他市との共同事業 藤井寺市は大変少面積の市で、大阪府内33市の中では最少の面積です。人口 も33市中28番目という小規模な市です。そのため自治体としての行政事業の いくつかが周辺の他市と共同事業として運営されています。藤井寺市のような規 模では単独で行うと効率が悪く、経費負担が割高になってしまう事業がいくつか あります。同様の問題は他の自治体の多くにもあり、そこから、複数の自治体が 共同で事業を運営する方式が各地で採られています。地方自治法にある「一部事 務組合」「広域連合」という制度です。ごみ処理、消防、火葬場など本来は自治 体毎に行う事業を、共同で出資し、専門の事業機関・施設を設けて運営する形態 にするものです。小規模な町村が多かった時代には、中学校なども組合立として 数ヵ町村共同で運営される例が多くありました。現在の藤井寺市域内でも、旧道 明寺町(村)は戦後の新教育制度発足の直後、1947年度〜1958年度の間、「古市町 外四ヶ村組合立誉田(こんだ)中学校(現羽曳野市)」の運営に参加していました。 ここでは、藤井寺市がどんな事業でどの自治体と協同しているかの概観を紹介 します。個々の事業や施設については、他の施設案内ページで紹介しています。 右図が、藤井寺市と共同事業などで関わる周辺自治体の地図です。自治体どう しの位置関係についてはこの図を参考にしてください。 |
藤井寺市と周辺自治体 | |
@ ごみ処理等の事業 「柏羽藤(かしはふじ)環境事業組合」が、柏原市・羽曳野市・藤井寺市の3市によって運営されています。かつては柏原市羽曳野市藤井寺市 清掃施設組合という名称でしたが、資源ごみの回収・分別業務が加わり、焼却炉の廃熱利用で温水プールが運営されたりして、「環境事 業組合」に変更されました。同時に、略称の「柏羽藤」が正式名称に採用されました。 事業では、し尿処理業務も行っています。この地域で下水道工事が進んできたことにより、回収・処理量は減ってきていますが、下水 道未供用の地区もかなりあり、今しばらくはこの業務が必要です。 組合の専用施設としては、柏羽藤クリーンセンター(清掃工場)と併設のクリーンピア21(温水プール施設)、雁多尾畑(かりんどおばた)最終処 分場(焼却灰処理場)、 芝山衛生センター(し尿処場)があります。 事業組合の事務局はクリーンセンター敷地内にあり、センターの現在の敷地範囲は羽曳野市と柏原市にまたがっています。もともと、 前身の清掃工場である「碓井衛生センター」が、羽曳野市域で石川の東側の市境に接した場所に建てられました。その後、新センター建 設のために市境の東側に敷地が拡大され、現在の敷地となったものです。旧センターの跡地に造られたのが、温水プール施設の「クリー ンピア21」です。その結果、敷地の真ん中に南北に通る両市の境界線が存在することになりました。 この事業組合は、もともと柏原市と羽曳野市の2市で運営されていましたが、1970(昭和45)年4月から藤井寺市が加わり、以来3市に よる運営が50年以上続いています。 「柏羽藤クリーンセンター(柏羽藤環境事業組合)」 A 消防事業 全国的に見ても、ごみ処理事業と並んで多い一部事務組合や広域連合の例が、消防組合です。この地域では、「柏原羽曳野藤井寺消防 組合」が運営されています。環境事業組合と同じ3市による共同事業です。この3市による消防組合は、1963年(昭和38年)に柏原市・羽 曳野市・美陵町(みささぎちょう 藤井寺市の前身)が、柏原市消防本部を母体として消防組合を設立したことに始まります。 この地域の公的消防機 関として最初に登場したのは、戦時中の昭和19年8月に旧柏原町に開設された「大阪府警察局消防柏原出張所」でした。戦後になってか ら「柏原消防署」に昇格し、以後、柏原町(市)を軸としてこの地域の消防組織が変遷します。 1947(昭和22)年12月、最初の消防組合として「柏原町外三ケ町村消防組合消防本部」が発足し、当時の道明寺村が加わります。その後 8年後までに3ヵ町村が次々と組合を脱退し、柏原町単独の「柏原町消防本部」となりました。 