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◆ 大阪府羽曳野警察署
  (おおさかふはびきのけいさつしょ)  《 藤井寺市外に所在 》 〈 羽曳野市・藤井寺市を管轄 〉
  〒583-0857 羽曳野市誉田
(こんだ)4-2-1       TEL:072-952-1234      FAX:072-952-2531
  近畿日本鉄道南大阪線・古市(ふるいち)駅より北西へ約930m 徒歩約14分    駐車場(来庁者用14台)
  国道
170(現道・旧道の接続線)野中東交差点より南東へ約200m    開設:1983(昭和58)年11月(現庁舎)
2市を管轄する警察署
 羽曳野警察署は藤井寺市域外にある施設ですが、藤井寺市も管轄しているの
で取り上げておきます。
② 大阪府羽曳野警察署(東より)
 藤井寺市と羽曳野市は、古くから警察署・郵便局・
保健所・電話局などの公共施設で、管轄区域を同じく
してきましたが、羽曳野警察署もその一つです。羽曳
野警察署は大阪府警察の警察署として、羽曳野市と藤
井寺市を管轄区域としています。
 現在の藤井寺市域は、1959(昭和34)年4月に合併す
る以前は、藤井寺町と道明寺
(どうみょうじ)町でした。昭和
29年7月1日に現在の大阪府警察の制度が発足した時、
旧古市町
(現羽曳野市)には「古市警察署」、旧柏原町(現
柏原市)
には「柏原警察署が設置されました。藤井寺
町は南に隣接する古市町の古市署の、道明寺町は東に
隣接する柏原町の柏原署の管轄となります。
① 羽曳野警察署章
① 羽曳野警察署章
  「羽」がモチーフ。
 『大阪府警察40年の記
 録』(1998年大阪府警
 察本部)より
  ② 大阪府羽曳野警察署(東より)  2011(平成23)年10月
    藤井寺市との境界に位置しており、警察署敷地の後方
   (西側)は藤井寺市域である。警察署の北側には羽曳野市
   立保健センター、南側には羽曳野市役所、近くには、羽
   曳野法務総合庁舎、羽曳野簡易裁判所、羽曳野労働基準
   監督署があり、羽曳野市の官庁街となっている。
 その後、昭和34年1月の「羽曳野市」誕生により同年4月1日に古市署が改称されて「羽曳野警察署」となりますが、その時点で道明寺
町域は羽曳野警察署の管轄になりました。そして、同年4月20日に藤井寺町と道明寺町が合併して「藤井寺道明寺町」が誕生しています。
翌年には「美陵町
(みささぎちょう)」に改称し、後に市制施行で「藤井寺市」となります。つまり、羽曳野警察署の名称になった時から、管轄区域
が現在の範囲になったということです。                        アイコン・指さしマーク 公式サイト「羽曳野警察署」
     ③             羽曳野警察署管内図
③羽曳野警察署管内図
 上の地図は羽曳野警察署の管轄区域を示したものです。羽曳野警察署は藤井寺市と羽曳野市の境界に接して位置しており、管内の真ん中
近くにあると言ってよいでしょう。管内には警察署のほかに
13ヵ所の交番・駐在所が設置されています正式名称は大阪府羽曳野警察署
○○交番(駐在所)」です。地図に
×で表示していますが、次の名称です。     地図中の( )内は管轄する警察署の名称
 
藤井寺市《 藤井寺駅前交番津堂交番大井交番沢田交番 》  羽曳野市《 白鳥交番西浦交番羽曳丘交番野々上交番
  ・伊賀交番郡戸(こうず)交番高鷲駅前交番恵我之荘交番駒ヶ谷駅前駐在所
羽曳野警察署のあゆみ
 『大阪府警察40年の記録
(大阪府警察本部 1998年)所載の羽曳野警察署」の記
事をもとに、羽曳野警察署の簡単な変遷を紹介します。
1955(昭和30)年 7月 1日 新しい警察制度施行のもとに現在の「大阪府警察」
             が発足。 旧古市町には
「古市警察署」が設置される。
             道明寺警部補派出所・署所在地・白鳥巡査派出所及び
             藤井寺駅前・小山・津堂・高鷲駅前・恵我之荘・埴生
             村西・埴生村
東・西浦村・駒ヶ谷の9巡査駐在所を設置。
1956(昭和31)年     道明寺警部補派出所を柏原警察署へ移管。
             山警察署から丹比(たんぴ)巡査駐在所を移管。
1959(昭和34)年 4月 1日 「羽曳野警察署
に改称。
             大井・沢田・道明寺
(旧警部補派出所)の3駐在所を柏
             原署から移管
(管区変更)
   〃   年 4月20日 羽曳野市軽里の旧庁舎跡に新庁舎を新築。(写真④)
④ 旧羽曳野警察署庁舎(北西より)
  ④ 旧羽曳野警察署庁舎(北西より) 1978(昭和53)年頃
   跡地は、現在はガソリンスタンド兼駐車場となっている。
   『カメラ風土記ふじいでら
』(藤井寺ライオンズクラブ 1979年)より
1962(昭和37)年 5月      藤ヶ丘巡査駐在所を新設。
1968(昭和43)年 6月      道明寺駐在所を廃止。
1969(昭和44)年 6月      高鷲駅前・小山・藤ヶ丘の各駐在所を廃止。
