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えいっ!列車で行こう!....渋谷塔一

(00/10/19-00/10/29)


10月29日

WAGNER
Der Ring des Nibelungen
Günter Neuhold/
Badische Staatskapelle
BRILLIANT/99625
そしてまた今回もワーグナーです。店頭に並ぶそばから売れてゆくというBRILLIANTのバッハ全集については先日ご紹介しましたが、この同じレーベルのボックスの「リング」全曲。14枚組で、なんと5600円という値段。これは感激ものです。思い起こせば、私がはじめて「リング」全曲を買ったのは、ショルティの全曲盤、もちろんLPです。豪華なケースに入ったとても立派なもので、たしか5万円ぐらいしたはずです。もっとも、私が買ったものは、とりあえず買ってはみたけれど、とても聴き通す自信がないという根性なしが返品してきた、いわば中古品。それでも3万円ぐらいでしたか。LP以外にも分厚い解説や対訳がついて、とても両手では持ち上がらないほどの重さ。自転車の荷台に縛り付けてやっとの思いで運んで帰った思い出があります。
そのショルティ盤もCDになり、片手でつかめるほどの大きさになりました。値段もぐんと安くなって、気がついたらいったい何組の「リング」全曲盤を買い込んだことでしょう。スーパーでイカリングを買う感覚とまではいきませんが、雑貨屋でイヤリングを買うぐらいのノリにはなってしまっているのかもしれません。
さて、このCD、1993年から1995年にかけてのライブ録音、かつてBELLA MUSICAからレギュラー盤で出ていたものを、例によってBRILLIANTが破格の値段でライセンス生産したものです。
とりあえず「ヴァルキューレ」を聴いてみました。ジークムントのエドワード・クックは、他の曲ではジークフリートを歌っていますが、ヘルデンテノールのつぼを心得た好演。フンディンクのフロデ・オルセンは、往年のタルヴェラを思わせる存在感。ヴォータンのジョン・ウェーグナーもなかなか暖かい音色で好感が持てます。ただし、ジークリンデのガブリエレ・マリア・ロンゲとブリュンヒルデのカーラ・ポールは、ちょっと違和感がありますか。しかし、おおむね声楽陣には大きな問題はありません。
問題があるのが、オーケストラ。ライブ録音のためバランスが悪いという点を差し引いても、聞こえて欲しい金管が弱く、まるでワーグナーの響きになっていません。メリハリのきかない消極的な演奏で、田舎の二流オケという印象はぬぐえません。最後の方は疲れてきて指使いまでおかしくなる始末。
でも、ヴァグネリアンとしては、こんなのが一つぐらいコレクションにあってもいいんじゃないですか。

10月26日

BACH
Transcriptions
Esa-Pekka Salonen/
Los Angeles Philharmonic
SONY/SK 89012
(輸入盤)
ソニー・ミュージック
/SRCR 2576(国内盤)
前任者が予言したように今年の新譜はバッハのオンパレードでしたね。「おやぢ」でも何度紹介したことでしょう。年忌あたりにこれだけ盛り上がるなんて、ライプチッヒの石畳の下のご本人はどんな気持ちでいることでしょう(あまりのうれしさに、バッハッハ…おやぢ度7.0/14点満点)。
そんなわけで、またまたバッハネタというわけですが、大好きなバッハ、何回書いても良いものです(たまに嫌いな方もいるかもしれませんが、あと少しで終わりますから、我慢してください)。
今回は編曲物。まずはまっとうなオーケストラ編曲です。おっと、うっかり「まっとう」などと言いましたが、これはジャズやシンセなどに比べたら、という意味で、なかなかどうして、一癖もふた癖もあるものなのですが。
有名なストコフスキーの編曲の「トッカータとフーガ」は、こうしてきちんと聴いてみるとやはりちょっと恥ずかしくなるような代物ですね。ある意味では、ごく限られた時代にしか通用しないようなサウンドなのかもしれません。サロネンがきちんと演奏すればするほど、バッハではなく、脂ぎった編曲者の姿が浮かび上がってきてしまいます。
そこへいくと、イギリス人のエルガーの場合は、どんなに手を加えてみても、バッハの味は損なうことなく、その上で自分自身を現すことに成功しています。
これがウェーベルンになるとどうでしょう。この、音楽の捧げ物からのリチェルカーレ、よく言われるようにバッハの音符一つ一つを別な楽器に当てはめて音色の変化を追及したものですが、このCDでは、さらにサロネンの意思が加わります。今まで、ある種無機的な演奏に慣れていた耳には、「ここまでやるの?」と思えなくもありませんが、1曲ぐらい自分の姿が現れてもいいじゃないかというサロネンの願望は、見事に達成されています。
シェーンベルクはとばして、マーラーの仕事。組曲第2番と第3番を再構成したものですが、楽器編成自体はいじらずに、バッハが書かなかったアーティキュレーションや、通奏低音のリアリゼーションを行ったものです。ここからは、自分が演奏するときのスタイルを固定化したいという、作曲家ではなく指揮者としてのマーラーの姿が見えてきます。余談ですが、この曲は今までロジェストヴェンスキー盤ぐらいしかCDが出ていなくて、それもコンドラシンのマーラー選集を買わなければ手に入らなかったものですが、やっと普通に聴けるようになりました。これもバッハイヤーのおかげ。そういえば、ロイヤル・コンセルトヘボウも、来日したときにこの曲をやってましたよね。

