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ブリーフの子守歌....渋谷塔一

(01/3/5-01/3/19)


3月19日

MOZART
Arias
Barbara Frittoli(Sop)
Sir Charles Mackerras/
Scottish Chamber O
ERATO/8573-86207-2
(輸入盤)
ワーナーミュージック・ジャパン
/WPCS-10966(国内盤)
確かに「真性おやぢ」の私は、新進女性歌手が大好きなのです。このところいい娘いますねぇ。特にソプラノ。デセイ、レシュマン、バンゼ、そして今回のフリットリ。もう少しお姉さま好みなら、フレミング、ボニー、グラハム、ジョー・・・。まさに百花繚乱。楽しみは尽きません。
で、フリットリ。ソロアルバムデビューとのことですが、彼女の歌声は以前からずいぶん耳にしていました。ただ共演者に恵まれないと言うか、恵まれすぎていると言うか、どうしてもそちらに注目が集まってしまい、「いいソプラノです」と片付けられてしまっていたんですね。例えば、シャイー指揮の「道化師」。ここではネッダ役で出演。しかしながら、クーラとキーンリーサイド、アルバレスの男臭さに負けてしまい、ちょっと存在感が希薄だっのはしかたないことでしょう。あとは、メータ指揮の「ラ・ボエーム」。この時は、なんだかみんなテノール歌手のことばかり注目して、彼女は二の次でした。素晴らしかったのに。
さて、今回の1枚。お店のコメントには、「期待のイタリアオペラではなく、なぜかモーツァルトを」とありましたが、彼女のモーツァルトは別にこれが初めてではないのですね。ここら辺は昨年詳しく書きましたので、今回は省くとしましょう。
彼女の声は幾分重く、しっとりと艶のある響きを持っています。いわゆるリリコの範疇に入る声でしょう。ちょっと聴いた限りでは、モーツァルトには重過ぎるかな?と思いました。しかし今回選ばれている曲はどちらかというとドラマティコ向けのアリア。ミミやネッダのような「可憐な女性」ではなく、「知性溢れる強い女性」を前面に出したキャラクターで勝負をかけるようです。ジャケ写を見てもそれは一目瞭然。うんうん、おぢさんはあなたについて行きますぅ。そんな感じですね。
技巧的な部分には、もう少しキレが欲しい気もしますが、劇的表現力と言うなら、これ以上望むべくものはありません。例えば、「ドン・ジョヴァンニ」のドンナ・エルヴィラのアリア、「何と言うふしだらな・・・あの恩知らずは約束を破って」での迫力。これはすごい。モーツァルトのアリアが、まるでヴェリズモのように聴こえるのですから。
指揮はおなじみ、マッケラス。相変わらず手馴れたものですね。
スカラ座で5月にファルスタッフ、12月にオテロでの出演も決まっているそうです。彼女の活躍に期待が高まるところです。オテロ、ロンバルジア、アイーダ、ダフネ、ネッスンドルマ……(それはシリトリ

