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アンサンブル・アメデオ 第21回定期演奏会
パンフレットより

Ensemble Amedeo The 21th Regular Concert
おとぎぞうし〜Fairy Tales〜
2005年1月22日(土)17時30分開演
於:文京シビックホール 大ホール
 


曲目解説
| メリー・ウィドウよりハイライト | スタジオジブリ・メドレー | 交響組曲「シェヘラザード」 |

第1部

メリー・ウィドウよりハイライト フランツ・レハール

◇作曲者について

フランツ・レハール フランツ・レハールは、1870年、ハンガリー北西部、ドナウ川沿いのコマーロムという町に生まれました。父親も同じくフランツ・レハールという名前で、軍楽隊長を職業にしていました。フランツ少年はその父から音楽の手ほどきを受け、帝国内を転々として幼年時代を過ごします。彼が10歳の時、父親がプラハから50キロほど離れたベネシアウという町の駐伝地の第102歩兵連隊軍楽隊に赴任すると、彼はシュテンベルグ(チェコスロバキア。そう、当時はここまでオーストリア帝国領だったんですね)の音楽監督をしていた叔父に預けられ、音楽の勉強をすることになります。夏になるとモラヴィア地方の温泉地バート・ウラースドルフの オーケストラでヴァイオリンを弾いたりしていました。

 12歳でプラハ音楽院に入学しますが、その音楽院での勉強の他に、ズデニェク・フィビヒとアントニン・ドヴォルジャークに個人的に作曲を師事するようになります。特にドヴォルジャークはレハールの作曲の才能を高<評価し、作曲家になることを薦めたと言われています。18歳の時にはブッパータールという町のオーケストラのヴァイオリン奏者になりますが、のちに父親の跡を継いで軍楽隊長として指揮活動を始めます。32歳の時には軍楽隊をやめ、ウィーンのアン・デア・ウィーン劇場の指揮者に就任しています。

 作曲は音楽院在学中から始めており、軍楽隊長時代には100曲以上のマーチなどを作曲していますが、最初に認められた のはワルツ「金と銀」でした。次にオペレッタ「ウィーンの女たち」そして「メリー・ウィドウ」を作曲します。特にメリー・ ウィドウは爆発的な成功を収め、一躍オペレッタ界の寵児となりました。 1905年、レハール弱冠35歳の時のことです。


◇オペレッタ「メリー・ウィドウ」について

 オペレッタはイタリア語で「小さいオペラ」を意味する言葉です。ウィーンやパリで19世紀に流行した、軽妙な筋と歌を持つ短いオペラを指します。基本的には喜劇であり、ほとんどが娯楽的な作品です。ミュージカルの元祖とも言われています。

さて、メリー・ウィドウはどんなお話かと言うと…

 舞台は初演(1905年)当時のパリ、登場人物は、ツェータ男爵(小国ポンテヴェドロのフランス公使)、ダニロ伯爵(ツェータ男爵の部下。公使館の書記官)、ヴァランシェンヌ(ツェータ男爵の妻)、ハンナ(大富豪の未亡人。以前ダニロと親しかった)、カミーユ(パリの伊達男。ヴァランシェンヌの不倫相手)。

第1幕 パリにあるボンテづエドロ(架空の国)公使館のサロン

 小国ポンテウェドロのフランス公使ツェータ男爵は故国の君主の誕生日を祝うレセプションを催していました。皆が乾杯をして別室へと移っていくと、パリの伊達男カミーユがツェータ男爵の貴ヴァランシェンヌの扇子に貴女を愛すと書きパリ風に□説き出しました。彼女は□では私は貞淑な人貴と言っているものの、心はよろめき出しています。

 公使ツェータ男爵は富豪の未亡人ハンナのことが気がかりで仕方ありません。こちらも浮気か、というとそういう事ではなく、実は気がかりなのは彼女が亡き夫から相続した遺産なのです。何と言っても小国ポンテヴェドロの貴産のほぼすべてに相当するのです(まあ、空想の世界だからあリ得る話だとは思いますが)。もし彼女が外国の男と結婚すればその富が外国に流出してしまい、国の存亡に関わってきます。

 ハンナは群がる男たちのお世辞に少々うんざりし「どうせあなたたちの目的はお金なんでしょう」と言いつつも、次には「明日は我が家でポンテヴェドロ風のパーティをやりますのでお越しください」と言っています。

 一方、ツェータ男爵は公使館の書記官で、昔ハンナと親しかったダニロ伯爵をハンナと結婚させるのが祖国のためと考え、彼を呼びます。やってきたダニロ伯爵は高級クラブのマキシムで呑み過ぎており、少々御酩酊の様子で祖国が何だと歌い出し、やがて長椅子の上に寝てしまいます。そこへ通りかかったハンナ。昔、ハンナは貧乏な平民の娘だったので、身分の違いから貴族のダニロ伯爵とは結婚出来ませんでした。しかし、今は国で一番の資産家です。目を覚ましたダニロ伯爵はハンナに対して「それでも君となんか結婚しないよ」と言います。それに対してハンナは「そんな事約束できるのかしら」と意味ありげに言って立ち去ります。

 ツェータ男爵がやってきて、祖国のためにハンナと結婚してくれとダニロ伯爵に頼みますが、彼は断固として断わります。内心では今なおハンナを愛しているのですが、過去のいきさつもあったので人から「財産目当てで結婚した」と言われるのがいやだったのです。

 しかし、ハンナがパリの男から踊りの相手を申し込まれているのを見ると面白くありません。ところがハンナは踊りの相手にダニロ伯爵を選びます。実は彼女もいまだダニロ伯爵を愛していたのです。二人は群がるパリの男たちを追い払って踊り始めますが、お互い自分の本当の気持ちを伝えることはできませんでした。


第2幕 その翌日。奥に東屋のあるハンナ・グラヴァリ邸の庭園

 ハンナ・グラヴァリ邸に故郷の民族衣裳を着けた人々が集まってきます。ハンナは故郷に帰ったつもりでと静かに歌を歌い出します。

 公使ツェータ男爵はこのパーティにダニロ伯爵が来ていないので心配していました。そこに大使館員が来て伊達男カミーユが人妻(実はツェータ男爵の妻ヴァランシェンヌのこと)との恋に夢中でいながら、財産目当てにハンナと結婚したがっていると報告します。ツェータ男爵の心配事が増えてしまいました。

 待ちに待ってようやく現われたダニロ伯爵を見ると、ハンナは思わせぶりに歌い出し、彼女の思いを伝えようとしますが、ダニロ伯爵もその手には乗らないよと歌います。

 皆が別室に移っていくと、伊達男カミーユと男爵夫人ヴァランシェンヌが現われます。彼女は言い寄る彼に、自分の扇子に「私は貞淑な人妻です」と書いて渡し、ハンナと結婚なさいと言いますが、彼のとろけるような歌に抵抗する力を失い、とうとう二人は東屋に消えてしまいます。

