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ピーターとおすぎ。.... 渋谷塔一

(02/1/1-02/1/20)


1月20日

VERDI
Falstaff
Bryn Terfel(Bar)
Barbara Frittoli(Sop)
Bernard Haitink/
The Orchestra of the Royal Opera House
OPUS ARTE/OA 0823 D(DVD)
ヴェルディイヤーはとっくに終わったというのに、ここへ来てヴェルディの3連発、まあ、前後賞というか、後厄ということで。
このDVDは、199912月に行われた、ロンドンのロイヤル・オペラハウス(コヴェント・ガーデン)の改修オープニングを飾った、「ファルスタッフ」の映像です。イギリス随一のオペラハウスとして数々の伝説を作ってきたこの歌劇場も、老朽化に伴って丸ごと建て替えることになりました。建物がなくなっても、このオペラハウスは各地を転々として上演を続けていたのですから、たいしたものです。そして、先ごろ、最新の舞台機構を備えた新しい建物が完成の運びとなったのです。
この、いわば柿落としとも言うべき公演は、国営放送BBCを通じて全国に生中継されたといいますから、彼の国における音楽の位置付けが計り知れようというものです。ひるがえって、わが国を見てみると・・・
それはともかく、映像ならではの楽しみは、まず、舞台装置でしょう。演出のグレイアム・ヴィックが、このヴェルディ唯一の喜劇作品に持ち込んだフレイヴァーは、絵本の中の世界でした。ガーター亭にはおもちゃのようなプロポーションのベッドが置かれ、「陽気な女房」たちが出会う公園には、あのビネッテ・シュレーダーが描くようなある種超現実的な世界が広がっています。真夜中のウィンザー公園で、ダンサーたちが宙吊りになってシルエットと化しているさまは、ほとんどティム・バートンの「ナイトメア・ビフォア・クリスマス」の世界です。登場人物の衣装も、原色を使った派手なもの、主人公のデート用のよそ行きときたら、まるでピエロみたいな極彩色。当時のファッションだった、男根をかたどった前当てを、これ見よがしに強調する事も、忘れてはいません。
その主人公、ジョン・ファルスタッフを演じるのは、先ごろアバドとのCDも出した、ブリン・ターフェル。彼の天性の明るさは、まさにこの役にうってつけと言えるでしょう。腹の出た着ぐるみに入って、汗びっしょりになって動き回る様子を見ているだけで、おかしさがこみ上げてきます。あまりにも外見がハマりすぎているため、かえって歌の方が立派過ぎてちょっと違和感を感じてしまうという、ちょっと贅沢な不満がなくはありませんが。
フォード夫人は、これも超売れっ子のバルバラ・フリットリが好演。普段は深刻な役の多いこの飛び切りの美人が、思いっきりはじけてコメディエンヌになりきっているのが見ものです。いつもはちょっと鼻につく過剰な演技も、ここではとてもふさわしいものになっています。
指揮のベルナルト・ハイティンクは、手堅くアンサンブルを整え、このオペラハウスのシェフとしての貫禄を保っています。作品の本質にまで入っていくほどの生真面目さも感じられますし。

