【 マリリン・モンロー,ネバダ砂漠 2】
>藤沢市の甘相晃さん(74)の作業部屋の大きな窓は、小学枚に向かう坂道に
>面している。ひなだんには宝船、手まり、タバコ、キューピー人形が入っ
>たガラスビンがずらりと並ぶ。どう考えても入りそうにないものを、ビン
>の中に入れてしまう達人だ。(中略)二十代でシベリア抑留生活を経験。
>「青春が全くなかった。だから今、のんびり遊んでるんですよ」。余り布
>で、親指大のキューピー人形に服を作る。「窓のとこに、『キューピーち
>ようだい!』つて、女の子たちが来るんです」と妻の幸江さん。取材中も、
>駆け下りてきた赤いランドセルたちが、次々に立ち止まってのぞき込んで
>いた。
赤いランドセルたちは「シベリア抑留生活」なんて関知しない。だから、これは、「詩」に違いない。
夜空の星は不思議だ。冷たい空に燃えている。いまここに届いているのに何億年も前の出来事だ。
出来事の全体。
:死の時には私が仰向かんことを!
:この小さな顎が、小さい上にも小さくならんことを!
:それよ、私は私が感じ得なかったことのために、
:罰されて、死は来たるものと思ふゆゑ。
:ああ、その時私の仰向かんことを!
:せめてその時、私も、すべてを感ずる者であらんことを!
中原中也 「羊の歌」
すべてが「おとぎばなし」。メルヘンのようだ。
> ダンスでも、コンピューターの能力さえ上がれば、音楽と同じような電
>子化が進むのだろうか。
> 「いいえ。人間の身体の方がはるかに繊細かつ複雑なシステムであるこ
>とは間違いないわけですから、身体そのものの面白さの優位性は保たれる
>と思いますね」 浅田彰
「全体」の細分化が「個」ではないし、「個」の寄せ集めが「全体」というわけでもない。だから、「システム」という発想は、「システム的」で嫌いだ。いつも何かが「逃げて」ゆく。元気が出ねえんだ。それじや間に合わねえ…
けれど、そのことを気付かせてくれるから、「システム論」は面白い。自分をコンピューター(機械)にたとえると、たくさんのことがクリアになる。そうしてますます「情動」が深くなる。
情動。
(引用記事はすべて朝日新聞。日付はランダムなので省略)
1996-01-11
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