 そこへ現われたのがツエータ男爵。東屋の中に誰がいるのだと鍵穴を番いてみると驚いたことに中にいたのは自分の妻。男爵夫人ヴァランシェンヌは、機転をきかした大使館員の手引で裏□から逃げ、通りあわせたハンナを中に入れます。事情を察したハンナは伊達男カミーユと東屋から出て来て、彼を婚約者ですと紹介します。ツェータ男爵はまたもや驚きますが、実は最もショックを受けたのは一緒にいたダニロ伯爵でした。なかなか自分の気持ちをはっきりと言えないダニロ伯爵は、わざわざたとえ話として王子と王女の恋物語に託して今の自分の心境を語り、うさ晴らしにマキシムヘと出かけていきました。
 この様子を見たハンナは、ダニロ伯爵の自分に対する愛を確信し、喜びます。

第3幕 クラブ「マキシム」風に飾りつけたハンナ邸

 ダニロ伯爵の愛を確信したハンナは彼が行きつけのマキシムを模した飾りつけをして彼を迎えます。男爵夫人ヴァランシェンヌも華やかなカンカンで余興をくりひろげています。

 ハンナはダニロ伯爵に東屋の中の女性は別の人であったことを語りますが、それでも彼は彼女の財産のことが気にかかって愛を告自出来ません。

 一方、ツェータ男爵は東屋に落ちていた妻の扇子を見て妻の裏切りを確信します。ダニロ伯爵もハンナと結婚する気がなさそうなので、それならば自分か祖国のためにとハンナヘの求婚を決意します。ところが彼女は、私が結婚すれば全財産を失ってしまうと告白します。それを聞いたダニロ伯爵はようやくハンナに愛を告白します。

 ハンナの話には続きがありました。結婚すると全財産は全て夫のものになるのです。これでダニロとハンナのカップルはすべて丸く収まりました。公使ツェータ男爵も扇子には「私は貞淑な妻」と書いてあったのを見て妻を許すことにしました。

 このような、どうということはないドタバタ劇で、深刻さのかけらもありません。純粋に音楽そのものを楽しめば良いのでしょう。今日は歌はなく、音楽だけを演奏します。どんな場面かを想像しながら聴いていただければと思います。


スタジオジブリ・メドレー 久石 譲

◇作者について

《久石 譲/ひさいし・じょう》作曲者

 国立音楽大学在学中からミニマルミュージック(同じメロディーがいろいろな形を変えて延々と演奏されるというもの)に興味を持つ。「風の谷のナウシカ」で一躍脚光を浴びることに。以後、宮崎駿監督の「となりのトトロ」「もののけ姫」や北野武監督の「HANA-BI」「菊次郎の夏」など40本以上の映画音楽を担当し、これまでに数度にわたる日本アカデミー音楽賞優秀音楽賞をはじめ数々の賞を授賞。日本映画界には欠かせない存在となる。映画「千と千尋の神隠し」で2001年度第56回毎日映画コンクール音楽賞、新世紀東京国際アニメフェア劇場部門音楽賞を授賞。同サウンドトラックで第16回ゴールドディスク大賞アニメーション・アルバム・オブ・ザ・イヤーを授賞。日本映画界に大きく貢献してきた今までの実績とその多彩な活動が評価され2002年淀川長沼賞を授賞。

《宮崎 駿/みやざき・はやお》映画監督

 飛行機会社の役員だった父親や戦記好きの兄の影響もあり、子供の頃から戦車や飛行機の絵を描くのが大好きで、写真や絵のディテールを再現する術はずば抜けていた。「ルパン三世」「パンダコパンダ」「アルプスの少女ハイジ」「母をたずねて三千里」「未来少年コナン」の制作に携わった。

 「ルパン三世 カリオストロの城」では初の映画監督、原作を越える面白さを演出する。映画「風の谷のナウシカ」が大ヒット。社会問題を織り込み、大反響を呼んだ。「天空の城ラピュタ」で「スタジオジブリ」を設立。(『ジブリ』−イタリア語で、アフリカのサハラ砂漠から地中海を越えて吹く熱帯の風を意味する「ギブリ」から。宮崎駿監督の読み間違いがそのまま使われることに。トトロはジブリのシンボルキャラクター)。以後「となりのトトロ」「魔女の宅急便」「紅の豚]「もののけ姫」「千と千尋の神隠し」と続々と素晴らしい映画を制作。「紅の豚」は飛行機マニアの趣味がふんだんに映画に反映された作品となっている。最新作は「ハウルの動く城」。

 金曜ロードショーのオープニングの音楽は久石氏、そしてアニメは宮崎氏が手がけている。

◇作品について

「天空の城ラピュタ」

〜あらすじ〜

 舞台は19世紀初頭。スラッグ(炭の残りかす)渓谷の鉱山で働く少年パズーは、天空に浮かぶ城ラピュタに行くことが 夢。ある日パズーは、空から突然降ってきた少女シータと出会う。シータは空中海賊ドーラとその息子達に追われ、飛行船から落下してしまったのだが、飛行石の力でパズーの前にふわりと着地したのだった。海賊達の狙いは、不思議な力を特つその飛行石。彼女の飛行石は、国防軍と政府調査機関の特務将校ムスカにも狙われていた。

 シータは天涯孤独の身で、ラピュタ王族の血を引く少女。亡き母から譲られた飛行石はシータの手にある時しか威力を発揮しないのだが、彼女はそのことを知らない。

 二人は、軍と海賊の両方に追い掛けられ鉱山列車で逃げるが、行く手を遮られ谷底に落下する。そこで鉱山師のポムじいさんから、シータの特つ飛行石が伝説のラビュタ帝国のものであることを教えられる。石達がざわめくのは、鉱山の上にラビュタが来ているからだという老人の言葉に、パズーはやはリラビュタは実在するのだと確信を深める。

 二人は軍に捕えられ、パズーは要塞の地下に閉じ込められ、シータは自分かラピュタ帝国の末裔であることをムスカに告げられる。シータは、パズーを助ける代わりにラピュタを探している軍への協力をさせられることになる。

 解放されたパズーは、軍がシータを連れてラピュタヘ向かうという無線を傍受したドーラー家と一緒に連れて行ってもらい、無事にシータを助け出す。その後ラピュタを目指すために海賊達の飛行船タイガーモス号の見張りをしていたパズーとシータは、軍の戦艦を発見。タイガーモス号は必死に逃げるが、二人のいた見張り台の凧はタイガーモス号と難ればなれになってしまう。その時パズーは、巨大な低気圧の雲を発見する。この雲の中にラピュタがあると確信したパズーは渦の中心へと向かう。凧は雷に打たれ、二人は気を失ってしまう。

 二人は目を覚ますと、美しい花畑にいた。とうとうラピュタに辿り着いたのだ!と、その時大爆音が起こり、軍の兵隊達が宝物の略奪を始め、ドーラ達が捕まっていた。二人は助けだそうとするが失敗。シータは再びムスカにとらわれてしまう。ムスカもまた、シータと同じラピュター族の末裔で、ラピュタの高度文明が産み出した兵器で世界を支配することにとりつかれていた。

