聴いた、観た、買った ---淡々と音喰らう日々。

2001.04

>2001.05
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★は借りた新着、☆は新規購入。

今回集中的に論評したディスクなど:
Billy Joelはもう(あまり)聴かない / 小指のおもいで / 'Meditation' をシックに /
ポ語辞典縁起 / 酔いどれガエルたち / 『フィガロの結婚』日本語版ビデオ鑑賞(1) /
BOSE Powered Speaker System for PC / 花束を抱えるオトコ


◆思い付き次第思い付いただけ更新しています。
◆日付はその日付のコメント自身への、CDタイトル前などのマーク(◆)はそのレビュー項目自身へのダイレクトリンクになっています。
◆文中のCDタイトルのリンクは、以前のコメントへ遡れるようにしてるつもりですが、かなり気まぐれです。


4/30 GWて何だっけ

バックデートして書いてますが、とりあえず備忘録として。

28日。とにかくこの連休の東京は晴れが少ないらしいので、まずは思い切り洗濯、午後から息子サービスでお出掛け。催事場の子供向けイベントに行ったのは、息子が広告を見つけてしまって断れなくなったせいだが、コストパフォーマンス的には遊園地の一日券で存分に乗り物に乗せたほうがずっとお得な感じがする。晩は地元の駅近くの居酒屋。息子が眠くなってさっさと帰宅。

29日は午後から同僚と3人(プラスそのお嬢ちゃん1名)で元上司宅(去年の今頃異動して行った)にお招ばれ。お土産の分担が何故か私は白ワインと花束だったので、慣れない花選びに知恵を絞る。年賀状の仲むつまじい家族写真からイメージして暖色系でまとめるが、ミニ薔薇といいサンダーソニアといい、これじゃ誰が見ても「これから彼女の誕生日デートに向かうオトコ」だなーと苦笑。しかも待ち合わせの駅まで更に数駅電車に乗るのだから落ち着かないこと。いやーまあでも、奥様に喜んで頂けたんで報われたというか。

元上司は異動後半年でヘッドハンティングで転職されたのだが、何せ責任の重い仕事ということで、かなり疲れがたまっている様子。時々居眠りする彼の横で奥様や同僚と話したり、同僚のお嬢ちゃんと遊んだりおしゃべりしたり。夕方には失礼したのだけれど、こんな穏やかな時間がもっと続けばいいな、などと思ったり。

そう、GWは人と会いたいと言っていながら、一方で小旅行の可能性を寸前まで捨てていなかったものだから、結局あぶはちとらずになって何の予定も立っていないのだ。もちろん家には山ほどやることが(主に片づけとか持ち物のメンテだな)あるんだけど、それだけじゃもったいないような。

え? 音楽? うーん何というか。「そんなに大事か音楽って」モードに入ってしまってるようで。以下次号。


4/27 ♪こいび〜とよこれがわたしの〜、いっしゅ〜かんの〜しごとですぅ〜

テュリャ、テュリャテュリャ、テュリャテュリャ、テュリャリャ〜。すぐに一週間経ってしまう。

土曜日。ウィークデーにできなかった懸案の買物に。何たってシャツと夏物のスーツが足りない。だがしかし、まとめて買物するってどうしてこんなに気分がいいのだろう。自分の財布は確実にやせ細っていくのに(泣)。
ところで、この時ついでに変わった物を買った。カエル。青銅?製。体長10数センチ程度。結構値は張る。ちょっと悩んだのだが、以前からカエルの置物は欲しくて、陶製のを玄関脇にでも置こうかと思っていたのだ。ただ、なかなかいい表情いいポーズに出会わないのと、陶製ならあっという間に欠けさせてしまいそうだと二の足を踏んでいたのだった。だがこの青銅?製のカエルは1匹はバイオリンを弾き、また1匹は本を片手に詩を朗唱し、しかも2匹とも姿勢がだらしなく、どう見てもかなり出来上がってる様子である(実はもう1ポーズ売っていて、こいつはビアマグを持っている!)。見れば見るほどこっちがリラックスしてくるこいつらを買いたいという誘惑にはついに勝てなかった。で、風雨に晒すのも惜しくなり、結局玄関脇の窓に行儀悪く腰掛けさせて、日々の出迎えをさせている始末。

