのは、作曲者自身も分かっていたのでしょう。初めて聴く人にとっては4日目にもなってくると、1日目にどんなことがあったのか、普通は憶えていないはずでしょうから、ワーグナーはそういう人のために、物語の中で「前回までのあらすじ」をやっているのですよ。例えば、「神々の黄昏」序幕の3人のノルンのシーンなどは、まさにそんな部分、一回で上演するのだったらこんなものは全く必要ありません。
実際にこの「短縮」作業を行ったのはコルト・ガルベンという人です。そこでは、ガルベン自身が冗長だと感じた部分も容赦なくカットされ、めでたく半分以下にカットされた「短縮版」が出来上がりました。さらに、ダニエル・スメギが一人で3役を演じているように、キャストの使い回しも可能になり、大幅な経費節減も。
その結果、神々族の中でもどうでもいいキャスト、ドンナーやフローの出番は丸ごとなくなっています。もちろんノルンたちも。ただ、エルダまでカットしたのは、ちょっと問題。そんな風に「ちょっとそれはないだろう」というところもたくさんありますが、それでも極力流れを損なわず、ストーリーの勘所は押さえていたのではないでしょうか。
そんなことよりも、ヴァレンティーナ・カラスコの演出には、先日亡くなったパトリス・シェローが30年以上前にバイロイトで行ったこの作品の「読み替え」に匹敵するほどの衝撃を受けました。彼女が設定した舞台は1970年代の軍事政権下の「アルゼンチン」、その暗黒時代に横行していた幼児誘拐事件を盛り込んで、この作品の最大のモチーフである「黄金」を、「こども」に置き換えたのですね。アルベリヒがラインの乙女(というか、ここでは「おばさん」)から奪ったものは生まれて間もない赤ん坊、ニーベルハイムで行われていることは、幼児の誘拐と母親の拷問という設定です。当然、巨人族が略奪したのは小さな子どもたち、彼らはファフナーの洞窟のそばの檻に入れられています(これが、みんなすごくかわいいんですよね)。そして、大詰めでは、その子たちはみんな両親のもとに帰ってくるのです。時系列はデタラメですが、これは感動ものですよ。
実は、この演出家はカタリーナがキャンセルしたために急遽呼ばれた人、そんなゴタゴタ(短縮版のパート譜は手作業で作成、それが間違いだらけだったので、指揮者が怒って帰ってしまうシーンとか)をつぶさに記録したメイキング映像のほうが、もしかしたらもっと感動を呼ぶかもしれません。ジークムント役の歌手が病気で出演出来なくなったので、もしかしたら自分が出られるのではないかと思った控え(シャドー、ですね)の歌手が、結局別の代役(この人、ハナ肇そっくり)が来ることになって願いはかなわなかったというような「悲哀」あふれる裏話も満載です。
ちなみに、ヴォータンとフリッカは、ちょっと時代が違いますが、ペロン大統領とエヴィータがモデルになっています。これはすぐに分かったのですが、このメイキングでそのことがしっかり確認できました。ということは、このヴォータンを「ビデラ将軍」としたレビューを音楽雑誌に執筆した「音楽学者」は、せっかくのこのメイキング映像を見ていなかったのでしょうね。これは恥かしいミステイク

BD Artwork © C Major Entertainment GmbH

10月12日

STRAVINSKY/The Rite of Spring
STOKOWSKI/Bach Transcriptions
Yannick Nézet-Séguin/
The Philadelphia Orchestra
DG/00289 479 1074


フィラデルフィア管弦楽団がメジャー・レーベルからCDを出すなんて、一体何十年ぶりのことなのでしょう。かつてオーマンディ時代にはCOLUMBIAとRCAというアメリカの二大レーベル、そのあとのムーティの時代(1980年代)にはEMIと専属契約を結んでいて、おびただしい数のLPCDを出していました。しかし、その後メジャー・レーベルはコストのかかるオーケストラの録音からは手を引くようになっていきます。次の次の音楽監督のエッシェンバッハの時(2000年代初頭)には、なんとONDINEというフィンランドのマイナー・レーベルからワンポイントでSACDを出しました。これはコンサートをそのままライブ録音したものでしたが、なかなか聴きどころの多いものが揃っていたような気がします。しかしそれも、エッシェンバッハがこのオーケストラを追い出されてしまうと、もはやリリースされることはなくなってしまいます。大切な収入源を失ってしまったのですね。
しかし、CDこそ出してはいませんでしたが、このオーケストラは他に先駆けてライブ音源のネット配信という新しい商法を確立していました。ある意味、時代の先を行っていたのでしょうが、やはりCDを出さないことには今までの「栄光」を維持することは出来ないのでは、とは、だれしもが感じていたことでしょう。
そうこうするうちに、このオーケストラの経営はどんどんヤバくなってしまい、とうとう「倒産」してしまいます。しかし、各方面の懸命の努力で、奇跡的な「再建」を果たすのですね。そして、まるでその象徴でもあるかのように、2012年に音楽監督に就任したネゼ=セガンのもとで、DGからCDを出すことになったのです。しかも、そのCDはこのところの潮流であるコスト削減のためにあり合わせのコンサートをそのまま録音するという「ライブ録音」ではなく、わざわざ録音のために予定を設けて指揮者や楽団員を集め、お客さんのいないところで録音するという「スタジオ録音」によって作られています。もはや録音の現場、特にメジャー・レーベルでは完全に死に絶えたと思っていたこの贅沢な録音方式が、まだ残っていたことに、深く感動しているところです。
そんな丁寧なセッションですから、どんなスタッフが担当しているのかも気になりますが、ここでレコーディング・エンジニアとしてクレジットされているのはチャールズ・ギャグノンという人でした。この名前は、ONDINESACDでも見られていたもので、おそらくこのオーケストラの専門の録音スタッフで、配信音源などの録音も担当しているのではないでしょうか。「スタジオ録音」とは言っても、録音会場は彼らのホームグラウンドであるヴェライゾン・ホールですから、彼らの音もホールの特性も完全に把握している人材ということなのでしょう。
曲目は、まずストラヴィンスキーの「春の祭典」。なんたって今年は「初演100周年」ですから、いささか食傷気味という気もしますが、この曲はこのオーケストラによって「アメリカ初演」が行われているのですから、そんな「栄光」を語るには最適のチョイスです。しかも、ここでのネゼ=セガンは、逆に「過去の栄光」を振りはらうかのようにその「初演」を行ったレオポルド・ストコフスキーとは全く異なる、いささかも感情におぼれることのないクールなアプローチを試みています。各パートの音がすっきりと届いてくる見晴らしの良さからは、この作品の新たな魅力が確実に感じられます。
そして、カップリングが、そのストコフスキーによるバッハの有名なオルガン曲の編曲です。こちらも、「トッカータとフーガニ短調」などを聴くにつけ、たとえば「ファンタジア」などでのストコフスキー自身の演奏とはまるで違った、醒めた視線を感じることが出来るのではないでしょうか。その引き締まった弦楽器の響きからは、まさに「今」の時代に耐えうるだけの「栄光」を目指してこのオーケストラを曳航しようとしている指揮者の意志さえも感じられるはずです。