 ムスカはラピュタの中枢部に君臨し、超科学兵器ラピュタの雷を用いて、将軍や兵士を下に落としてしまう。シータとパズーは、飛行石に互いの手を重ね合わせ、滅びの呪文を唱えると、ムスカの野望は崩壊する。そして城も…。しかし、呪文で下部が崩れ始めても、巨大根が飛行石を捕え、ラピュタははるか上空へと登っていく。

 飛行石は古来から人類が憧れてきた空中浮揚の夢であり、ラピュタの木々を豊かに成長させてきた力であるとともに、旧約聖書にある天の火・雷の塔のエネルギー源でもあったのだ。

 凧を使って脱出したパズーとシータは、無事にドーラ達と再会を果たす。そしてパズーは、シータを連れ彼女の故郷に帰っていく。

 飛行石とは、人の力の生きる源でもあったのではないか。そしてそれはラピュタが飛び去ってしまった後も、二人の胸の中にしっかりと灯される。

〜作品について〜

スウィフトの空に浮かぶ島
 スウィフトが1726年に著した「ガリバー旅行記」第三章に登場する、空に浮かぶ島ラピュタ(さらにさかのぼれば、プラトンの失われた地理誌『天空の書』に記載されたラピュタリチス)のイメージを借りて自由に膨らませたのがこの『天空の城ラピュタ』です。

 原作漫画を持たない宮崎氏の初の完全オリジナル作品でした。ラピュタの舞台のモデルは、イギリス・ウェールズ地方。宮崎氏が実現を目指したのは、「機械がまだ機械の楽しさを持つ時代、科学が必ずしも入間を不幸にするとはまだ決まっていない頃、一寸洋風だがどこだかわからない国」でした。

 スウィフトの作品に描かれたラピュタは完全な円形で中心に王宮がおりましたが、この映画のラピュタは、上層部が緑豊かな城で、下層部が黒い半球体の外観をしており、中心には巨大な飛行石を持っています。この下層部には、サナギのような状態で格納され、いつでも出動できるロボットをはじめ、超科学力のすべてが秘められています。

〜曲について〜

□天空の城ラピュタ
オーケストラ構成のフェードインではじまり、ラピュタの壮大感を強調しています。神秘的なピカピカという感じから、印 象的な管楽器の旋律へ。そしていろいろな楽器が入れ替わリメロディーを構成していきます。ゆったりとしたメロディーはラピュタのスケール感が表現されています。ラピュタを発見した時、ラピュタが再び上昇していくところはまさに天空の城のイメージそのものです。

□タイガーモス号にて
パズーがシータを救い出し、タイガーモス号で飛行船の追跡をすることになった時に流れます(フラップターのテーマ)。

ピチカート奏法のストリングスのメロディーが、とても軽快な印象を与えます。カーン、カーンと金づちを叩く鉱夫のイ メージでしょうか。また、ラピュタから脱出し、ドーラ達と再会、また別れてゆく場面は、タイガーモス号の元気の良い テーマで始まり、エンディング「君をのせて」に続いていきます。

□君をのせて
この作品の主題歌です。オープニングタイトルから、シータがはじめてパズーの前に落ちてくる場面、二人がパズーの家 で自己紹介しあう場面、タイガーモス号の見張り台での場面などで様々に形を変えて流れます。(ラピュタで二人が滅びの 呪文を唱える場面では、子供達の合唱が流れます。作詞は宮崎氏。)


「魔女の宅急便」

〜あらすじ〜

キキが列車から見た風景?
半島の港町(クロアチア)
 人間の父オキノと、魔法使いの母コキリの間に生まれた魔女のキキは13歳。魔女は13歳になると親元を離れ、自分で住む街を見つけて一人で1年間修行しなければなりません。キキもある満月の夜、友達のオス猫ジジと一緒に、母からもらった箒で修行に旅立ちます。途中、雨に降られてしまったキキは、貨物列車に潜り込み、一晩を過ごします。翌朝起きてみると、走る列車から見えたのは半島の港町コリコ。海に憧れていたキキはこの街に住むことを決めます。時計台を中心にして広がる城壁の街。人々は魔女の存在を知ってはいますが、実際に見たことはないので、箒で空を飛ぶ姿は驚きをもって迎えられます。二階建てバスにぶつかりそうになっておまわ りさんに怒られたり、未成年だということで宿泊を断られたりして、途方にくれてしまいます。

 そして、親切なグーチョキパン店(「gutiokipanj」)のおかみさん、おソノさんに出会い、使っていない部屋を貸してもらえることになります。飛ぶ魔法しか使えないキキは、パン屋の店番をしながら、宅急便屋の仕事を始めることにしました。最初の仕事は、黒猫のぬいぐるみの入った鳥かごを岬の家に届けること。けれど、途中で突風に吹かれて、ぬいぐるみを森の中に落としてしまいます。ジジがぬいぐるみに化けて時間を稼いでいる間に、キキは森に戻り、ぬいぐるみを見つけ出します。その時、森に住む画家の少女ウルスラと仲良<なります。

 順調に見えたキキの生活でしたが、ある時キキの魔法が急に弱くなってしまいます。飛べなくなり、ジジの言葉もわかりません。お母さんの箒も折れてしまいます。

 落ち込むキキを、ウルスラが訪ねてきます。魔法がつかえなくなったというキキに、私もよく絵が描けなくなることがあると話すウルスラ。「そんな時はジタバタするしかないよ。」それでもダメだったらいったんやめてみな、と。今まで魔法が何かということを考えたこともなかったキキは、ウルスラと話すうちに少しだけ元気を取り戻します。

 トンボは大空か大好きで、「飛ぶ」ことを夢見ている少年。二人で飛行船を見に行ったりします。ある日キキは、見に行った飛行船が飛び立とうとする模様をテレビでみます。すると突然突風が吹き、地上と飛行船をつないでいたロープが切れ、飛行船がどんどん流されはじめます。その様子を見守っていたキキでしたが、ロープの端にトンボがぶら下がっているのを見つけます。急いでその場へ向かうキキ。トンボを助けようと、近くにいた掃除夫のおじさんからデッキブラシを借りて飛ぼ うと試みます。キキの必死の気持ちが通じたのか、デッキブラシは空に舞い上がります。群集が見守る中、キキはトンボを助けようとしますが、うまくコントロールできません。とうとう、我慢できなくなり、ロープを放してしまうトンボ。その瞬間、危機一髪で、キキはトンボの手を掴みます。たくさんの人々の歓声に包まれながら、二人はゆっくりと着地しました。

 ある日、オキノとコキリのもとに、キキから一通の手紙が届きます。

「落ち込むこともあるけれど、私はこの町が好きです。」

〜作品について〜

時計台を中心に広がる街(ドブロブニク)
 角野栄子氏の同名作品を原作とする、初の児童文学の映像化。当時都市に憧れる女性達からブランド視されていたユーミンの歌を使用しています。 『日本の女の子がなんとなく思い描いているヨーロッパ』的な街を舞台とするため、スウェーデンの首都ストックホルムやバルト海に浮かぶ島ゴトランド島ヴィスピーなどにロケハンをしたり、宮崎氏が今まで訪れた、アイルランドの光景やイタリアの町の広場、パリの繁華街、サンフランシスコのイメージなどを加えていますが、なかでもクロアチア(の城壁都市ドブロブニク)が舞台のモデルになったといわれています。

