とうとう、わたし匂山人は、 Lafcadio Hearn(ラフカディオ・ハーン) こと小泉八雲が愛した日本(松江)を訪問して参りました。 わたしは、八雲が綴った日本の怪談が大好きです。 雪女、牡丹燈籠、耳なし芳一の話、むじな、ろくろ首、 どのお話も、怖いながらも何処かロマンチックで、 現在失われつつある日本ならではの自然の情景が、 目にありありと浮かびあがります。 そんな数多い名作は、 一体どんな状況下で綴られたのでしょうか? 同じ物書き(自称)としてわたしは、 長年のそうした興味を、そのままにしては置けなかったのです。 特に、今年(2004年)でハーン没後100年になります。 一世紀を経た今でも尚、 松江にはハーンの面影が残っているのでしょうか? 兎も角、一緒に彼の軌跡を追ってみることにしましょう。 あなたの埋もれている妖怪感度も、 これで蘇るかも知れませんね。
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大亀と連れ 小林如泥作、葡萄の透かし彫り 中央に薄っすらと松江城が確認できるでしょうか? 不昧公のお墓の位置からは松江城が見えるのです。
青枠をクリックしますと、 月照寺内の配置図が確認できます。
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〜月照寺の大亀〜 拝観料:500円 拝観時間:8:30〜17:00(4〜10月は17:30) 宝物殿、書院(茶席):9:00〜17:00
八雲の随筆『杵築雑記』に登場する大亀の石像です。 もとは、7代松江藩主治郷(はるさと、通称不昧公)が、父、宗衍(むねのぶ)公の長寿を祈念して立てたものなんだそうです。 そのことからか、今では大亀の頭を撫でると長生きができるとされています。 それを聞いちゃあ我々だって、損しちゃならぬ!と沢山撫でてまいりましたよ。長生きして、何十年後かにはまたここを訪れたいものです。 ガイドブックなどで先に情報を入れてはいましたが、正直ここまでデカいとは思ってもみませんでした。 比較するものが欲しいなと思い、連れに横へ立つようお願いしましたが、如何ですか、大きさ判ります? 境内一角には、不昧公愛用の名水が沸いていて、その水でたてたお抹茶がいただけます。名店『風流堂』の和菓子も付いてます。(有料400円、和菓子込み) 他に、不昧公の廟門に施された『葡萄の透かし彫り』が有名です。これは、「西の左甚五郎」と云われた『小林 如泥』の作品で、彼は不昧公のお抱え彫り士だったそうです。
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これが小豆研ぎ橋です。 手直しされて現代的にはなってますけどね。 |
〜小豆研ぎ橋〜 普門院前に掛かる普門院橋は、『小豆研ぎ橋』として八雲の怪談に登場します。 妖怪に【小豆洗い(または小豆研ぎ)】と云うのがいますが、これと関係あるかどうかは調査中です。 ちょっとだけ話の内容を紹介しましょう。 この橋に現れる妖は、何故か『杜若(かきつばた)の謡曲』を嫌いました。そして橋の近くでその謡曲を歌った者には、恐ろしい災難がふりかかると云う事でした。 その噂を聞きつけた怖い物知らずのお侍は、橋を通りかかると、わざわざ杜若の謡曲を大声で歌います。 「そらみた事か、何も現れはせんではないか!」 お侍は、笑い飛ばして家路につきます。 さてさてこの後、このお侍はどんな災難に遭うでしょうか? ご自分で読んで確認してみて下さい。 「小豆研ごうか、人獲って食おうか、ショキショキ・・・」 黄昏時の小豆研ぎ橋に、そんな声が木霊した気がしました。
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城山稲荷神社の鳥居です。 横一線整列する狐達。 前を通ると動く仕掛け・・・の訳ないか。 手洗い場に竜のブロンズが。 しかも口から水を流しています。 妖怪がいるのかと思っちゃいました。 |