10月23日

CAPLET, RAVEL
Quintette Moraguès
LE CHANT DU MONDE/LDC 2781116
(輸入盤)
キングインターナショナル
/KKCC-4307(国内盤)
パリ音楽院の学生5人が集まって作った「モラゲス木管五重奏団」。2001年を迎えるにあたって、例の「知の象徴」でネーミングするとことなぞ、なかなか前衛的。えっ、あれはモノリス?こりゃまた失礼しましたっ。
本当は、モラゲスというのはこのアンサンブルのリーダーの名前なのですよ。ところが、ライナーを見てみると、メンバーには「モラゲス」さんが3人もいます。これはいったい?
じつは、このモラゲスさんは兄弟なのですね。フルートとクラリネットが双子で、ホルンがその2つ年上のお兄さん。で、リーダーはクラリネットのモラゲスさんというわけです。日本にもいましたね、親戚グループ。サーカスとか。
このCDでは、さらにピアノも加わった編成で、カプレの五重奏曲と、ラヴェルの編曲物、「クープランの墓」、「亡き王女のためのパヴァーヌ」、「マ・メール・ロワ」を演奏しています。
サーカスの叶さんちがそうであったように、このモラゲス一家にも、つい血の濃さというか、そんなものを感じてしまいますね。弦楽器でもハーゲンさんのところのように身内でクワルテットを組んでいるところもありますが、管楽器の場合、声を出すのと作業的には一緒ですから、もっと親密なものがあるみたいですね。管楽器奏者の普段の喋りかたと、出てくる音との間に何か似たものがあると感じたことはありませんか?
そんなわけで、このアンサンブル、各プレーヤーの音色も音楽の作り方もびっくりするほど統一感があって、まるで一つの楽器のように感じられてしまいます。ここではさらにピアノが加わっていますが、これも決して浮き出ない、アンサンブル奉仕型ですから、とても聴きやすいもの。あまりの心地よさに、あっという間に全曲聴きとおしてしまいました。
カプレのオリジナル曲も良いのですが、ラヴェルの編曲物がとても素敵。これが「ボレロ」とかだったらちょっと違ってきますが、ここで選ばれたものはもともとはピアノ曲だったものばかり。ラヴェル自身の編曲をほぼ忠実になぞってはいますが、まるでこの編成のために作られたような、自然な響きに仕上がっています。それを、このアンサンブルが、そうですね、例えてみればペルルミュテールのような、ある種くすんだ音色で演奏してくれていますから、とても贅沢な気分になれます。
全体の音色を支配しているフルートが、とても暖かい響きですから、何気に聞き流すのもよし、しっかり聞き込んで、ちょっとした和音のぶつかり合いなどからも、なんとも音楽的な響きを発見するのもよし、思う存分楽しんでいただきましょう。