〜曲について〜

□晴れた日に
 この曲はタイトル通り、晴れた日のイメージにぴったりの伸びやかな曲です。3拍子のリズムが曲にのどかさを加えています。
 最初の旅立ちを決意する場面や、トンボと二人で海に行き飛行船を眺めたり、ウルスラの森の家を訪ねるところなどに流れます。

ロナンパ通り
 箒で街に期待を持って降り立つ場面や、二つも仕事が入って、またトンボにパーティーにも誘われて、嬉しいけれど大忙し、というところなどに流れます。キキの高揚した気持ちが表されています。

□風の丘
 はじめてコリコの街を見つけたところなどに流れます。余談ですが、ドブロブニク(クロアチア)は、キキの目から見た(そしてアニメに描かれている)、まさにあのままの「海にうかぶ街(時計台のある港町)」です。


「千と千尋の神隠し」

〜あらすじ〜

 トンネルのむこうは不思議の町でした。ありえない場所があり、ありえないことが起こりました。人間の世界のすく脇にありながら、入間の目には決して見えない世界。土地神や様々な下級神、半妖怪やお化けたち。そこは、古くからこの国に棲む霊々が病気と傷を癒しに通う温泉町だったのです。 10歳の少女千尋の迷い込んだのは、そんな、人間が入ってはいけない世界でした。

 この世界で千尋が生き延びる条件はただふたつ。町の中心を占める巨大な湯屋を支配する湯婆婆という名の強欲な魔女のもとで働くことと、名前を奪われて人間世界の者で無くなることでした。千尋は名前を奪われ「千」という名で働くことになります。

 驚きと不思議の町で千尋が知るのは、大きな無力感と小さな希望。けれど困難な世界の中で多くの出会いを重ねながら、千尋はそれまでよりもむしろ生き生さしていきます。

 人生経験豊富なボイラー焚きの釜爺。湯屋の仕事の手ほどきをする先輩のリン。石炭運びのススワタリたち。ぶっきらぼうだけど、人の良い仲間たちに千尋は励まされます。湯婆婆の息子・坊。人間界から逃げてきた、ごみとヘドロにまみれた河の神さま。仮面の男・カオナシ。湯婆婆の双子の姉・銭婆。さまざまな人物達にち出会います。

 次々に起こる想像を越えた出来事。眠っていた千尋の「生きる力」がしだいに呼び醒まされてゆきます。そして、千尋の前に現われる謎の美少年ハク。約束の縁で結ばれた少年と少女の出会い。甦ってゆく記憶の中で、ふたりは心を通わせ、助け合っていきます。

 千尋は果たして自分の名前を取り戻し、人間の世界へ生還できるのでしょうか・・


〜作品について〜

 2003年に、アカデミー賞を受賞。
 「江戸東京たてもの園」(小金井市)では、湯屋と不思議の町のモデルとなった建築を見ることができます。

東ゾーンの看板建築
・不思議の町を描く為のロケハンは「江戸東京たてもの園」にて行われました。

擬洋風の雰囲気や看板建築等が、不思議の町の建物を思い起こさせます。
子宝湯
・【子宝湯(「江戸東京たてもの園」東ゾーン)】

 湯屋のモデルの一つとされています。昭和4年築の建物を移築したものです。
武居三省堂
・【武居三省堂(「江戸東京たてもの園」東ゾーン)】

 三省堂の店舗にある棚は、釜爺がいるボイラー室の薬草の入っている棚のモデルです。


〜曲について〜

□ふたたび
銭婆(ぜに−ば)の家にハクが千尋を迎えに来るところから、千尋が昔のハクとの出会いを思い出し、そしてハクは自分の本当の名前を取り戻す場面で流れます。二人が手をとりあって夜空に浮かぶこのシーンは、曲ともあいよって本当に感動的です。

□いつも何度でも
主題歌です。エンドテロップでバックに流れますが、不思議の町の人リロだった駅舎の廃墟に始まり、作品の舞台となった空間の、がらんどうになった静止画が何枚か重ねられる映像のあと、川に流れた千尋の靴が示されてこの映画は終わります。銭婆の「一度あったことは忘れないものさ。憶えてないだけで」という言葉が私達の心に蘇ります。私達アメデオの音楽も、皆さんの心の中のどこかに、忘れないでしまっておいていただけると幸せです。


「風の谷のナウシカ」

〜あらすじ〜

 かつて生面体すらも自由に作り替えた巨大産業文明が崩壊してから1000年、地上は産業廃棄物で荒れ果てた大地となり、有毒の瘴気を発する菌類の森林〜腐海に覆われようとしていた。腐海は人間がマスクをつけずに入ると肺が腐って死んでしまう空間だった。人々は腐海を焼こうと試みてきたが、その度に主ともいうべき王・蟲(オーム)の群れが地を埋め尽くしすべてを破壊する。

 人□500人足らずの≪風の谷≫は、海から吹く風によってかろうじて瘴気から守られている農業共同体の小国である。その族長の娘〈風使い〉のナウシカは、ある夜、軍事国家トルメギアの巨大な輸送艦が風の谷に墜落するのを発見、捕虜として中に収容されていたペジテ国のラステル姫の絶命を看取る。ラステルが「燃やして欲しい」と言い残した「積荷」とは、ペジテ市で発掘された巨神兵であり、トルメギア軍はそれを強奪、本国に運ばうとしていた。

 トルメキア軍は、皇女クシャナを司令官とし、そのまま谷を占領。かつて遺伝子工業と機械工学の癒合によって産み出され、旧世界を滅ぼした最終兵器・巨神兵。ペジテ市で発掘された巨神兵の球体(胎児)をトルメキアが襲い、そして奪い取ったのが戦争の発端だった。

 トルメキア軍に父を殺されたナウシカは怒りに任せ、トルメキア兵士を殺してしまうが、民を生き延びさせるため降伏を受け入れる。

 クシャナは、ナウシカと5人の城オジ達を人質にペジテ市へ向かうが、途中ラステルの兄アスベルに襲われ部隊は壊滅。ナウシカは腐海に不時着するが、アスベルも近くに不時着したことを知り救出に向かう。腐海の底で目を覚ましたナウシカとアスベルは、マスクをしなくても息が出来ることに気がつく。腐海の底に清浄な湖があり、それが地上を浄化してくれていた。綺麗な水と土では腐海の木々も毒を出さない。汚れているのは土だったのだ。腐海の木々は、この世界を綺麗にするため、大地の毒を取り込み、きれいな結晶にしてから死んで砂に還っていく。王蟲たちはその森を守っていたのだった。