〜城山稲荷神社〜 松江城内一画にあるこの神社は、八雲のお気に入りの場所だったと云われています。 徳川家康の孫にあたる松平直政が、松江藩主として入城した時に、白狐が夢枕に現れたそうです。 白狐は美少年に姿を変え、城下の火難鎮護を直政公に約束しますが、それと交換条件に稲荷神社設置を希望したと云います。 そこで直政公は、稲荷の祠と、その周囲に千体にも及ぶ狐の石像を祀ったそうです。 で、見事に狐だらけ。 小さいのから大きいのまで、足許から台座付きのものまで、よくここまで色んな狐が集まったものです。 写真ではそう思えませんが、30分後には真っ暗と云う時間帯に訪れたので、その為か社内には管理者も見当たらないし、見学者も誰一人いませんでした。 完全に我々だけ。二人っきり。 カナカナ・・・と蜩の鳴き声に耳を支配され、聴覚麻痺の状態に陥りました。徐々に言葉も失い始め、二人とも無言に・・・ 社内一周散策中、動かぬ狐達はズラリと横並びして、こちらをジーっと見ています。 何気なく早歩き、後ろを振り返れない臆病な二人は、ロマンチックと云うより、オドロオドロしいミステリアスな雰囲気で稲荷神社を見学したのでした。 如何です、状況が想像できますか? 怖い物見たさで胸が高鳴りませんか? Yesの方は、是非一度行って見て下さい。 お勧めは夕方です。 狐は犬が苦手と聞きますが、そう云えば、見張り役の狛犬の数も多かったような気がしましたね。 八雲はこの刺激的な場所で、一体どんな事を考えたのでしょうか?この何とも堪らないオドロしさが好きだったんでしょうね。 こうして稲荷神社を後にして帰り道、街灯の灯りに照らされてボンヤリ浮かび上がった二人の顔は、藪蚊に散々食われて変形していましたとさ。 お〜痒い痒い、日本の夏は痒くて堪りませんな。
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小泉八雲旧居門全でパシャリ!
門を潜ってお邪魔します。 門から玄関までの様子です。
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〜小泉八雲旧居〜 入場料:250円 見学可能時間:9:00〜17:00 (12〜2月は16:30まで) 年末以外はほぼ無休のようです。
1980年(明治23年)8月、八雲は島根県尋常中学校に英語教師として招かれます。 同年12月、旧松江藩士『小泉 湊』の娘『小泉 節子』と結婚しました。新婚当初は大橋川畔にあった住居に住んでいましたが、あまりにもせまいので、翌年5月にこちらの住居に越して来ます。 ところが、その年の11月には熊本の第五高等学校に転勤になってしまいます。 従って、八雲がここで生活した期間は、僅か半年そこそこの短期間でした。 しかし、八雲はこの家に対して只ならぬ愛着心を持っていたようで、熊本から更に神戸へと移住する際にも、交通の不便も顧みずにわざわざ松江に立ち寄り、この家を訪れ「我が家に帰った」といって2時間も屋敷中あちこちと見て廻り、心行くまで松江での生活を懐かしんだと云う話です。
参考資料は、現地で買い求めた上の書です。 日本語版と英語版どちらも100円でした。
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四畳間に隣接する廊下にて わたしだけカラーですいません。
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〜西の庭が一望できる四畳の間にて〜 玄関からお邪魔して左に進むと、廊下の付いた四畳ほどの狭めの間がありました。 廊下に実物大の八雲と節子夫人のパネルが置かれていました。厚かましくも、サングラスをつけたまま記念撮影させていただきました。八雲も左目が悪いので右っ面しか見せてくれませんでした。 にしても、わたし太りましたねぇ! 写真見るとつくづくそう思います。 禁煙して3年経ちますが、3年で10kg太っちゃいました。 そう云えば、八雲もたいへんな愛煙家だったようです。 彫刻の施されたお気に入りキセルの図柄を見ながら、楽しそうに煙を燻らせる人で、沢山のキセルは、自ら工夫した上下二段に分かれる箱に、ヤニの詰まった分から順次下へ移す仕組みにしてあったと云われます。 昔の家屋なので天井が低めですが、八雲は身長が157cmと短身だったので、この家での起居にも不便はなかったそうです。
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〜西側の庭〜 この百日紅(さるすべり)が八雲の最も好きな樹だったようです。 その他古木の紅梅、桜、松、白南天、杠葉などの植物や石灯籠、手水鉢、鱐(しゃちほこ)なども、悉く当時のまま残っていました。
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毎日学校から帰ると和服に着替え、 縁側にしゃがんで飽かず庭を眺めたんだとか。 写真奧に見える先の庭の事です。 小さな庭ですが、池があり蓮が浮き花を咲かせ、なるほど何時までも眺めていたくなる様な気になります。 |
