聴いた、観た、買った ---淡々と音喰らう日々。

2000.09.01-30

>10.01-31
<08.01-31
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★は借りた新着、☆は新規購入。

今回集中的に論評したディスクなど:
ECMのネット直販(というと安っぽくて別物みたいですね)
久々に「観た」!---クラシック入門・お子様可、ですが。
Salif Keita: "Folon - The Past"


9月の初めに喉に来る風邪を拾い、じっくり治してるヒマがなかったものだから半月ほどもひきずっていた。そんな訳で、9月分もまともに掘り起こしていると風邪引き日記になり兼ねない(おまけにそういう時期は大抵音楽もあまり聴いていないものだ)ので、今回はあっさり号なのである。ここまで引っ張っておいて恐縮至極である。


9/2 何だこの猛暑は。子供連れて近所のプールに泳ぎ納めに行こうかと思ったが、これじゃ熱中症で倒れ兼ねないので一日中家に籠もって過ごす。しかしその代わり洗濯物乾く乾くこの天気。4ラウンド消化し日頃のバックログ解消。

Fleetwood Mac: "The Dance" (Reprise, 1997)

9/3 子供にさんざん泣かれ、出掛けるのが夕方になる。ハンズとか見るが、パソコンデスクには相変わらず見るべきモノなし。

9/10 The Manhattan Transfer: "Vocalese" (Atlantic, 1985)を聴いてみたのは、マン・トラで他にコピーして面白そうなネタはないか、というヤマッ気からではあるが、名だたるジャズメンのインプロに歌詞を付けたものを、まあできる訳がないのである。

呼び鈴が鳴り「国際小包で〜す」。な、何とドイツはECMから早速のお届け。発注から1週間丁度しか経ってないじゃん、すごい早業。3枚×@DM 30.00 + 送料DM12.00ってのは実にお買い得。まあユーロ安のお陰でもあるが。

で早速、Ralph Towner & Gary Burton: "Matchbook" (ECM, 1975)☆。以前セッション仲間のMさんと「Methenyのあの独特のメロディラインとかサウンドとかって、どこから来てるんでしょうね〜」と話していた中で彼が「Methenyが敬愛していたGary Burtonというのは、源流の一つとしてあるんだろうね〜」と言って、紹介してくれた盤の一つ。6弦と12弦のアコースティック・ギターとビブラフォンだけからなる音空間は単に静謐とか清澄とかではなく、どこなく人工的な浮遊感、非現実感を浮き立たせている。 続いて、あーこれ前から欲しかったKeith Jarrett: "Facing You" (ECM, 1972)☆。もう説明不要。ごめん。説明しません。そこらで借りられるから是非聴いて。ジリジリ。

9/11 Chick Corea & Gary Burton: In Concert, Zurich, October 28, 1979 (ECM, 1980)☆
これもMさん紹介のBurtonもの。Coreaのピアノは、やはりいつ聴いてもどこか違和感があるのは、和声的に生真面目に作り過ぎ(終止型の定石なんかに忠実すぎ?)のきらいがあるからか。だがそこを除けばやはり好盤で、"Bud Powell"に見られる温かいオマージュや、"Falling Grace"の端正な佇まいがたまらない。

9/14 Ralph Towner & Gary Burton: "Matchbook"
ようやく体調が戻ったので、まとめ残業モードである。

Caetano e Gil: "Tropicalia 2" (WEA, 1993)
以下深夜モードで Keith Jarrett: "Facing You", Dori Caymmi (Elektra Musician, 1988)

9/16 Pat Metheny Group: "We Live Here" (Geffen, 1995)

実家詣で。両親および妹夫婦と集ってシドニー五輪柔道観戦。早業の一本で金連発、大勢で見てると盛り上がる盛り上がる。

9/18 Dick Lee: "The Mad Chinaman" (WEA, 1989)

今週も7月に続いて海外現地スタッフ出張のセッティングと裏方。こちらが一昨年に出張した際にさんざんお世話になった相手なので、仕事溜めてるしカラダしんどいけど義理は果たそう。調子づいた部長の旗振りでカラオケ(いつ以来だろう?)に流れて、でもただ歌うのイヤなんで、偶々あったピアノを借りて"(They Long To Be) Close To You" 弾き語りしたらウケた。しかし欧米人たちこの曲、当たり前のように口ずさんでたが、そういうモンなのか?