1977(昭和52)年 4月      警ら連絡所として運用していた高鷲駅前を派出所として復活。
1983(昭和58)年11月26日 羽曳野市誉田4丁目に現庁舎を新築、移転する。
(写真②)
この間、駐在所・派出所の名称変更が行われた。
             西浦町
(旧西浦村)→西浦、署所在→羽曳丘、埴生村東→野々上、埴生村西→伊賀、丹比村→郡戸
その後、駒ヶ谷駐在所以外はすべて「交番」に改称された。
 以上の変遷を見ると、駐在所・派出所の増減があっただけでなく、管轄区の変更があったこともわかります。もともと柏原町
(後柏原市)
と関わりの深かった旧道明寺町は、柏原警察署の管轄となった後に、「羽曳野警察署」発足の時点で羽曳野署管轄に変わっています。
 藤井寺市内にあった小山・藤ヶ丘の各駐在所は、廃止された後も警察官連絡所として存在していましたが、その後それらも廃止され、建
物も撤去されました。
都道府県警察制度の発足
 大阪府警察は、1954(昭和29)年に現行の警察法が施行されたことを受けて、昭和30年7月1日に誕生しました。発足当初の警察署は、府下
56署が置かれました。その後府内各地の人口増に対応して警察署の数は増えていき、1994(平成6)年4月1日に誕生した関西空港警察署ま
でで、
64署の警察署が設置されてきました。そして、2012(平成24)年には18年ぶりの新設警察署が誕生しました。65番目の警察署として
交野
(かたの)市でスタートした交野警察署です。それまで、枚方(ひらかた)市にある枚方警察署が枚方市と交野市を管内としていましたが、人口増に
よって事故数や事件数が大きく増加してきたために管区が分割され、交野市と枚方市東部を管轄する交野警察署が新設されました。
 さらに、2021(令和3)年7月1日には
堺市の西堺警察署管内を分割して新設された中堺警察署が業務を開始しました。西堺警察署では前年
に大阪府内で3番目に多い
110番通報を受理しており、事件事故により迅速に対応すべく警察署の新設が進められてきました。中堺警察署
は、西堺警察署管内だった2区の内、中区を管轄します。これにより大阪府警察は、
66警察署、603交番、46駐在所を擁する規模となって
います
(2021年7月)
 羽曳野警察署は以前は別の場所
(写真④)にありましたが、施設が古くなり手狭でもあったので、移転新築されることになり、1983年(昭
和58年)に今の場所に新庁舎が完成しました。建物が大きくなり敷地も広くなって、利用者用の駐車場もできました。
 余談ですが、大阪府警察の各警察署の電話番号は、4桁の個別番号がどの警察署も共通で、「1234」になっています。ついでながら
兵庫県や京都府、奈良県、和歌山県のほか、東京都、愛知県、神奈川県など多くの都道府県では「0110」が使用されています。
南河内地区と周辺の警察署管轄区
 羽曳野警察署の管轄区域は、大阪府の中でも南河内地区に所在
しています。右の地図は、羽曳野警察署と南河内地区の警察署、
周辺地域の警察署の管轄区を表したものです。
 警察署の管轄区は各自治体を基本単位として構成されています
が、当然のことながら、藤井寺市のような人口も面積も少ない自
治体は、単独では警察署が設置されてはいません。羽曳野警察署
の場合は、羽曳野市と藤井寺市が管轄区域で、2市の合計人口は
178,000(2015年国政調査)です。南河内地区の警察署管轄
区では最も多い人口を抱える警察署ですが、周辺地域を見ると、
違う様子も見えます。
 羽曳野警察署管轄区の東に隣接する柏原警察署の管轄区は、柏
原市単独で構成されており、人口は羽曳野署管轄区の半分以下で
す。西に隣接する松原警察署管轄区も松原市単独
で、人口は約12
万人です。一方、北に隣接する八尾警察署管轄区は八尾市単独で
すが、人口は約
26万9千人で羽曳野署管轄区の1.5倍です。
 南に隣接する富田林警察署管轄区は、4市町村で構成されてお
り管轄区域も広いのですが、人口は羽曳野署管轄区よりも少ない
15万人です。山林地が多く、平均人口密度が低いためです。
 さらに南の河内長野警察署管轄区は、河内長野市単独で区域は
大変広いのですが
人口は約10万7千人ほどです。ここも市域の
多くを山林地が占めています。
 このように、管轄区の設定は単純に人口や面積で計算されてい
るものではないことがわかります。人口とは別に世帯数の度合い
もあるでしょうし、事業所や繁華街の分布の状況、さらには交通
網の状況なども大きな要素になると思われます。
変則的な管轄区-黒山警察署管轄区
 羽曳野署管轄区の南西に隣接する黒山警察署管轄区は、少しば
かり変則的です。現在の管轄区域は堺市美原区・同東区と大阪狭
山市で構成されています。美原区はもともとは南河内郡に属して
いた旧美原町です。黒山警察署は当時から美原町に所在し、美原
町・大阪狭山市と堺市東部の一部を管轄区としていました。この
堺市の一部というのは、明治期の近代市町村制ができるまでは、
旧美原町・大阪狭山市を構成していた旧村
(大字)と同じ旧丹南郡
(明治期以前からの郡制)に属していた地域です。
 まとめると、旧丹南郡のうち北東部の15村ほどが現在の羽曳
野市・藤井寺市になっていて、残りの範囲がほぼ黒山署管轄区に