3月17日

アリア
佐藤美枝子(Sop)
James Lockhart/
Philharmonia O
ビクターエンタテインメント/VICC-60225(3月23日発売予定)
先月あたり、私が一人で盛り上っていた、東フィルの「オペラ・コンチェルタンテ」。そろそろ各雑誌でも、その演奏会評が見受けられるようになりました。私も危惧したのですが、「演奏会形式」と言うのが評価の分かれ目のようで、「わかりづらい」と言う人と、「余計な事に気を取られずにすんでよかった」と言う人。人の好みはまちまち、ここらへんは「えぇ、そうかい?」と聞き流しましょう。
このときの公演、大多数の人はツェムリンスキーの曲を絶賛してましたが、もう1曲のストラヴィンスキーの「夜うぐいす」。こちらも素晴らしかったのですよ。
何しろ、夜うぐいす役の佐藤さんの圧倒的な存在感と、滑らかな歌声。彼女が一声発するたびに、会場の空気が漣のように揺らめくのですから。「やはり特別な声を与えられているのだな」と再確認した思いでしたね。
その佐藤さんの2枚目のアリア集がこれです。99年のデビューアルバムでは、お得意のルチアや、ラクメの「鐘の歌」などを披露していて、まだまだ肩に力が入っているものの、芯のある、美しい歌声に陶然としたものです。
今回のアルバムは、ドニゼッティ、ベッリーニ、プッチーニ、ヴェルディ、それとモーツァルトの「魔笛」の夜の女王のアリアを2曲。彼女の魅力を存分に楽しめます。
まず「私のお父さん」を聴いてみました。以前聴いたフレミングの声を、ついつい思い出してしまいますが、同じ情感溢れる歌い方ながら、出来上がったものはまるで違う味わいです。声の質や、イタリア語の発音など、さまざまな違いがあるのでしょう。チョコレートなんかでも、アメリカ製と日本製では味が違いますよね。そんな感じかな。クセのない上質の甘さとでも表現しましょうか。少しばかり音程が不安定なところもあるようですが、これは場数を踏めば解消されるはず。
「椿姫」の有名なアリア、「ああ、そはかの人か〜花から花へ」これもいいですね。特に前半部分。ヴィオレッタの切ない気持ちが手にとるように伝わって来ますよ。先日、某夫婦歌手のDVDでこの曲を聞いたのですが、こちらは、上手いのだけど、とっても押し付けがましくてヒステリック。ちょっと閉口したものでした。それに比べると、佐藤さんは優しく包み込むような歌い方。私はこちらの方が好きです。守ってあげたくなっちゃいます。
そんなこんなの12曲、楽しい52分間でした。ただし、ロックハートの指揮はちょっとな・・・。「椿姫」の前奏部分が、なんとも安っぽい響きに聴こえたのは、へンな先入観のせいだとは思うのですが。(‘キース’・ロックハートのファンの方すみません。)

3月16日

Mozart
Il Sogno di Scipione
Hartelius(Sop), Larsson(Sop), Ford(Ten)
Gottfrid von der Goltz/
Freiburger Barockorchester
ASTRÉE/E 8813
モーツァルトの初期のオペラ「シピオーネの夢」の新録音が出ました。まず、例によってあらすじから。
年をとって寝たきりになってしまった老人、介護する人が忙しいので、オムツを当てられてしまっています。「せめて、おしっこぐらいはとってもらえたらなあ。それだけが、わしの夢じゃ。」
すみません。「『シビンをね』の夢」というつまらないオチで。
本当は、キケロの「国家論」の中の「シピオニスの夢」が原作。カルタゴ討伐のため、ローマ軍を率いて北アフリカの地に来ていたシピオーネ。同盟国の王マッシニッサの宮殿でお昼寝中の夢の中に2人の女神、フォルトゥーナとコスタンツァが出てきて、彼に結婚を迫るのです。困ったシピオーネ、次々と現れる彼の祖先(皆、偉大なる英雄!)に意見を求めるのですが、最終的には自分で決めなくては。富と幸運を司るフォルトゥーナ、意思と貞節を司るコスタンツァ。さて、偉大なる指導者になるためにはどちらが必要なのでしょう?
オペラと言いましたが、正式なタイトルは「劇場用セレナータ」、いわば「音楽劇」です。6人のソリストが、レシタティーヴォをはさんで、入れ替わりたちかわり技巧的なアリアを聞かせるというスタイル。実はこの曲は当時の宮廷や教会のお偉いさんに捧げる、いわゆるごますり劇。相手を過去の英雄シピオーネになぞらえて、賛美しているわけです。そのお偉いさんは、さぞかし強い意思と硬い貞節の持ち主だったことでしょう。
で、今までこの曲のCDというのが、79年に録音されたハーガー盤(DG)1種類だけ、20年ぶりの新録音、しかも、オリジナル楽器を用いたものとしては初めての録音ということで、世のモーツァルトファンの狂喜ぶりは、想像に難くないものがあります。実際、某レコード誌上で「絶対買うように!」と常軌を逸していた人もいたくらいですから。
冒頭の序曲は、えらくキャラが立った曲です。それもそのはず、のちに、モーツァルトは、2つの部分に分かれているこの序曲にもう1曲足して、3楽章の「交響曲」として発表しています。ケッヘル6版のK141a、交響曲ニ長調、かつては「50番」と呼ばれていた交響曲です。
それに続いて劇が進行するわけですが、私が一番感心したのが、レシタティーヴォのチェンバロ伴奏。ファンタジーあふれる即興演奏で、物語をとても起伏に富んだものにしています。それに比べると、オケの本体は、ライブということもあるのでしょうが、管楽器を中心にちょっとお粗末なところが耳についてしまいます。
歌手は、コスタンツァのハルテリウス、フォルトゥーナのラーションはともに大健闘、コロラトゥーラの技術の冴えを、心ゆくまで楽しませてくれます。しかし、肝心の主人公シピオーネ役のフォードが、いまいち見劣りしてしまいます。メリスマはがたがた、最後のアリアなど、もう笑うしかありません。オリジナル楽器がこれだけ盛んになった現在でも、声楽、特に男声においては、カウンターテナーも含めて真の「オリジナル」と呼べる人はごくわずか。その辺の弱点が露呈してしまったこのCD、手放しで喜んでばかりはいられないのでは。

