聴いた、観た、買った ---淡々と音喰らう日々。

1999.07.16-31

>08.01-15
<07.01-16
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★は借りた新着、☆は新規購入。


7/16 熱ジャIIIとか小野リサ聴きながら、明日のボサノヴァ・セッションに備えるのだった。

7/17 かくて、あるのひよこ師匠夫妻そしてスペシャル・ゲストのKassa氏を加えてのセッションである。主目的は、あるの先生のプロモ用にオリジナル曲を録音しようということだったが、3時間と長めにスタジオを押さえておいたので、まずは「イパネマの娘」「メディテーション」といったジョビン・ナンバーでウォームアップをする。そして、やってみて面白かったのが、1979年頃だったかのニューミュージックの古典「異邦人」(久保田早紀)のボサノヴァ版。というか、ほとんどサンバになってしまったが。途中、長調に転じるところが「シェガ・ヂ・サウダーヂ」を思わせて妙にハマる。
セッションはこれを境に一気にテンションを増し、オリジナルのボサノヴァ風ナンバーを5テイク録音してから、めでたくお開きとなった。ひよこ師匠夫妻、Kassaさん、お疲れ様でした。私たちのわがままにつき合って、パーカス各種まで持ち寄って頂いてどうもありがとう。

7/18 プロコフィエフ『ピーターと狼 子供のための音楽童話』ウィリアムズ/ボストン・ポップス
有名な子供向けクラシックだが、実は記憶する限り一番昔に聴いたクラシックというのがこれ。子供用12巻シリーズだったかの第1巻のディスク1。だから、ではなくて、シリーズの中でもこれ(と『動物の謝肉祭』)が特に楽しいので、よく掛けてもらってた。5-6歳の頃か。今考えてみれば「子供がはじめて聴くのにしては前衛的な和声」とかいうことになろうが、当の子供の立場としては、ドミソの延長から外れた、ひねった和音はそれだけでユーモラスに感じていたように思う。という訳で、自分の子供用にも、と1枚購入したのだった。このCDは語りが日英両方ついていて(樫山文枝/ダドリー・ムーア)、重宝しそうだということで選択。演奏がどうの、はとりあえずニの次だが、これだけきちっとしていれば十分だろう。

7/19 クラナド『ロア』(1996)★
歌姫モイア・ブレナンを擁する、押しも押されぬアイルランドの大御所。もう次のが出ているので最新作ではないのだが、以前チェックしようと思ってずっとそのままだったので、図書館で借り出し。…うーん、意外と面白くない。出だしのうめくようなコーラスワークには期待したんだがなあ。何か、自己模倣に陥っている気がする。ってと語弊があるか。そもそも民族的なアイデンティティを敢えて事後的に再構築することを目指して来たであろう、80年代以降のクラナドなのだから、伝承という意識が自己模倣を産み出すのは当然と言えば当然なのである。が、ここで自己模倣に「陥っている」と思わず言ってしまうのは、それが伝承ではなくて「保護」のモードに入っている気がするからなのだ。保護、あるいは「保存」。
毎度言っていることなのだが、表現というのは常に何かしら新しい。それはコトバに似ていて、常に既存の枠組みに頼りながら、常にそれそのものから少しずつ逸脱している。伝承における自己模倣というのは、そうなって然るべきものだと思うが、しかし今回のこのクラナドはそうではない。なんか、全然変容が感じられないのである。それを「保護」と呼んでみた。意外とこれはかつて、サイズやインスタントシトロンが所謂「スタンダード回帰」を目指したことに対して感じた限界と、似ているのかもしれない。本質主義的な袋小路。

7/20 HDD買いに出る。うおおお、マジですか? 今じゃ4.3GBで1万3千円てか。ふええ。もし修理に出してたら純正品は11万円。これで正規サービス店に修理は頼まないよなあ。但し在庫切れなので注文する。2日くらいで入るらしい。この際メモリも増設することを決意、在庫が潤沢にあるのをチェックして帰宅。

7/21 何故か『ジプシー・キングス』(1987)へヴィロ。こういう時は決まって息子のリクエストである。個人的にはこのメジャーデビュー盤よりも、その前の2枚(2 in 1でCD化)が好きなのだが、そんなこと聞いちゃもらえない。泣く子と地頭には勝てぬ。

7/23 ディック・リー『マッド・チャイナマン』
マリーザ・モンチ『マイス』

まだHD入荷してないってよー。困るじゃん、こっちは週末を越えるか越えないかは、1日じゃなくて1週間の違いと同じだっちゅーのに。

7/24 午後になってようやくHDD入荷の電話。夕方、一人で出掛けてさくっとゲット。増設メモリも忘れずに。

深夜、買って来たWestern Digital製4.3GBハードディスクを愛機・旧MacG3(名前はポチ)に設置する。何しろ始めての改造なので緊張しまくり。体の静電気を除去するためのメタルボックスタッチを何度も繰り返す。HDを設置してあるマウントが外れなくて一瞬絶望する。が、スライド式でカチンと外れることが物のはずみで判明。ほっとするのも束の間、40ピンのコネクタが外れなくて往生する。ヤワなケーブルを引っ張りかけて、いかんこのままでは断線して全てがパアだぁーと緊張は最高潮に。と、ゆるゆるとコネクタが外れ始める。ここまで来ればあとは順調…と思いきや、今度はメモリ増設でトラブル。押しても押しても、ボードが所定の位置まで差し込めない。こんなに押して壊れないんか、というくらい押し込んでようやく設置完了。元通りフタをして立ち上げ、HDのマウントと初期化を行う。今度は長持ちするようにとの願いを込めて「頑強1号」と命名。もちろん「2号」の名は、バックアップ用外付けHDのために取っておくのである。