1月18日

VERDI
Messa di Requiem
Giuseppe Sinopoli/
Sächsische Staatskapelle Dresden
Wiederaufbau Frauenkirche GmbH
今年もまたレコ芸にリーダース・チョイスが掲載される時期となりました。私は、投稿する事こそしませんが、人が選んだ物を見るのは結構好きですね。さて、私も1年間を振り返ってみるとしますか。
昨年もいろいろ聴きましたが、私の一番印象に残ったのはシノポリの「スターバト・マーテル」だったように思います。彼の突然の訃報により、計らずも追悼盤となってしまったアルバムですが、細部まで心を込めた演奏により、この曲の持つ美しさに改めて開眼。一抹の寂しさも含めて、いろいろな意味で大切にしたい1枚となったのでした。
で、そのシノポリの本当の最後の録音というのが、レコ芸の12月号に掲載されていました。ドレスデン大空襲祈念コンサートのライヴで曲はヴェルディのレクイエム。これも出来すぎた話ですが、いくら聴きたいと思っても、チャリティCDのため、そのフラウエン教会に直接申し込まなくては入手不可能とのことでした。国際FAXやネット通販はちょっと苦手なので二の足を踏んでいたのですが、驚いたことには、先日行き付けのCD屋さんにちゃんと並んでいたではありませんか。さすがですね。
ヴェルディのレクイエムは、フォーレやモーツァルト、そしてデュリュフレなどとは全く違った劇的なもの。宗教音楽の枠を超えた一つの偉大な作品といえましょう。そんな曲ですから、歌もオーケストラも生々しく豊かな表情を求められるのが当然、ショルティやムーティ、最近ではゲルギエフなど、熱い音を聴かせてくれる指揮者が人気なのもうなずけると言うものです。さて、シノポリですが、ご想像の通り、「曲全体を見据えて大きな流れを作る」人ではありません。必要ならば流れと停滞させてでも細部に徹底的に拘る、この持ち味が極限まで生きた演奏です。最初は冷たく聞こえるかもしれません。例えば有名な"Dies Irae"も迫力が足りないと思う人もいるでしょう。しかし独唱、合唱、オーケストラ、全てが実に丁寧な音を出しています。特にテノールのボータが好演。聴けば聴くほど素晴らしい人です。"Ingemisco"の気品ある歌い方に陶然。ゲルギエフのレクイエムぽっちゃりしたテノールなどとは比べ物になりません。ソプラノのデッシーも、いつになく押さえた歌い方でちょっと意外でした。あくまでもオペラティックな表現には背を向けた感があります。
そんなわけで、この曲にダイナミックさを求める人には受けないでしょう。(以前のブルックナーもそうでしたね)逆に、「ヴェルデイのレクイエムは仰々しくて好きになれない」人にはぜひオススメしたいですね。

1月16日

VERDI
Il Trovatore
Salvatore Licitra(Ten),Barbara Frittoli(Sop)
Leo Nucci(Bar),Violeta Urmana(MS)
Riccardo Muti/
Orchestra e Coro del Teatro alla Scala
SONY/S2K 89553
(輸入盤)
ソニーミュージック
/SICC-43(国内盤1月23日発売予定)
待ちに待った「トロヴァトーレ」がいよいよ発売になりました。以前、フリットリのヴェルディ・アリア集が発売された際にも触れましたが、200012月のミラノ・スカラ座のシーズン・オープニングの公演で、この模様は衛星放送でも放映され、大きな話題を呼んだものです。その時は専ら、マンリーコ役のリチートラの出来についてが取り沙汰されたように思います。声はともかく、どうしても見栄えが理知的ではなくイマイチ(失礼かな)。そのせいか、ルーナ伯爵役のヌッチのカッコよさばかりが目立つという映像ゆえの悲しさを味わう結果にもなったのです。
初日は、オープニングに付き物の、ちょっとしたトラブルもあったそうですが、こうしてCDになってみるとあまり破綻は感じられません。それもそのはず、12月の7、10131922日と全公演のなかから、よいところだけを継ぎはぎした・・・おっと「選りすぐった」2枚組み。間違ってもブーイングなんて収録されていません。ご安心あれ。(ブラヴォーはきちんと収録されています・・・)
さて、こうしてきちんとした映像なしのCDとして聴いてみると、やはりムーティは素晴らしい指揮者であるという事がわかります。全体的に早めのテンポ設定も彼らしいし、この緊迫したドラマにふさわしい燃えるような音楽を聞かせてくれます。たまに歌手がついていけない場面もあるのですが、これはご愛嬌でしょうね。スカラ座の音はさすがに豊麗、思わず感心します。フリットリの歌う、例の「静かな夜だった」も、この絶妙なサポートのせいでしょう。前述のアルバムよりも格段に巧く聞こえたのには驚きです。
リチートラですが、これだけ聴いても、まだ私にはイマイチ良さが感じられません。一番の聞かせどころである「恐ろしい炎」、ここでも迫力が足りない気がします。ダイオキシンの発生が恐いからなのでしょうか?しかし、ある本のCD評をめくっていたら、こうありましたよ。「抑制の効いた表現が好ましい」。ああ、こういう言い方もありますね。でも、マンリーコに抑制など必要なのでしょうか??しかし彼はムーティのお気に入り。今年のスカラ座のオープニングでも、この「トロヴァトーレ」と同じリチートラ、フリットリ、ヌッチの黄金トリオで「オテロ」を上演したそうです。
好きなところ、嫌いなところが半々の「トロヴァトーレ」でした。ミラノまで実演を聴きに行けばさぞかし面白かったことでしょう。

