モン・サン・ミッシェル

 [Le Mont St−Michel] フランス北西部、ノルマンディ地方、ポントルソン市近郊にある修道院。708年アヴランシュ司祭オーベールが夢枕に立った大天使ミカエル(Michel)の告知に従い小聖堂を建立したのがその起源といわれている。その後修道院となり、礼拝堂、ロマネスク僧院、ゴシック僧院など増築が重ねられ現在の姿に至る。その間ベネディクト派の聖地として多くの巡礼者を迎えたが、百年戦争、フランス革命を経て荒廃し衰退した。革命後はナポレオン1世の命により牢獄として使用されている。
 西洋の驚異とも呼ばれ、聖地として多くの巡礼者を引きつけ、ナポレオン1世をして牢獄として使用さしめたのはその特殊な立地条件によるところが大きい。モン・サン・ミッシェルはポントルソン市北の海上、島の上に建てられているのである。この島はかつてシシイの森の中にそびえるトーンブ(Tomb;墓場の意)と呼ばれる山だった。この山は古くから神聖視され、ガリア人支配時代には光の神ベレンの、ローマ帝国時代には旅と使者と商売の守り神メリクリウスを祭る神殿があったと言われている。だが、ある時この周辺一帯を津波が襲い、山は陸と隔てられ、島となってしまったのだという。その上、島と陸地を結ぶわずかな砂洲も潮の干満が驚異的に早く激しいこの地方では、満潮により海に沈んでしまう。潮が満ちた時、島は海に完全に囲まれモン・サン・ミッシェルはさながら海上に浮かぶ城砦のように見えたのだという。当時この修道院を訪れるようとした多くの巡礼者が早い満ち潮にのまれ命を落としている。現在は島と陸地とを結ぶ道も堤防の上へ移され、そうした事故はおきていないが、同時にかつてのような神秘的な光景を見られる機会は稀になっている。直近では2015年3月21日に大規模な大潮が発生して堤防上の連絡道路も水没し、海上に浮かぶ要塞としての姿を見せた。
 その外観は修道院にそぐわない堅牢な城か砦のようで、事実建立当時から日本の僧兵に相当する修道士がいたり、百年戦争当時には英仏海峡に浮かぶ要塞として使用された。そこへ至る道は干潮時に現れる砂洲の道のみという、この天然の要害は幾度も戦火に見舞われ、建築物も破壊されたが陥落したことは一度たりとてなかったという。かくしてモン・サン・ミッシェルには「神に護られし『聖なる城砦』」という二つ名も与えられることになったのである。
 パスキューマシンの暴走によって複製された地球においてもモン・サン・ミッシェルは要塞として利用されていた。すなわちソール11遊星主の拠点である。遊星主はモン・サン・ミッシェルの地下にパーツキューブを隠蔽し、JアークソルダートJを拘束していた。ルネがピルナスに仕掛けたリモートボムの発信により遊星主の拠点とされていたことが判明している。
 Jアークが復活したことでパーツキューブの自己防衛機能が発動、モン・サン・ミッシェルはそれを載せたパーツキューブの集合体とともに浮上。内部からの反中間子砲斉射によって破壊された。