2005年夏、日本科学技術庁(当時)が開発に成功した新型深海調査潜航艇。設計開発にあたっては宇宙開発公団顧問である獅子王麗雄博士の協力も得ており、名に9000とあるが実質的には最大10000m前後までの潜航を可能にしている。
1969年以降、日本が独自に開発を開始した一連の深海探査艇は「しんかい」の共通コードを与えられており、1969年の「しんかい」、1981年の「しんかい2000」、1989年の「しんかい6500」と着実に海底の探査範囲を拡大してきた。実際に「しんかい6500」の開発と投入によって、日本の経済水域における海底の約96%は調査可能となっている。今回更なる深海への挑戦を行うにあたり、これまでの最大潜航深度記録を達成するために「潜るだけ」の深海艇ではなく、海底の資源、科学、その他の分野における調査などの「作業」も行えるこれまでよりも一回り上の深海潜航能力を有した深海探査艇の開発が求められていた。これまでの成果を継承しつつ、次世代資源等の調査へと深海探査艇の活動領域を拡充してゆく先駆けとしての探査艇としてコードを一新、政府による公募から「りゅうぐう」の名が選ばれ、艇長には深海探査艇「しんかい6500」などに搭乗経験を有する海野氏が抜擢された。ちなみに「りゅうぐう」の名は東京都Gアイランドシティのカモメ第一小学校の応募作である。
完成した「りゅうぐう9000」は実用限界深度を8000〜9000mとし、日本海溝最深部でもアームの展開が可能である点が最大の特徴である。結果、その船体は「しんかい6500」の1.5倍ほどに大型化している。8000m級の深海で海底資源の採掘が可能になれば、21世紀のエネルギィ問題の大きな軽減材料となる事が期待されていたのである。しかし、進水式の最中、ゾンダー化した「りゅうぐう」の艇長候補生が「りゅうぐう9000」を占拠、式典に出席していたカモメ第一小学校の生徒二名を乗せたまま、外洋へと脱出を図った。途上、海上自衛隊所属の潜水艦を吸収して戦闘能力までも獲得し、追撃したGGG機動部隊を深海の強力な水圧を楯に迎え撃ち、これを大いに苦戦させたが、最終的にはガオガイガーのヘル・アンド・ヘヴンによって核を摘出、内部に取り込まれていたマモル少年の手により浄解されたが、「りゅうぐう9000」自体は圧壊、沈没した。