1月14日

Jungle Drums
Morton Gould
and His Orchestra
BMG
ファンハウス/BVCC-37307
音を記録する機械=蓄音機が発明されてから、100年以上の時が経ちました。トーマス・エディソンが1877年に「メリーさんの羊」を蝋管に刻み込んだ時から、それまでは空気中に拡散してその場で消滅してしまっていた「音」は、永久に保存することができるものになったのです。あいにく、この蝋管という円筒状のものは大量にコピーするのには向いていない形でしたので、平らな円盤に溝を刻むという「平板型」の蓄音機が、エミール・ベルリーナによって発明され、今日のレコード盤の原型が出来上がるわけです。
と、大変前置きが長くなってしまいましたが、このベルリーナの会社で技術顧問として働いていたエルドリッド・ジョンソンという人が「ビクター・トーキング・マシン・カンパニー」という会社を興したのが1901年、これが、のちの「RCAビクター」となるのですが、昨年2001年がまさにその創立100周年となっていたのです。そこで、それを記念して出されたのが、「RCAレッド・シール・ヴィンテージ・コレクション」という、50枚から成る全集です。昨年末に、そのうちの20タイトルが発売されたのですが、いつものCD屋さんで買って、家で開けてみてびっくり。「レッド・シール=赤盤」をイメージしているのでしょうが、一面真っっっっ赤なディスク、まるで、昔の東芝エンジェルレコードか、ソノシートのよう(どちらも知らないだろう)。それを取り出すと、ケースの中にはLP時代の中袋(そういうものがあったのですよ。LPはいったん薄い紙で出来た袋に入れた後、ボール紙のジャケットにしまったものです。これがポリエチレン製の袋になるのは、ずっと後のこと。)に印刷されていた、「レコードの取り扱い方」とか、「ステレオの仕組み」といった説明書きのコピーがありました。アイテムによっては、そこに、昔懐かしい「リビング・ステレオ」や「ダイナグルーヴ」あるいは「ニュー・オーソフォニック」といった、RCAのLPのジャケットには必ず見られたロゴがあったりします。「RCA」のマーク自体、現在のものとは異なる、「A」の部分が稲妻のように下に伸びているタイプですし。
その中には、以前紹介した「花時計」のようなマニアックなものもありますが、じつは私が一番気に入ったのが、このCD。クラシックと言うよりは、限りなくポップスに近い指揮者でありアレンジャーでもあったモートン・グールドが、自ら編成したオーケストラを指揮して録音したラテン色の濃厚なこのアルバム、聴き所はその録音の優秀さにあります。これが録音されたのは1955年、半世紀近く前にこれほどクオリティの高い録音技術が確立されていたというのは、驚くべきこと、「ジャングル・ドラム」の冒頭、2組のドラムが近くと遠くで呼び交わす時の音場感など、身の毛がよだつほどです。現在のような高度なマイクアレンジや編集技術がなかった分だけ、演奏者の意気込みみたいなものがより直接的に伝わってくると感じられるのは、昨今の「心」の少ない録音に慣れてしまったせいでしょうか。
私がこれを買ったCD屋さんでは、なぜかこれは全く売れないとか。こんな素敵なアルバムを買わない人は、なぐーるど

