聴いた、観た、買った ---特別編: 「子連れでアンダルシア紀行・抄」

1999.12.16-31

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12/16 ミルトン・ナシメント Milton Nascimento: "Angelus" (Warner, 1993)
好きな盤だったが、"Clube da Esquina" の前には色褪せて見える。ってのも極端か。ともかく理性を失っているからなあ、今の私は。

ディック・リー Dick Lee: "When I Play"
テープで。廃盤なら中古の出物を待つしかないが、しかしそんなに数出てないだろなあ。誰かお持ちなら譲っておくれでないかしら。ああ。

12/17 ミルトン・ナシメント&ロー・ボルジス Milton Nascimento/Lo Borges: "Clube da Esquina" (EMI-Odeon Brasil, 1972/World Pacific, 1995)
イヴァン・リンス Ivan Lins: "Nos Dias de Hoje" (EMI-Odeon Brasil, 1978)
自分だけ仕事納め。スーツケースは既に発送したし、手荷物を作りながら徐々に旅行気分高まる。

12/18 Milton Nascimento/Lo Borges: "Clube da Esquina"
出国前の聴き納め。

12/19 スカンジナビア984便でコペンハーゲン経由マドリッドへ。近年は昨年の出張、一昨年の姉夫婦訪問と海外続きだったが、本当に行楽のために渡航するのは新婚旅行以来、何年ぶりだろう?

子連れの長距離フライトのポイントは如何に飽きさせないか。ぐずられた時に気を引く本や玩具の数とバラエティが勝敗を決める。連れ合いの発案で持ち込んだ付録つき雑誌「めばえ」「げんき」らがクレヨン&画用紙と並んで大活躍。

というわけで、心配したほどのこともなく到着。市の中心部に近づいてくると、十字架や星をかたどったクリスマス・イルミネーションが、横断幕のように大通りの上に架けられていて、思わず心が躍る。もっともタクシーに思い切り遠回りをされたと後で知った時はシャクだったが。

12/20 夕刻グラナダへ飛ぶ。機内からホテル到着後まで眠り込んでいた息子を揺り起こして夜の街へ。スペイン行くならバル(bar=軽食堂とカフェとバーを兼ねたような店)でセルベサ(cerveza=ビール)にタパ(tapa=小皿料理)つまんで晩飯が最高、と聞いていたのはこれかああ、とその安さ旨さ気軽さに感動する。赤ピーマンのマリネをバゲットに乗せたのが美味。それにジャガイモたっぷりのトルティージャ(tortilla=スペイン風オムレツ)のデカいこと。ああこのクニで一生メシ食いたい。

12/21 アルハンブラ宮殿へは広場から赤いミニバスに乗って向かう。有名な王宮を見学する以前に、離宮「ヘネラリフェ Generalife」の庭園ですでに絶句。白い回廊に囲まれたパティオに、ふんだんなシエラネバダ山地の水を使った噴水、池、そして至る所にたわわに実るオレンジ。至福のひととき。ここに来てまで「オート三輪ごっこ」をする息子。しかし、庭園というのは、そぞろ歩きという人間に広く共通するで快楽にふさわしく作られている訳だから、子供も喜ぶというのはまあ当然か。

王宮の見学を終え、最も時代の古い城砦「アルカサバ Alcazaba」に向かうと、走り回る息子に目を細めながら日本語で話し掛けてくる老紳士あり。このホアキン氏、元フラメンコのギタリストで、世界各地を回って公演し、日本にも暫くいたことがあるという。少し話し込んだあと、「もしフラメンコを見たいならここがいい」と店を紹介される。ホアキン氏の名前を出すと少々引いてくれるらしい。なんだ営業か...と思ったが、後でもう一度出会ったときに聞いたら、以前大病を患って、今はリハビリのために毎日アルハンブラを歩いているのだそうだ。まあ、そのついでに後輩たちの宣伝をしてあげている、といったところか。「日本の友達は親切。よく色々送ってくれる」と言いながら、日本製の小梅キャンディを息子にくれた。

フラメンコ。行きたいのは山々だが、子供がおとなしく付き合ってくれるとは思えないし、ただでさえ時差ボケで早く眠くなってしまう。ショーは大体1stステージが22時過ぎてからだ。この日も夕食を摂りながら息子は寝入ってしまった。