なっている、ということです。旧丹南郡から堺市へ合併したのは
10余りの村
(大字)でした。つまり、堺市域になってからも、元
  ⑤  南河内地区と周辺の警察署管轄区
⑤南河内地区と周辺の警察署管轄区
    ※ ( )内は、2015年国勢調査統計に基づく各警察署管内の合計人口。
は同じ丹南郡だったエリアとして、1つの警察署管轄区を維持してきたわけです。しかし、旧美原町・大阪狭山市(旧狭山町)地域にあった
村々は、新しい郡制で南河内郡となり、現代では南河内地区と称されるようになりました。一方、堺市に合併した地域は、堺・泉北地区と
いう別の地区に区分されました。その結果、黒山署管轄区は地区をまたいだ区域となったのです。
 さらに続きがあります。旧美原町と合併したことで堺市は政令指定都市となり、美原町は堺市美原区となって、南河内地区からは離脱す
ることとなりま
した。黒山署管轄区は、堺市の2区と南河内地区の1市とで構成される形にかわったのです。変則的な構成は続いています。
 その後、堺市内の警察署の再編・改称が行われ、現在の警察署名になりました。かつての黒山署管轄区には旧丹南郡以外の地域も少し含
まれていましたが、現在の管轄区はほぼ旧丹南郡の区分に重なります。
 警察署も行政機関なので、大きな地区ブロックにまたがっているのは何かと不都合が有りそうに思われますが、今さらどうこうできない
ことであるのでしょう。この管轄区だけで改変することはできません。人口・世帯数などのバランスを考えると、他のいくつかの管轄区も
改変する必要が出てきます。玉突き改変となり、それはもう大ごとです。財政的負担を考えれば、まず当面は無理でしょう。
藤井寺市域の警察組織の歴史
 藤井寺市地域に関わる警察組織の変遷の概要を、
『藤井寺市史』『大阪府警察史』を基に下の略年表にまとめてみました。(一部加除修正)
年・月・日 で  き  ご  と
 1872(明治5)年頃  南河内地域では古市村に「古市警察署」が設置される。
 1881(明治14)年  堺県と大阪府の合併により、古市警察署は阿保(あぼ)上田(現松原市)、国分(こくぶ現柏原市)の3分署を持
 つ警察署となる。古市村には郡役所が置かれる。
 1883(明治16)年 1月  郡役所の富田林(とんだばやし)(現富田林市)への移転に伴い、古市警察署は富田林村に移転して、「富田林警
 察署」となり、旧古市署は「富田林警察署古市巡査派出所」となる。
 1886(明治19)年  富田林警察署古市巡査派出所は、「同古市分署」となる。この時に藤井寺村に「国分分署派出所」が置か
 れたが、新たに設置された「柏原警察署」の所属となる。
 1889(明治22)年  藤井寺村の柏原警察署国分分署派出所が古市分署の所属となる。
 1898(明治31)年 4月 1日  古市分署派出所は「巡査駐在所」に改称される。
 1926(大正15)年 7月 1日  郡役所廃止により、古市分署は府知事が設置を定める「古市警察署」となる。
              〈1928(昭和3)年10月15日、藤井寺村が町制施行して「藤井寺町」発足。〉
 1933(昭和8)年  この頃、旧藤井寺町域には「藤井寺巡査駐在所」と「小山巡査駐在所」の2ヵ所の駐在所があった。
 1947(昭和22)年12月21日
 戦後改革としての新警察制度を定める「警察法」が公布され(12月17日)、大阪府では全国に先行する試験
 実施として、「国家地方警察」の8警察署と「自治体警察」の
58警察署が設置される。
 自治体警察の「道明寺村警察署」が沢田地区の村役場に設置され、道明寺地区に駐在所が置かれる。
 同じく「藤井寺町警察署」が岡地区の町役場に設置される。
 1948(昭和23)年12月22日  藤井寺町警察署の新しい庁舎・公舎が岡地区に完成する。(『藤井寺市史』では翌24年1月29日に落成式。)
 1949(昭和24)年 4月 8日  道明寺村警察署の新しい庁舎・公舎が沢田地区に完成する(現土師の里支所の場所)(写真⑥⑦)
               〈1951(昭和26)年1月1日、道明寺村が町制施行して「道明寺町」発足。〉
 1954(昭和29)年 7月 1日  改正「警察法」の実施により国家地方警察と自治体警察が廃止され、大阪市警察を除く府内の警察署が再
 編・統合されて新しい「大阪府警察」が発足。現藤井寺市域は古市町に設置された「古市警察署」と柏原
 町に設置された「柏原警察署」の管轄となる。古市署管内の「道明寺警部補派出所」「藤井寺駅前巡査駐
 在所」「小山巡査駐在所」「津堂巡査駐在所」と、柏原署管内の「大井巡査駐在所」が設置される。
 1955(昭和30)年 7月 1日  大阪市警察が廃止されて大阪府警察に統合。現在の都道府県警察としての「大阪府警察」が発足。
 1956(昭和31)年  「道明寺警部補派出所」が柏原署へ移管される。
 1957(昭和32)年 2月  道明寺町に「沢田巡査駐在所」が設置される。
 1959(昭和34)年 4月 1日  古市警察署が「羽曳野警察署」に改称。大井・沢田・道明寺(旧警部補派出所)の3巡査駐在所が柏原署か
 ら羽曳野署へ移管される。