10月22日

An Introduction to
the Complete Works of J. S. Bach
Edition Bachakademie
HÄNSSLER/CD92.920
おやぢの中では勝手に盛り上がっているHÄNSSLERのバッハ全集、これはそのテンプラ、じゃない、サントリー、じゃない、サンプラーです。172枚から成る全集の聴きどころをCD1枚に収めたという無謀な代物。
しかし、さすがはバッハアカデミー、ただのサンプラーではありませんよ。ご存知のように、この全集、すべてを新録というわけにはいきませんから、かなりの部分は昔のものが混じっています。その分新しく録音したものは、かなり凝ったものが入っているのですよ。で、このサンプラーは、その辺の一味違うものが、きちんとフェイドアウトなしで最低でも1曲に1楽章は収められています。
そんなわけですから、ものによっては「世界初録音」などというものも。私が一番びっくりしたのは、ヨハネ受難曲の第2稿というやつです。多分ゴルゴタの丘に連れて行かれるあたりで歌われる、バリトン独唱と合唱が入った重々しい曲。バッハの作品で、今まで私が聴いたことのなかった曲とのはじめての歴史的な出会いが、そこで生まれたのです。有名な平均率(と言ってはいけないのですね?マスター)クラヴィーア曲集の第1曲目、あのグノーのアヴェマリアですが、これもちょっと変わったヴァージョンです。ハ短調の第2曲目などは、クラヴィコードによる演奏。
もっと変わったところでは、ロ短調のフルートソナタが、ピアノ伴奏で演奏されていますよ。どこが変わっていると言いたいのでしょう?これはね、最近ではもっぱらチェンバロ伴奏が主流になっている風潮に対する、アンチテーゼと考えてみたいのですよ。(ただ、このジェラールというフルーティストの場合だと、何も考えないで昔ながらのことをやっていると取れないこともありませんが)
でも、まあ、こんなことで驚いていてはいけません。本当にすごいのは、一緒についてくる分厚いブックレットの方なのです。もしかしたら、このブックレットがメインで、CDはそのおまけといってもおかしくないぐらい、充実した内容なのですから。基本的には、この全集の紹介ではあるのですが、それだけにはとどまらないで、まるで小さな「バッハ事典」のようなもの。恥をしのんで申し上げますが、私はこのブックレットを読むまでは(あ、念のため、これは英語です。おやぢは英語が得意。)、シュミーダー番号、いわゆるBWVというのは1080が最後だと思っていました。しかし、このサンプラーで最新情報をゲットできた今の私は、BWVは1990年に第2版が出版されて、1126まで増えたということを知っています。
ちなみにお値段はというと890円。こんなものでこれだけ博識になれるのですから、これはお買い得。

10月19日

BRIDGES TO JAPAN
Manuela Wiesler(Fl)
小川典子(Pf)
BIS/CD-1059
(輸入盤)
キングレコード
/KKCC-2299(国内盤01年1月24日発売予定)
BISレーベルの看板スター、フルートのマニュエラ・ヴィースラーとピアノの小川典子が共演したアルバムが出ました。この、超テクニシャン同士が選んだ曲というのが、なんと日本人のフルートのための作品。これはなかなか興味をそそられるアイテムではありませんか。ジャケの文字が縦書きというのも泣けますが、あいにくこれだと「Japan to Bridges」ですね。
最も古い曲は1930年に作られた山田耕筰の「この道変奏曲」。最も新しい三枝成彰の「The Blue Angel」(1999年)までの、70年間にわたる9人の作曲家の作品が演奏されています。
指揮者の山田一雄が作った「ノットゥルノ」などというかわいらしい小品は初めて聴きましたが、この方のある種の無邪気さが曲に現れていてなかなか楽しいものです。楽しいといえば、弘田龍太郎の「靴がなる変奏曲」という、別な意味で無邪気な、殆ど勘違いといっても差し支えないような稚拙な作品も、やはりある時期の日本の作曲界の成果ではあったわけです。
勘違いついでに、中田喜直の「日本の秋の歌」(1993年)についてひとこと。彼の「小さい秋みつけた」は紛れもない名曲だと思います。だから、そのテーマで作られたこの曲は、「小さい秋」の雰囲気を持ったままでいてくれたならば、とても共感できるものに仕上がったはずです。ところが、西洋音楽に対するコンプレックスが一生付きまとっていたこの作曲家の場合、どうしてもロマン派あたりの手法を棄てきれず、結果としてとてもつまらない音楽になってしまっています。
これに比べれば、1931年に作られた菅原明朗の「La joueuse de flûte」の方が、オリジナリティーという点では数段上です。
こんなことを感じたのも、演奏が素晴らしいため。ヴィースラーは、師ゴールウェイゆずりの豊かな音色と卓越したテクニックで、何の偏見もなく楽譜から音楽を導き出そうとしていますから、おのずと曲の弱点までもさらけ出されてしまうのでしょう。作曲家にとって、演奏家というのは協力者になることもあれば、駄作を白日のもとにさらす告発者にもなりうるのです。
最新の三枝作品、フルーティストのレパートリーとして定着した感のある吉松隆の「デジタルバード組曲」は、皆さんはどのように感じられましたか?私の意見は三枝(さんし)ひかえて吉松。(ほんとは「さえぐさ」ですが)

きのうのおやぢに会える、か。


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