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◆◆◆◆ 柏羽藤クリーンセンター ◆◆◆◆ (柏羽藤環境事業組合) |
(かしはふじクリーンセンター) 〈 所在地は藤井寺市域外 〉 〈 運営主体は柏羽藤環境事業組合 〉 〒582-0027 大阪府柏原市円明町(えんみょうちょう)666番地 TEL:072-976-3333・FAX:072-976-3331(柏羽藤環境事業組合事務局) 近畿日本鉄道南大阪線・駒ヶ谷駅より北へ約1.1km(西側入口まで) 徒歩約17分 府道12号堺大和高田線・石川橋東詰交差点より南へ約1.7km(北側入口まで) 敷地面積:35,423.29㎡ 建物施設延床面積:17,322.22㎡(含管理棟) 開設(現施設):1992(平成4)年4月 |
3市が共同で取り組む事業 藤井寺市と、隣接する柏原市・羽曳市の3市で共同で取り組んで いる事業が2件あります。それぞれ法律に基づいた「一部事務組合」 という事業組合をつくって運営していますが、その一つが「柏原羽 曳野藤井寺消防組合」、もう一つが「柏羽藤環境事業組合」です。 この環境事業組合の運営する施設の中心となっているのが「柏羽藤 クリーンセンター」です。「柏羽藤」とは、柏原(かしわら)・羽曳野(はびきの) ・藤井寺の3市のことを表します。環境事業の中心はごみ処理事業 ですが、ほかにし尿処理施設の運営も行っています。ごみ処理事業 の中心施設となる清掃工場として造られたのが「柏羽藤クリーンセ |
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① 柏羽藤クリーンセンターとクリーンピア21(北より) 写真右側に進入路がある。右側の施設が温水プール施設「クリーン ピア21」。センターとクリーンピア21(2023年3月末閉館)の間の位置 が羽曳野市・柏原市の境界となっている。 2017(平成29)年6月 |
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ンター」です。 藤井寺市外にある施設ですが、藤井寺市も運営に関わる施設であり、藤井寺市民の生活を支える施設でもあるので、市内施設同様の位置 付けをして取り上げておきました。 |
1日最大450tの焼却能力 柏羽藤クリーンセンターは、環境事業組合の本拠である管理棟と清掃工場のセットで成り立 っています。清掃工場の中は大きく二つの施設に分かれています。通常の可燃ごみ処理施設と 粗大ごみ処理施設です。それぞれの処理能力は次の通りです。 ■ごみ処理施設 焼却能力 450t/日(150t/24h×3基) 炉形式:全連続燃焼式 ■粗大ごみ処理施設 破砕能力 50t/日 (柏羽藤環境事業組合サイトより) 二つの施設は、プラットホーム(②図 ごみ運搬車の搬入フロア)をはさんで向かい合っていま す。焼却炉は上部の投入口から下部の焼却灰回収施設までかなりの高さがあり、焼却炉棟は6 階建ての高い建物になっています。焼却炉は、150t/日の焼却能力のある炉が3基設置されお り、センターとしては1日最大450tの焼却能力がありますが、通常は2基の運転で焼却が行わ れています。1基は点検や補修に対応するようになっています。 粗大ごみの処理施設は、1日当たり50tの粗大ごみを粉砕することができます。粉砕された 粗大ごみは、可燃物・鉄・アルミなどに自動選別されます。別棟の不燃物処理資源化施設もあ り、資源ごみとして収集されたあき缶・あきビン類が選別・分類され、リサイクル資源として 活用されていきます。 ![]() |
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② 柏羽藤クリーンセンター内の配置図 環境事業組合サイト「柏羽藤クリーンセンター」より |
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いずれのごみについても、環境事業組合はごみ処理を事業としていて、ごみの収集作業は各市の事業として行われています。したがって ごみ収集のやり方は市によって異なっています。 センターの焼却炉には、焼却熱を利用したボイラーが設置されており、発生した蒸気で運転する蒸気タービン発電機が稼働しています。 この発電機は1,800kwの発電能力があり、施設内全体の電力需要をまかなっています。また、この蒸気を利用する場外余熱利用施設とし て、「クリーンピア21」が旧焼却場の跡地に建設されました(2023年3月末で閉館)。 |