         〈1959(昭和34)年4月20日、藤井寺・道明寺の両町が合併して「藤井寺道明寺町」が発足。〉
 1962(昭和37)年 5月 「藤ヶ丘巡査駐在所」が新設される。 〈1960(昭和35)年1月1日、町名を「美陵町」に変更。
 1968(昭和43)年 6月  道明寺駐在所が廃止される。    〈1966(昭和41)年11月1日、市制施行により「藤井寺市」が発足。〉
 1969(昭和44)年 6月  小山・藤ヶ丘の各駐在所が廃止される。(その後連絡所となっていたが、後に廃止される。)
    『藤井寺市史』では、1948(昭和23)年7月1日の発足となっているが、『大阪府警察史』の記述に従って1947年12月21日とした。

自治体警察があった頃-占領下の警察制度改革
 皆さんは「自治体警察」というものをご存知でしょうか。自治体、つまり市町村が設置母体となる警察組織で、現在の警察制度が制定さ
れて都道府県警察が発足する前、戦後間もない頃にできた警察組織でした。藤井寺市域でもこの制度のもとで、藤井寺町が「藤井寺町警察
署」を、道明寺村が「道明寺村警察署」を設置していました。この当時の様子について少しばかり紹介しておきます。
道明寺村警察署
 写真⑥は、かつての道明寺村が設置した道明寺村警察署
の建物です。警察署として新たに造られた建物ですが、自
治体警察廃止の後には道明寺町役場として使用されました

1951(昭和26)年1月1日に町制施行〕。後に藤井寺町と合
併しますが、それ以後には支所として使用されています。
その後この場所で改築されて誕生したのが現在の支所です。
 写真⑥では、警察署の前にオートバイに跨がって待機し
ている警察官が見えます。当時各地の警察で見られたサイ
ドカー付きオートバイです。当時の自治体には現在のよう
な財政力は無いため、今のパトカーのような車両を備える
ことは無理でした。戦後復興も始まったばかりで、国産自
動車の量産などまだまだのことだったのです。
 乗用自動車よりも低予算で備えられるサイドカー付きオ
ートバイは、当面必要とする機動力として導入されたもの
⑥ 旧道明寺村警察署(南東より) ⑦ 旧道明寺村警察署
⑥ 旧道明寺村警察署(南東より)
   後方の松は道明寺小学校の、右端後方の松は当時
  存在した長持山古墳のもの。この場所は現在は土師
  の里支所となっている。
    『藤井寺市史第2巻・通史編三 近現代』より
 ⑦ 旧道明寺村警察署
  昭和24年4月8日の新庁舎
 発足の日と思われる。
 『大阪府警察史
第3巻』より
でした。複数警察官が乗車して巡回に使用できる車両として役立ちました。サイドカー付きオートバイは、“マイカー”などほど遠い当時
には一般市民にも利用する人がいて、街中でも時おり見られました。
 警察車両として地方警察の多くで使用されていたものに、米国製のホロ付き4輪駆動車があります。いわゆる「ジープ」と呼ばれた米国
ジープ社製の軍用車です。当時日本に占領駐留していた連合国軍の実質は米軍でした。これらのジープ車両は、占領軍から供与されたか、
安く払い下げられたものと思われます。当時の事件を描いた映画やニュース映像などで、警察の“ジープ”を見ることができます。
警察署発足の日
 写真⑦は、自治体警察の「道明寺村警察署」が発足した頃の様子を写したものです。新しい警察署の建物に警察署名の看板を掛ける様子
によって、新警察制度のスタートを象徴させています。実はこの写真は偶然に見つけました。自治体警察について調べるために『大阪府警
察史 第3巻
(大阪府警察本部 1973年)をめくっていて目にとまったものです。写真説明には「自治体警察署発足」とだけあり、写真提供
者として「
(堺市・八田氏蔵)」と添えられています。この八田氏というのは、最初の道明寺村警察署長の警部補八田正雄氏だと思われま
す。『大阪府警察史』には、発足当初の府内市町村警察署の全署長の氏名と階級が掲載されています。10市の署長が警視で、他の市町村
の署長は警部が
10署、警部補が38署の、計58警察署です(大阪市を除く)。 現在の大阪府警察では、署長に任じられる階級の多くは警視正
なので、警部補が署長に就くことは考えられません。当時とは、警察官階級と役職の関係が変わっていることや、また、町村立警察署の規
模が如何に小さいものであったかということが覗えます。
 『警察史』の編集者が八田氏の写真⑦所蔵を知り、自治体警察発足を象徴する場面の例として使用したものと思われます。村が設置した
警察署は11署ありましたが、「村立の警察署」はまさに自治体警察制度の象徴でもあったでしょうから、うってつけの写真として使用さ
れた状況が推察されます。写真の4人の人物は、署長や村長、助役などだと思われますが、看板を掲げているのが八田署長ではないかと推
察されます。記念に撮られた写真は、今となっては、一つの時代を表す大変貴重な記録写真でもあります。藤井寺市にとっても貴重な資料
写真です。藤井寺町警察署でも同様の発足セレモニーが行われたと想像できますが、残念ながら写真を見つけることはできませんでした。
ちなみに、最初の藤井寺町警察署長は、大塚 栄・警部補です。
 『道明寺町史