3月14日

EVENING BELLS
Roland Pöntinen(Pf)
BIS/CD-1164
昨年の秋頃、キルティングのジャケットが大流行しましたね。街行く人のほとんどが羽織っていて、なんとも軽くて暖かそう。「いいな」と思っていたのですが、なんとなく買い逃してしまいました。
バーゲンで安くなっているのを発見したのですが、今更買えませんよ。やはり、時期があるのは、なんでも同じです。
で、この1枚。つい先日、店頭に新譜として並んだのですが、実はこれ、昨年のクリスマスアルバムとして企画された物なのです。でも、今更ね。3月になって、リストの「クリスマスツリー」もちょっとな・・・。なんて、ちょっと苦笑いしつつ聴いてみました。
実際聞いて見ると、とても上質なアルバムなのです。選曲も素敵ですし、ペンティネン自身によるライナーも凝った内容のおしゃれなもの。11月頃に間に合っていれば、かなりの売上が見込まれたことでしょう。
さて、リストの「クリスマスツリー」です。この曲も、リストの本流から外れているせいか、あまり良い録音に恵まれていません。彼の後期の晦渋な作品群のなかでも、比較的親しみやすい曲で、耳慣れたクリスマスソングを程よく織り込みながら、割合平易に書かれた楽しい作品です。ペンティネンは、もともとばりばりの技巧派の人なのですが、ここでは技巧を誇示するというより、1曲1曲を慈しむかのよう。どれもが、優しく心に染み渡るような滑らかな肌触り。またまたリストマニアにはうれしい1枚になりそうです。
ところで、このアルバム。クリスマスにふさわしいといえば確かにふさわしい、メシアンの「幼子イエス〜」からも、2曲収録されてます。第13曲の「ノエル」(これはそのまんまですな)と、第15曲の「幼子イエスのくちづけ」。正直なところ、この曲目当てに買ったので(わかってるって?)リストはどうでもいいのでした。ごめんなさい。
この第15曲は、今世紀のピアノ曲のなかでも、最上の美しさを持つ曲の一つ。
エマールのような機能美を追求するか、ベロフのようにひたすら祈るか。ピアニストの資質が端的に現れる曲といってもいいかもしれません。(先日聞いたヒューイットは、案外たどたどしくてちょっと意外でした。)このペンティネンは、内面的なものより、聴こえ方を追求した演奏でした。アルバムタイトルの「鐘」の呪縛がしっかり生きているとでもいいましょうかね。ヘンな表現ですが、この曲の煮え切らない和音が良く表現されている気がします。
腐って溶けかかったような甘ったるい音、これはクセになりますよ。