CD Artwork © Deutsche Grammophon GmbH

10月10日

SCHUMANN
Der Rose Pilgerfahrt, Requiem
Britta Stallmeister, Antonia Bourvé(Sop)
Olivia Vermeulen(MS)
Daniel Behle(Ten), Tobias Berndt(Bar)
Christopher Spering/
Chorus Musicus Köln, Das Neue Orchester
OEHMS/OC 871


指揮者:クリストファー・シュペリング、合唱団:コルス・ムジクス・ケルン、オーケストラ:ダス・ノイエ・オルヒェルターというチームについては、今から20年以上前、1992年に録音された「メンデルスゾーン版マタイ受難曲」によって、大きな衝撃を与えられたことで、強烈に記憶に残っています(その頃は、合唱団は単に「コルス・ムジクス」という名前でした)。その後も、2001年にはモーツァルトのレクイエムの自筆稿をそのまま演奏するというCDを出したりと、さらなる衝撃を届けてくれたものです。
彼らの最新アルバムは、シューマンの「レクイエム」でした。「モツレク」みたいに略すと「シューレク」でしょうか。お菓子みたい(それは「シュークリーム)。
ただ、これだけでは演奏時間は40分にも満たないものですから、さらにもう1曲、同じ作曲家の世俗オラトリオ「ばらの巡礼」という作品をカップリングしています。実は、彼らは1998年にこの作品のおそらくスタジオ録音によるCDを出していますから、それをコンサートで取り上げた際に「レクイエム」も一緒に演奏し、それをライブ盤として2枚組でリリースした、ということなのかもしれませんね。いずれにしても、なかなか耳にする機会のないこの2つの作品を一度に聴けるのはありがたいことです。
しかし、シュペリングほどの人が、そんなありきたりのコンサートを開くはずはありません。そのコンサートに立ち会ったり、このCDを聴いたりした人たちは、もしかしたらこのようなプログラミングには、なにかたくらみのようなものが潜んでいたのでは、という思いに駆られるかもしれませんよ。
「ばらの巡礼」というのは、演奏時間が1時間を超える大作です。シューマンの晩年1851年に作られたもので、ハインリヒ・モリッツ・ホルンの童話をテキストにしています。天国のばらの精が、妖精によって乙女の姿に変えられ、地上に降りて苦労と喜びを味わうという、どこかで聞いたことのあるようなお話ですが、これに付けられたシューマンの音楽が、まさにロマン派の極致とも言える美しさなのですね。ソロも合唱も、どこまでも澄み切った音楽で、愛、喜び、生命力などを見事に表現しています。
それに続いて、1852年に作られた「レクイエム」が演奏されます。ところが、冒頭の「Requiem aeternam」こそは、今まで聴いていた音楽とは明らかに異なる「暗さ」が宿っていると感じたのもつかの間、次の「Te decet hymnus」になったとたん、その前の作品の「ロマンティック」なテイストが押し寄せてきたではありませんか。この時代の、ある意味一つの完成された姿を見せているドイツのロマンティシズムによる音楽の様式は、本質的に「レクイエム」というジャンル、あるいはそのラテン語のテキストとは相容れないのではないか、という思いがその時に沸いてきました。だから、ブラームスはドイツ語のテキストを用いたのではないか、だから、ドヴォルジャークの「レクイエム」はあんなにもつまらないのではないか、という思いですね。さらに、その時代の「名作」を生もうとすれば、ベルリオーズやヴェルディのように、様式を大きく踏み外す必要があったのではないか、とかね。
こんな思いにさせられることが、シュペリングの「たくらみ」だったと思うのは、間違っているのでしょうか。
とは言っても、テキストの中にはそんな時代様式の壁を越えて普遍性をもって迫れるものも有ります。「Lacrymosa」や「Agnus Dei」がそんなことば。この部分に付けられたシューマンの音楽は、文句なしに心を打たれるものです。「ばらの巡礼」でも大活躍していた合唱が、ここでもクールに切なさを訴えています。
確か、メンデルスゾーンの時には半音低いピッチでしたが、この録音では普通のモダン・ピッチのように聴こえます。木管楽器などもなんかモダンっぽい音、シュペリングはなにか「宗旨替え」を行ったのでしょうか。

CD Artwork © OehmsClassics Musikproduktion GmbH

おとといのおやぢに会える、か。


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