日曜はほんとに気持ちのいい天気。近所の子供広場、連れ合いと息子が遊んでる側でピクニックシートに寝転がり、雑草と同じ目の高さになって日差しと風を浴びる。このままこんな日々が続くといいなあ...などと感慨に耽っていると「浮かない顔して、どしたの?」連れ合いが訊く。ううむ、これは浮かない顔だったのか。確かに地べたに沈んではいるが(位置的には)。
並木沿いの気持ちのいいファミレスで食事して、高級食材を置いているスーパーに寄る。目当てはとりあえず朝食用のジャムとカッテージチーズと、あればフロマージュ・ブラン(フランス産の淡泊でクリーミーなチーズ)なんかと思ったが、連れ合い乗りまくってチーズやスモークサーモンなどオードブル一式相当を買い込む。貰い物の赤ワインをどれか開けようという目論見なのは一目瞭然。
そしてワイン(イタリアの赤、1999年、その通り若くてフルーティーな味)を開けながら、最近届いた『フィガロの結婚』日本語版のビデオを見ようというのが、実はこの一連の準備の目的だったのだ。そう、これこそが昨年7月私が行き損ねて地団駄を踏んだあのフィガロ。とりあえず第1幕が終わるまでの約45分を鑑賞。よくミュージカルが嫌いな人が「いきなり歌い出すのが不自然」などと言うが、日本語の生理をつかんで旋律線やリズムとの妥協点を上手く見い出した翻訳(高橋英郎)はほどよく劇化されていて、コメディであるフィガロにはうってつけのテンポと間を生み出しているように思える。もしこれが「不自然」と感じるなら、ほとんどの演劇の科白回しを不自然と感じるんじゃないだろうか。

月曜。職場で「この人だけは」と思っている役付の人を囲んで飲むが、彼でさえこんなに職場に失望してるのかと思い知らされ、大いにへこむ。

火曜。気分転換の昼飯にペダンティックな皮肉屋1名飛び入り、明るくストレス発散する目論見が外れ、またまたへこむ。へこんでる(メールで)と同僚から「みんなと一緒にへこんでたらダメです!」と檄を飛ばされる(メールで)。そうだよ、この人と組んでるだけでみんなより恵まれてるんだから...とは思うが気は晴れない。
幸い、というか何というか、某カメラ量販店のポイントを期限前に使うという目的があって、帰宅途上で買物。ポイントでは足りない値段だがBOSEのスピーカーをパソコン用に購入。いくら高いといってもこのくらいの音質でないと後悔すること間違いなし。この連休につなぐのだ。ふふふん。

そして水曜から金曜は更にあっという間に過ぎ去る。が、もういいや、とりあえずGW中は日頃の気苦労なんかうっちゃってタラタラするのである。ちなみにこの一週間も音楽はほとんど同じものループで、新しく報告することなどなかったりする。うーん、一体このページの趣旨って何だったっけと思うがきっと来週の今頃は大丈夫です。ってどう大丈夫なことやら。