3月12日

MOZART
Concertos K37, K39-41
Robert Levin(Cem)
Christopher Hogwood/
The Academy of Ancient Music
DECCA/466 131-2
先日、知り合いに、「何故、モーツァルトのピアノ協奏曲全集には1番から4番が入ってないのが多いの?」と聞かれてしまいました。生憎、私はモーツァルト研究家ではないので、「小さい時に書いたものだから作品番号とかないんじゃないの?」なんて、うそ言ってしまいましたっけ。ま、いいや。
今回のレヴィンの新譜はその4曲。1番から4番です。ちゃんとケッヘル番号もありました。すみません。
25歳の時、大司教とケンカ別れして、独立した音楽家を目指すべくウィーンに定住したモーツァルト。それまでは、ずっと旅がらす人生だったのは有名な話ですね。生活のためとはいえ、当時の交通事情を考えると、ものすごく大変な生活だったのは想像に難くないといえます。しかし、現在のように、文化の均一化された世界ではなく、まだ国ごとに特色のあった時代に、各地の文化を吸収できた事は、彼の音楽にも大きな影響があったのは確かでしょう。
で、この協奏曲。当時11歳のモーツァルトはロンドンから帰国し、次はウィーンへの旅行を控えていました。技巧のデモンストレーションのために、当時パリで大流行していた人気作曲家、ラウパッハ、ホーナウアー、ショーベルトなどのクラヴィア小品をばらばらにして寄せ集めて、協奏曲仕立ての作品をひねりだすのですが、どうも本人は気乗りがしなかったらしいのですね。さすが天才モーツァルト、こういった曲の凡庸さを見抜いていたのでしょうか。で、後年の筆跡鑑定の結果は、この4曲ともほとんどが父レオポルドの作になるものらしいのです。最初に聴いたとき、「なんだか若書きにしては練れた音楽だな」と思ったのも、そういうわけだったのですね。
そうなると、「素材はもともと別のもの、編曲も父のもの」であれば、無視して全集のなかに入れない人も出てくるでしょう。今回調べて納得しました。しかし、今回のレヴィン−ホグウッドは全集とみなして録音したようです。レヴィン無視(土瓶蒸し!)にはならなかったと。
「別人か」なんて意識すると、とたんにつまらなくなってしまうのもいけないので、そう考えないで聴いてみると、なかなか心地良い音楽です。確かに、どれもあまり個性的ではないかもしれませんが、充分に腕の見せ所もあるし、聴いてて楽しいのだからあえて文句をつける必要もないではありませんか。していうなら、先日のホフマンの協奏曲に通じる味わいとでもいいましょうか。
これはもちろん、レヴィンの演奏の素晴らしさのおかげもあって、(ここらへんもホフマンの時と同じ)、単なる全集の穴埋めとしてでなく、1つの曲として命を吹き込む。そこら辺を大切にしている気持ちが伝わるからこそここまで面白く演奏できるのだと思います。
でも、今の平均的な11歳といったら、学校から帰ってきて、かばんを放り出して、遊戯王カードとゲームボーイを抱えて遊びにいってしまう。帰宅して、テレビ見て、ちょっとだけ勉強して、寝る。こんな一日らしいですよ。まったく気楽なもんだ。

3月10日

BRUCKNER
Symphony No.5
Giuseppe Sinopoli/
Staatskapelle Dresden
DG/469 527-2
(輸入盤)
ユニバーサル・ミュージック
/UCCG-1029(国内盤)
さて、またまたどうでもいい話で恐縮ですが、世の中には、納豆の嫌いな方が多いと見えます。先日も、家人の読んでた雑誌の特集に、「納豆も工夫すれば美味しく食べられる!」なんてあって、ちょっと覗いたのですが、これがなんとまぁ。
まず、水洗いして粘りを取り去り、炒めて(これで匂いを除去)さらにキムチをいれて、鍋物のだしにする・・・。
「おいおい、そこまでして食べなくてもよかろう。」そう思った、結構納豆好きのおやぢでありました(チャイコフスキーに「納豆クラッカー」という曲がありますね)。
で、ブルックナーなのですが、実は私は彼の宗教曲は好きなのですが、シンフォニーはちょっと苦手。そういえば、この部屋もマーラーは異常に多いのに、ブルックナーなんて数えるほどですものね。私のご贔屓のCD屋さんなどは、店員さんがブル好き(?)が多いのか、いつ行っても必ず耳にするのですが、あの「音の壁」とも言える巨大な響きに圧倒されてしまい、家に帰ってまで聴く気にならない。というのが本音です。納豆で言えば、「体に良いのはわかっているけど、どうも匂いがね」ってな具合。
そこで、シノポリです。一聴してわかるとおり、全くブルックナーらしくない音に仕上がっています。聴く前から、「どうせシノポリのブルックナーなんてダメだ。」と、同時期に出たザンデルリンクの7番にはまってる友人もいます。(それが大多数。)
シノポリって指揮者は、良くも悪くも、スコアの隅々まで掘り起こすのが好きな人なので、例えばシェーンベルクなんかを演奏すると、あまりにも分析的になりすぎてしまって、却って鬱陶しい曲になってしまうのですね。ブルックナーもそうで、必要以上に、スコアの細かいところに光を当てるものだから、音楽の流れが滞ってしまい、ブルックナーを聴くときの楽しみの一つである、「壮麗な響きに身を任せる」と言う、ある意味カタルシスを味わうには不向きな演奏になってしまうのです。
でも、私にはこの5番、とても面白く感じられました。全体的に室内楽的な音で、各々のパートがはっきり聴こえてきて、金管よりも木管重視で・・・。決して貧弱な響きではないのだけど、不思議なスカスカ感。ほんと、納豆を洗ったあとみたい。ブルックナー臭一切なし。
実はシノポリのやり方って、マーラーの好きな人には向いているのですよね。
そう思って聴くと、2楽章なんてまるでマーラーなのですよ。
確かに、これは嫌いな人の方が多いだろうな。と思いましたが。ただ、とにかく面白い事は間違いなし。一応ノーヴァク版に準拠した演奏です。