(道明寺町 1951年)に掲載の「道明寺町警察署」の項には、松田七蔵町長の回想として次のような文が見られます。
昭和23年3月7日警察組織法の制定を見て我が町も自治体警察を置くことの指令が来て当事者をまごつかせたのであった。当時の村会は
色々と論議もあったが結局返上出来ない事情もあって衆議一決し設置を決定したのである。
(中略)
 初代署長八田正雄氏を柏原警察署主任より当署に迎え署長以下
10名、事務員其の他3名、合計13名で本町の治安維持に当たって居る。
公安委員は当初より第一人者を選び3名共引続き現在まで至極円滑に運営されて居ることは町民の幸福之れに過ぎないのである。

            (「警察法」制定のことと思われるが、制定は昭和22年12月8日であり、昭和23年3月7日は施行日である。)
戦後の警察改革-民主警察への動き
 1945(昭和20)年8月15日、日本は連合国によるポツダム宣言を受諾して第2次世界大戦の敗戦を迎えま
した。日本に進駐し占領政策を担っ
GHQ(連合国軍最高司令官総司令部 General Headquarters)は、日本の非軍事化・民主化を主眼とした、いわゆる戦後改革を順次推進し
て行きます。
 警察業務についても管轄する内務省は、GHQの指令・承諾を受けて敗戦後間もなくから暫定的な改革を行いま
した。昭和20年10月4日に総
司令部から政府に発せられた『
政治的、公民的および宗教的自由制限の除去に関する覚書』によって、警察の業務・組織に大きな改革が起
きます。覚書の「
諸自由を制限し、差別する諸法令を廃止し直ちにその適用を停止すること」「諸法例の施行の目的で設置された諸機関は
廃止すること
」などの指示事項に従って、治安維持法・治安警察法・言論出版集会結社等臨時取締法・宗教団体法など19法令が昭和20年
末までに廃止されました。また、思想犯取締りを専門とした特高警察
(特別高等警察)は廃止され、総司令部は全特高警察職員の罷免指令を
出しました。さらに、戦争指導勢力の排除を目的として、総司令部は公職追放指令を発しました。警察組織でも、内務省幹部をはじめ多数
の公職追放者が出ました。
 敗戦後のわずか数ヶ月間で、警察組織や業務内容に大ナタが振るわれたのですが、連合国軍最高司令官・マッカーサー元帥がさらに政府
に求めたのは、警察制度の根本的な改革で
した。昭和22年5月に施行された日本国憲法に基づく民主国家に相応しい新しい警察制度の創設が
要求されたのです。
 政府内部では種々の改革試案が作成され、総司令部でも民間情報部公安課と民政局とでそれぞれ改革構想が立案されて行きました。最終
的にはマッカーサー元帥の裁定によって民政局の改革案が採用されて、首相宛の書簡が発せられました。そして、警察制度改革の政府案を
すみやかに決定することが命ぜられ、国会審議を経て昭和22年12月8日に「警察法」が成立、12月17日に公布されました。
 民政局の改革案が目指したのは、内務省の監理・統制による中央集権的国家警察制度の解体であり、警察の地方分権化を徹底させること
でした。警察法成立の後、12月31日付をもって内務省は廃止され、
74余年の歴史の幕を閉じました。
自治体警察と国家地方警察
 
「警察法」の定める警察制度は、警察組織を「国家地方警察」と
「自治体警察」の2本建てとするものでした。この制度改革は、新
憲法に基づく地方自治の民主化を象徴するものであり、警察の地方
分権を推進しようとする画期的なものでした。概要を以下に紹介し
ます。
(1) 自治体警察
  「自治体警察」は、当時「MP」の略称がありました。これは
 「Municipal Police」の略で、米国の警察制度の一部に倣ったもの
 とも言われます。
  市および人口
5,000人以上の市街的町村に設置されることに
 なりました。この「市街的町村」とは、『大阪府警察史』によれ
 ば、『
市街的形態を有する人口 5,000人以上の町村で、市街的
 とは、住民の職業構成が商工業その他の企業体で、おおむね五割
 以上を占め、かつ中心市街地における戸数が全戸数の五割以上を
 占めるもの
』とされています。
  昭和21年4月26日 実施の臨時人口調査の結果、当時の大阪府で
 は市が
12、人口5千人以上の町が34、同・村が36、人口5千人
 未満の町が2、同・村が
79となっています。つまり、人口5千人
 以上の町村数は
70ありました。その後市街的状況に関する3回
 の調査を経て、最終的に
34町14村が市街的町村として認定され
 ました。
  大阪府では、警察法施行以前に特別に試験実施を総司令部およ
 び内務省から指示され、昭和23年3月6日の施行日に先立つ 1947
 (昭和22)年12月21日に、「国家地方警察大阪府本部」および「国
 家地方警察地区警察署
8署が設置されます。同時に府下59自治
 体による
58の「自治体警察」が誕生しました
(大阪市を除く。組
 合立警察1あり。)
また、別に大阪市警察では27の警察署が発
 足しています。
  「道明寺村警察署」と「藤井寺町警察署」もこの時に誕生しま
 した。つまり、両町村は「市街的町村」として認定されたという
 ことです。大阪府統計年鑑によると、昭和21年の道明寺村の人口
 は