1月11日

BRAHMS
Clarinet Sonatas, Piano Sonata No.3
Paul Meyer(Cl)
Éric Le Sage(Pf)
RCA/74321 87760 2
(輸入盤)
BMG
ファンハウス/BVCC-31060(国内盤1月23日発売予定)
2002年のお正月も終わり、皆さんもそろそろ普通の生活に戻った頃でしょうか。何となく疲れたな・・・。ブラームスでも聴きたいな。そんな気分にぴったりな今回の1枚です。ポール・メイエのクラリネット、エリック・ル・サージュのピアノで2曲のクラリネットソナタ、そしてル・サージュの独奏でピアノ・ソナタ第3番という組み合わせです。
メイエとル・サージュと言えば、思い起こすのが99年のレコード・アカデミー賞大賞を受賞した、「プーランク作品集」のCDでしょうか。とびきりおしゃれで、その上巧い。まさにフランスの粋を集めたアルバムで、聴いた人全てが絶賛した稀有の名演でした。それに比べると話題性としては若干地味でしたが、次にリリースされたオーリック、イベール等の作品集、そして、ミヨーの「世界の創造」演奏会用組曲、などなど近代フランス物の室内楽に於いては、最高のアンサンブルを聴かせてくれた人たちです。その2人のブラームス。これは聴く前から期待できるというものですね。
ブラームスのクラリネット・ソナタは、彼の最晩年の作品で、ヴィオラでも演奏できる曲。どちらの楽器の演奏を取るかは聴く人の好みによってわかれるところでしょう。ヴィオラで演奏すると、曲の持つ暗さが強調されるようですし、クラリネットだと、逆に明るさが前面に出てくる気がします。1番の方が動きの多い曲で、特に3楽章、4楽章でのクラリネットとピアノの語らいはとても微笑ましいもの。この部分、彼らの歌心の素晴らしさに感心しました。ピアノとクラリネットが歌い交わす様子は、まるで若い恋人の語らいのよう。クラリネットの響きもひたすら明るく晴れやかです。
それが第2番になるとメイエの音色が一変。「ほんとに同じ人?」と思える程、深く沈んだ柔らかい音です。それがこの曲にぴったり合ってて、ひたすら聞き入ってしまいます。続く第2楽章は激しい感情の吐露ですが、ここももちろん素晴らしいです。変奏曲形式の終楽章がまた聴き物。ちょっとばかりまどろこしいテーマをよくぞここまで掘り下げたな。そんな感じの真摯な演奏です。
もう1曲、いやぁ、これが良かったです。こちらはブラームス初期の作品であるピアノ・ソナタで、冒頭にも書いたようにル・サージュの独奏。少しばかり肩に力の入った曲で、例えばアラウの演奏などで聴くと、まるでベートーヴェンのような味わいになってしまいます。しかしブラームスはこの曲にロマンティックな味付けをしたかったようで、2楽章の冒頭には、 黄昏が迫る頃、月影が輝き、2人の心は愛で結ばれ互いに抱きあう・・・という、まるでデーメルのようにロマンティックなシュテルナウの詩が添えられています。
ル・サージュの演奏はこの2楽章が絶品!中間部の右手と左手の語らいの何と幸せそうな事でしょうか。優しく包み込むような分散和音に乗って歌われるブラームスの「愛の歌」です。
3曲通して聴いて、暖かい気持ちになれない人などおるめいえ

1月9日

SAINT-SAËNS
Requiem
James O'Donnell(Org)
Geoffrey Simon/
The Hertfordshire, Harlow and East London Choruses
London Philharmonic Orchestra
CALA/CACD 1032
かつて、サン・サーンスのレクイエムのさるCDを紹介した時に、「この曲を、たとえばイギリスあたりのちゃんとした合唱団とソリストが録音してくれれば、もっと広く魅力が伝わってくれると思うのですが。」と書いたことがありましたね。こんなマイナーな曲ですから、よもやこの願いが実現するとは思わなかったのですが、願い続けていれば望みはかなうもの、そのイギリスの合唱団が録音したCDが登場しました。聞いたこともない団体ですが、「合唱王国」イギリスのことですから、そのレベルはかなりの高さにあることは期待できるでしょう。
その期待にたがわず、「レクイエム」の演奏は素晴らしいものです。今までにこの曲は3種類のものを聴いたことがありますが、そのいずれをも凌駕しようというクォリティを持っています。この、今までの演奏というのは、すべてフランスの団体によるもの、たとえば、最も新しい前述のメルシエ盤などでは、「フランス風」というカテゴリーの中に狭く閉じこもっている物足りなさがあります。だから、このレクイエムを最初にこの演奏で聴いてしまうと、曲そのものもただのメランコリックなものでしかないような印象を持ってしまう危険性をはらんでいました。じつは、これはサン・サーンス業界ではもはや定説になってしまったようで、この曲に対する評価というものは、どうもあまり芳しいものではありませんでした。
そこへ現われたのが、このCDです(93年に一度出たものの再発ですが、カップリングが変わっています)。ジェフリー・サイモンに率いられた合唱団とロンドン・フィルは、この曲から、今までの演奏では決して感じることの出来なかった深い魅力を引き出してくれたのです。正直言って、この合唱団は音色的にはそれほど洗練されているとは言えません。しかし、指揮者の要求にきちんと応えて、音楽を起伏に富むものする能力には確かなものがあります。これは、言ってみればフランス人の脳天気さとは全く正反対の真摯なもの。ソリストたちも、全く無名の人ですが、合唱に良く溶け合っています。
さらに、オルガンが重要な役割を担っているのにも、初めて気付かされました。これには、合唱指揮者としても名高いオルガニスト、ジェイムズ・オドネルの力が大きいことは、例えば「Dies Irae」に現われる金管−オルガン−合唱という執拗なシークェンスに立ち会えば、誰しも納得することでしょう。オルガンだけあとでオーバーダビングされたとはとても思えない、確固たるアンサンブルも見られます。
この演奏によって、この曲の真価が初めて明らかになったと言っても過言ではないほどの名演、多くの人に聴いてもらいたいものです。もちろん、これが世界初のデジタル録音だとか。
カップリングは、非常に珍しい「黄色の女王」序曲。これも「デジタル初録音」で、そのあとに以前ご紹介したCHANDOSの全曲盤が出ましたね。もう1曲のカップリングはなんと交響曲第3番。サクサク前へ前へと進む、小気味良い演奏がそこにおるがん