3月9日

THE GREATEST HITS
Love Psychedelico
ビクターエンタテインメント/VICL-60666
昨年の秋ごろでしょうか、ラジオから「ナオミの夢」とそっくりな出だしの曲が流れてきました。ミディアムテンポの軽やかな曲調、何を言っているのだか良く分からないけれど、すんなり耳に馴染む歌詞がとても印象的で、思わず引き込まれてしまいました。歌っていたのはヘドバとダビデ(知ってる人〜っ?)ではなくて、やはり2人組みのユニット、ラブ・サイケデリコ、その曲は彼らのセカンドシングル「Your Song」だったのです。
今の最新の流行からはほんの少し外れていたにもかかわらず、この曲は多くの人の指示を得て、一躍メジャーの仲間入りをした彼らは、早くもアルバムをリリースすることが出来ました。そう、「グレイテスト・ヒッツ」などとしゃれていますが、これは彼らのファーストアルバムなのです。
彼らの魅力は、ボーカルのクミの、決してうまいとは言えないけれど、グループ名から連想される甘さ(それは「サイケグリコ」)とは無縁の不思議な味のある声と、英語をちりばめたとても柔軟な歌詞。例えば、「Your Song」の最初のフレーズはというと、

 君はまだ全てが想像のstyle
 花のようなイメージでfly
 透明な眼にスレンダー今宵もqueen
 得意げなポーズでsmile

深くは考えないで下さい。この荒唐無稽の詞がクミのとてもきれいな発音で歌われると、日本語とも英語ともつかない、ひたすらノリの良いリズムが生まれます。きちんと韻を踏んでいるのも、心地よさと無関係ではありません。こういうことは、かつて井上陽水あたりが手がけたことですが、いささかも無理を感じさせないだけ、こちらの方が歌詞としてのクオリティは高くなっています。
アルバム全体を通じて聴くことが出来るのは、あまり重心の低くない薄めのサウンドとミディアムの枠をはみ出さないテンポ設定、そしてここぞというポイントでのつぼを押さえたキャッチーなメロディー。それも、どこか懐かしさが漂うものです。グループ名の「サイケデリコ」という概念とは、ちょっとイメージが異なっているのでは、と、最初は感じられました。
しかし、彼らにとっての「サイケデリコ」とは、そのようなムーブメントが一世を風靡していた時代、つまり、1960年後半から1970年前半の音楽全てを指し示すものではないのかと考えてみると、その謎も解けるかもしれません。
その仮説を裏付けるのが、アルバム中の「ノスタルジック’69」という曲。効果的に使われるクラヴィネットのサンプリング音からは、確かに「あの時代」のサウンドの香りが漂ってくるのです。

