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◆◆◆◆ 日本郵便・藤井寺郵便局 ◆◆◆◆ |
(にほんゆうびん・ふじいでらゆうびんきょく) 《 日本郵便株式会社・藤井寺郵便局 》 〈 羽曳野市・藤井寺市・太子町を管轄 〉 〒583-8799 藤井寺市藤ヶ丘3-11-14 TEL:072-954-2605(窓口業務) 072-954-2602(集荷・配送) FAX:072-954-2765 近畿日本鉄道南大阪線・藤井寺駅より南東へ約1.5km 徒歩約23分 〃 ・古市駅より北西へ約1.7km 徒歩約26分 府道186号大阪羽曳野線・野中交差点(国道170号・府道31号と交叉)より北へ約100m 駐車場(局舎南側に入口) 〃 ・小山交差点(府道12号)から南へ約1.5km 開局:1967(昭和42)年11月 |
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藤井寺郵便局(南東より) 2018(平成30)年10月 写真右端に入口がある。局舎南側(左)が駐車場となっている。 |
藤井寺郵便局・旧局舎(北東より) 『市勢要覧1978年』より 1967年にできた最初の局舎。後に改築されて3階建てとなった。 |
2市1町を集配区域とする郵便局 藤井寺市と羽曳野市は、古くから警察署・郵便局・保健所・電話局などの公共施設で、管轄区域を同じくしてきましたが、藤井寺郵便局 もその一つです。 「藤井寺郵便局」は、藤井寺市・羽曳野市・太子町を集配管轄区域としている郵便局です。この管内で差し出し、受け取りされるすべて の郵便物を集配する郵便局です。民営化以前には「普通郵便局」という種類で、俗に「本局」とよばれる位置づけだった郵便局です。藤井 寺郵便局の地域番号は「583」です。管内の各地区の郵便番号は、「583-○○○○」となります。 藤井寺郵便局の管内には、別に藤井寺市6、羽曳野市局10、太子町1、計17の郵便局が存在します。この内の16局は、民営化以前に は「特定郵便局」という種類だった郵便局です。現在は日本郵便の直営となっていて、藤井寺郵便局との違いは集配業務を行っているかど うかです。「集配郵便局」は集配業務に必要な設備を置くために、当然ながら建物施設が大きくなります。もう1局は「簡易郵便局」とい う種類で、羽曳野市の郡戸(こうず)地区にある「丹比(たんぴ)簡易郵便局」です。簡易郵便局は、日本郵便株式会社から委託されて窓口業務を行う 施設を言い、地方公共団体・農業協同組合・漁業協同組合・消費生活協同組合などに委託されています。その多くは民営化以前から簡易郵 便局だったものです。民営後も「簡易郵便局」の名称はそのまま継続されました。丹比簡易郵便局は、大阪南農業協同組合丹比支店に委託 されたもので、丹比支店内に同居しています。 下の管内図に各郵便局の名称と所在地を示しています。羽曳野市の石川以東の地域に郵便局がありませんが、これは地区の多くが丘陵地 であることによります。丘陵斜面を利用したブドウ栽培の盛んな地域です。最寄りとなる太子町の磯長(しなが)郵便局が利用されます。太子町 も郵便局は1ヵ所だけですが、町域の多くが山林地で、市街的地域は町役場周辺に分布しています。 藤井寺市の場合は藤井寺郵便局を含めて7局あり、面積の割には郵便局が多く存在していることになります。平坦地ばかりで、周辺他市 町よりも人口密度の高いことにによります。地図で見ると、郵便局と郵便局の距離の近いことがわかります。市の中央北部だけは一般民家 の分布が少ない地域です。 ![]() |
藤井寺郵便局管内図 | ||
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最初にできた藤井寺市域の郵便局 現在の藤井寺市は、旧藤井寺町と旧道明寺町が合併して一つとなった町が、市制に移行して成立したものです。1959(昭和34)年4月20日、 合併によって「藤井寺道明寺町(後に美陵町)」が発足しますが、合併時の両町の現況を『藤井寺市史・第2巻』の史料で見ると、どちらの 町も郵便局は1ヵ所ずつ存在していました。ただし、道明寺町の郵便局は集配業務を行わない特定局で、「道明寺郵便局」と言いました。 現在の「藤井寺沢田郵便局」です。 郵便局は全国に大変多く存在しますが、民営化以前の郵便局の約3/4は特定郵便局でした。かつて、郵便局は小学校と同じくらいに分布 していると言われていましたが、藤井寺町も道明寺も、明治時代から長い間小学校はそれぞれ1校でした。郵便局も同じ数でした。ちなみ に、現在藤井寺市には7校の小学校があり、郵便局も7局です。1校区だけ郵便局がありませんが、ほぼ各校区にあると言えるでしょう。 藤井寺市域の郵便局で最も早くにできたのは、1910(明治43)年7月に当時の小山村に開局した「小山郵便局」です。