〜居間〜 四畳の間の北側に接した十畳間が居間です。 戸や襖を開け放っておけば、座ったままで三方向の庭が見渡せると、八雲お気に入りの間だったそうです。 また、この間は寝室としても使用されたし、食事もしばしばここでされたと云う話です。 奥の戸から見える池のある庭を、八雲は最も好んだそうです。 池の小島、蓮、水際の杜若、岩のあいだに生える藻や苔、池の面を覆う萩、縁の下から伸びてくるシュウカイドウや沈んだ水など全てが好きでしたが、そうした個々のものより、庭全体の調和のとれかたが好みだったようです。 池には沢山の蛙が住んでおり、それを狙って蛇や時には鼬がやって来ます。そんな時八雲は、哀れな蛙を家内に匿ったと云う話もあります。また「私がご馳走するから蛙を捕る事だけはやめてくれ」と云って、食肉を皿に盛って土蔵の石段に置いた事もあったそうです。
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〜書斎〜 居間の北側に接した六畳間が書斎だったようです。 縁側近くに背の高い質素な机と椅子を東向きに置き、昼間は手紙書きやら読書に使用し、夜は主に著作に使用したと云うことです。 彼の名著『知られぬ日本の面影』は、この部屋で暗いランプの灯りの下で完成されたそうです。
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記念館の方が営業時間が長いので、 先に旧居を見学した方が賢いと思われます。 ちなみに、わたし達は賢くないので、 こちらを見学していたら旧居見学時間が過ぎちゃいました。 旧居の門は閉ざされ、『営業終わりました』の張り紙が・・・ どっこい見れないままでは心残りなので、 翌日早い時間に再び旧居を訪れたと云う次第です。 記念館のリーフレット
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〜小泉八雲記念館〜 入館料:300円 見学可能時間:8:30〜18:30 (10月〜3月は17:00まで) こちらは無休のようです。 八雲記念館は旧居隣にあります。 この日記念館には、八雲の曾孫にあたる『小泉 凡』さん(民俗学者)がいらしてたようです。見学の時間帯が違ったので、残念ながらわたし達は凡さんと逢う事が出来ませんでした。 我々が入館すると、間もなく修学旅行の生徒が団体で入館して来ました。半ば無理矢理組まれたコースをやむなく見学していたらしく、「入場料がもったいねぇ」だの「もっと面白いとこ行きたい」だの叫んでました。 おいおい引率の先生、ちゃんと注意しろよ!と言いたい気分でしたが、自分も学生時分はこうした場所に興味が無かったっけな〜と、時間の流れと興味の変遷をまざまざと感じさせられました。 当時、わたしの修学旅行先は京都でしたが、今だったらもっとじっくり見学しただろう場所にも行っている筈なんです。なのにどこを見学したのかすら覚えていないとは、我ながら情けない・・・ 兎も角、八雲ファンならここは絶対見るべきです! 記念グッズも豊富に販売していますし、ここでしか手に入らない書籍も数多いです。 |
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これ等は、ヘルン(ハーンのローマ字読み。日本では「ヘルンさん」と呼ばれていたとか)の栞セットです。 五枚一綴りで二種類ありました。 各々二セットずつ買って、各一セットを自分用(展示用)にキープしました。 もう一セットは、お土産用として友人達に配りました。 わたしの友人達は皆読書家なので、栞は好いお土産になった様です。大変喜んでいただけました。 流石、自分。 お土産選びのテクニシャン! 余談ですが、わたし達の旅行には、わたしのお土産選び時間が長すぎると云う理由で、連れが苛立っているシーンが度度あります。下手すると大喧嘩になる場合も少なくありません。 だけど、お土産をあげて大喜びされたのならば、それで結果オーライです。旅行先での喧嘩も報われると云うもの。 |
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ちりめん絵葉書です。五枚一綴りでお値段高めでしたが、出来が良いので買っちゃいました。 これらは、八雲が再話したちりめん本『日本お伽話集』5冊の表紙を、絵葉書に再現したものだとか。 ちりめん本とは、平紙に印刷されたものを、手作業で縮緬仕立ての紙に加工して綴る和装本の通称で、明治中期から昭和初期まで刊行されたそうです。 考案者は、弘文社の創業者『長谷川 武次郎』氏で、多色刷りの版面を入れた美しい装丁のちりめん本は、特に海外市場で人気を博したようです。
