●新々刀之祖 水心子正秀 顕彰碑(すいしんしまさひで)

烏帽子山八幡宮境内には新々刀の祖で名刀工として知られる水心子正秀の顕彰碑がある。
水心子正秀(1750~1825)は南陽市元中山の諏訪原に生まれた。幼名は三治郎。父を早くに失い、血縁の鈴木権治郎家や赤湯北町の外山家に身を寄せた。
安永三年(1774年)山形城主秋元但馬守永朝に見出され、刀工となり江戸浜町屋敷秋元家鍛冶所にあって刀剣の鍛錬に精進した。銘は初め宅英、英国、秋元家のお抱え刀工となったのを機に川部儀八郎正秀と改名、天明2年には水心子正秀となり、晩年には水心子天秀で通し、多くの名刀を残した。
氏は『刀剣弁擬』『刀剣実用論』『剣工秘伝誌』などの著書を残し鍛法の復古を提唱し、新々刀の祖と仰がれた。また名刀工、荘司直胤(山形市鍛治町出身)ら百余名の門弟を育て名利に恬淡、半世紀を斯界に尽くして文政八年(1825年)9月27日、76才の天寿を全うした。
昭和50年、250周忌を迎えるに当り有縁の志を集め、この神苑に碑を建て永くその偉業を顕彰す。
烏帽子山八幡宮にはこの水心子正秀銘の脇差が伝わる。
烏帽子山八幡宮 所蔵 脇差
脇差 水心子正秀
長さ 45.5cm
反り 0.9cm
銘文 (表)水心子正秀
銘文 (裏)文政二年二月 日


「撮影:羽田洋 提供:刀剣画報編集部」