後に小山村が合併に よって藤井寺村(後に藤井寺町)となったことで、「藤井寺郵便局」となります。現在の「藤井寺小山郵便局」です。 道明寺郵便局がいつ開局したのか、わかる資料が見当たりません。『道明寺町史』(道明寺町 1951年)掲載の道明寺町略図には、現在の藤 井寺沢田郵便局の位置に郵便局の記号があるので、それ以前からあったことがわかります。一方、参謀本部陸地測量部が1934(昭和9)年に発 行した地形図では、藤井寺郵便局の位置には郵便局記号がありますが、道明寺郵便局の位置にはありません。まだできていなかったことに なります。道明寺郵便局は昭和10年頃~昭和25年頃の間にできた、という開局時期の範囲特定だけはできました。 電話業務も扱った郵便局 『道明寺町史』でもう一つわかったことがあります。電話架設についての記述の部分に、「一般郵便物の集配は柏原局に属する。」とあ ります。つまり、昭和25,6年頃の旧道明寺町全域の郵便物集配は、隣接する柏原町(現柏原市)の柏原郵便局の管轄だったことがわかりま す。なぜ電話の記述部分で郵便物集配のことが出てくるのかと言えば、当時は電話交換業務が郵便局で行われていたからです。 明治中頃以来、電信・電話事業は郵便事業と共に逓信(ていしん)省が所管する国営事業でした。郵便局に電話交換設備が置かれたのもそのた めでした。戦後の1949(昭和24)年に逓信省は郵政省(現総務省)と電気通信省に分割され、電気通信省が電話事業の運営に当たりました。そ の後、進む戦後復興の中、電信電話業務の拡大に対応して、1952(昭和27)年に日本電信電話公社(電電公社・現NTT)が郵政省の外郭団体と して設立され、電話事業は公社に移りました。それから後、電電公社は電話回線の需要増大に備えて各地に新たな「電報電話局」を設置し て行きます。それは電話交換の急速な自動化を進め、郵便局における手動交換の業務は姿を消して行きました。 ついでながら、旧道明寺町域における電話の架設は、『道明寺町史』によれば、道明寺・国府(こう)・沢田・林(部分)・古室(こむろ)の各地区が 1922(大正11)年12月26日で、古市郵便局の管轄でした。船橋・北條・大井・林(部分)の各地区は1928(昭和3)年5月6日で、柏原郵便局の管轄 です。電話の加入率が現在よりもずっと低い時代には、郵便局内の交換設備で十分に事足りていたものと推察されます。 |
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「藤井寺郵便局」の誕生とその後 現在の「藤井寺郵便局」が集配局として開局したのは、1967(昭和42)年11月です。前年の昭和41年11月1日に、旧美陵町(みささぎちょう)が市制を 施行して「藤井寺市」が誕生しています。市制施行をはさんだこの数年間に、電報電話局・消防本部庁舎・町役場庁舎(旧市庁舎)・浄水場 ・郵便局と、相次いで新しい公共施設が藤井寺市内に誕生しました。いずれも、昭和30年代中頃から始まった急速な人口増加の時期に対応 しています。いわゆる社会インフラの整備が要求された時期です。新しい幹線道路や高速道路の建設も始まりました。日本が高度経済成長 の上り坂にあった時期で、藤井寺市は大阪市郊外の衛星都市として、ベッドタウン化しつつありました。この時期の最中である1964(昭和39) 年に、東京オリンピックが開催されたのでした。 藤井寺郵便局ができた翌年の1968(昭和43)年7月1日から郵便番号制度が施行され、藤井寺郵便局管内では番号「〒583」の使用が始まりま した。当時私は、恥ずかしながら、この番号が付けられたことで太子町も藤井寺郵便局の管内であることを知りました。 その後も藤井寺郵便局管内の人口増加は続き、当初の郵便局建物では不十分となってきて、より大きな局舎に全面建て替えされました。 1985(昭和60)年7月完成の現在の建物がそれです。その後も局舎の改修が行われ、現在に至っています。 2003(平成15)年4月からの「日本郵政公社」を経て、郵政事業の民営化が行われ、2007年10月1日に「日本郵政グループ」が発足しました。 民営化によって日本郵政公社は五つの組織に分けられ、「日本郵政株式会社」の下に四つの事業者が並立する体制となりました。 さらに、2012(平成24)年10月1日、「郵便局株式会社」と「郵便事業株式会社」が会社統合によって「日本郵便株式会社」となりました。 そして、「日本郵便株式会社」「株式会社ゆうちょ銀行」「株式会社かんぽ生命保険」の3事業者と「日本郵政株式会社」の4社からなる 新たな「日本郵政グループ」が誕生しました。 現在、「藤井寺郵便局」には、窓口業務や集配業務を行う「日本郵便株式会社藤井寺郵便局」と郵便貯金事業を行う「株式会社ゆうちょ 銀行藤井寺店(大阪支店藤井寺出張所)」の二つの事業者が入っています。 |