旧清掃工場-「碓井衛生センター」 現在の清掃工場・柏羽藤クリーンセンターは1992年(平成4年)4月からら稼働してい ますが、その前には、もっと規模の小さい「碓井(うすい)衛生生センター(旧碓井焼却場)」 で、1972年10月完成の焼却炉2基が稼働していました。この施設は温水利用施設「ク リーンピア21」の場所にありました。焼却場ができた当時のこの場所の旧地名が「羽 曳野市碓井(現川向(かわむかい))」だったので、この名称でした。 組合の名称も発足当時は「柏原市羽曳野市藤井寺市清掃施設組合」というものでし た。1970年(昭和45年)4月に、それまで羽曳野市・柏原市の2市だった組合に藤井寺 市が加入して、3市によるこの組合が発足したものです。 高度経済成長の時代に入り、大阪市郊外のベッドタウンとして人口急増という事態 を迎え、ごみ処理やし尿処理といった環境衛生事業の増強という課題は藤井寺市のみ ならず柏原・羽曳野の両市にも共通するものでした。 |
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③ 旧・碓井衛生センター(南より) 施設としては 裏側に当たる。施設の老朽化が進んでおり、 煙突には補強工事が施されている。 1989(平成元)年1月 |
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すでに1963(昭和38)年に発足した柏原羽曳野美陵(後に藤井寺)消防組合があり、3市共同での事業組合の運営には実績がありました。環 境事業でも3市による組合に拡大していったのは、自然な流れだったのかも知れません。 写真③は、解体される3年余り前の碓井衛生センターの様子です。手前側に土地造成工事のような様子が見えますが、新しい清掃工場を 建設するための準備だと思われます。写真の清掃工場も3市の人口増加を受けて1972年に新設されたものでしたが、その後の20年間で更な る人口増加があり、施設の老朽化もあって新しいセンターの建設が計画されました。 当時の組合所在地は「羽曳野市碓井(後に川向)」でしたが、現在は「柏原市円明町」です。同じ敷地内にあるのに地区名も市も違うのは これらの施設の敷地内に市の境界があるためです。クリーンセンターとクリーンピア21の間の敷地内道路が柏原市と羽曳野市との境界とな っています。3市の人口増加により焼却場の建て替えが予測されたので、市の境界を越えて隣接する東側の土地が購入されたのでした。 この場所に清掃工場が建設されたのは、3市区域の中心部に近く、当時は周囲に住宅地がほとんど無いという条件が重視されたものと思 われます。現在、センターのすぐ東側の丘陵地には柏原市の中小企業団地があります。 |
④ 柏羽藤環境事業組合管内図 |
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柏羽藤クリーンセンターのほかに、環境事業組合の施設として、「芝山衛生センター」「雁多尾畑(かりんどおばた)最終処分場」があります。 また、藤井寺市独自の施設として「清掃作業所」があります。 |
温水プール「クリーンピア21」-余熱利用施設 クリーンセンターの隣りにあるクリーンピア21は、ごみ焼却熱の有効利用を目指した 施設として、クリーンセンター完成の後に建設されました。前方後円墳をモチーフとした 建物の中は、25mの温水プールを中心に幼児用プール、歩行プール、ジャグジーバスが造 られました。歩行プールやジャグジーバスはリハビリテーションの場にもなりました。 そのほかにも、トレーニングルーム、浴室、大広間、多目的室、和室、レストラン、ギャ ラリー・展示コーナーなどがあり、幼児からお年寄りまで、年中利用できるプールとして 多くの市民に利用されてきました。 ![]() クリーンピア21は柏羽藤環境事業組合の施設の一つですが、敷地の部分はクリーンセン ター敷地の西側に隣接する羽曳野市域です。 《 所在地:羽曳野市川向27番地 TEL:072-975-2580 FAX:072-976-3331 》 ■敷地面積:8,299.14㎡ ■延床面積:5,247.31㎡ |
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⑤ クリーンピア21の全景(北西より) (2020年 環境事業組合サイトより) |
