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アンサンブル・アメデオ 第21回定期演奏会
パンフレットより

Ensemble Amedeo The 21th Regular Concert
おとぎぞうし〜Fairy Tales〜
2005年1月22日(土)17時30分開演
於:文京シビックホール 大ホール
 


編曲ノート

 今年のアメデオの選曲。バラエティに富んでいるといえばいい表現ですが、悪く言うとばらばらっていう感じがしないでもありません。

選曲の流れから振り返ってみると、じつは、真っ先に「シェヘラザード」が決まりました。これは、アメデオにとっては、長い間温められていた構想で、「いつかやってみたい」そういう思いで、何度も選曲にはあがってきましたが、いろいろな制約があって、なかなか実現しませんでした。特に大曲すぎるので、これをやってしまうと他のものが出来なくなってしまうのでは、という懸念がありました。それに、あまりにも有名な曲ですので、マンドリンでやるということに抵抗感のようなものも少なからずあったかもしれません。10年前には、それこそ夢のまた夢ということで、冗談のように、「いつかシェヘラザードをやりたいね」などと、宴会の席でよく話しをしていました。

やはり、いままでいろいろなチャレンジを重ねてきたことで、たどりつけたということに違いありません。最近は宴会の席ではどういう夢を語っているのでしょう?セカンドトップの町田くんとは、もう何回も繰り返し「次は春祭だ!」などと杯をかわしています。もう、こうなってくると宴会で語ることは、結局みんな実現してしまうような気もしてきます。

 さて、話しは「シェヘラザード」に戻しましょう。そうそう、そもそもこれは4楽章もあって、交響組曲とありますが、巨匠リムスキーコルサコフ氏がアラビアンナイトに取材したという一大絵巻物であります。全編に東洋の工キゾチズムがあふれて、まことに壮大な代物。めくるめく変化をとげ、嵐は巻き起こり、あらゆる冒険が繰り広げられるのであります。はたしてマンドリンという楽器でそんなものが表現できるのか。それほど長大な時間を最後まで飽きずに持ちこたえられるのか?そのあたりが議論の争点になってきたわけです。

一般の管弦楽のコンサートでシェヘラザードをやる場合には、たいてい何かの序曲かなにかをさらっとやって、真ん中にコンチェルトを、これまたそれほど長くないようなものをやって、前半終了。2部はシェヘラザード1本で締めくくる。そんな感じになっています。ですからシェヘラザードを決めるということになると、他のものの選択肢が極端に制約されてしまうということもありました。

候補にあがったのは、ケテルビーの「ペルシャの市場にて」、ポワェルディーの「パグダッドの大守」などのなんとなくペルシャ湾あたりに取材したものや、たとえばわたしたちの団件名をあやかったアメデオ・アマディの「東洋の印象」なども候補にはあがっていました。しかし、なんとなくそれでは1部と2部のバランスがとれません。それで、今回ふたたび誰かゲストを招聘して何かをやるというのもいいのでは、つまりー般のオケのプログラムのように、さらっと何かをやり、コンチェルトすなわちゲストを呼んで何かをやる、これに習うのがいいのでは、こうなったわけです。

 それでピンときたのが、昨年、偶然自由が丘で出会った「FLY」。FLYとの出会いについてはすでにコンサートのご案内状にも書かせていただきましたので、ご覧になった方もいらっしゃるかもしれませんが、簡単に触れておきたいと思います。

一昨年の12月、慶應マンドリンクラブの冬の定期演奏会終演後、たまたまコンパ(納会)に誘われていたので顔を出そうと、指揮者の久保くんと(じつは今日はステージマネージャーをお願いしています。)マンドリニストの桜井くんと(彼もアメデオの演奏会にはほとんど毎回ご出演いただいています。今回は出ないのかな?)3人で、会場だった自由が丘の周りをうろうろと徘徊していたら、ちょうどアンナミラーズの前にあるTAYA美容室の前の広場でマリンバの野外演奏をしていたのです。

クリスマスの頃でしだから、路上では他にもゴスペルの歌なども披露されていました。最近の自由が丘はいい感じですね。センスのいいお店もたくさんあって、なかなかお洒落な街になってきました。それで、そのマリンバの音にすっかり魅せられて、アンナミラーズのデッキから、なぜかバドワイザーを手にしながら、高みの見物をさせていただいたというわけです。