 その頃ペジテは巨神兵を取り戻し、またトルメキアを倒すため、王蟲の幼生を傷つけて囮にし、王蟲の群れを誘導して風の谷を襲わせようとしていた。王蟲の幼生を助けたナウシカは、風の谷に向かって暴走してくる王蟲の大群に自ら身を投げだす。誰もが彼女の死を思った時、奇跡が起きた!王蟲が怒りを鎮め、それらから伸びた無数の金色の触毛がナウシカの胴体を差し上げ、蘇生させたのだ。王蟲の幼生の体液で青く染まった服をまとい、朝の先に輝く金の触毛の上に立つナウシカ。

金色の草原を歩いているようにみえる彼女の姿は、

 その者 青き衣をまとして 金色の野に降り立つべし  失われた大地との絆を結び ついに人々を青き清浄の地に導かん

という、風の谷の伝承に伝わる伝説の人そのものであった。

〜作品について〜

 ナウシカの目線で未来の異世界をどう受け止めているのかに曲想を特ってきたサウンドトラックは強い印象を残し、久石氏はこの映画をきっかけに日本映画を代表する作曲家となります。宮崎氏の長編アニメの全作品を手がけていますが、構想段階で久石氏が自由に音楽を展開するイメージアルバムを発売し、それを聞いた宮崎氏たちがさらにイメージを膨らませて実際のサントラに指示を出すという、独特の手順を踏んで作られています。

 「風の谷のナウシカ」がアニメ史的に貴重な点として、「宮崎氏にとって初の‘他者に原作を持たないオリジナル企画’」だったことがあげられます。「有名な原作などを絡めたものでないと難しい」という現実にぶつかり、原作を作ったのが「風の谷のナウシカ」漫画版(全7巻)です。アニメ版とは設定、登場人物などがかなり異なっています。

 リチャード・ベーコンのコミック『ロルフ』のアニメ化の応援を手塚治虫氏から取り付けますが、実現には至りませんでした。この「ロルフ」で宮崎氏が付け加えたオリジナル設定に、〔風の谷〕、〔王女ナウシカ]、〔サンド王蟲〕などがあり、「ナウシカ」の源流の一つになっています。もう一つの源流は、子供の頃に読んだ中納言物語に登場する「虫愛づる姫君」。

 ナウシカの名前は、バーナード・エヴリスンの『ギリシャ神話小事典』に出てくる叙事詩『オデュッセイア』に登場する、パエアキアの王女についての記述がら取ったもの。トロイ戦争の英雄オデュッセウスが沿岸に打ち上げられていて、みんなが逃げまどうのにナウシカ王女は彼をがばって介抱するというくだりです。

〜曲について〜

□遠い日々
 ナウシカの幼い頃の場面、ナウシカが蘇る場面で流れます。この幼い歌声は久石氏の実娘、当時なんと4歳!

□「鳥の人」〜エンディング〜
 映画の最後のシーンから、エンドテロップにかけて使われる曲。エンドテロップまでの前半は「鳥の人」をイメージして  作られており、助走をつけ大空へ飛び立つ様子が見事に現れています。鳥が飛び始め、その後大空を自由に飛び回っている…。そんな様子が音楽からだけでも、鮮やかに甦ります。エンドテロップに入ると雰囲気は一転、ナウシカオープニングでも使われたメインテーマが始まります。寂しげな旋律。ナウシカの世界感が見事に凝縮されて表現されています。


「ハウルの動く城」

〜あらすじ〜

 ソフィーは、亡き父から継いだ「ハッター帽子店」で働く18歳の少女。性格は頑固で生真面目、しばしば大胆。彼女の住む町には、4本足で歩く奇怪な動く城があり、そこに住んでいるハウルという魔法使いには若い娘の心臓を盗むという噂があり、人々に恐れられていました。

 ある日、ソフィーは、町中で親切な青年に助けられます。家に戻ると、そこに荒れ地の魔女が現れ、訳が分からないままソフィーは90歳の老婆に姿を変えられてしまいます。

 人にその姿を見られぬよう、こっそり家を抜け出したソフィー。途中、倒れていたカブ頭のカカシを助けてあげると、カカシはそのお礼にと、ソフィーをハウルの動く城につれていきます。そこでソフィーは城の暖炉に居座る火の悪魔カルシファーから、取引を持ちかけられます。カルシファーとハウルの間の呪い(契約)を解いてくれればソフィーの呪いも解いてやる、と。

 城の主、ハウルは実は、ソフィーを町中で助けてくれたあの青年でした。荒れ地の魔女はハウルの心臓を狙っており、ハウルと接触したソフィーに呪いをかけてしまったのです。

 ハウルは自分が、国王からの出頭命令や、荒れ地の魔女をいかに恐れているかを語ります。そして王宮には、ソフィーが代わりに行くことになります。ソフィーはハウルの母親と名乗り、王宮付き魔法近いのサリマンと対面し、ハウルの過去を知らされます。「素晴らしい魔法使いだったけれど、悪魔に心を奪われてしまい、魔法を自分のためにだけ使うようになってしまった」と。

 一方、荒れ地の魔女はサリマンの罠により、魔法を封じられ、実際の年齢の姿に戻されてしまいます。そこに、国王に変身したハウルが現れ、サリマンと激突、ソフィーと荒れ地の魔女を助け出し、方向を示す指輪をソフィーに渡し、追っ手を牽制するため一人残るのでした。

 ある夜、町が空襲に見舞われました。ソフィーは、鳥になったハウルに、この戦争から逃げようと説得します。けれどハウルはソフィーを守るため、戦火の中に飛び立っていきます。

 ソフィーはハウルの助けになるよう、自分の髪の毛と引き替えに、残骸となった城の一部を動けるようにしてほしいとカルシファーに頼み、カルシファーは、“ソフィーの城”を作り上げます。ところが、狙い続けていたハウルの心臓がそこにあることに気がついた荒れ地の魔女がカルシファーに手を出してしまいます。火だるまになる荒れ地の魔女。慌てて雨水をかけるソフィー。カルシファーの力が失われたため、城は壊れ、ソフィーは一人になってしまいます。瓦礫の中でソフィーがハウルの居場所を照らし求めると指輪がほんのりと道を照らしはじめます。それは過去への道でした。

 指輪が指し示す扉を抜けて辿り着いたのは、いつかハウルが見せてくれた花畑。そこでソフィーは、少年時代のハウルを見つけます。ハウルとカルシファーの契約が結ばれた瞬間、それを目撃したソフィーの足下にブラックホールのような暗い□が開きます。そこに飲み込まれながらソフィーは叫びます。「私きっと行くから!未来で待って!」

 再び闇をくぐって現実へと帰還してきたソフィー。そこには、完全に鳥の姿になってしまい、言葉を失ったハウルの姿がありました。カルシファー達と合流したソフィーは、荒れ地の魔女からカルシファーと心臓を返して貰い、ハウルの胸に入れようとします。「どうかカルシファーが千年も生き、ハウルが心を取り戻しますように」 ハウルは意識を取り戻し、ソフィーのキスで、カブ頭のかかしが隣国の王子だったことも明らかになりました。流星となったカルシファーも再び戻り、隣国の王子は戦争の終結を約束します。呪いの解けたソフィーの髪の毛は、星の光の色をしたまま戻りませんでした。だけど、ソフィーがハウルを想う気持ちの強さと優しさが、ハウルのハートを取り戻し、世界を少し素敵にする奇跡を起こしたのでした。!」

〜作品について〜

 原作は、ファンタジーの本場イギリスの作家、ダイアナ・ウィン・ヅョーンズの「魔法使いハウルと火の悪魔」。ショーレズの作品には必ずミステリーのような謎が登場しますが、実はこの謎を解くヒントは、私達が幼い頃から親しんでいるおとぎ話や名作に隠されています。この作品で重要な鍵を握る作品の一つは…犬、かかし、魔女、魔法使い。何か思い出しませんか?そう!「オズの魔法使い」です。気がつきましたか?