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季節を問わずに利用出来るプール施設として多くの市民に利用されてきたクリーンピア21でしたが、近年には利用者の減少傾向が見ら れるようになり、コロナ禍による利用控えが追い打ちを掛けました。施設老朽化の問題もあり、ついに、2023(令和5)年3月末で閉館とな りました。人口減少・少子高齢化が進む社会状況の中にあっては、新たな財政負担は3市とっては重すぎるものかも知れません。 |
雁多尾畑最終処分場-管理型一般廃棄物最終処分場 柏羽藤環境事業組合のサイトでは、ごみ焼却後の灰について次のように述べられています。『焼却炉から出てきた灰や、公害を出さない 為、排ガスから捕集されたダストは最終処分場で埋立てられます。ストーカで焼却された灰は、順次、灰押出装置で消火された後、灰ピッ トへ搬送され貯留されます。ろ過式集じん器で集められたダストは、ダスト処理装置で重金属固定剤と水を加え、処理された後、灰ピット に貯留されます。灰ピットに貯留された灰とダスト処理物は灰積出し車に積込まれ、雁多尾畑最終処分場に運ばれ埋立処分されます。』 現在、焼却灰が埋立処分されているのが「雁多尾畑最終処分場」です。つまり、ここで言う「最終処分」とは「埋め立てる」ことを意味 しています。「雁多尾畑」というのは柏原市内の地区名のことで、柏原市の北東部を占める山林地の中にあります。その中の最終処分場に 適した「谷」の地形を利用して、最終処分場が造られています。雁多尾畑最終処分場の主要項目は次の通りです。 |
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《 所在地:柏原市雁多尾畑1750番地外 TEL:072-979-0336 FAX:072-979-0336 》 ■施設種類:管理型一般廃棄物最終処分場 ■埋立面積:22,200㎡(2.22ha) ■埋立容量:265,000 ![]() ■埋立開始:平成16(2004)年度~ ■浸出水処理:180 ![]() |
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柏羽藤環境事業組合サイトの「雁多尾畑最終処分場」では、この最終処分場について以下のように説明されています。 『…(以前略)…このような状況のなか、本組合では、持続可能な経済社会を目指し、循環型社会経済の構築に向けた取組の中、このたび 周辺環境への負荷を最小限にとどめる一般廃棄物最終処分場の整備を行いました。 貯留構造は、造成によって作られた法面と埋立廃棄物の流出防止のための重力式コンクリート擁壁から構成されており、又、遮水構造は、 埋立地周辺への水質保全に特に留意して二重遮水シート設備で施工しました。 発生した汚水は、排出基準項目の全てをクリアできる施設として設置した浸出水処理施設にて適正に処理を行います。 又、遮水設備の維持管理と安全性の向上に向け、漏水検知システム等のモニタリング装置等も整備しており、より完全な施設構造をもっ た施設になっております。…(以下略)… 』 ![]() |
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⑥ 雁多尾畑最終処分場の疑似鳥瞰写真(北より) 右の完成時の様子と比べると、段状擁壁の4段分まで 埋まっていることがわかる。 〔GoogleEarth3D画 2021(令和3)年2月〕より |
⑦完成時の雁多尾畑最終処分場(北東より) 完成直後の2004(平成16)年と思われる。 (2020年 柏羽藤環境事業組合サイト)より |
上の写真⑥は、雁多尾畑最終処分場の最近の様子で、GoogleEarthの3D化機能による疑似鳥瞰写真です。深い谷の地形を利用して造られ ており、深鉢形の食器を思わせるような形状です。埋立開始から17年を経ており、かなりの量の焼却灰で埋まっている様子がわかります。 右上の写真⑦は、柏羽藤環境事業組合サイトの「雁多尾畑最終処分場」に掲載されている、完成時の撮影と思われる空中写真です。もと もとの処分場の深さがわかり、現在までに埋め立てられた処分灰の深さを推測することができます。同サイトのページには処分場の詳しい |
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説明も載っています。 右の写真⑧は、現在の雁多尾畑最終処分場が稼働する以前に運営されていた旧 処分場です。当時は運ばれて来た焼却灰や不燃ごみを処分場の現場でコンクリー トで包み込んだ立方体にし、処分場の谷に積み上げていました。量的には不燃ご みが中心だったと思いますが、撮影の時に見た大量のコンクリートブロックの山 には圧倒されました。「この処分場が一杯になったらどうするんですか。」と尋 ねたら、また別の場所に処分場を造ることになるだろうということでした。当時 は、まだまだ先のことだと思っていましたが、いつの間にか新しい処分場に変わ っていたわけです。 旧処分場の跡地は環境事業組合から柏原市へ譲渡され、整地・整備を経て「竜 田古道の里山公園」が開設されています(境事業組合管内図を参照)。 ![]() |