残念だったのは、座って聞き出したら、もはやアンコールのあたりで、演奏はあっという間に終わってしまったのでした。残ったビールを空けながら、しばらくはマリンバの片付けをずっと眺めていました。その光景をぼんやり眺めながら、「マリンバと競演したらおもしろいことになるかもしれない」そんなふうに思いを馳せていました。それで、思い切って声をかけたのでした。

「ぼくたち、(日曜)音楽家なんです!」それで、今でもしっかり大切にとってありますが、そのときの公演のちらしに書いてあったホームページに「いつか、いっしょにやりませんか?」そんなふうに打診しました。ちょっと強引ですね、このあたりかなりずうずうしいというか、きわめて不自然ではありましたが、たいていそんな感じでものごとは拓かれるというもの。でも、こんなに早く実現することになるとは思ってもいませんでした。

 1部は軽いものをやりましょう、ということで「スタジオジブリ」の素敵な映画音楽をやるというふうに決まりました。毎年、ご記入いただいているアンケートには、いろいろなリクエストが書かねています。「是非、映画音楽を!」というご提案も少なからず寄せられていました。

ジブリをやるということもすんなり決まった感があります。ジブリにはFLYをお呼びして、ひと味ちがったコラボレーションを繰り広げるというのもいいのでは、ということで、構想が固まりました。最初に何が1曲をということで、じつはアマディの「吟遊詩人」が決まっていました。

練習も1回だけやりましたが、アメデオらしいものを、という声があがり、急遽「メリー・ウィドウ」をやることに。やれやれ、今回は結構選曲に時間を要しましたが、なんだか、とてもほんわかした感じに仕上がっているように感じられます。いつも難しいもので、弾く方も聴く方もなんとなく肩が凝るようなところがありましたが、どうかリラックスして、ゆったりした気分で癒されるような時間を過ごしていただけたらいいなと思っています。

さて、編曲ノートということですから、編曲のことについて少し触れておきたいと思います。

「メリー・ウィドウ・ハイライト」のきっかけ

 メリー・ウィドウのオペレッタは、なんといっても全編痛快で楽しさにあふれています。マンドリンヘの編曲は前から構想していましたが、決定的になったのは今年の春の慶應ウィンドアンサンブルの定期演奏会。素晴らしい演奏でした。指揮者の津田雄二郎さんのタクトがきびきびしていて心地よく、もうこれはやるっきゃない!そう確信しました。

慶應高校からの依頼でもメリー・ウィドウのアレンジを頼まれたので実際に編曲するきっかけも得られたわけです。ところが、これがあまりにも愉しいので、この際アメデオでもやってしまいましょうか!ということになり、それで結局、高校の定期演奏会より一足お先に披露することになってしまいました。(高校の定期演奏会:3月20日「日本青年館」。女子高生には、アメデオの受付などの仕事を引き受けていただいています。ありがとう!)

 メリー・ウィドウは、実際やってみると毎小節ごとにニュアンスの連続で、結構大変な曲だということがわかってくるのでした!なんていうか、自然にわきあがってくるもので、ニュアンスとセンス、もうそれしかないっていうくらい!でも、それだけに音楽的で、ほんとうにやってもやってもきりがありません。ひとことでいうならば、ウィーン気質。これにつきる感じです。とことんお洒落で粋でなければならない、それではめをはずしているようでいて、しっかり計算しているみたいな、そういう都会的な面も併せ持っているのです。

ヴィリアのうたはマンドリンの数を減らして、それこそ一番前の列だけでうたいます。それでトレモロのなんともいえないひなびた情緒を醸し出します。個人的には、有名なメリー・ウィドウのワルツに入るまでの経過句のあたりがとくに気に入っています。夜を徹して盛り上がった宴のあと迎えた朝のなんともいいようのない虚脱感。(なんとなく明日の朝のようですね)それで、鏡のまえに映し出される自分の無精髭面をながめながら「おれも、ずいぶんとやつれたものよのう…」そんなふうにしみじみと耽っているような感じで演奏いたします。

 決め手はパーカッションにありそうです。祈るような思いで臨みましょう!