12/22 夕刻、列車でセビージャへ移動...のはずが、何と満席で乗り損ねる。駅前に安宿を探して駅に戻り、眠った息子を抱っこして待つ連れ合いとタクシーで宿に移動。再び一人駅へ戻り、まずは明日の切符および先々までの列車の手配。次いで、カフェの公衆電話から宿の予約をしていると、合間にカフェの兄ちゃんが「セビージャ行きを逃したね?」とニンマリ。はあそうです、と答えたら気が抜けた。クリスマス帰省の時期だし、よくある話なのかも知れない。

夜9時頃、折角夜が空いたことだし、と一念発起、眠い息子をなだめつつタクシーに乗り、フラメンコを見に出かける。昨日ホアキンさんに紹介されたとおり、街はずれの大きな交差点に面した大きなタブラオ(フラメンコを見せる酒場)に行くが、入口から中を見ると灯りがない。受付に突っ伏すように座っている兄ちゃんに聞くと、機材のトラブルで今日の公演は中止!
しかしすごすごと引き返すのも悔しい。兄ちゃんが英語を話せるのを幸い、他にいいところがないか尋ねる。「もちろん、ここが一番だけど」と彼は言ったあと、「やっぱりサクロモンテの洞窟フラメンコでしょう」。早速タクシーを拾い直して、街の中心を抜けて反対側の丘、サクロモンテに向かう。

ここは古くからジプシーが横穴を掘って住居などにしていて、その洞穴を使ったタブラオがある。部屋に通されると、細長い部屋の壁際に椅子が並んでいて、既に先客が座っている。天井からは銅製の鍋や皿が吊してあって、これは反響板の役割をするようだ。赤ワインを貰って待つことしばし。送迎バスが着いたらしく、お客がどっと入ってきてほぼ満席に。いよいよ開演。
ギター1人に踊り手たくさん。ある者は歌い手を兼ねる。出番でない踊り手は手拍子を打ち、靴を鳴らし、あるいは空き瓶をギロに見立てて棒でこする。代わる代わる踊り手が立ち上がってサパテアード(ステップ)を踏むと、小さい洞窟はまるで打楽器の共鳴胴のように、硬い響きを跳ね返す。この流れは確かに標準的なタブラオのショーのスタイルではあるのだが、その音楽の生まれては消えていく様が素晴らしい。アンサンブルが始まる際、ちょっとした会話とギターの爪弾きが、突然形あるリズムへと膨れ上がり、躍動し始める瞬間のスリル。一幅の絵に描かれた動物が、突然動き出すかのような。そして、曲のおしまいのキメのあと、出番でない踊り手から「オレ!」と掛け声がかかると、もうギターが爪弾きつつ次は何を、どのタイミングで始めようかと促している。そして踊り手たちの会話。またそのざわめきの中から、次の曲が浮かび上がってくる。ショーではあるのだけれど、ショーのためではなく、お互いのために歌い、弾き、踊る。まるで会話を楽しむかのように、呼吸するかのように。ここに音楽の至福がある。
しかし言い忘れてはならないのは彼らの技のレベルの高さだ。まさに「ドゥエンデ」(鬼)が降りたと言うべき、鬼気迫るバイレ(踊り)を見せる踊り手が何人もいた。またそれは、ぴったり息を合わせて寄り添うベテランのギターあってのことでもある。

帰りは送迎バスで。何せうちらは駅前の安ホテルなので、バス自身はそこまで行ってくれない。サクロモンテの丘を滑り下りながら見下ろすグラナダ市街の夜はきれいだったが、降ろされた町外れのバイパス沿いは人影もまばらでさすがに心細かった。寒い中待つこと数分、ようやくタクシーを拾って帰着。

12/23 眠い目をこすり早朝8時過ぎの列車でセビージャへ移動、3時間ほどの行程。

中心部にある大聖堂を見学する。塔の上から見下ろすと、大聖堂のまわりでギターと空き瓶ギロを掻き鳴らし、歌いながら寄付を募る学生の楽団がいる。寄付は当然教会の活動のためのものだから、曲調はフラメンコ風のアンダルシア民謡(というか、民衆音楽とか歌謡と言ったほうが正確なんだろうな)だが、それは讃美歌もしくはクリスマス・キャロルだということになる。何か不思議だが、フラメンコに馴染みのある身にとしては、むしろ親しみを覚えたりもする。

日が暮れてから宿に戻り、眠り込んだ息子を転がした横でごろごろしていると、暫くして外が賑やかに、というか人が集まって騒がしくなってきた。ホテル前の広場に出てみると、特設ステージで演奏が始まっている。ギター数名、打楽器群数名に歌および手拍子大勢による「フラメンコ風歌謡」。それが当地のクリスマス・キャロルであることは、ステージ背のボードにも大書してある。しかしこれほどとは、ちょっと想像していなかっただけに驚くやら嬉しいやら。終演後、眠ったままの息子を担いで遅い夕食。ナバハ(navaja=ナイフ)という名の細長い棒状の貝は、潮の香りが濃厚で美味。