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⑧ 旧・雁多尾畑最終処分場の様子 1980(昭和55)年3月 左下の鉄製型枠でコンクリート固化が行われ、後方に積まれる。 |
芝山衛生センター-し尿処理施設 柏羽藤環境事業組合は、し尿処理施設の運営も行っています。「芝山衛生セン ター」がその施設です。 藤井寺市には、美陵町時代の1963年(昭和38年)に造られたし尿処理場「美陵浄 苑」が小山7丁目(上図参照)にありましたが、組合の衛生センターができてから 廃止されました。 3市の区域の下水道は、現在84~88%(2022年度末)の普及率で大阪府全体平均 を下回っていますが、各市で公共下水道延伸の建設が続けられています。下水道 の普及と共にし尿の処理量は減少していますが、完全普及するまではし尿の回収 |
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⑨ 芝山衛生センターの疑似鳥瞰写真(北より) 手前の 川は大和川。 〔GoogleEarth3D画 2015(平成27)年11月〕より |
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・処理の事業が必要で、センターは現在も大切な働きをしています。芝山衛生センターでは、IZジェットエアレーション方式(高負荷脱窒 素処理)によってし尿処理が行われており、1日当たり最大290klの処理を行うことができます。 上の写真⑨は、GoogleEarthの3D化機能による疑似鳥瞰写真です。北側から見たセンターの全景で、写真下部に見える大和川に沿った細 長い敷地に施設が展開しています。 《 所在地:柏原市国分市場 1-11-35 TEL:072-977-3500 FAX:072-977-8681 》 ![]() |
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藤井寺市清掃作業所 上の「柏羽藤環境事業組合管内図」に◆で示している場所にあります。藤井寺市の清掃事業の拠点として1976(昭和51)年8月に開設され ました。市では、「ごみの減量、リサイクルを目的とした資源化物保管施設を併設した藤井寺におけるごみ処理の拠点施設」と位置付けさ れています。以前は「環境事業所」という名称で、空き缶を分別してプレスする作業や空きビンを色分別して粉砕する作業などが行われて いました。現在は、一部リサイクル資源ごみの分類や保管が行われています。 清掃事業の拠点という役割は今も同じで、藤井寺市の市民生活部環境衛生課の事務所はここに置かれています。また、市有のごみ収集車 もここにある車庫で管理されています。 《 所在地:〒583-0033 藤井寺市小山7-1013-1 TEL:072-939-1077(清掃庶務担当・清掃業務担当) FAX:072-954-5725 》 ■敷地面積:3,905㎡ ■建物延床面積(3棟):882㎡ ■開設:1976(昭和51)年8月 |
美陵町時代からの環境事業 |
2ヵ所の焼却場-美陵町から藤井寺市へ 藤井寺市は市制を施行する前は「美陵町(みささぎちょう)」でした。1959(昭和34)年4月2日、旧藤井寺町と旧道明寺町が合併して「藤井寺道明寺 町」が誕生しました。この時、現在の藤井寺市域が初めて一つの自治体となったのです。翌昭和35年1月1日に改称して「美陵町」となりま した。その7年近く後、1966(昭和41)年11月1日に市制を施行して、「藤井寺市」となりました。 『藤井寺市史第9巻 史料編七』掲載の「市制施行申請」史料の中に、昭和41年8月29日付で美陵町長から大阪府知事宛に提出された書類 『美陵町を市にすることについて(申請)』があります。書類には、申請時点における美陵町の現況が報告の形で詳しく書かれています。そ の中の「衛生施設」の項には、病院・診療所などと並んで焼却場が書かれています。次の2ヵ所です。 ■美陵町津堂焼却場(1日処理能力 8トン炉) ■美陵町国府(こう)焼却場(1日処理能力 30トン炉) 2つの焼却場については、『藤井寺市史第2巻 通史編三近現代』掲載の『美陵町勢要覧(昭和41年)』の「公共施設7 塵芥(じんかい)焼却場」 の項では、「■東塵芥焼却場(処理能力 30トン/8時間) ■西塵芥焼却場(処理能力 10トン/日)」となっています。 