1月7日

BERLIOZ
Les nuits d'été
Véronique Gens(Sop)
Lous Langrée/
Orchestre de l'Opéra National de Lyon
VIRGIN/VC 545422-2
(輸入盤)
東芝
EMI/TOCE-55366(国内盤)
このところモーツァルトやヘンデルのオペラで引っ張りだこなのがこのベロニク・ジャンスでしょうか。未だに問題を提起し続けている、あの革新的なハーディングの「ドン・ジョヴァンニ」にも出演していますし、そういえば、ミンコフスキの「天国と地獄」でも歌っていましたね。どんな役柄の場合でも決して出すぎることなく控えめなのに、その美しい声は強烈な存在感を放つのです。
以前発売されたフランス歌曲集での彼女も、なかなか素晴らしいものでした。ただ、フォーレやドビュッシーと言ったいかにも感覚的な曲は、ちょっと彼女の資質には合わない・・・・。そう感じた人も多かったようです。
そんな彼女の新譜はベルリオーズ。ちょっと意外な気もしますが、(同じフランス物と言えども、印象主義の曲とは全く違いますし、もちろんオッフェンバックとも違いますね。)ベルリオーズの持つある意味病的な一面を、彼女は汲み取ってくれるかも知れません。
彼の歌曲の中でも特に知られた「夏の夜」。この曲は、今までにも数々の名唱があります。ジャンスの歌はとにかく端正。例えば第1曲目の「ヴィラネル」、この幸せな思いの泡立つような歌でも彼女は決してはしゃぐ事はありません。つねに醒めた目で曲の全体を見据えています。この曲は一応有節歌曲の形式を取っているのですが、最後のところで盛り上がると見せかけて、軽い肩透かしを食わせるという、なかなか侮れないベルリオーズらしい曲なのです。人によってはこの部分をとても思わせぶりに歌うのですが、彼女はその処理が大変さりげないのです。その上フランス語の響きの美しい事と言ったらたまりません。
一転して「ばらの精」での優しい眼差し、これは摘み取られたばらへの哀悼、そして美しい人の胸元をカ飾ることへの羨望を全て歌い上げるのですね。続く3曲は内容的にも悲しみに満ちた歌ですが、彼女は決して声を荒立てる事なく、淡々と悲しみを綴ります。で最後の第6曲目、ここでも彼女の表現は抑え目です。しかし、バックのオーケストラの響きは雄弁。長調と短調の交錯するあたかもワーグナーのような壮大な曲ですが、波の音、風の音、全てをはっきりと聴き取る事が出来るのです。
国内盤には、ある高名な批評家が解説を寄せていますが、その内容はかなり不思議かつあいまいな物で、それを読む限りでは、彼はこの演奏の良し悪しに対して明確な答えを出していません。確かにこのジャンスの歌は、歴代の名歌手たちとは全く違ったアプローチです。デ・ロス・アンへレスやベイカーの歌唱でなれた耳には違和感があるかもしれませんが、比較しても仕方ないじゃんす。もし国内盤を手にした方は、まず先入観なくこの美しい歌に耳を傾けていただきたいものです。

