微笑の累乗〜Angkor Thom
 
微笑の累乗
〜 Angkor Thom
 

   「クメールの微笑み」と言えば、遺跡に詳しい人ならすぐにピンとくるだろう。アンコール・トム、バイヨン寺院を飾る観世音菩薩のレリーフだ。
 ヒンドゥーを国教としたスルーヤヴァルマン2世に対抗するかのように、バイヨンの建設者であるジャヤヴァルマン7世は大乗仏教に帰依した。同じ王朝、しかもほぼ同時代にありながら、為政者の宗教的基盤が違うというのは世界史的に見てもかなり異例だ。「大統領が交代するからアメリカはイスラム教国家になる」と言ったら、間違いなく大騒ぎになるはずだ。そんな事態がなぜ起こりえたのだろう。
 証拠はない。しかし、推測はできる。ヒントは第一回廊の壁面に彫られたレリーフだ。
 アンコール美術の頂点として評価が高いこのレリーフは、当時の隣国であるチャンパとの戦争を主なモチーフとしている。象に乗って進軍するクメール兵、船と船がぶつかり合う水上会戦、矛と盾により相まみえる1対1の肉弾戦、そして銃後を支える庶民の日常生活。そうした1コマ1コマが一大物語絵巻となって描かれているのだ。
 つまり、ジャヤヴァルマンの治世は戦争の時代だった。クメール王朝とチャンパは占領したりされたりを繰り返していたのだ。その頃の社会通念がどのようなものであったかはわからないが、戦争の本質はいつの時代も変わらない。殺し合いだ。
 戦闘で、あるいは戦争が引き起こす社会混乱で、夥しい数の人々が命を落としたことだろう。戦後処理において、死者に対する弔いが内政上の重要課題になったことは想像に難くない。平和を求める民衆を納得させる何らかの手を打つ必要にも迫られていたはずだ。
 そこで、ジャヤヴァルマンは仏教という装置を利用した。宗教改革を行うことで目先を変え、疲弊した国をリセットしようとしたのだ。ちょうど第二次世界大戦後の日本が、それまでの精神的支柱であった国家神道を一夜にして捨て去ったように。
「ここが写真のベストポイントです。ほら、クメールの微笑みが三つ並んで見えるでしょう」
 迷路のような第二回廊の基壇を歩いている途中で、ガイドが誇らしげに胸を張った。指が示す先には例の観世音菩薩が彫られた塔が三本、まるで近くから遠くへと徐々に遠ざかっていくように並んでいる。
 いや、その印象を正確に表現するなら「並ぶ」という言い方は正しくない。三体の観世音菩薩の位置関係は「並列」ではない。むしろ「累乗」だ。2の2乗の2乗。相似形のまま右上にどんどん小さくなっていく、あの感じ。鏡の中に鏡がある、騙し絵の無限ループにも似ている。
 それにしてもバイヨンは顔だらけだ。右を向いても左を見ても視界のどこかに微笑する菩薩がいる。しかも、一般的に見慣れた仏像とは違う顔だけの姿で。いかにレリーフとはいえ、顔しかない仏にこれだけ見つめられるのはさすがに薄気味悪い。
 しかし、これこそがバイヨンの建設を通じてジャヤヴァルマンが伝えたかったことなのだろう。どこにいても、どんな境遇にあろうと、仏陀は常にお前たち民衆を見守っているのだぞ、と。
 人間は救いを求める生き物だ。混沌とした時代にあってはなおさらだろう。王として、地上における神の代理人として、だからジャヤヴァルマンは「救済」を目に見える形にして人々に提示しなければならなかったのだ。
「こっちはジャヤヴァルマン七世の肖像です。見てください。観世音菩薩にそっくりでしょう。この時代、王様は神様みたいなものだったんですね」
 目が少し吊り上っていると言えなくもないが、素人目には違いがわからない。
 推測に自信がなくなってきた。ひょっとしたら大変な勘違いしているのかもしれない。ジャヤヴァルマンがクメールの微笑みで示したかったのが、「救済」ではなく「支配」だったとしたら。そう考えると、観世音菩薩までもが何やら不気味なものに思えてきた。
 

   
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