3月8日

MAHLER
Symphony No.8
Jane Eaglen(Sop)
Ben Heppner(Ten)
Riccardo Chailly/
Royal Concertgebouw O
DECCA/467 314-2
(輸入盤)
ユニバーサル・ミュージック
/UCCD-1026/7(国内盤 3月23日発売予定)
前回、バードの項で、ポリフォニーとかホモフォニーについて書きましたよね。今更、説明も必要ないでしょうが、ポリフォニーとは、多声音楽とでもいいましょうか、複数の独立した声部が入れ替わりたちかわり出没する音楽。対して、ホモフォニーとは、主旋律と和声的に伴奏するパートが、同じ動きで進行する音楽。みたいな。
となると、さしずめ、このマーラーの8番はポリフォニーの限界のような音楽でしょうね(本当は「シンフォニー」ですが)。何しろ「宇宙が鳴動する」のですよ。逆にいえば、あまりにも音が多すぎて、全てをきちんと聴かせるのは、(もちろん聴き取るのも、)至難の業。
さて、このシャイーの8番です(やっと出た!)。前任者が紹介した4番もそうでしたが、スコアを忠実に守り、書かれていることは全て音にしてやろう。という意気込みが痛いほど伝わってくるのです。4番の時は、その丁寧さが私にはちょっと鼻について、「なんてくどい演奏!」と最初は思ったものでした。(今回改めて聴きなおしても、あまり印象は変わりませんが、名演である事は確かです。単なる好き嫌いの問題でしょう)
私、この曲が大好きで、今までにリリースされている物は入手できる限り殆ど聞いてるし、実演にも、できるだけ行くようにしているのですが、今回のシャイーの演奏は、今まで不満だった部分はことごとく解消されているのです。例えば、第2部の、若い天使たちの合唱の部分に、「Fuhlten Liebesqual die geister〜」という1節があるのですが、その後の美しい第1ヴァイオリンの分散和音は、殆どの演奏では聴こえることがありません。しかし、今回はちゃんと聴こえますからね。こんな細部までありがとう、って感じかな。
しかしながら、この曲、あまりにも規模が大きいため、このシャイーのような細部にきっちり拘った演奏を聴くと、曲の構成の破綻部分がよくわかるという、ちょっと8番ファンには悲しい側面も・・・。
案外、細かいところは目を瞑って、一気に終わりまで聞かせてしまう方が合ってる曲なのかも知れませんね。
さて、重要な役割の独唱者ですが、いまや押しも押されぬワーグナー歌手、ジェーン・イーグレン、モーツァルト歌いとして、根強いファンを持つルート・ツィーザク、そして、同じくワーグナーが得意のベン・へップナーなど豪華な顔ぶれ。他の独唱者も、各々スタイルの違いはありますがみな健闘してます。特に「マリアを崇拝する博士」を歌うヘップナーは素晴らしいものでした。
とにかく、スコア片手に全曲聴き通せば、とても楽しい1時間20分をすごす事ができるでしょう。

3月7日

WILLIAM BYRD
The Three Masses
Mary Jane Newman/
Parthenia XVI
CENTAUR/CRC 2471
16世紀後半から17世紀前半にかけて、文字通り世紀をまたいで(ここでおやぢをかますようなはしたないことはしません)活躍したイギリスの作曲家、ウィリアム・バードのミサ曲です。当時のイギリスは、エリザベス一世の治世下、いわゆる「エリザベス朝」になるわけですが、宗教的にはプロテスタントが国教と定められており、根っからのカトリック教徒であったバードは、さまざまな弾圧、迫害を受けることになるのです。それにしては、80歳という、当時にしては驚異的な長寿を全うしたというのは、人間、ストレスをバネに開き直ればかえって健康になれるということなのでしょうかね。さらに、彼の才能を認めてくれたエリザベス女王の庇護というものも、見逃すわけには行きません。だから、バードはプロテスタント礼拝のための曲もきちんと作っているのですね。
で、カトリックの通常文に基づくミサ曲は、三声、四声、五声のミサをそれぞれ一曲ずつ作っています。これを出版した時には、表紙にはタイトルも何もなく、ごく目立たない装丁だったといいます。ご禁制の書物を発行するのだという、ちょっと悲哀を帯びたトリック、今だったら差出人をごまかした「親展」でしょうか(○ロビデオといっしょにすなっ!)。
3曲まとめてちょうどCD1枚分という手ごろなサイズのため、このセットで録音されたものはたくさん出回っています。ほとんどは、母国イギリスの演奏家によるものでしたが、ここに、アメリカのグループ、「パルセニア16」の演奏が加わりました。この辺の音楽を専門に演奏する声楽グループというのは、今までにも確かにありました。「シャンティクリア」とか「ポメリウム」とか、いかにもアメリカらしい、「実力者を集めて、最高の演奏を目指す」というものでしたが、実際に聴いてみると、確かに上手いけれどどこか大味で繊細さに欠けるという印象が強く、イギリスの団体に比べると馴染めませんでした。しかし、このグループは違います。暖かい音色とていねいな表現で、何の抵抗もなく心に染みてくるのです。
このミサ曲、作られたのは16世紀のほとんど世紀末。基本的にはポリフォニーの音楽ですが、ホモフォニー的な要素もかなり見られるもの。特に、「三声」は、冒頭からもろホモフォニー。このような、ある種柔らかな音楽には、このグループの特性が良くマッチしています。種を明かせば、指揮をしているのは女性(美人!)、さらに、もともと女声だけでスタートしたというアンサンブルですから(この録音には男声も加わっています)、この繊細さも納得です。作曲当時は女声が歌うことは許されなかった教会音楽。したがって、男声だけ、あるいは男声メインで歌われる事が多かったこの曲に、このような形で新しい次元を開いてくれたミズ・ニューマンに絶大なる拍手を送りましょう。