12/24 夕刻、電車でヘレス・デ・ラ・フロンテーラへ、1時間強。シェリー酒の里でなければ何の変哲もない田舎町だが、夕食に入ったバルでワインを注文すると、"Rosso, blanco, o fino?"(「赤、白、それともフィノ(シェリー酒の辛口)か?」)と訊いてくるのがここならではか。

12/25 クリスマスの早朝ミサをTV Espana 1 の中継で見る。おそらくマドリッドの王室関係の大聖堂で執り行われているのだが、そこに何とあの「マカレナ」のロス・デル・リオのお二人が立っていて、お祈りの切れ目ごとに一節歌うではないか。一人はギターも掻き鳴らしていて。スペイン語圏では超大物と聞いてはいたが、ここまでとは。それから、こういう極めてフォーマルな場でも、やはりクリスマスの讃美歌は「カンテ・フラメンコ」なのであった。

街のバスターミナルから30分、小さな岩山の上の小さな白い町、アルコス・デ・ラ・フロンテーラへ日帰りで。元々静かな町なのだろうが、クリスマス当日なので益々静か。迷路のような街をさまよい、広場からの見晴らしにしばし息を呑む。この街の子供たちは人なつっこい。息子など遊びに誘われて思わずたじろぐ場面も。中に我々を日本人と認めて「ピカチュウ!」と叫ぶ子あり。しかも嬉々として繰り返すし。ここまで来てんのかポケモン、恐るべし。

帰りのバスで寝入った息子をベッドに置き、一人街の偵察に出る。クリスマス・イルミネーションの下、人々は皆家族や恋人と連れ立ってそぞろ歩いてはいるのだが、店はほとんど休業。店の灯りは点いてるんだけど。静かで賑やかで、厳粛で和やかな不思議なにぎわい。
とか言ってる場合ではない。偵察の目的は夕食計画にあった。仕方なく宿に戻り、グラナダで買ってそのまま持って歩いていたビールとチーズとハモン・セラーノ(生ハム)で夕食。TVを眺める。大方のチャンネルがクリスマス・キャロル・エスパニョールの大合唱である。手練れと思われるグループあり、素人のど自慢的なチームあり色々。1ヶ所、タブラオ風のスタジオを組んであって、そこで歌い手や踊り手やギタリストが演じるという趣向のものあり、クォリティ高し。大御所どころが出ている模様。もっと遅い時間には、歌の上手くない女性アイドルが踊りながら歌っていて、日本みたいだなと苦笑する。もっとも、昔ながらのユーロビートってのが、ちょっと今の日本の事情とは違うが。

12/26 午前中に特急に乗りコルドバへ。デパートでのお土産調達からバルからユダヤ人街までよく歩いたもんだが、息子がへばるたびに抱っこしてるので、単に腰を鍛えていただけという話もある。

12/27 メスキータ(旧モスク)のそばの通称「花の小道」は観光化著しく、土産物屋では日本語の単語を交えて話し掛けられたりもするが、その突き当たりの小さな広場でギターを弾く大道芸人の爺さん、何故かめちゃくちゃモノが良さそうなギターを抱えている。音色は言わずもがな。これも「層の厚さ」とか「社会資本の充実」のうちか。ん、後者は何か違うが。

夕刻、新幹線"AVE"でマドリッドへ。ホテルでTVを流していると、"Latina '99" という番組。今年のラテン音楽総ざらえという、タイトルまんまの内容。しかしラテン・リバイバルとでも言うのか、リッキー・マーティンを筆頭にロック寄りからサルサ、フラメンコまでどれも元気がいい、勢いがある。...あれれ、聴いたことある曲だなあ、と思ったらカルリーニョス・ブラウンの"A Namorada" をスペイン語でカバーしているぞ。いったい誰?