その後、さらに8年の時を経て、1963年に新たに3市町による消防組合が設立されました。柏原、羽曳野は市制を施行しており、旧道 明寺町は藤井寺町と合併して美陵(みささぎ)町となっていました。組合の名称は「柏原羽曳野美陵消防組合」です。3年後に美陵町が市制を 施行して藤井寺市が発足し、「柏原羽曳野藤井寺消防組合」という現在の名称になりました。 組合の消防本部は、設立当初は旧柏原市消防本部に置かれましたが、1年後には新しい本部施設が美陵町内に完成しました。土師ノ里 駅の北側、国道170号(現旧170号)沿いに誕生し、各方面への出動がしやすくなりました。この本部施設も現在は旧本部跡となり、「藤 井寺分署」となっています。現在の消防本部も藤井寺市内にありますが、旧本部とはまったく別の場所に大規模な本部施設が建設されま した。また、管内の住宅や事業所の増加に対応して出張所や分署が次々と設置され、現在では各市内に2ヵ所ずつの消防署が存在してい ます。 「柏原羽曳野藤井寺消防組合消防本部・消防署」 《 進む消防事業の広域化 》 2022(令和4)年5月12日、南河内地域を中心とした消防広域化を目指して「大阪南消防広域化協議会」が設立されました。同協議会サイ トの説明には、『大阪南消防広域化協議会は、柏原市、羽曳野市、藤井寺市、富田林市、河内長野市、太子町、河南町、千早赤阪村及び 柏原羽曳野藤井寺消防組合で構成し、消防広域化を実現するために必要とされる事項について協議するために』設立したとあります。そ して、協議の内容については、『現在、柏原羽曳野藤井寺消防組合、富田林市消防本部及び河内長野市消防本部が管轄しているエリアに おける消防体制の組織基盤の強化、住民サービスの向上を図るため、国が定める消防広域化を推進する期限である令和6年4月からの消防 広域化を目指し、より良い消防体制づくりを協議してまいります。』となっています。「消防体制の組織基盤の強化、住民サービスの向 上を図る」ことが消防広域化の主目的だとわかります。将来的には、119番通報を受ける通信指令体制も広域化されるようです。 南河内地域の自治体の中で、松原市・大阪狭山市はこの協議会に加わっていません。松原市消防本部は、おもに地理的関係から大阪市 消防局と連携する体制に移行する計画のようです。大阪狭山市消防本部は、大阪狭山市から堺市消防局に消防事務が委託されたことによ り、2021(令和3)年4月1日より堺市消防局の管内となりました。堺市・高石市・大阪狭山市の3市で構成されています。 一方、中河内地域の柏原市が協議会に入っていますが、これは柏原羽曳野藤井寺消防組合を構成する市なので当然のことでしょう。協 議会は、柏原羽曳野藤井寺消防組合・富田林市・河内長野市の3消防本部の管内にある市町村で構成されるわけです。なお、太子町・河 南町・千早赤阪村の3町村は、現在は富田林市消防本部の管内に構成されています。 「大阪南消防広域化協議会」 ごみ処理施設とか消防事業のように、もともと市町村を単位とする行政事業は大阪府の事業ではないので、大阪府全体を区分する南河 内とか中河内といった行政区分にしばられることはなく、地理的関係や人口構成などを勘案して都合の良い連携が選択されることになり ます。「大阪南消防広域化」の計画区域が南河内地区と一致していないのも、そのような背景があったものと思われます。 B 学校給食の事業 藤井寺市は学校給食を開始するに当たって、隣接する柏原市と学校給食組合を設立しました。「藤井寺市柏原市学校給食組合」です。 以来、40数年間に渡ってこの体制で学校給食を維持してきました。 大阪府で日本万国博覧会が開催された1970(昭和45)年、当時の南河内地区内では完全給食を実施している公立小学校は皆無でした。大 阪府内でも最も給食実施の遅い地域だったのです。そんな情況の中、先陣を切って完全給実施を決定したのが藤井寺市でした。隣接する 中河内地区にも未実施の柏原市・松原市(現在は南河内地区に移管)がありましたが、藤井寺市は地区割りを越えて柏原市との共同事業を 選びました。 