Keith Jarrett: "Facing You" は帰宅酔い覚まし音楽。

9/19 矢野顕子: "Love Life" (Sony, 1991)
Keith Jarrett: "Facing You"

9/20 Keith Jarrett: "Facing You"
Corea/Burton: In Concert

9/21 矢野顕子: "Love Life"
Corea/Burton: In Concert

敢えてコメントなしでプレイリスト列挙してみたが、忙しい時ってのは同じものをリピートしっぱなし、ってのが手に取るようにわかりますね。

9/22 Pat Metheny Group: "We Live Here"
矢野顕子: "Go Girl"
(Sony, 1999)

9/23 子供を連れていってもOKのコンサート『音楽のタネあかし』に出掛けた。仙台フィル・コンサートマスターを最近まで務めていたというバイオリニストの森下幸路による、クラシック入門のトーク付きコンサート。
アンサンブルの息の合わせ方とか、ニュアンスの違いで同じ曲が全然違って聞こえるとかいうのを誇張気味に実演して説明する前半は、話も明快で面白いし、彼のバイオリンは結構奔放に歌う感じで、クラシック的というよりむしろポップ・バイオリンのサービス精神に満ちて魅力的だ。ただ、こうした内容は実はむしろ大人でクラシックに親しみのあまりない人向けであって、子供にはちと早いか、という気がした。大体ニュアンスがどうの、って言ってピンと来るのは小学校も高学年からじゃなかろうか。かく言う自分も、ピアノを弾いて「歌う」こと、つまり美しい旋律にニュアンスを込めて情感豊かに鳴らすことの、魅力も楽しみも、そのくらいの歳になるまで解らなかったのを思い出す。
このコンサート、そうした狙いゆえなんだろうが、選曲も叙情的なバラード寄りで、小さい子供にウケそうなリズミカルな曲が少なかったのが難点といえば難点だった。まあもっとも万人受けするプログラムを企画しろというのは無理な話であって、森下氏も色々考えた末での構成なんだろうけど。

休憩時間にロビーで、しばらく会っていなかった友人親子とバッタリ会う。こういうハプニングは本当に掛け値なしに嬉しい。先方の都合も良かったので、一緒に夕食。

9/25 Pat Metheny Group: "We Live Here" 掛けつつ出勤するも調子今一つ。

9/26 で、またダウンしてしまったのである。昼過ぎまで横になっている。仕事の積み上がり具合を考えると気が気ではないがもう体がどうにもならない。しかし誰が予想したであろう、私的に忙しくなった途端に最良の上司が異動し、仕事にも追いまくられる半年になろうとは。体力維持の努力などする間もないまま半年間気力だけで突っ走った反動だとして許してもらおう。許せってば。で、Pat Metheny: "Secret Story" (Geffen, 1993)など掛けてみるが、こんな内省的なものは却ってカラダに悪いのであった。

Pat Metheny Group: "We Live Here"

9/27 たっぷり寝てようやく復活、1時間遅い出社。ここんとこPat Metheny Group: "We Live Here"ばっかだが、自分的な健全さの座標の中点はこれだということらしい。距離感と日常感と。

たまった仕事を片付け、駅から家へと歩く午後11時。見上げると、抜けるような夜空...という言い方はおかしいんだけど、でもそうなんだな。雲は結構多くかかっていて、地上の明かりでぼんやりと、鈍く光っている。しかし合間に覗く濃紺の空は、そのせいで更に奥行きを増して見える。星がきれい。氷のような輝き。美しい秋の到来。

よし。明日はもっと元気が出そうだ。軽い晩飯を済ませ、持って行くCDのラインアップを入れ替える。物思いに傾きそうなものは全部やめよう、と矢野顕子2枚、Corea/Burton、Jarrett: "Facing You"を抜き取り、代わりにPiazzola、Salif Keita、Pat Metheny Group (ECM, 1978)を入れる。ん、最後のは違うんじゃないの...と思わなくもないが、これに収録のもはやスタンダードと言える'Phase Dance'の'phase'という語を、月の満ち欠けという意味だと勝手に思っているので。今夜の月に乾杯。

9/28 Astor Piazzola: "Tango: Zero Hour" (American Claves/Nonsuch, 1986)
ピアソラが ビシッとしろと 発破かけ。

Salif Keita: "Folon... The Past" (Mango/Island, 1995)☆
アフリカのアーティストはほとんど聴いていないので、やはり西アフリカ出身の、世界的にメジャーなYoussou N'dourと比較してしまうのだが、魅力のポイントが違うのが面白い。それがYoussouがセネガル、Salifはマリというバックグラウンドの違いから来るかどうかは別として。単純に、Youssouの"Set"のポリリズム的挑発に較べると、Salifのこれは全くポリリズム的ではない。共通点はその音階、旋法面だけであって、それをベースとして音を組み上げる手さばきは全く異なる。Salifのこの盤の楽しみは、実は声の多様性にある。それもポリフォニー的な同時多発的な響きではなく、コール&レスポンス。男声独唱(Salif)と明確に対置される、女声複数のユニゾン。これを浮き立たせる背景としては、確かにポリリズムではなく、ベーシックなビートの執拗な反復がふさわしいという気もする。



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