しかし振り返ってみると、スペインで耳にした音楽は大別して3種類だったように思う。フラメンコ系、サルサなど中南米系、そしてユーロビート系。これらが2:1:1といったところか。確かに、流行に敏感な若い世代が集まるような場所へは出向かなかったので(といっても、マドリッドとバルセロナ以外にはほとんどなかろうが)、テクノ、ヒップホップはじめクラブ系/ダンス系の普及度は知る由もないが、それでも街の有線やTVの音楽番組や、あるいは街で民家の窓から漏れ聞こえる音楽がこの構成比で成り立っているのは、ちょっと意外だ。特にユーロビート。それも昔のコムロみたいなんじゃなく、もろストック/エイトケン/ウォーターマン系のお気楽極楽調。こんなの世界的にはほぼ死滅しちゃったように思うのだが、当地ではいわゆるアイドル歌謡の、日本で言えばSPEEDかMAXに相当しそうな人たちがこれを歌っている。ソウル/R&B色などほとんどナシ。これが、もう少しアーチスト然とした押し出しの人になると、かなりラテン・フレイバー入れてくるのが最近の流行りみたいだ(フリオの息子エンリケ・イグレシアスなんかもそうか)。
日本(や英米)と一番違うなあと感じたのは、こういうところに「ロックっぽい音」の出る幕がほとんどないことだ。日本だったらビジュアル系のみならず至る所で耳にするエレキギターのディストーション、そんなものはここには微塵もない。ペケペケカッティングすらほとんど見当たらなかった気がする。嗜好の差として、これはかなり大きい。

12/28 早朝、帰国の途に。乗り継ぎのコペンハーゲンで時間つぶしに入ったカフェで、不意にU2が耳に飛び込んで来る。ひどく耳慣れない感じで。改めて、スペインではどこに行っても、どんなチャンネル回しても「ロックの音」は聞かなかったのだと思い知る。ギターロックは西欧でも北の方の文化なのだ、やっぱり。

12/29 そして帰国。成田エクスプレスから眺めるJR総武線は空いていて、ああ順々に仕事納めなのだなあ、と年末気分を深める。

にしても、帰国してからというもの、CDを聴こうという気がしない。元々判っていたことなのだけれど、CDを聴く楽しみがここまで肥大化したのは、自分が楽器を弾いたり歌をがなったり(敢えて「唄う」とは言いませんが...苦笑)できないことの代償行為でもあったのだ。改めてそう思う。入力があって出力がない、というか。あるいは輸入超過で輸出がないというか(うう味気ない譬え)。いずれにせよ、「風通しのいい気持ちいいサイクル」が機能しているとは言い難い状況。特に、フラメンコを演じる愉しみを間近に見てしまっては、なおさらその感ひとしお。

思うように音楽しながら暮らすことすらできない貧しさ。住宅事情とか、通勤事情とかライフスタイルとか何とかかんとか。そうだ、それを何とかするためのあれやこれやを、このサイトの主目的ということにしよう。そうしよう。ってもやることあんまり変わんないと思いますけど。

12/31 大晦日と言えば紅白歌合戦。なんて言いつつ、要はあまり関心のないジャンルの今年のヒットをある程度押さえておこうという下心だけなのだが。あの、無難をマイナス方向に通り越して万人を凍らせるダサダサの演出に付き合わなくていいように、極力他のことをしながら流して見るというのも永年の努力で培われた処世術だ。って大袈裟だな。
で、やっぱり目玉はモーニング娘。である。「LOVEマシーン」をライブで見るのは初めてだが、おいおい、ちょっと思い違いも甚だしいゼ、と頭クラクラ。NHKギャグ要らずの破壊力。最後のサビ途中で「ダンシン・オーールオーブザナアアーイト」って叫ぶのをマジで(米音に似せようという跡まで見せて)やっちゃオシマイでしょう。ここはCDではメガホン風エフェクトかけて、やたら日本人発音でやる気なさそうに叫んでるんだが、それが今はなき「ジュリアナ」風の身も蓋もないエラヤッチャヨイヨイを醸し出しているというのに、スター気取りでマジで煽ってどうする。分をわきまえよってか。いやまあ、まつずしさんによれば、彼女らのこういう思い違いはファンでは以前から有名(?)だったそうなので、そーゆーもんとして消費されているのだろうが。でもファン以外の世間には毒が強すぎたと思う(笑)。
ついでに言うと、最後のキメの「LOVEマシーン」というセリフはやはりCDでは無機質ロボット声に作ってあるのに、お色気顔してマジでささやかれちゃあ、こっちは引きますわ。やっぱ分をわきまえてほしかった(笑)。

あ、やっぱりも少し言いたい。あの英語なんですが...って書いてもつまんないすよね、多分。なので1点だけ。動詞 dance に目的語とるに事欠いて all はないでしょ。日本語的に解釈しても意味成さないんだけど。あーこの程度のこと言っても「ナニ堅いこと」って言われちゃうんだろうなあ。唯でさえ言語表現を軽んじる文化だというのに、大丈夫かミレニアム日本。



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