7/26 サンジェルマン『ブールヴァール』(1995)★
こことかここで一頃話題になっていたので。ルドヴィック・ナヴァールのプロジェクトによる、ジャズとハウスの融合。本人のMCによれば「イージーリスニング・アンダーグラウンド・ハウス」。抑制の効いたリズムトラックにジャズのソロが絡むというバランスは心地良い。静かな発熱。作者本人のMCはディープ・ハウスへのオマージュを飾らず、強く打ち出しているが(これって無粋なはずなんだけど、何か誠実な気がして好感が持てるなあ)、確かにこの生楽器の使い方は、初期ハウス(? よく知らないんですが)の「打ち込みのビート+ソウルフルなヴォーカル」というスタイルと見事に照応するように思える。んー、しかしここまでクールだと、買おうという気にはちょっと。自分の耳が今、完全に歌ものモードであることを改めて自覚する。

トゥーツ・シールマンス『ブラジル・プロジェクト Vol.2』
出張で横浜往復。こんな真夏日の電車の旅には、こういうボサノヴァテイストのMPBこそが相応しい。

7/27 『トレインスポッティング』オリジナル・サウンドトラック(1996)★
解説によれば、「ブリットポップ」という潮流は音楽にとどまらず、美術や映画を含むある傾向を指すのであって、この映画とサントラはその大きな成果であるらしい。このサントラを聴く限り、同様に、いわゆるブリットポップと目されるバンド(ブラーとかオアシスとか)だけがブリットポップではない、ということになるのだろう。それは後のケミカル・ブラザーズとオアシスのコラボなど、そういうジャンル性を超えたつながりを予感させるものであったはずだ。
だがなあ…自分的には何でノれないんだろうか。良質なのは一聴瞭然なのだが。イギー・ポップなんかめちゃカッコいいし。とりあえずすぐに思い当たるのは、ドラッグ文化に対する無関心なんだろうなあ。酒飲み文化だったらわかるんだが(笑)。トリップするのと酔うのとどれほど違うかと言われてもわからないし、だからこれは倫理的な判断では毛頭なくって、単に趣味的な判断ではあろう。それから、ドラッグ/ケミカルに対して与えられている文化的なコードについて、あまり知見がないということか。

7/28 『トレインスポッティング』
カルリーニョス・ブラウン『オムレツ・マン』
髪結い。スタイリストI氏に以前「ブラジル音楽ってどんなんですか」と訊かれたので、とりあえずの1枚として持って行く。美容室というシチュエーションが自分の聴き方に作用することを発見。フロアで聴くのと自室のオーディオで鳴らすのとでは違う、というのに似て。前作に較べてある意味コンサーヴァティヴな作りだと思っていたこのCDが、実は他のリアルタイムな音楽(テクノ、ヒップホップ、あるいはマンチェスター系とか)と並べると異様に浮きまくるのだ。それは一言で言えば「唄い」の前景化、とでも言おうか。歌とかメロディそのものというよりは、唄い、節回し、あるいは誤解をおそれずに言えば「語り」が前面に出ている。そういう構えは、現在においては既にして「ポップではない」のだろう。個人的には、フロア至上主義的な言説が現在においては何となく自己完結しているように思えるので、むしろカルリーニョスみたいなやり口に可能性を見たいのだが。

オウズリー(1999)★
同じく髪結い中に聴かせてもらった。ベン・フォールズとも親しい、自らメロディ至上主義を標榜するオウズリーの初ソロ。かつてセマンティクス(いいなあ、このグループ名)というユニットで1枚出しているらしいし、それ以外にも結構バックミュージシャンとして活躍していて、それで何度も来日までしているとか。結構ベテランなのである。しかしこれはカルリーニョスのような「唄いの前景化」ではまるでなくって、ザラついてナーヴァスな感触の極上なロックなのである。うーん、これは買いだな。

7/29 サン・ジェルマン『ブールヴァール』
マーヴィン・ゲイ『レッツ・ゲット・イット・オン』

これは、仕事の帰りに聴くのにはリスキーな1枚か。心が解放されているようでいながら、仕事帰りというのは道路とか電車の混み具合で結構ヤキモキするものである。そういう時にこのCDは結構、腰を据えて付き合うことを要求してくるように思えるので難儀だった。もちろんそこが良い点でもあるのだけれど。

7/30 奥田民生『股旅』
明日から夏休みというときには、じりじりと照りつける日本の夏の暑さを演出するこの1枚。さあ沖縄行くぞ。っても子連れなんでバスツアーという情けなさだが。ああそれでも那覇のマチグワー(市場)に行ければそれで幸せ。



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