4/20 不器用な日本の私。器用な日本のみなさんすみません

はて、この一週間、何やってたんだろう。うむ... あ。そうだ。浅漬け(生協の出来合い品)を切ってて左小指をザックリやってしまったのだ。といっても切り落とすほどでは全然ないのだが、それでも夜寝てる間じゅう、じんじんと痛いこと。眠りも浅くて、おかげで体力も消耗したような。
...と、ここまで読んで、きっと普段から包丁をお使いの方は気が付かれたことと思う。なんで小指なんか傷つけたの? ごもっとも。私は基礎がぜんっぜんなってないのである。小学校高学年の家庭科で習った、包丁さばきの基礎を思い出してほしい。輪切り。右手に包丁。食材を押さえる左手はどうするか? そう。指を丸め、その指の背に包丁を滑らせる。そうすれば、薄く均等に切りやすいし、怪我をしにくい。今どきは高学年どころか「まいちゃん」なる小さな子供までやってるような「きほんのき」である。
なのに私は、である。10年ほど前には薬指、今度は小指。唐突に思い出したが、入社して配属直後、私はグラスを持つときに小指を立てるといって話題になったことがある。もちろんこれは水商売のお姉さま以外がやってはいけないのが世間のお約束だが、何故自然に小指が真っ直に伸びてしまうのか。考えられるのはまあ、ピアノの練習の一環として、全ての指が自律的に、つまり他の指の動きにひきずられないでバラバラに動く訓練を(主にハノンなんかで)していた後遺症なのかも知れない。と言えば聞こえはいいが、要は状況に応じて指使いを変えられない不器用ってだけのことである。でなければ、私よりはるかに上手いピアノ弾きの面々はみんなグラスを持つ手の小指薬指がピンと立ってるはずである。んなことあるかい。

この一週間ってそれだけだったか? ...あ。そうだ。この前の日曜のセッション報告。今回のハイライトはJobimの'Meditacao (Meditation)'でありましょうか。トランペット+ピアノの編成で、バッキングを主に受け持つピアノが何というか、場末のラウンジピアノになりがちなのをどう回避するかずっと頭を捻っていたのである。が、ここへ来て結論: ダンパーペダルを踏まなければよいのだ! 出だしのAメロをルバートで流す構成にしたのだが、ここが見事にタイト&クールに仕上がる。以降リズムを刻んでからもひたすら禁欲的にダンパーを踏まずにいると、ちょっとしたフィルインのフレーズが明瞭な輪郭をもって打楽器的に活きてくる。これはちょっとした収穫。
続いて例によって宴会、Mさん宅へ。貰い物のNapaの赤、"Merryvale"1998年を持って行ってみたら大当たり、一同思わずいいペースでグラスを傾ける。おいしいパエリアをはじめ色々ご馳走になったが、話の中身のほうはまるで憶えちゃいない出来上がり具合なのだった。そう言えば子供たちの気を引くためにナウシカのビデオを掛けたりしてたなあ。あれって劇画版と違って結末が「あれあれ? 」なんだけど細部は面白いなあ、やっぱり。ってな具合に結局オトナが見てて、子供らはいつの間にかヒーローものごっこに夢中なのだった。

ここのところ、聴く方は新しいものを掛けない保守的な日々。どころか、日によっては通勤の行き帰りほとんど何も聴かなかったり。沈思黙考が今を生きる私には何より大切なのだ。とまで言うとウソですね。ウソはいけません。

で、今の一押しはFlavio Venturini e Toninho Horta (Dubas Musica, 1989/1997)というライブ盤だが、一押しの理由は単にこれに収録されているある曲の歌詞(もちろんポルトガル語)の和訳に無謀にも挑戦しているからなのである。
そう言えば、ポ語辞典が我が家に来たいきさつを話したろうか? これは連れ合いが業務上の必要から神田の書店街を徘徊していた、2月のある日のことである。彼女はReaders Plus(という、業界用語やジャーゴンや流行りコトバばかり集めたニッチで便利な辞書があるのである。村上春樹あたりのプッシュがあって結構有名か)を某古書店で買ったのだが、別の店の辞書フェア(新古品みたいなのを格安で売っていたらしい)で破格の安値で出ているのを見て逆上、そこで私がポ語辞典を欲しがっていたのを思い出し、25%引きと見るや会社にいる私に速攻電話し、リベンジとばかりに買ってしまったのである。だがいくら安いとはいえ5100円はかなり来ます。みっちり使い込むことを堅く心に誓った私である。
で、この「ド素人無謀ポ語和訳プロジェクト」は近日中に特集として当サイトに掲載するので、賢明なる読者諸兄姉の懇切なるご教示を今から乞うておきたい。何とぞよろしくお願いします>特にブラジル関係の皆々様。