7,949人、藤井寺町の人口は9,256人でした。
  右の分布図が発足当時の自治体警察と国家地方警察の区分の様
 子です。大阪市を除く11の市と
48の町村の計59自治体が、58
 の自治体警察を設置しました。警察の数が1つ少ないのは、野田
 村と大草村が組合を構成して1つの組合立警察署を設置したから
 です。
 ⑧  自治体警察と国家地方警察の管轄区
⑧自治体警察と国家地方警察の管轄区
  1947(昭和22)年12月現在   野田村と大草村は組合を構成し、「野田村・
  大草村組合警察署」を設置した。
  文字・線描のかすれを修正し彩色加工
          『大阪府警察史 資料編Ⅱ』(大阪府警察本部 1985年)より 
   58の自治体警察の一覧は次の通りです(分布図参照)。これらとは別に大阪市警察の27警察署が設置されました(警察署名略)
堺市警察署 布施市警察署 岸和田市警察署 豊中市警察署 吹田市警察署 守口市警察署
貝塚市警察署 池田市警察署 枚方市警察署 高槻市警察署 泉大津市警察署 富田林町警察署
佐野町警察署 寝屋川町警察署 八尾町警察署 柏原町警察署 高石町警察署 龍華町警察署
長野町警察署 箕面村警察署 和泉町警察署 縄手町警察署 茨木町警察署 盾津町警察署
枚岡町警察署 加美村警察署 野田村・大草村組合警察署 庄内町警察署 松原町警察署
矢田村警察署 巽村警察署 春日村警察署 久宝寺村警察署 福泉町警察署 藤井寺町警察署
忠岡町警察署 津田町警察署 四条畷町警察署 古市町警察署 熊取村警察署 天美町警察署
道明寺村警察署 交野町警察署 門真町警察署 住道町警察署 国分町警察署 茨田町警察署
玉川町警察署 富田町警察署 信達町警察署 多奈川町警察署 島本町警察署 深日町警察署
大戸村警察署 味舌村警察署 信太村警察署 布忍村警察署 八坂町警察署
  発足当初、自治体警察の庁舎の設置は市町村の任意とされたため、既存の公共施設をはじめ様々な施設が利用されています。もともと
 旧警察署が存在した所では当然それが使用されましたが、駐在所や派出所が転用された所もあります。町村役場に同居して開設される例
 が多かったのですが、その他では、公民館・消防団詰所・小学校・青年学校・女学校・工業専門学校・農業会館・青年会館・診療所・米
 穀検査所・毛布会社などが『大阪府警察史』に記載されています。専用の施設を造営する間もなく、自治体警察の設置が急展開の中で進
 められたことを推察させます。
  道明寺村警察署と藤井寺町警察署も、発足当初は役場に設置されましたが、後に国や大阪府の補助金を受けて新庁舎が建設
されました。
 それぞれの完成時期は、藤井寺町警察署が昭和23年12月22日、道明寺村警察署が昭和24年4月8日です
(『大阪府警察史』)
  本来の警察署の施設ではない所に設置された警察署では、留置場などは当然存在せず、旧警察署の留置場を近隣の数ヵ所の警察署で共
 同使用することになりました。道明寺村警察署は柏原町警察署の、藤井寺町警察署は古市町警察署の留置場を共同使用しました。
(2) 国家地方警察
  「国家地方警察」は、当時「NRP」の略称がありました。
National Rural Police」の略ですが、「Rural」は「いなかの,地方の
 を意味します。国家地方警察は、自治体警察の管轄区域以外の地域を管轄する警察として設けられました。国家地方警察と自治体警察は
 特別の場合以外は原則として併立平等の関係にあり、相互に指揮・監督を受けることはありませんでした。国家地方警察は国の警察機関
 ではありましたが、地方分権の趣旨からその運営に関しては、都道府県公安委員会に委ねられました。
  大阪府で設置された「国家地方警察署」は、次の8ヵ所です。
(分布図参照)
   国家地方警察大阪府豊能地区警察署    国家地方警察大阪府三島地区警察署    国家地方警察大阪府北河内地区警察署
   国家地方警察大阪府中河内地区警察署   国家地方警察大阪府南河内地区警察署   国家地方警察大阪府黒山地区警察署
   国家地方警察大阪府三林地区警察署    国家地方警察大阪府泉南地区警察署
  上の分布図で南河内地区警察署の管轄区を見ると、大阪府内で最も広い管轄区域であることがわかります。ここには、現在の河内長野
 市南部や千早赤阪村・太子町・河南町など、山林地の多い地域が広がっており、面積の割には人口がそんなに多くはなかったのです。当
 時の南河内地区にはまだ1つも市がありませんでした。昭和21年の人口統計では、当時の南河内郡には人口 5,000人以上の町村として
 狭山村・高鷲村・志紀村などもありましたが、自治体警察設置の対象とはなりませんでした。「市街的町村」とは認定されなかったわけ
 です。南河内地区警察署は、旧富田林警察署の施設を富田林町警察署と共同使用しました。
公安委員会制度
 警察運営の民主化を保障する制度として、「警察法」は「公安委員会」の制度を定めています。これは、内務大臣が警察管理の責任者を
務めた戦前の中央集権的国家管理警察を根本的に改めるものとして創設されました。国家地方警察・自治体警察を問わず、警察管理を国民