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猫を描いた少年(明治31年) THE BOY WHO DREW CATS 猫の絵ばかり描いている小坊主がいた。小坊主は、いけないところにまで猫の絵を描いてしまう。ある日、修行の最中だと云うのに、あまりにも小坊主が猫の絵を書きたがるので、和尚さんは「絵描きにでもなれ」と寺を破門してしまう。小坊主は、路頭に迷いながら彷徨っていると寺を見つける。その寺に入門を請おうと門を叩いた小坊主は、そこに格好の屏風を見つけ、早速猫の落書きをしてしまう。絵を書き終えて疲労した小坊主だったが、以前和尚さんに「夜は広い場所を避け、狭い場所にとどまれ」と教わった事を思い出し、狭い納戸で眠る事にした。翌朝、小坊主が目を覚ますと、落書きをした屏風の間で寺に棲み憑いていた鼠の化け物が死んでおり、屏風に描かれた猫の口元には血糊が付いていた。小坊主は和尚さんの教えを守ったお陰で、化け鼠と化け猫の妖怪同士の争いに巻き込まれずに済み、ほとほと感謝したと云うお話。
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化け蜘蛛(明治32年) THE GOBLIN SPIDER ある寺に獲り憑いた化け蜘蛛を退治しようと侍が待ち構える。化け蜘蛛は、体半身の人間に化けたり、僧に化けたりして、侍をなんとか誑かそうとする。心して退治に臨んだ侍だったが、とうとう化け蜘蛛の作戦に嵌まり蜘蛛の糸に絡められてしまう。しかし、侍も必死の抵抗で化け蜘蛛に一太刀入れる事が叶う。翌日、村人達は侍の一太刀から零れ落ちた化け蜘蛛の血痕を辿り、蜘蛛の巣を見つけ出す。巣の奧からは、深手を負った化け蜘蛛の唸り声が聞こえて来る。そこで、弱っているうちに皆で退治したと云うお話。
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団子をなくしたお婆さん(明治35年) THE OLD WOMAN WHO LOST HER DUMPLING 団子を穴に落としてしまったお婆さんは、それを追って異世界に通じる穴に入って行く。途中お地蔵様に団子の所在を訊ねると、鬼が来るから黙って後ろに隠れていなさいと忠告される。お地蔵様の云う通り、お婆さんは身を潜めるが、ついには鬼に見つかってしまい捕らわれてしまう。暫くの間、お婆さんは鬼達の賄いとして使われるが、どうしても人間世界が懐かしくなり脱走を試みる。鬼は必死でお婆さんを追いかけるが、とうとう川を船で渡るお婆さんを捕まえることが出来ずに、逃げられてしまう。人間世界に戻ることができたお婆さんは、鬼の家から持ってきた魔法のしゃもじ(一粒のお米が何万粒にもなる)を使って、団子を作っては売り捌き、お金持ちになったと云うお話。
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ちんちん小袴(明治36年) CHIN CHIN KOBAKAMA とてもものぐさな嫁があった。そんな嫁の下に、毎夜丑の刻になると親指の先ほどしかない武士姿の小人達が現れ、「ちんちん小袴 夜も更け候 お静まれ姫君 やあとんとん・・・」と歌うようになった。不気味に思った嫁は、その事を主人に告げる。主人は怪異の正体を突き止めようと、嫁と一緒に小人の現れるのを待った。丑の刻になると、嫁の言う通り「ちんちん小袴・・・」と言って武士姿の小人達が現れた。不思議に思った主人が小人達に刀を突き立てて脅かすと、小人達は一瞬にして姿を爪楊枝にかえてしまった。この事から、ものぐさな嫁が今まで使った爪楊枝の始末をちゃんとせず、畳の隙間に刺していた事が主人に知れてしまう。きっと怒った畳の精が、嫁を懲らしめようと毎夜現れていたのだろうと、嫁は主人に諌められると云うお話。
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若返りの泉(大正11年) THE FOUNTAIN OF YOUTH 樵が山で見慣れない泉を見つける。樵は仕事づくめで丁度喉が渇いていたので、泉の水を飲んだ。するとどうだろう、水面に若返った自分が映っているではないか。一目散に家に帰り、女房にその姿を見せ、事の次第を説明すると、女房は「旦那様はたいそう立派に若返ってしまったので、こんな年寄りではおいやじゃろう」と云って、自分も泉の水を飲みに出かける。帰りが遅いのを心配し、樵が様子を見に泉に行くと、女房の着物の中で赤ん坊が泣いていた。女房は水を飲み過ぎて娘時代を通り過ぎて赤ん坊になってしまったのだった。樵は何とも言えぬ悲しい思いで赤ん坊を抱きかかえて帰ったと云うお話。