4/12 泣いてなんかないやい(>もちさん)

一部に私には「よよと泣き崩れる」のがよく似合うというがあるようですが、そうそうめそめそばかりして生きてられるもんですかい。と一応強がってみるのである。というか、まあ日常はピンピンしてまして、更新サボったのは泣いてたわけじゃないのよん。

で先週末ちょっとした客人があったのだがそれは以下のバックデートした記事でお楽しみ下さい。てか、楽しいんだかどうだか。


4/8 プレイバック1983

金曜の夜に旧友と久々に会って飲み、そのままウチに泊まってもらったのである。学童保育や児童館の仕事をずっとしている男なのだが、これがまた子供扱いの上手いこと。プロとしての蓄積あってのことでもあるが、例えば友達のホームパーティーなんかで子供らの相手を一手に引き受けても全然苦ではないという彼にとって、それはもう天職としか言いようがない。息子もずっとくっついて遊んでて、大満足の様子。

で、彼の仕事にからむ話なんかも沢山聞いたのだが、面白かったのは彼の子供との接し方。基本的に壁はないのである。親しい友達or兄貴分感覚。だがゲーム事になると子供に本気で挑ませる。とはいえ彼も鍛えた自信のあるフィールド(球技とか)で戦うので、そうそう簡単に負ける訳はない。で、たまには勝負に賞品を出す。例えばチューペット1本。すると子供たちは俄然燃える、という次第。壁がない友達づきあいも、強権的な態度もいけないとは言うが、こういう具合にヒトリのオトナの中に、親しみやすい部分となかなか届かない部分とが同居する、これって子供と付き合う理想的なあり方かも知れないな、と思う。

彼とは20歳前からの付き合いなので、BGM選びもいきおい中高生時代に聴いたモノに集中する。だが、実はCDを買い始めてからの私はポリシーとして「ノスタルジーだけでは買わない」ようにしているので、リクエストどおりのものがあまりなかったりする。そんな中でようやく、「当時の記憶を呼び起こし、でも今私が聴いても楽しめる音」としてピックアップされたのが以下のラインアップ:

Steely Dan: A Dacade of... (The Best of) (MCA, 1985)
The Doobie Brothers: "Minute By Minute" (Warner, 1978)
Stevie Wonder: "In Square Circle" (Motown, 1985)
Billy Joel: "Piano Man" (CBS, 1973)

Billy Joelは実は連れ合いが買った。私自身も中高の頃は彼のピアノを熱心にコピーしたりもしたが、今は距離を置いている。俳優の別所哲也が以前、Joelの登場はそれまで「女の子のお稽古事」と言われて肩身の狭かったピアノ少年たちにとって福音だった、という話をしていたが、それは自分にとってもそうだった気がする。お行儀なんか気にせず颯爽としてカッコいい、そして影のある大人の苦み(そんなもん当時の私にわかったんかいな、というのはさて置き)を漂わせるピアノ。でも、この"Piano Man"あたりは、当時もちょっと違和感があったのだが、男らしさを精一杯気取ろうとしている風があって(主に歌詞)、今ではさすがに古めかしく思える。自分が距離を置くようになったのは、この辺が一つの要因かも知れない。
もっとも技巧的には、ピアノ1台のみによる歌伴の基本形ではあるんだよね、今でも。それはBen Folds Fiveなど聴けば明らか。レフトハンド・ボイシング(左手で和声、右手でパッセージを弾き、ルート音は他の楽器=通常はベースに任せる演奏パターン。ジャズでは基本)に則らないポピュラーピアノのモデルとして、Elton JohnはもちろんRichard Teeなどにも比肩しうるものだとは思うのだ。だが、もうノスタルジーで音楽を聴いたりはしないのだ。今を楽しみたいから。うん。



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