 この作品の制作開始に先立って、スタッフたちは、フランス・アルザス地方にロケハンに行っています。その成果は背景を中心に作品に反映されています。柱や梁の木材が外側に見えているこの建築様式は、アルザス地方の特徴的な風景の一つとなっており、本作品では、ソフィーの住む町の風景に生かされています。

 因みに、ソフィーたちの住んでいる町の名前は、映画では特に決まっていませんが、原作では「インガリー」と呼ばれており、敵国の「高地ノーランドおよびストランジア」が今にも宣戦布告しそうな状況。ハッター帽子店がある町は「がやがや町」、ジェンキレスが店を構える港町は「ポートヘイブン」と名付けられています。

〜曲について〜

□人生のメリーゴーランド
 メインとなるテーマを1曲作り、そのバリエーションを中心にサウンドトラックを構成してほしい、との話が出たことにより、ワルツであるこの曲が作られました。いつもよリ主体的に音楽を参加させ、また同じテーマを流し続けることにより、映画に統一性を持たせようとした、意図が見受けられます。そして、その狙い通り「これが同じ曲なのか」と思えるくらい、色々な変奏曲に姿を変え、映画を盛り立てています。


「もののけ姫」

〜あらすじ〜

 時は室町中期。大和朝廷との戦いに敗れ、北の他の果てに隠れ住んでいる先住民エミシ(蛸夷・毛人)。彼らは決して歴史の表には出てこない。アシタカは一族の長になることが約束されている青年だった。

 ある日突然タタリ神が里に乱入。猪神ナゴの守の身体に鉛玉が撃ち込まれ、気が触れて体が腐リ、呪いを集めてタタリ神となってしまったのだ。アシタカはタタリ神の突進を止めようと矢を射った時タタリ神の一部が右腕に触れ、赤黒い痣となって呪いを受けてしまう。身体が徐々に蝕まれ、やがて骨が砕かねていく運命となってしまったアシタカ。巫女のヒイ様は言う。「猪神がタタリ神になってしまうほどの何かが西の国で起こっている。それを見定め、曇りなき目で見つめればあるいは呪いを解く鍵も見つかるかもしれない」と。アシタカは村の掟に従い、またその呪いを解こうと、大カモシカのヤックルに乗って旅に出る。

 途中、白い山犬のモロ一族に襲われている牛飼いをアシタカは助ける。白い山犬の長・モロの君は二本の尾を持つメスの犬神で年齢は300歳。石火矢(アラビアから伝わってきたといわれている銃)を持った護衛の者たちは、モロ一族を狙っていた。この隊を指揮していたのはエボシ御前。ナゴの守をタタリ神に変えてしまった鉛玉を撃ち込んだのは、このエボシであった。

 製鉄を行っているタタラ場の指導者エボシは、火を絶やさぬために森を切り開こうとし、森の神々と対立していた。エボシは、天朝の指令を受けた師匠連と組み、その首に不老不死の力があるという神獣シシ神の首も狙っていた。アシタカはタタラ場でモロの娘で山犬の姫、サン -もののけ姫- と出会う。サンはタタラ場に夜襲をかけ、エボシを倒しに来たのだ。アシタカはサンを助けようとし、かえって白分が深手を負ってしまう。サンは、瀕死のアシタカを、生き物が太古のまま巨大な姿で住んでいるというシシ神の森へと連れて行き、その命を助ける。

 森(もののけ)対人間。アシタカは双方の間にたって和解させようと奔走するが、努力の甲斐なく、壮絶な戦いが始まった。サンは盲目の老猪、乙事主の目の代わりになるため、シシ神の森を出る。一方アシタカは戦いを止めようと戦場に向かう。

 戦いに傷つき、絶望した乙事主はタタリ神へと変容しようとしていた。サンは何とか助けようとするが、その勢いを止めることは出来ず、乙事主に取り込まれそうになる。モロの君はサンを取り戻そうと乙事主と戦い助け出すが、力尽きて倒れてしまう。そこに、すべての生き物の生死を司るシシ神が現れ、乙事主の命を吸い取る。シシ神の首を狙うエボシと師匠連のジコ坊もその場に駆けつけ、エボシは石火矢でシシ神の首を討ち取った。

 首を奪われディダラボッチとなったシシ神は暴走、見境なく周りの生き物の生命を奪っていった。アシタカとサンはジコ坊から首を取り戻し、ディダラボッチに掲げる。首を取り戻したディダラボッチは日の出と共に湖に倒れ込んで消滅する。そして死に絶えたと思っていた森が甦える。しかし、緑は戻っても、そこはもう元のシシ神の森ではない。アシタカの右腕の痣は傷となって残り、サンの人間不信も解けない。一緒に過ごすうちに、心を通わせたアシタカとサン。しかしサンは、アシタカのことは好きだが、人間を許すことは出来ない、と森で生きていくことを選ぶ。二人はお互いの存在をしっかり見据えながら、別々の場所で生きていくことを決意する。

〜作品について〜

 宮崎氏は、スタッフと共に、日本で照葉樹林の残る最後の場所、屋久島ヘロケハンに行っています。シシ神の棲む極相林の、人跡未踏で純度の高い自然を参考にするためですが、この場所を訪れたことが『ナウシカ』の腐海のイメージの基にもなったといいます。照葉樹林とは、クス、シイなどの光沢のある常緑の広葉樹のこと。主にドングリを産し、それが人間の食料となっていたとの説もあります。『トトロ』でも、サツキとメイがトトロに会う前には、予兆のようにドングリを見つけていましたね。

〜曲について〜

ロアシタカとサン
 シシ神の首が戻され、太陽が出てきてシシ神は消えてしまうけれども、緑は戻るシーンの音楽です。いままでの緊張したメロディーとはがらりと変わり、あたたかく落ち着いたメロディーになっています。情緒あふれる美しい曲で、オリジナルはピアノがメインになっています。


「となりのトトロ」

〜あらすじ〜

 小学4年生のサツキと4歳のメイは、お父さんと一緒に、緑に囲まれた郊外の一軒家に引っ越してきました。病気で入院しているお母さんを、空気のよい家で迎えるためです。家はとても古<、「おばけ屋敷みたいリ」と二人とも大はしゃぎ。そしてそのとおり、二人はとても不思議な生き物たちと出合うことになります。

 勝手□の戸を開けると、黒いものがいっせいにゾワ〜ッ、と散っていくのが見えました。絵本で見た、明るいところから急に暗いところに入ると出るという『まっくろくろすけ』?