1月5日

BACH
Complete Cantatas Vol.12
Lisa Larsson(Sop)
Annette Markert(Alt)
Christoph Prégardien(Ten)
Klaus Mertens(Bas)
Ton Koopman/
The Amsterdam Baroque Orchestra & Choir
ERATO/8573-85842-2
バッハの教会カンタータは200曲以上あって、とても全部を聴き通すなどということは、普通の生活を送っている人には無理なことはばっはりきったことです。しかし、一度きっかけをつかんでしまえば、その魅力に取り付かれるのはもう時間の問題です。そのきっかけとは、例えば独奏楽器の装飾に満ちたオブリガートであったり、親しみやすいコラールのメロディに付けられた煌びやかなオーケストラのフレーズだったりするわけですが、どんなところにもバッハの親しみやすい音楽が潜んでいるのを見付けさえすれば、何も怖いものはありません。手当たり次第に聴き進んでいくうちに、とても豊かなものを体験している自分に気付くはずです。
さて、コープマンのバッハ/カンタータ全集も第12巻をリリースするところまでこぎつけました。作曲年代順に録音されているこの全集、全部で20何巻かになるそうですから、もう中間点は過ぎたところです。3枚からなるこの巻はライプツィヒ時代の第2シーズン(1724年〜1725年)に作られた曲を集めたもの、この1年間で作られたカンタータは50曲以上、まさに脂が乗り切った時期のものと言えます。ここで集められているのは、「コラール・カンタータ」というジャンルに属する形をとったものが11曲、最初と最後に合唱によるコラールが演奏され、中間部で、ソリストによるレシタティーヴォとアリアが歌われるという、最も一般的な形のカンタータです。
オルガンの独奏や、器楽曲でコープマンに接してきた人には、あるいはこれらのカンタータは少し物足りない思いがするかも知れません。あれほど軽やかで、天真爛漫といっても構わないほどの自由な音楽を見せてくれている彼が、ここでは、まるで借りてきた猫のようなおとなしい表現に終始しているのですから。確かに、アリアの通奏低音として、自ら弾いているオルガンなどには、とてもファンタジーにあふれた即興演奏なども見られますが、全体を覆う生気のなさには、ちょっと失望させられる面もなくはありません。オーボエのソロなども、別のところでは共演しているマルセル・ポンセールあたりと比べると、ちょっと見劣りしてしまいます。
ただ、例えばクリスマスのために作られたBWV91のような、割と派手な曲では、もちまえの明るさが表面に現われて、抵抗なく聴くことが出来ます。それから、トラヴェルソの名手、ハーツェルツェットが参加している、たとえばBWV99などは、彼の名人芸と相まって、とても聴き応えのあるものに仕上がっています。
声楽陣は、ソリストにはちょっとむらがありますが、どの曲でも、合唱の見事さには心を打たれます。ハーモニーを大切にした、渋い音色は、オランダの団体ならではのもの、安心して聴いていられます。

1月3日

"Wien, Weib und Gesang"
Martin Sieghart/
Wiener Johann Strauss-Orchester
ARTE NOVA/74321-90686-2
今年のウィーン・フィルのニュー・イヤーコンサートも無事終わりました。日本人が初めてあの伝統的なオーケストラの最もウィーン的な演奏会を仕切るのですから、やはりこれは大事件。ヒレカツ先生始め、テレビでご覧になった方も多いでしょうが、私は少し興奮の醒めた時期、そうCDでも発売されたらまたゆっくり聴いてみるとしましょうか。何しろ昨年のニューイヤーもCDで聴き直した時、それとDVDで改めてもう一度映像を見た時、それぞれ新しい発見があったものですから。
で、今回はあのようなお祭ではなく、もう少し気楽に聴けるシュトラウスをご紹介します。とは、言っても一応来日記念盤。マルティン・ジークハルト指揮ウィーン・ヨハン・シュトラウス管弦楽団の演奏によるワルツやポルカです。この団体は毎年新年になると、どこからともなくやってきて、日本中にウィーンの風を振りまいて帰っていくという、不思議なオケです。(今年も1月4日の池袋、東京芸術劇場を皮切りに、全国公演が予定されているそうです。)
このアルバムも、単なる寄せ集めオーケストラと片付けるわけには行かない程の高い演奏技術と、適度に肩の力の抜けたアンサンブルがとても心地良い、まさにお屠蘇気分(ウイーンってか)にぴったりの1枚です。しかしながら、こういう音楽と言うのは、やはり踊るための曲ですね。先ほどの話ではありませんが、例えば昨年のニューイヤーのアーノンクールのように、シュトラウスの音楽(ヨハンですよ)の音楽を眉間にしわ寄せて大真面目に演奏された日には、「確かに演奏会の席上でじっくり聴いてみてもいいかな。」という気分になりましたよ。それがニューイヤー・コンサートの雰囲気に合っているかを別にすれば。
このジークハルト盤、例えば、最初の曲「ジプシー男爵序曲」からアーノンクールの演奏とは大違い。最初の「いかにもエキゾチックな場面」以外は、実にのんびりしたものです。とはいってもリズムの柔軟さには目を見張るものがあります。さすが「ワルツ王」の名を冠したオケだけのことはありますね。今回の収録曲のなかには、レハールの「金と銀」も含まれていますが、これなんてまさにただ黙って座って聞いているのでは面白くも何ともない曲ですし。これは、絶妙なリズム感もその一因でしょうが、やはり気負いのなさから来る物でしょう。もしこれを演奏会場で2時間座って聴くとしたら、かなり苦痛なのではないでしょうか。何しろこのジークハルトの演奏ときたら、思わず体を動かしたい気分になるようなものなのですからね。
とにかく難しい事を考えずに、ただただ心地良いワルツのリズムに身を任せてればそれでOK。あと、珍しいシュトラウスII世のチェロとオーケストラのためのロマンス"Dolci pianti"も、なかなかロマンティックな佳品。チェロの甘いポルタメントがウィーン気分をいやが上にも盛り上げてくれます。