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〜柳の木〜 八雲記念館向かい(お堀側)にちょっとした遊歩道があります。 そこには、古そうな数本の柳の木が立って居ました。 風が吹く度に枝がソヨソヨと靡いて、今にも木の下に幽霊が立ちそうな雰囲気でした。 |
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〜八雲像〜 八雲の銅像が設置されてました。 触ったら動いたりして・・・ まさかね、はなはじめじゃあるまいし。
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〜ヘルンの道〜 お堀の周りを周遊バスが走っています。 レンタカーじゃなかったら、コレを利用すると都合がよいのかも知れませんね。 でも、松江城周りは、山あり谷あり、階段あり、怪談もありで、運動になる好い散歩コースです。 時間があるなら風景を楽しみながら歩く事をお勧めします。 |
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〜遊覧船でお堀一周〜 これは、北惣門橋でしたかね? 丁度橋下を遊覧船が通過するところです。 これ、時間あったら乗ってみたかったなぁ! また一味違った風景の楽しみ方が出来たかも知れませんね。 |
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〜通勤道〜 八雲の、松江尋常中学校通勤近道だそうです。 原っぱになってるんですけど、ここで当時の学生達が運動したそうです。 |
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〜宍道湖〜 宍道湖内に浮かぶ嫁ヶ島も怪談話で有名です。姑に苛められて身を投げた嫁を供養する為に、この浮島に弁財天を勧請し『嫁ヶ島』と名付けたそうです。(写真には写ってません、ごめんなさい) 八雲もまた、この嫁ヶ島の浮く宍道湖の情景を愛して止まなかったと云います。 いわれを知ってシミジミするのも好いですが、宍道湖はシジミも有名です。 |
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〜出雲大社〜 松江城からは車で結構走らなければなりませんが、絶対見なきゃ損、損。 わたしは『古事記』や『出雲国風土記』ってマジマジと読んだ事ないけど、ちゃんと読んで神話の内容を色々知っておいたら、より一層楽しめると思います。 10月には全国の神様がここにお集まりになるそうです。だから、この地区だけは神在月と云うんです。他所は神様が留守になるから神無月なんですね。 出雲大社は、大黒様(オオクニヌシノミコト)を祀っている事から、『縁結び』の神社とされているようです。 敷地内には、玉に祈りを捧げる巨大大国主命銅像が建っています。タマに祈りを捧げて縁結びとくれば、子宝にも恵まれちゃうかも知れませんね・・・オトナの洒落やね。 |
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〜鳥居前から〜 さあ手も洗ったし、口も濯いだし、いよいよ鳥居を潜っちゃいますよ。 この中にどんな感動があるのかしらん? |
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〜拝殿〜 ガビ〜ン! デ、デカイ注連縄じゃ。 (周囲4m、長さ8m、重さ1,5tだそうです) ここが拝殿です。 昭和28年に大火で一度焼失しており、昭和34年に再建されたそうです。 出雲大社の参拝の仕方は変わっています。 普通は『ニ礼 ニ拍手 一礼』なんですけど、 ここは『ニ礼 四拍手 一礼』です。 何故でしょう? ま、郷に入りては郷に従いましょう。 拝殿の裏側に神殿の柱のサンプルが置いてありましたが、これまたデカイ。 2000年に境内から発掘された柱の跡から復元した模型なんだそうです。ちなみにこの柱は一本の丸太ではありませんで、木材を寄せ集めてくっ付けて、それから表面を丸くカットしたようです。そりゃそうですよね、こんなに太い木、なかなかあるもんじゃないですもんね。 誰が穿くんでしょう? 変わった靴が脱いで並んでました。 なんかそれっぽいでしょ。 これが意外と一般参拝客のものだったりしたら面白いんですけど。厚底のへんな靴が流行った事だってありましたでしょ、今年なんか女の子の間では、ヒール付きのビーチサンダルが流行ってたみたいだし、次これが来るんじゃないかなぁ?