の中から選ばれた数人の委員で構成される合議制の「公安委員会」の管理のもとに置く制度です。教育行政における教育委員会制度と同じ
ようなシステムです。米国の制度に倣ったと言われ、総司令部の意向が反映されたものと思われます。
 公安委員会は組織体系から、「国家公安委員会」「都道府県公安委員会」「市町村公安委員会」3種類が設けられました。国家公安委員
会は、国家地方警察本部長官を指揮監督し、都道府県公安委員会は都道府県国家地方警察の運営管理を行いました。自治体警察を管理した
のが市町村公安委員会です。
 市町村公安委員会の警察管理は、警察法の定める行政管理・運営管理の両方を含むもので、市町村警察に対する権限は国家公安委員会・
都道府県公安委員会のそれよりも広く、総合的な統制権を有するものでした。『大阪府警察史』に掲載された公安委員会発足時の委員名簿
には、藤井寺町・道明寺村の委員として次の方々が記載されています。
 
藤井寺町公安委員《 岡田伊左衛門(56 農業)    吉村種蔵(72 回生病院監査役)   今西房治良(46 食糧営団古市支所長) 》
 
道明寺村公安委員《 山脇虎彦(53 織物工業会専務理事)    真野正夫(37 電気通信器具製造業)   吉田 貢(57 鍼灸業) 》
 後に警察法が改正されて現在の都道府県警察制度に移行しますが、その時点で市町村公安委員会と自治体警察は廃止されました。
自治体警察の問題点-警察法改正へ
 警察の民主化や地方分権の象徴的な制度として発足した「自治体警察」でしたが、既存の警察組織を細分化した形となったことから、実
際の警察活動を運営して行く上では様々な問題点が顕在化してきました。まず、警察組織が複雑化したことや警察相互の管轄の問題があり
ます。警察署の規模が小さくなったことで、人事の固定化が起きやすくなり、人事交流の困難さも生じてきました。さらに、小規模自治体
で最大の問題は、警察運営に関わる財政上の負担でした。また、自治体警察が単一の自治体内の組織であるため、自治体の行政や地元有力
者、政治家との癒着が生じやすいなどの問題も指摘されました。一部では地域暴力団との癒着も問題となりました。制度施行からほどなく
して、制度改革を求める声が出て来ることとなりました。
 1949(昭和24)年2月、大阪府議会が政府に提出した意見書『
警察制度の改革に関する意見書』では、次のように書かれています。
新警察法による自治体警察の設置基準は市および人口5,000人以上の市街地町村となっているが、現下市町村の経済難はこれが経費負担
に困窮をきわめ警察能力の発揮に支障をきたすばかりでなく、国家地方警察と自治体警察との間に警察運営上の不円滑、警察力配置の不均
衡不合理等幾多不利なる問題が続出し、さらに犯罪検挙能率の低下、地方ボスの跳梁等極度に警察を無力化しつつある現状まことに寒心に
たえない。
 よって自治体警察はこれを統合して国家地方警察の所管とし、府県公安委員会の運営管轄下に置く府県単位自治体警察制度を実現する警
察法の一部改正の急速なる改正を要望する。
(『大阪府警察史』)
 自治体警察制度の問題点が簡潔に集約されています。要望された「府県単位自治体警察制度」は、この数年の後に警察法の改正によって
実現することになります。意見書の趣旨は、おそらく、全国の自治体の多くが抱えていた問題と要望を代表する内容だと思われます。ただ
し一方では、警察法の改正は地方分権・警察民主化を覆すものだという反対意見が、大都市自治体を中心として上がっていました。
 自治体の財政負担について、道明寺村の場合を『道明寺町史』で見ることができます。町史に掲載の「昭和
25年度予算」では、警察消
防費
2,634,633となっており予算総額12,217,858円に占める割合は約21.6%です。消防費が含まれているものの、町財政に
とっては決して小さくはない規模だと言えるでしょう。一方、藤井寺町の警察費については、『藤井寺市史第2巻 通史編 近現代』に記述
があります。昭和
23年度当初予算の歳出によると、警察費は772,678円で全歳出の24.7%、とあります。これが翌24年度になると、一挙
2,350,130円(約8割が人件費)に増大しています。かなりの負担割合だったと思われます。
 その後、様々な経過の後、昭和26年5月の第10回国会で「警察法一部改正法案」が審議されることとなりました。そして、6月12日に改正
「警察法」が公布・即日施行されたのです。改正のポイントは、「国家地方警察の自治体警察管轄区域内における職権行使」「警察を維持
しない場合の町村の住民投票」
人口5,000人以下の町村と隣接する市警察との組合警察の設立」全国自治体警察の定員9万5千人のわ
くをはずし、自治体警察の定員は条例で自由に決定する」などでした。この年の9月、サンフランシスコ講和条約が調印され、翌年の発効
によってようやく連合国軍による占領統治が終わることとなりました。
自治体警察の廃止が続出
 その後の展開に大きな影響を与えたのは
、「人口5,000人以上の市街的町村は住民投票により、その町村の維持する自治体警察を任意に
存廃することができる。」という改正警察署法の規定でした。大阪府内でトップを切って住民投票を実施したのは泉南郡の信達町で、昭和
26年8月に行われ、実に