 ある日、サツキは学校へ、お父さんはお部屋で仕事をしていたので、メイは一人で庭の探検を始めます。すると草むらの中に2匹の変な生き物が。さっそくその生き物たちを追い掛けるメイ。自分たちの姿が見えると思っていなかった2匹は、大慌てで茂みのトンネルの中を逃げていきます。そしてメイは、本の中にさっきの2匹よりも何倍も大きな生き物が眠っているのを見つけます。メイはそのお腹によじ登り、ひげを引っ張リました。するとその生き物は何か大きな声を出しました。メイにはそれが「トトロ」と聞こえます。それがこの生き物の名前だと思ったメイはそう呼ぶことにしました。そのままメイはトトロのお腹の上で眠ってしまいました。けれど、目が覚めてみると、トトロの姿も、トンネルもありませんでした。

 お父さんは言います。「それはきっと森の主にあったんだよ」

 しばらくたったある日、サツキとメイは、傘を特たずに出かけてしまったお父さんを、バス停に迎えに行きました。眠ってしまったメイをおぶリバスを待っていると、サツキは隣に誰かが立っていることに気がつきます。それは、メイが出会ったと話していたトトロでした。サツキは、頭にフキの葉っぱを乗せているだけでずぶ濡れになっているトトロに、お父さんの傘を渡してあげます。やがて、大きなネコのバスがやってきて、トトロは乗っていってしまいました。傘のお礼に木の実が一杯人った小さな包みをもらいました。

 庭に埋められた木の実でしたが、ある晩、奇妙な物音でサツキが目覚めると、月光に輝く庭先で、傘を差した大トトロを中心に、中・小のトトロが踊っていました。起きてきた姉妹がその動きを真似すると、やがて埋まっていた実が次々に芽吹き、ぐんぐん成長。幹と根がどんどん大きくなってやがては巨大な1本の木になってしまいます。大トトロは取り出したコマを回転させ、胸を膨らませます。そこにとびつく中・小のトトロ。真似して飛び上がり、抱きつ<メイ。サツキもコマに乗って浮揚していく大トトロに掴まります。村の水田の上を回転しながら、また地上すれすれに飛行する大トトロ。トトロが大声を出すと、その声は風になります。「メイ、わたしたち風になってる!!」

 やがて大クスノキの上でトトロたちとともにオカリナを吹く二人でしたが、書斎で仕事をするお父さんには、フクロウの鳴き声にしか聞こえません。

 翌日、昨夜の出来事が夢だったということに気がつく二人。けれど、木の実を埋めた苗床には双葉が芽吹いていました。「夢だけど」「夢じゃなかった!!」

 病院から退院の日ガ延びたという電報が届き、お母さんにどうしても会いたくなったメイは一人で病院を目指します。お母さんにあげる「トンモコロシ」を持って…。

 メイがいなくなったことに気がついたサツキは、村中探し回りますが、みつけることが出来ません。彼女はトトロのところに、メイを探してくれるよう頼みに行きました。トトロはネコバスを呼んでくれて、いざ出発です。あっという間に、田んぼ、高圧線、森々を駆け抜けるネコバス。けれども、村のみんなにその姿は見えません。突風が吹いたと思うだけです。

 とうとうサツキはメイを見つけます。ネコバスは二人を病院まで運んでいってくれました。二人は病室の脇の木から、お母さんの笑顔をみます。元気な姿を確認し、安心した二人は、メイの「トンモコロシ」を窓辺にそっと置いて、ネコバスと家に帰っていくのでした。

〜作品について〜

トトロの森(1号地)
 描かれた時代は、昭和30年代初期の所沢市松郷となっていますが、実際にはそれだけでなく、宮崎氏が過去に働いていた聖蹟桜ケ丘にあるアニメーション・スタジオの近郊や、子供の頃に見た神田川の流域、美術監督の生まれ故郷である新潟の農村や群馬県の親戚の家など、さまざまな場所のイメージを合わせて作られています。所沢市松郷の雑木林は、今では「トトロの森」と呼ばれています。そして、「トトロ」の名前は、宮崎の自宅があり、作品の舞台となっているこの【所沢】をもじったものです。

〜曲について〜

□風のとおりみち
 メイが最初にトトロと出会ったあと、お父さんたちとトトロを探しに行き、大楠木を見つけた時、また、真夜中にトトロだちと遊ぶ時、庭に埋めた木の実がどんどん芽吹いていく時などに流れます。トトロ(森の生き物たち、そして生命)の存在を感じる瞬間です。

□となりのトトロ
 曲は全部知らなくても、サビの部分はきっと皆さんごぞんじなのではないでしょうか?一度聞くと、忘れられない、そしてつい口ずさみたくなってしまう主題歌です。自分の隣にもきっとトトロはいるのかも!そんな温かい気持ちになるかわいらしい曲です。


交響組曲「シェヘラザード」
ニコライ・リムスキー=コルサコフ

◇作曲者について

 ニコライ・リムスキ−=コルサコフは1844年、サンクト・ペテルスブルクから約200キロ離れたチフヴィンという小さな地方都市で生まれました。彼が誕生した時、父アンドレイは60歳、母ソフィヤは42歳、そしてすでに海軍士官になっていた兄ヴォインは22歳でした。

 彼は幼い頃からピアノを習い始めます。両親は彼の上達が早く、また彼が完璧な耳を持っていることに気づいていましたが、その才能に特に注意を払うことはしませんでした。 12歳になると、両親の希望によリサンクト・ペテルスブルクの海軍兵学校に入校します。

 サンクト・ペテルスブルクに来てからはオペラや交響楽のコンサートに通い始めて、音楽に対する情熱を持つようになりました。彼の新しい音楽教師カニレは、彼の音楽的才能に気づき、作曲を勧めました。カニレは、音楽作品の原則を説明して、彼に課題を与え、間もなくしてサンクト・ペテルスブルクの音楽サークルのリーダーだった作曲家ミリー・バラキレフに紹介しました。海軍兵学校の最後の年(1861年〜62年)に、リムスキ−=コルサコフは、交響曲を作曲し始めました。彼は幸福感に満ち、作曲家になることを夢見ていました。

 しかし、母と兄(父は、1862年に亡くなっていました)が十分な収入が約束されない職業に就くことを反対したため、彼は海軍士官にならざるを得ませんでした。 1862年、リムスキー=コルサコフはクリッパー船アルマーズ号に乗船し、士官候補生としてクロンシュタット港から航海に出発しました。当時 海軍士官になるためには、世界一周の遠洋航海に出かける必要があったのです。

