GLOPTINの庵
ようこそココは、日夜求道的な音楽活動(修行)をしている、修行僧GLOPTINの庵です。
GLOPTINが修行中に考えたこと、思ったこと、悟ったことを書きとめておきます。
立ち寄った際に読んで頂けたら幸いです。

其の1〜10其の11〜20其の21〜30其の31〜40其の41〜50

其の51「サウンドスケープ・その1」 ・其の52「いい加減更新します」    


其の53「
 何を書こうかなぁ〜

あ、みられた!

見ちゃぁいやだってぇぇ


其の52「いい加減更新します」
 いま、2002年1月です。今年はGLOPTINの庵の更新を去年より多くしようともいます。振り返れば去年って、3庵しか更新してなかったのね。コレはいくらなんでも怠けすぎだと思いました。かといって、コレを楽しみにしてる人なんて誰もいないと思うから、もう、思ったことや言いたいことを書こうと思いました。だから、読んだあと後悔しても知らないですよ。ホントに・・・・

 去年の最後のライブは辛かったなぁ。イロイロと考えることが出来てしまった。どうやらGLOPTINの活動って、大変みたい。今まで自分が思ってた以上に。そりゃそうだよね、周りはギターやらベースやらドラムやらで構成されてるのに対し、GLOPTINは一体何なんだ。よくわからねーじゃないか。今のところ打楽器+ドローン伴奏+歌って構成なんだけれど、このドローンがきっとキワモノなんだよ。電子音の粒子のツブツブ感はギターの弦楽器では出ないし、出そうとは誰も思わないだろう。また、私がただ単に人と違ったことがやりたいとか、前衛だぜとか思ってなくて、この音がピュアだと信じてるのが厄介なのだろう。ライブハウスのブッキングがみんな困るのも無理ないわな。既存の楽器使ってればまだ可愛いのに。自分の音を求めるのに改造してれば、普通の良識人からみれば理解不能だわな。なにもそこまでって。確かにそうだ。自分だって理解されにくいことをわざわざココまでやってるのが理解不能だ。自分でも理解不能だから理解されないんだろう。ごもっとも。だから、もう少し自分を理解しようと思う今日この頃。なぜ、このような音楽を追求してるのか。

 (考え中)

 うーん、あまり考えてもわからないなぁ。分からないからといって、やめるつもりも全然ないんだな。これが。うわー、たちわるいなぁ。自分ではピュアなつもりで音楽と向き合ってるつもりだし、いっぱしの音楽やってるつもりなんだけれどねぇ。まあ、周りの言うことも分かるよ、あきらかに自分がズレてるというのも認識はしてるし。だけれど、好きなんですよ自分の音楽が。好きでやってるんですよ、こんなこと。たまには愚痴らせて下さいよ、ホント。正直、あまりにも理解されないのは辛いんだって。でも、理解されにくくしてるのは自分なんだよね。怖いわ、音が訳わからねーわ、暗いわ、曲だって訳わからねーわ、演奏ヘタだわ、見た目イケてないわでね・・・・・・・・・・・

 

でも、いーじゃん。
沢山バンドあるんだから、こんなのがいてもさー。
そんなに悪い音楽じゃないと思うしね。(はぁと)

 

ね、読まなきゃいいとおもったでしょ(笑)
ゴメンナサイね、ただのグチだよね。
次回はもすこし、まったりいきますよ。

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其の51「サウンドスケープ・その1」
 好きな風景とともに好きな音がある。
 芸大を散歩するのが好きだ。校舎の間を歩いていくと、吹奏楽の音がぼんやり聞こえる。べつに曲を練習してるわけではなく、チューニングや音階の練習をしてるみたいで、それぞれが勝手に練習している。このとき散歩している私はひどく興奮している。時間や空間や目的など、いろんなことを忘れそうになる。ずっとこのまま散歩していたいような、もしくはすぐにでも走って逃げ帰りたいような衝動に駆られる。なぜ、好きなのかは上手く説明できないが、この景色と音が私の琴線にふれるらしい。ちなみに、オーケストラの調律している時間もすごく好き。西洋の楽器って、なんか姿勢正しくまじめすぎるなって気がするけど、こういうときはゾクゾクするくらい野性的な魅力的を感じる。

 音が大好き。それに伴う風景も大好き。


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