3月5日

The Unpublished EMI Recordings
 1955-1964
Elisabeth Schwarzkopf(Sop)
TESTAMENT/SBT-1206
先日のクレンペラーの項でも書きましたが、こちらも、レッグの秘蔵音源です。「ああ、これはあって当然の録音だな。」そうです。これは1955-1964年のシュヴァルツコップフ全盛期に録音した、珠玉のドイツリートの数々です。
同時期の録音では、何と言っても例の「ばらの騎士」のマルシャリンの名唱が有名でしょう。今のところディスコグラフィーに6種類の演奏が存在するほどの当たり役。上品さと妖艶さを併せ持つ独特の元帥夫人は確かに素晴らしいものです。いまだに彼女を超える人は出ていないのかもしれません。
さて、この1枚。シューベルト、シューマン、ヴォルフといったいかにも彼女が得意としたレパートリーの数々。とはいえ、選曲も、歌い方も、程よくくつろいだもので、とてもチャーミングな彼女の素顔を垣間見る事ができます。
このアルバムの選曲に注目したいのは、全25曲中、「子守歌」とはっきりタイトルについているのが4曲含まれていて、その他にも、ブラームスの「眠りの精」のように、タイトルこそ持っていないけど、あきらかにその傾向の歌と思われる曲の多い事でしょうか。
その4曲の子守歌、シューベルト、ブラームス、R・シュトラウス、そしてフリース。これが何とも味わい深くて、ほんとに聴き惚れてしまいました。シューベルトの丁寧な歌い方は、模範的な子守歌の典型的な例でしょうし、ブラームスは、案外素朴。シュトラウスは、有名なオーケストラ伴奏の同曲よりもさらっと歌っているのが意外でした。フリースは、この曲をこんなに真面目に聴いた事がなかったので、とても面白かったのです。(伴奏の1部分の旋律が、半音下がっているのは慣例ですか?マスター?)
ワーグナーの「夢」も聴けたのですが、この曲を、こんなに色気抜きで演奏しているのも、ある意味スゴイことだな。と感心しました。生暖かい夜、海の中を漂っているような心地良いふわふわ感が楽しめます。
同じ浮遊感でも、ヴォルフの歌曲は一種異様なたたずまい。アイヒェンドルフの「夜の魔力」での、狂気と甘美の境界線のない世界をここまで歌いこめるのは、さすがです。
ピアノは、名手ムーアですが、1曲だけあのギーゼキングの伴奏が含まれています。それが、モーツァルトの「Un moto di gioia」(私の心は喜びに踊る)なのですが、これがまた素敵。ムーアのちょっとくすんだ音色とは明らかに違う、楽しげで弾むようなピアノの音です。ギーゼキングファンはこの1曲のためだけでも購入する価値はありますね。
私がこのCDを購入したのは、まだ2月なのにとても暖かく、まるで春を思わせる夜。家まで待ちきれず、ざっと聴いておこうと、携帯プレーヤーにセットして、雑踏の中を聴きながら帰った次第です。滋味溢れる彼女の歌声は、仕事と生活に疲れたおぢさんの心を確実に癒してくれました。

おとといのおやぢに会える、か。


(since 03/4/25)

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