「スタジオジブリ・メドレー」のこと

 三年前、慶應マンドリンクラブの依頼でジブリのメドレーを編曲しました。その後、慶應高校マンドリンクラブからの依頼で数曲を追加しました。今回はそれらのなかから抜粋して、マリンバと競演できるように改編したものです。マリンバ単独で演奏するところ、全体で共奏するところ、ギターとマリンバの組み合わせなど、いろいろ変化をつけてマリンバとコラボレーションするといった構想で工夫してみました。実際、はじめてマリンバと合わせたときは衝撃的でした。その音の凄まじいこと!最初はオケの前側でやってみましたが、マンドリンの音が消されてしまうくらいでしたので、山台の上で演奏していただくことにしました。本来ですとソリストは前に来るべきですが、合奏上の効果を考えて、こういうかたちになりました。

マリンバもトレモロ奏法があるようです。それははやくなったり、おそくなったり、あたかも風のよう微妙に揺らいでいます。そう、今回は揺らぎのトレモロ、それからたくさんの音楽を分けていただいたように思います。弾く事だけはそれほど難しくないのですが、音楽として表現するということになると、そう簡単なことではありません。そのせいもあって今回は、呼吸すること、長いフレーズの先の先まで、ていねいにうたうことなどにわりあい時間をかけることができました。

ジブリの素材のなかから、なにかわたしたちの心のなかにある、さまざまな思いが伝わってくるような演奏ができたらと願っています。

「シェヘラザード」について

 おととしの春に慶應大学マンドリンクラブの定期演奏会で初演しています。今回はほとんどそのままのアレンジで演奏します。手を加えたのはピアノパート、それにファゴットが人リましたので修正しています。

 1楽章の大海原のゆったりと揺れるフレーズはギターで表しました。これは結構効果的になったと思います。なぎのところで、舵がのんびりと帆を休めるところは原曲では管楽器ですが、マンドリンのピッキングで表しました。ホルンのソロはマンドラとチェロに置き換えています。あれ狂う波を乗り越えて進むシンドバットの船の表現はもっとも困難なところ。ギターの重音で波の音型を奏することで表しています。意外に「ざぶ一ん」という水拭きがあがる感じが表せたように思います。

 2楽章はソリスティクなところがちりばめられていますから、どうしても原曲のイメージからのがれることはできません。慶應で初演したときは、ファゴットがいませんでしたので、ファゴットのソロはギターに置き換えました。トロンボーンとトランペットの掛け合いのところはマンドラとチェロの対比になっています。ソロですと合わせることは容易でも合奏となるとそうもいかず苦労されたことと思います。実際大変でした。2楽章は音楽的にも変化に富んでいて、ちょっと厄介です。ギターの伴奏はすっかり馴染んでいたように思います。

 3楽章はトレモロで弾くと、歌のように聴こえて、それはそれで成功しているように感じられます。あたかもマンドリンのオリジナル曲のようです。中間部でオーボエとマンドリンのソロのところを抜けて、曲全体の最大のクライマックスが訪れます!ハリウッドの映画音楽のように、カメラがぐっとひいていって、壮大なるアラブの大地が映し出されるところ。さすがに、ここは楽器が足りませんが、ギターのトレモロなどを駆使して、そこはマンドリンオケの醍醐味を全開させます。聞きところに違いありません!

 4楽章はマンドリンにもっともあっていると、そう感じました。リズムがいきいきとしていて、マンドリンのピッキングによくあっています。歯切れもよくなって、あたかも勇壮な軍隊が整列して威勢よく迫ってくるようでもあります。いつもきまってここを聴くとお神楽か祭り囃子のようなものを連想します。実際、饗宴ということですから、沸き上がるものは万国共通なのでしょう。まさに血湧き肉踊るような狂乱であります。クライマックスではギターも全員和音の固まりとなって乱舞のリズムを刻んでいきます。回奮も絶頂に達することでしょう。

 もっとも困難だったのは、祭りを抜けて、ふたたび大海原に突人するところ。ここはさすがにマンドリンオケでは金管楽器がありませんので原曲のような壮大さは望めません。しかし、1楽章のときにも発揮されたギターのコードによる波の音型でいよいよ舶が座礁するところのクライマックスを築いてくれることでしょう。ここではコードを弾き終わったあとの余韻のようなものがどれだけ維持できるか、そこにかかっているように思います。

 原曲と比較されてしまえば、それはとてもかなうことではありませんが、マンドリンという楽器のさまざまな表現でさながら水墨画による鳥獣戯画のような絵巻ものみたいな世界が表現できるかもしれないといった願いを込めて編曲いたしました。

はたして、文京シビックホールではどのように響きますでしょうか?

2005年1月9日
小穴 雄一  

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