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〜本殿〜 ここが本殿の入口(八足門)です。 中には大国主命が祀られています。 我々が立ち入れるのは階段の上まで。門から先へは入れません。 大社造りと呼ばれ、日本最古の神社建築様式です。国宝に指定されています。 平安時代には、地上から約48mもの高さがあったと云われていますが、現在の社殿は延享元年(1744年)の建造で、高さは約24mだそうです。
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〜素鵞社〜 ヤマタノオロチを退治したスサノオの社です。 でも多分留守。オロチからクシナダヒメを救い出し結婚したスサノオは、新居を設け須我神社の方にいるんですと。 10月にはここにお戻りになるかも知れませんね。 ヤマタノオロチと云う怪物は、当時洪水で人々を苦しめた川を比喩したものだとも考えられます。 古事記では、「目は鬼灯(ほおずき)のように真赤で、体一つに八つの頭と八つの尾があり、体に苔や檜や杉が生え、長さは谷が八つ、山の尾根を八つも渡るほど大きく、腹は何時も爛れて血を流している」と記されています。八つの頭は沢山に分岐した大河を、血は川の氾濫によって起こった山崩れを例えたのでしょう。 この川の水を上手く利用し、稲種をもたらしたのがスサノオであり、稲田の女神クシナダとの結婚により稲作と云う新たな文化を広めたと云う解釈ができるのです。 スサノオはオロチを退治するのに、八つの酒壺を用意し、酔わせて退治したそうです。実はこれも、稲から造った酒を、次の豊作を願って自然神(水神)にお供えすると云った現在の慣わしに繋がっているのではないでしょうか?
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〜釜社〜 釜社と云います。 簡単に云えば、食物の神様のお社ですね。 わたしが一所懸命手を合わせてお祈りしているのは、わたしが十数年間『食』を生業として来たからです。 こんなに肥えさせていただけたのも豊富な食べ物のお陰なのです。お米バンザ〜イ! このお社の隣並びに、東側の東十九社と云われる、神在祭の時に全国から集まった神々が泊まる宿社があります。勿論、本殿を挟んだ向かい西側にも西十九社と云うのがあります。
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〜彰古館(しょうこかん)〜 大正3年に建てられた、木造二階建てです。 入場料50円でした。 中には、大社にまつわる資料が展示されています。 雅楽器や木彫りの大黒様(オオクニヌシノミコト)が、そりゃあもう数え切れない程いらっしゃいました。どちらの大黒様も豊かな笑顔でした。幼い頃わたしも「おまいさんは、恵比須顔だねぇ」と爺ちゃん婆ちゃんによく言われた手前、笑顔で負けてはいられません。 恵比須、大黒、両者揃ったり〜! |
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〜神楽殿〜 な、なんとデッカイ・・・ 拝殿の注連縄で驚いていてはいけません。 こちら神楽殿の注連縄は、拝殿のソレの倍以上も大きいんです。重さなんてあなた、5tもあるんですってよ。 勿論日本一大きい注連縄です。 神楽殿もまた古代大社造の様式で、昭和56年に建造されたお社です。
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写真がなくて淋しいから七福神並べてみました。 布袋 福禄寿 弁天 毘沙門 恵比須 大黒 寿老人 |
〜八重垣神社〜 残念な事に、今回、八重垣神社の参拝はできませんでした。 「八雲立つ 出雲八重垣妻籠みに 八重垣造る その八重垣を」の神歌にちなんで、ハーンが日本名を小泉八雲とした事は皆さんもご存知の通り。八雲の軌跡を辿るに外してはならない場所ですが、外してしまいました。 本殿奧の森に『鏡の池』と呼ばれる池があります。クシナダ姫が鏡として使った池なので鏡の池。そのままの意味ですが・・・ この池には面白いイワレがありまして、水面に紙を浮かべて硬貨を乗せ、沈むまでの時間の長短で縁談が占えると云うものです。すぐに沈めば良縁が近いとされているようです。 八雲の妻、節子も少女時代にここを訪れ、結果は判りませんが、かの占いを試してみたとか。八雲自身もこの池に大変興味を示されたそうです。 今は、占い用の半紙を一枚100円で売っているそうです。10円玉か100円玉を乗せるのが普通のよう。
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水飴を買う女と云うお話は、とても悲しいお話なのだ。 |
〜大雄寺(だいおうじ)〜 このお寺も八雲の怪談に登場するので有名ですが・・・時間がなくて行けませんでした、トホホ・・・ 『水飴を買う女』のお話に登場するお寺です。 内容はご自分で読んでみて下さい。
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これでお終い。
満喫していただけましたぁ?
物足りない方は、
是非ご自分で松江に赴き、
八雲を感じてみて下さい。