1971(昭和46)年1月に「藤井寺市柏原市学校給食組合」が設立され、10月からの給食実施が決定されました。8月には藤井寺市船橋町 に藤井寺市柏原市学校給食センター(現第1センター)が完成し、給食実施への準備が進められました。10月1日、当時の藤井寺市5校、 柏原市5校の10小学校で給食が開始されました。開始時点の給食数は、10校分の9,816食でした。給食組合の事務局はこの給食セン ターに併設して設けられました。 児童数増加に合わせて、4年後には第2センターが完成しました。各センターとも最大1日1万食の製造規模を持ち、児童数のピーク であった昭和50年代中頃には、合わせて約2万食近い給食を製造していました。現在は児童数の減少を受けて大幅に減っていますが、 平成26年度からは両市の全中学校でも給食が実施されています。児童数激減により休止状態だった第2センターが、余力として役立つ こととなり、各中学校に配膳室を整備することで比較的短期間のうちに計画が実現しました。 令和4年度の給食数は、小学校(藤井寺市7校、柏原市9校)約6,600食、中学校(藤井寺市3校、柏原市6校)約3,300食で、総計 約9,900食です。 「藤井寺市柏原市学校給食センター(藤井寺市柏原市学校給食組合)」 行政管区などでの関わり ごみ処理や消防、学校給食などの組合の例とは別に、行政上の管区や公共的事業の業務エリアなどでも、周辺の他市町とのつながりがあ ります。代表的な例が、警察署の管区、保健所の管区、郵便局の集配地域などです。 @ 警察署の管区としては、藤井寺市は羽曳野市と共に「羽曳野警察署」の管轄区域です。 この地域の警察業務は、明治初期に古市村(現 羽曳野市)古市警察署が設置されたことに始まります。その後様々な変遷を経て、大阪府警察が発足した1955(昭和30)年に羽曳野警察署が 誕生しました。場所や建物は何度か変わっていて、現在の警察署の建物は1983(昭和58)年に現在の場所に移転して完成したものです。 A 大阪府の機関である保健所の管轄区域としては、「藤井寺保健所」が藤井寺市・羽曳野市・柏原市・松原市の4市を管轄区域としてい ます。藤井寺保健所の歴史は意外と古く、日中戦争開始直後の1937(昭和12)年11月、旧藤井寺町に「大阪府藤井寺健康相談所」が設置さ れたことに始まります。次いで、戦時中の1944(昭和19)年10月に「大阪府藤井寺保健所」となり今日に至っています。戦後に2度の増改 築を経た後、全面改築によって誕生したのが現在の建物です。 B 郵便事業は現在は民営化された株式会社・日本郵政グループとなっていますが、「藤井寺郵便局」が誕生した時は国による直轄事業で した。1967(昭和42)年に、集配普通郵便局(民営化する前の区分)として藤井寺郵便局が開局しました。開局当時、周囲にはまだ多くの田 畑が広がっていました。郵便局はかなり遠くからでも見える存在でしたが、今ではすっかり市街化してより高い建物も増え、近くまで行 かないと目立たない建物になってしまいました。 藤井寺郵便局の集配エリアは、藤井寺市・羽曳野市・太子町の3市町です。この地域の郵便番号は「583−」に区分されます。つまり 藤井寺郵便局が583局ということになります。なお、藤井寺市内には藤井寺郵便局のほかに、民営化以前には特定郵便局と呼ばれてい た集配をしない郵便局が6局あります。そして、羽曳野市には10局(1局は簡易郵便局)、太子町には1局があります。 上記のほかに、複数の市町村にまたがって市民に関わる行政上の管区としては、財務省税務署・法務省法務局・厚生労働省ハローワーク ・大阪府の行政機関などもあります。また、民営事業で地域区分されている例としては、固定加入電話の市外局番の例があります。民営化 以前の電信電話公社時代には、電報電話局ごとに地域区分されていて、藤井寺市は市内に開局していた阪南電報電話局(現NTT西日本藤井 寺市ビル)の区分地域でした。この区分地域には羽曳野市も含まれていました。その後民営化され、電話交換設備の自動化が進むと共に地域 区分も統合・整理されて、市外局番も0729→072と変わりました。阪南電報電話局も営業窓口は廃止されて、現在は単なる電話交換施設 ビルとなっています。 事業組合や行政管区として連携している自治体の構成について、下のような表にまとめてみました。上の地図と対比してみてください。 |