2つの焼却場は、上の「柏羽藤環境事業組合管内図」に●で示した場所にありました。1970年に私が初めて購入した「藤井寺市街図」に は、この二つの焼却場の位置と名称が表記されています。藤井寺市が当時の清掃施設組合に加入したのが1970年でしたが、地図ではその1 ~2年前の様子が示されていると思われます。 国府焼却場は、藤井寺市柏原市学校給食センターの南側、現在は老人福祉センター・松水苑の園芸場などになっている場所にありました。 国府焼却場については、市史の『美陵町勢要覧(昭和41年)』に『…人口増加に伴い処分場所が困難になったので、昭和39年度30t/日炉を 設置し完全処理を行っている。』とあります。 市史の『美陵町を市にすることについて』の別項「実施計画」では、「G 衛生施設について」の中に「ごみ処理について」があります。 そこでは、『本市は直営として収集し焼却しており、現在6台の収集車が週1回として運行しており、これらの急増する人口に対し毎年1 台宛増車し45年度には10台を運行する計画である。焼却炉は30トンの機械炉と10トンの平炉により完全焼却して居る。最終年次に於い ては広域行政協定を策定し処理を期待する。』と述べられています。「最終年次」とは、昭和37年に策定した「10ヶ年計画」の最終年度の ことです。実際には、最終年次を待たずして、1970年(昭和45年)4月に柏原市羽曳野市藤井寺市清掃施設組合に加入しており、予定よりも 早く「広域行政協定を策定し処理」することが実現しています。それだけ人口増加のペースが速く、藤井寺市単独でごみ処理能力を増強す ることには限界が来ていたと思われます。 |
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し尿処理施設-「美陵浄苑」 既述の通り、旧美陵町時代の1963(昭和38)年2月22日(市史第2巻)、小山地区 で「美陵浄苑(みささぎじょうえん)」という町営のし尿処理場が稼働を開始しました。市史の 史料では美陵浄苑の1日処理能力は30klとなっています。上記の「実施計画 G 衛生施設について」の中では、「し尿処理について」の中で次のように書かれて います。 『本市は昭和37年度に於て加温式消化方法による施設を設備し、3万人分を 消化している。最近に至り農地の減反と農家還元は殆どなくなり本処理場に於て 処理している現状であり、急増する人口に対応して、昭和42年度に於て現在の 消化槽を更に3万人消化槽を増設し、以てし尿処理の万全を期さねばならない。 …(中略)… 最終年次10ヶ年には広域下水処理方式により処理を期待する。』 ここでも将来の広域行政による対応策への期待が述べられています。その期待 は、芝山衛生センターの開設によって実現することになりました。 |
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⑩ 美陵浄苑が写る空中写真 大阪外環状線(現国道170号)用地の造成が始まった頃であった。 〔国土地理院 1964(昭和39)年5月〕より 文字入れ等一部加工 |
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上の写真⑩は、1964(昭和39)年5月撮影の空中写真で、稼働から約1年後の美陵浄苑の存在を見ることができます。田畑ばかりが広がって いた大和川の南に美陵浄苑は造られました。約8,700㎡の敷地(市史・第2巻)に設備が展開していました。美陵浄苑の建設に当たって新たに 町道が整備されたことで、西側の隣接地には昭和38年12月に東洋エアゾール工業㈱が進出しています(後に三重県に移転、現在は住宅地。)。 写真右端には、大阪外環状線(現国道170号)建設を目指して、用地の造成工事が始まっている様子を見ることができます。この時期は、道 路建設に先立って大阪府営水道(当時)送水管の埋設工事が行われていたと見受けられます。大阪府南部地域の水需要増加に対応して府営水 道の送水管延伸事業が進められていました。大井橋はこの後に新大井橋に架け替えられます。写真が撮影された1964年は、東京オリンピッ ク開催の年でもありました。 その後、芝山衛生センターが開設されたことを受けて美陵浄苑は廃止されました。跡地は整備されて、別の利用に供されていきます。現 在、跡地の半分強の北側部分は、上で紹介した「藤井寺市清掃作業所」となっています。南側の半分弱は、藤井寺市都市整備部の詰め所等 として利用されています。 |