タマタマかも知れませんが、

わたしの婆さん、旧姓『ABE』なんです。

漢字は違うんですけどね、

何か縁があるような気がして、

一度行って見たかったんですよ、

晴明神社。

 

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〜お詫び〜

このページに何点かの誤りがありました。

『晴明』と云う名が『清明』になっていた点。

京都にあるのは『安倍晴明神社』ではなくて『晴明神社』であると云う点です。

因みに『安倍晴明神社』は、大阪阿倍野区にあります。

そこで安倍晴明は生まれたと伝えられており、

境内には晴明が使ったと云われる産湯井の跡や、

母(白狐葛之葉狐)の像があるそうです。

 

 

 

今頃ですけど、2003年9月。

丁度、阪神タイガースがセ・リーグ優勝を決めた前日でしたかね?

わたしは連れと二人、京都の晴明神社を訪れたのでした。

兄(のりへい)が妻子ともども大阪転勤中でして、

ならば一度はと、観光も兼ねて訪問した訳です。

この日の案内人は、勿論のりへい。

この辺りの神社仏閣は殆ど熟知してますからね、彼は。

 

バチがあたっちゃ困るので、一応二人ともシャツを着て参拝。

別に打ち合わせた訳じゃないけど、

やっぱり神社に行く時とかって、

服装を気にするようです、二人とも。

その割には、サングラスかけてたりして・・・

 

 

 

 

小さくて申し訳ありませんが、

社内展示の晴明伝記をご覧になりたい方どうぞ!

 

ハッキリ言って、内容の判り難い文章です。

わたしがアレンジしてもよかったんですが・・・

敢えてそのまま書き写しさせていただきました。

一部判らない文字があります。(※が付いた○の部分)

 

夢枕貘さんの『陰陽師』シリーズなどを読んだ事のある方は、

何となく聞いた内容の話があるかも知れません。

 

また、

社内の展示とは順不同だと思いますので、

悪しからず・・・

 

 

安倍晴明公は、実在の人物であるが、

化生の者であるという伝説がある。

※○○抄」によると、

晴明公の母親は、和泉国信太の森の狐である。

母は、晴明公が幼い頃、

狐の姿を見られたために、

和歌を遺して、行方をくらましてしまう。

後、晴明公は、信太の森を訪れて、母と再会する。

 

 

渡辺綱は【一条戻橋】の上で美女に声をかけられる。

女は送ってくれというが、途中で鬼女に姿をかえ、

綱の髷をとって空をとぶ。

綱は腕を切り落とすと、鬼は愛宕山に去る。

綱は晴明公を呼び相談した。

物忌みをすすめられた綱は、鬼の腕に封印する。

その後鬼は綱の母の姿で腕を取り戻しに来るが、

綱は仁王経によって救われる。

 

 

三井寺の智興が病で死にかけた。

そこで晴明公が、

「誰か身代わりになるものはないか」とたずねると、

弟子の証空が自分の命を差し出すという。

晴明公は、泰山府君の法を修した。

すると、智興に生気が戻り、

証空が苦しみだしたが、

日ごろ信心していた不動明王に助けられて、

二人とも命を取り留めた。

 

 

晴明公の屋敷に、老僧が、

十歳ぐらいの童二人を連れてやって来た。

晴明公の陰陽道について習いたいという。

この男、童と見せかけて、式神を使っていた。

晴明公は呪を用いて、式神を隠すと

「どうして人の供を隠すのか」と問うと、

「私を試そうとしたからだ」と、晴明公に論される。

しばらくして童二人現れ、

「式神など隠せるとは」と、老僧は弟子入りを乞うた。

 

 

花山帝が頭痛で苦しんでおられた。

いかなる治療をほどこしても治らない。

そこで、晴明公の登場である。

帝の前世は尊い行者であるが、

前世の髑髏が大峰で、

岩と岩の間にはさまっているために、

頭痛がするという。

髑髏を取り出したら、治るというので、

その通りにしたところ、頭痛が治られたという。

 

 

晴明公が、広沢の僧正の御坊に参って話している間に、

他の貴族が

「式神をお使いになるなら、人を殺せますか」という。

「生かす方法を知らぬのでたやすく殺せぬ」

と晴明公がいうと、

「蛙を殺してみよ」という。

草の葉を投げると、

蛙はまったいらにひしゃげた。

 

 

花山院は、冷泉院の第一皇子として天皇の位につかれ、

小野の宮の娘を女御とされた。

入内なさって※弘○殿にお住みになったので、

弘○殿の女御と申し上げた。

しかしほどなく女御がなくなり、帝は悲しまれた。

花山院は在位わずか二年で、出家された。

出家された夜、晴明公の屋敷の前を通られると、

晴明公は、帝座の星に兆しを見、

帝が譲位なさると声をあげたという。

 

 

晴明公の好敵手として知られているのが、蘆屋道満である。

晴明公と道満は、

何れの法力が優れているかを競い合った。

夏蜜柑十六個を長持の中に入れて蓋をして、

中を言いあてるというものである。

道満が夏蜜柑であるというと、

晴明公は、鼠が十六匹という。

皆が晴明公負れたりと思い中をあけると、

術の力で、中は鼠にかえられていた。

 

 

藤原道長が法成寺を設立したのち、

御堂へ参る時、いつも白い犬を連れていた。

ある日いつものように、門に入ろうとしている時、

この犬がたちふさがるように吠える。

車から降りて入ろうとすると、

御衣の裾をくわえて引き留める。

晴明公が呼ばれ占うと、

道に呪いのものが埋めてあるという。

掘ってみると素焼きの土器を二つに合せ

十文字にからげてある。

調べると道満の仕業だった。

 

 

 

藤原道長が物忌みの時、

観修僧正、晴明公、医者の丹波忠明、

武士の源義家の四人が、お仕えしていた。

奈良から早瓜が献上されたが、

晴明公が占ったところ、その中の一個に、毒があるという。

観修が祈祷をすると、瓜はゆらゆら動いた。

忠明は毒を抜くようにいわれたので二ヶ所に針を刺し、

義家が刀で割ると小蛇がとぐろを巻き

針は蛇の目に命中していた。

 

 

 

〜一条戻橋にて匂山人〜

ここにまつわる晴明話しは多いようです。

で、一応記念撮影。

連れは、この写真だけは載せないで欲しいそうです。

本や映画だと、晴明の式神は、皆綺麗ですけど、

本当のところは如何だったんでしょうねぇ?

太ってたり、怪物みたいだったりしたんでしょうか?

別に深い意味はありませんが・・・

 

 

晴明好きな方には内容が乏しくて申し訳ありません。

そのうち増やして行くつもりですので、

ご贔屓にどうぞ・・・

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