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外部 リンク |
組合・行政部署・事業者 | 松原市 | 柏原市 | 藤井寺市 | 羽曳野市 | 太子町 | 富田林市 | その他の市町村 |
柏羽藤環境事業組合 | ※ | ◆ | 南河内環境事業組合 | |||||
柏原羽曳野藤井寺消防組合 | 松原市消防 | ◆ | 富田林市消防 | |||||
大阪南消防広域化協議会 | 松原市消防 | 河内長野市◆・河南町・千早赤阪村 | ||||||
藤井寺市柏原市学校給食組合 | 松原市 | ◆ | 羽曳野市 | 太子町 | 富田林市 | |||
大阪府警察羽曳野警察署 | 松原警察署 | 柏原警察署 | ◆ | 富田林警察署 | ||||
大阪府藤井寺保健所 | ◆ | 富田林保健所 | ||||||
日本郵便藤井寺郵便局 | 松原郵便局 | 柏原郵便局 | ◆ | 富田林郵便局 | ||||
大阪国税局富田林税務署 | 八尾税務署 | 八尾税務署 | ◆ | 河内長野市・大阪狭山市・河南町・千早赤阪村 | ||||
大阪法務局富田林支局(不動産登記) | 堺支局 | 東大阪支局 | ◆ | 河内長野市・河南町・千早赤阪村 | ||||
大阪府南河内府税事務所 | 中河内事務所 | 中河内事務所 | ◆ | 河内長野市・大阪狭山市・河南町・千早赤阪村 | ||||
大阪府富田林子ども家庭センター | 東大阪センター | ◆ | 河内長野市・大阪狭山市・河南町・千早赤阪村 | |||||
大阪労働局ハローワーク藤井寺 | ◆ | ハローワーク河内長野 | ||||||
大和川下流流域下水道大井処理区 | 今池処理区 | ◆ | 堺市・八尾市・河南町・千早赤阪村 |
◆ 主要中心施設所在 ※ 大阪市・八尾市・松原市環境施設組合 大和川下流流域下水道で、藤井寺・羽曳野・富田林・堺・八尾の各市は今池処理区(松原市)にも関わっている。 |
上の表を見てわかるのは、小規模な市である藤井寺市が、この地域ではかなり重要な位置をしめていることです。それぞれの事業機関や 管轄区の主要施設の所在地として、◆のマークが最も多く付いています。それぞれの主要施設が設置された経過や時期はまちまちですが、 主として藤井寺市の地理的位置や交通の利便性が関係しているものと推測されます。 富田林市には国・大阪府関係の機関が多くの施設を設置していますが、これは、明治期に始まる近代郡制で「南河内郡」が設置されたこ とに起因するとみられます。富田林町(当時)に郡役所が設置され、南河内地区の中心として大阪府の出先機関なども次々と設置されてきた ものです。現在も「南河内府民センター」が置かれていて、その位置づけは変っていません。 なお、上記の表で掲げた自治体のつながりや国・府の行政管区の形とは異なる広域協働事業の形態として、「大阪広域水道企業団」があ ります。以前の大阪府営水道を母体として創られた企業体で、府下の市町村と水道事業を合同して行おうというものです。すでに企業団と 水道事業を統合している市町村もあり、藤井寺市も2021(令和3)年4月から水道局の業務を企業団に統合しています。以前より府営水道から 水道水の供給を受けている自治体も多く、また、各自治体水道では水需要の減少による経営悪化傾向が進み、経営効率化のために水道事業 の協働化・統合が模索されてきました。企業団は2011(平成23)年4月1日から水道用水供給事業・工業用水道事業を開始しており、令和3年 4月時点で府下14市町村が水道事業を企業団に統合しています。 「大阪広域水道企業団 |