86%の賛成票で廃止が決定しました。信達町の昭和26年度予算で警察費の割合は約16%でした。その後多くの町村
が次々と住民投票を行って自治体警察の廃止を決定し、昭和26年10月1日をもって国家地方警察に編入された町村は府内で
20町村でした。
翌27年以降にも廃止を決定する町村は続きました。以下に廃止決定した町村を年順に挙げておきます。
  昭和26年10月 1日   信達町  熊取町  古市町  盾津町  玉川町  門真町  布忍村  枚岡町  和泉町  深日町  石切町
                     縄手町  松原町  天美町  富田町  多奈川町  庄内町  味舌町  八坂町  箕面町
 (議会議決順)
  
昭和27年 4月 1日   福泉町
  
昭和27年 6月 1日   柏原町  国分町
  
昭和28年 1月 1日   高石町  四条畷町  津田町  住道町  交野街  信太村
  
昭和28年 9月 1日   島本町
  
昭和29年 3月 1日   長野町
 昭和29年7月に警察法の全面改正が行われるまで存続していた町村警察は、加美村・登美丘町・矢田村・道明寺町(26年町制施行)・巽町・
藤井寺町・忠岡町
(住民投票で廃止を否決)・茨田町等であったと、『大阪府警察史』には述べられています。警察費の負担割合が信達町の
場合よりも大きかった道明寺町が、制度廃止で終了するまで自治体警察を維持し続けたことは少し意外な感じもします。道明寺町よりも規
模の大きい古市町や松原町・柏原町・長野町などが廃止していく中でも、道明寺町警察署は存続しています。藤井寺町も警察の維持を続け
ています。これについては、『大阪府警察史』の中に興味深い記述が見られます。「町村警察の廃止」の項の結びに、『
これらの警察を維
持した町村は、
公安委員・警察・町村民との精神的なつながりが強く、人間関係も非常にうまくいっていた。」といわれている。(元道明
寺町警察長
八田正雄談)』と書かれています。前出の初代道明寺村警察署長に就いた八田氏の回想談で結ばれていますが、これが、道明寺
町や藤井寺町が自治体警察を維持し続けることができた要因だったのでしょうか。
国家地方警察地区警察署の増設
 昭和26年10月1日に始まった自治体警察の廃止に伴って、国家地方警察大阪府本部では8ヵ所の地区警察署を増設しました。その後も 27
年~28年にかけて3ヵ所の地区警察署を増設し、地区警察署は総計
19ヵ所となりました。新設された地区警察署は次の通りです。  
  26年10月1日  箕面地区警察署(豊能郡箕面町)   庄内地区警察署(豊能郡庄内町)   額田地区警察署(中河内郡枚岡町)
         玉川地区警察署(中河内郡玉川町)  松原地区警察署(中河内郡松原町)  古市地区警察署(南河内郡古市町)
         和泉地区警察署(泉北郡和泉町)   東泉南地区警察署(泉南郡信達町)
  27年 6月1日  柏原地区警察署(中河内郡柏原町)
  28年 1月1日  高石地区警察署(泉北郡高石町)    29年 3月1日  長野地区警察署(南河内郡長野町)
   
自治体警察制度の廃止-新警察法の施行
 一部改正を施行していた「警察法
でしたが、昭和28年2月の特別国会に警察法改正法案が提出されました。これは、制度の抜本的改正案
で、「国内警察全体の中央機関として総理府外局の警察庁を設置」「国家公安委員会を廃止して、助言勧告権限だけの国家公安監理会を置
く」「国家地方警察と市町村警察はともに廃止して都道府県警察一本とする」「人口70万人以上の市は、その市会の特別の議決をもって
都道府県と同様に市警察をおくことができる」という制度改革を目指すものでした。これに対し、都道府県側からは、「戦前における国家
警察組織の復活であるばかりでなく、大都市の警察に関し特例を認めるものである。」と強い反対が表明されました。各方面から反対が表
明され、厳しい審議が予想されましたが、吉田首相によるいわゆる「バカヤロー解散」で衆議院が解散されたため審議未了となりました。
 翌29年2月、政府は再び警察法改正法案を提出しました。法案では、国家公安委員会の存続、警察庁長官
警視総監の任命方法、都道府県
警察への一本化などについて、反対意見に対応して一定の修正が加えられました。
 野党側の強い反対がある中、強行採決によって成立したとされた新「警察法」は、翌日の1954(昭和29)年6月8日に公布、7月1日に施行さ
れました。これにより、大阪府では大阪市以外の
24の自治体警察が廃止されました。約6年半続いてきた道明寺町警察署藤井寺町警察署
などの「自治体警察」という警察の姿が日本からは消えました。今の時点から振り返ると、まるで“まぼろしの警察署”のような感じさえ
します。警察法の付則により1年間存置された大阪市警察も、翌1955(昭和30)年7月1日付で大阪府警察に一本化されました。この日が現在
に続く「大阪府警察」のスタートの日となりました。                   アイコン・指さしマーク 公式サイト「大阪府警察」

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