1月1日

A CLASSIC TALE
Music for Our Children
Sharon Stone(Nar)
Cher(Nar)
Samuell L. Jackson(Nar)
James Levine/Orchestra of St. Luke's
DG/471 371-2
(輸入盤)
ユニバーサル・ミュージック
/UCCG-1089(国内盤)
あけましておめでとうございます。新しい年明けにふさわしい、シャロン・ストーン、シェール、サミュエル・L・ジャクソンというハリウッドが誇る3人のスターをナレーターに迎えた豪華なアルバムを紹介できることは私の誇りです。
まずは、「氷の微笑」、「硝子の塔」といった作品で、惜しげもなくその肢体を披露してくれたシャロン・ストーンが案内役となった「ピーターと狼」。個人的には大好きな女優さんでして、このような「体当たり」を強調したものでなくとも、例えば「クイック&デッド」みたいな埃っぽい役でも充分セックスアピールを感じることができる、素敵な方です。単に外見の魅力だけでなく、演技の基本がちゃんとしているということは、このナレーションを聴けばすぐわかるでしょう。多彩な声色を交えての、噛んで含めるような語りは、英語が分からない人が聴いても十分引き込まれるものです。狼がアヒルを飲み込むところなど、「ゴックン」という声のセクシーなこと。
レヴァインの演奏も、まるで映画を見ているようなスペクタクルなもの。その狼の登場場面でも、たかが狼とは思えない、ものすごい怪物が出てくるような音楽には驚かされました。
シェールは、女優と同時に、ミュージシャンとしても有名ですね、99年にヒットした「ビリーヴ」では、「史上最年長のビルボード1位獲得者」などと騒がれましたし。しかし、ブリテンの「青少年のための管弦楽入門」では、一転して落ち着いたインテリっぽいナレーションをやり遂げているのが、また素敵です。あえて感情移入を避けたため、この曲の持つ退屈さ、押し付けがましさといったものがはっきり見えてくるのは、新鮮な体験です。
サミュエル・L・ジャクソンも、幅広い役柄をこなす上手な俳優さん。その彼が参加したコープランドの「リンカーンの肖像」では、「パルプ・フィクション」にみられるような軽妙さではなく、「英雄の条件」でのシリアスな役どころが透かしだされるようです。この曲は1942年にアンドレ・コステラネッツに依頼されて作られたということから、自ずとその目的が知れようと言うもの。そう、「戦意高揚」のプロバガンダでしかないこの愚作を高らかに歌い上げているレヴァインの演奏に、しかしジャクソンの格調の高さは、ちょっと浮いてさえ見えます。伝承歌を挿入してノスタルジーをそそり、気持ちを盛り上げることしか念頭にないような音楽にリンカーンの演説のナレーションをかぶせるという構成の「アメリカ賛歌」、もっと下手くそな役者さんでも充分つとまるのでは。そこで、将来、コープランドの弟子のソープランドがジョージ・ブッシュのスピーチを集めてこんな曲を作るような時には、稀代の一本調子の木偶の坊、トム・クルーズをナレーターとして起用することを切に望まずにはいられません。

きのうのおやぢに会える、か。


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