リムスキ−=コルサコフの生家(チフヴィン)
 若き作曲家は、船上でも作曲はできるであろうと考え、家族の願いを聞いて海軍士官を志望したのでしたが、その環境は音楽を作曲するのにふさわしいものではありませんでした。任務のため音楽にさく時間はありませんでしたし、船にはピアノや他の楽器もありませんでした。また、乗組員の誰一人として音楽に関心のある者はいませんでした。

 それにもかかわらず、航海を始めて数カ月の間、主にイギリスでの長い停泊の間に(1862年から63年にかけての冬)、彼は交響曲のアンダンテを作曲しました。しかし、音楽に対する彼の情熱は徐々に弱まり、「音楽はもはや自分の人生の一部ではない」 とすら考えるようになりました。遠洋航海は、2年と8ヵ月の間続き、この間にドイツ、イギリス、アメリカ合衆国(この 間、ナイアガラの滝まで出かけています)、ブラジル、フランスそしてスペインを訪問しました。

海軍兵学校時代の
リムスキー=コルサコフ
リムスキー=コルサコフ
(1882年)
 航海中、彼は様々な自然、特に海については北半球・赤道付近・南半球それぞれの嵐で荒れたり、穏やかであったりする 様子を、また南半球では星をちりばめた満天の空を見てきました。これら自然の情景はすべて、際立った印象を彼の記憶に 残しました。後に彼はこれらの印象を、自分か生まれ育ったロシア北部の自然の様子と同様に、そのすばらしい音楽的才能 を持って表現しました。

 ロシアに戻ったのち(1865年)、彼はサンクト・ペテルスブルクで沿岸警備の任務を行う一方で、海軍アカデミー学校に 入学するつもりでした。しかし、サンクト・ペテルスブルクで再会を果たした以前の音楽の仲間たちは、彼に音楽の世界に 戻って、交響曲を完成するよう促しました。そして同じ年の12月19日、リムスキー=コルサコフの交響曲第1番はミリー・ バラキレフの指揮によリコンサートで初めて演奏され、大成功をおさめました。聴衆は、作曲者が非常に若い海軍士官であ るということを知って驚きました。

 こうして彼の音楽の経歴が始まったのです。しかし依然として生計を立てていく必要性があったので、海軍の通常勤務を やめたのはこの初演から8年後でした。

 リムスキー=コルサコフの音楽活動は、作曲だけではありませんでした。 1871年、27才の時から生涯彼はサンクト・ペ テルスブルク音楽院の教授の地位にありました。多くのロシア人作曲家の他に、イタリアからレスピーギが学びに来ていま す。これは当時のリムスキー=コルサコフの名声の高さを示しているエピソードと言えるでしょう。

◇作品について

 交響組曲「シェヘラザード」は有名な千一夜物語(アラビアンナイト)を題材として作られています。「サルタン皇帝の物語」という歌劇も作曲しているところを見ると、アラブ世界には余程惹かれるものがあったのでしょうか。リムスキー=コルサコフはこの作品の楽譜に次のような解説文を付けています。

 「サルタン(国王)・シャフリアルはある事件をきっかけに女性不信に陥リ、王妃に迎えた女性と最初の一夜を過ごした後はすべてその首を刎ねていた。
 しかし、サルターナ(王女卜シェヘラザードは夜毎興味深い話をサルタンに聞かせ、そのためシャフリアルは彼女の処刑を一夜また一夜とのばした。彼女は千一夜にわたって生き長らえついにシャフリアルにその残酷な誓いをすてさせたのである。」

 曲全体は四つの楽章から構成されており、シャフリアルとシェヘラザードを表わす主題が全楽章を通じてしばしば登場します。初演時には四つの楽章にそれぞれ標題をつけ、標題音楽としての分かり易さを配慮しました。しかしリムスキー=コルサコフは後にこの作品を標題音楽としてではなく交響的作品として愛好して欲しいと語り、四つの楽章につけた標題をなくしてしまいました。現在付けられている標題はリムスキー=コルサコフが付けたものではないそうです。

第一楽章「海とシンドバットの舶」

 冒頭に重々しく出てくる主題がシャフリアルのテーマで、続いてギター(原曲ハープ)にのって歌われる独奏マンドリンの旋律がシェヘラザードのテーマです。後に続く主部では、波をかき分けて進む船や、穏やかな表情を見せたかと思うとまた大きくうねり出す海の様子が描かれています(表題をなくしてしまったということは、このように聴かれることを作曲者は望んでいないのかも知れませんが、やはりそういう風に聞こえるのですよね。それだけ巧みに描かれている、ということでしょうか)。シャフリアルのテーマとシェヘラザードのテーマが巧みに変形されて使用されています。

第二楽章「カランダール公の物語」

 カランダールとは物語の中でしばしば登場する諸国遍歴する回教僧のことです。この曲では諸国行脚の旅で遭遇するいろいろな情景が表わされています。

 まず独奏マンドリンが第一楽章でも登場したシェヘラザードの主題を演奏して彼女のお話が始まる様子からスタートします。ファゴットで演奏されるなんとなくユーモラスでおどけた調子がカランダールを象徴しています。

 この曲は拍子も頻繁に変わり、曲の雰囲気も荒々しかったリ華麗であったりと様々に変わります。回教僧の物語はたくさんあるようですので、いくつかの物語のイメージを組み合わせているのかも知れません。散漫な印象を与えないよう、要所要所にカランダールのテーマが挿入され、シャフリアルのテーマが使用されています。

第三楽章「若い王子と若い王女」

 弦楽器によって大変美しい主題が最初に歌われます。この最初の主題と、少しテンポが速まる舞曲調の第二主題がよく似ているため、この楽章は双子のようなカマール・アル・ザマン(新月)王子とブドゥール(満月)王女の恋物語であると考えられています。舞曲の後ここでもシェヘラザードのテーマが現われ彼女が話して聞かせている感じがでています。

第四楽章「パダダッドの祭、海、船の難破」

 威厳に満ちたサルタンの主題で始まりますが、それに答えるシェヘラザードの主題も力強く、既にシェヘラザードが自信を持っていることを感じさせます。何度かこのやリ取りが続きます。  この楽章の中心はバグダッドの祭りの描写ですが、これまで登場した主題や楽句もいくつか再現され、大きなクライマックスを作り上げてゆきます。第一楽章の海の情景が再現されると、荒々しい嵐となって船が難破する様子が描かれます。

 一転して海は静まり返り、シェヘラザードの主題が独奏マンドリンに現われるとサルタンの主題が低弦に現われますが、ここではもうサルタンはすっかリシェヘラザードに影響されて首をはねるという考えを捨て去ったということが分かります。

 この曲の特徴は音色の豊かさと多様さにあるでしょう。この曲で用いられたリムスキー=コルサコフの管弦楽手法は同世代およびその後の多くの作曲家、特に印象主義の作曲家に大きな影響を与えたといわれています。



[メリー・ウィドウ シェヘラザード:荒木浩志、スタジオヅブリ・メドレー:一関恵子(詳細編をこちらのページでご紹介し ます。是非ご覧ください。]

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