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ROD TELLS A STORY
ロッド自身が語るロッキュメンタリー
Faces  Profile

ロッド・スチュワート Roderic David Stewart(Vocal)  (1945.1.10〜)
 ジェフ・ベックとのJeff Beck Groupでリードボーカルを担当し頭角を現す。1969年秋、スティーヴ・マリオットの抜けたフェイセズにロン・ウッドとともに加入。同時にソロ活動も開始する。1971年の「マギー・メイ」の大ヒットによりソロシンガーの地位を確立しつつもフェイセズのボーカリトとして2足のワラジで活動を続け1975年末フェイセズ解散。以後、本格的にソロ活動を開始。「セイリング」、「アイム・セクシー」「パッション」「ダウンタウン・トレイン」など多数のヒット曲を持ち、現在までミック・ジャガーと並びロック界を代表する実力派ボーカリストとして君臨している。女性との「浮いた話」が多いことでも有名(笑)。

ロン・ウッド Ronnie Wood (通称ロン、ロニー、ウッディ)(Guiter,Vocal) (1947.6.1〜)
 第1期ジェフ・ベック・グループでベースを担当したのがメジャーシーンへのデヴューだった。1969年にスティーヴ・マリオットが抜けたスモール・フェイセズにギタリストとして参加。同時期のロッドのアルバムには曲づくりからほとんど参加している。フェイセズ解散後はザ・ローリング・ストーンズのセカンド・ギタリストとしてキース・リチャーズの弟分として現在に至るまで活動中。またバンドが休止中にはソロ活動も活発で、93年にはソロツアーで来日公演を、2001年には6枚目のオリジナル・ソロアルバム発表している。画家としても多くの作品を発表している。

ロニー・レイン Ronald Frederick LaneLane (Bass,Vocal) 
(1946.4.1〜1997.6.5)
 リアルモッズが結成したリアル・モッズ・バンドとして有名なザ・スモール・フェイセズのオリジナルメンバーでソングライター、ボーカリスト、ベーシスト。フェイセズになってからもバンドの精神的支柱として貢献していたが1973年5月「ウーララ」発表ツアー後に脱退。その後は自己のバンドのスリムチャンスを結成し独自の活動を開始する。1980年代に入り難病に犯されるが1990年にはイアン・マクレガンを伴い来日ライヴを行うなど音楽活動に精力を傾けた。しかし1997年6月、コロラド州にて死去。享年51歳。  ★ロニー・レインに捧げる言葉 (レコード・コレクターズ1997年8月号掲載)

イアン・マクレガン Ian Patric Mclagan  (通称 マック)(Organ,Piano) (1945.5.12〜)
 スモールフェイセズに2代目キーボーディストとして加入。フェイセズ解散後はスモール・フェイセズの再結成に参加。その後ストーンズのレコーディングとツアーに参加する。ボニー・レイットとともに自己のバンド「バンプ・バンド」で活動した事もある。現在はテキサス州のオースチンに在住し、様々なアーティスト(ジョージア・サテライツ、イジー・ストラドリン、ロン・ウッド、ポール・ウェラー等多数)とのセッション活動を行ないながら時折地元のパブでライヴをやっている。ファンをとても大事にすることでその筋では特に有名。
        ★自著「all the rage」の紹頁へ  ★ロックンロール・ライフ!へ   ★「フェイセズ日本滞在記」へ

ケニー・ジョーンズ Kenneth Thomas Jones(Drums) (1948.9.16〜)
 スモールフェイセズのオリジナルメンバー。フェイセズ解散後はイアン・マクレガン、スティーヴ・マリオットとともにスモールフェイセズ再結成させた。後、The Whoにキース・ムーンの後継ドラマーとして正式加入。さらに後、元Bad Canpanyのポール・ロジャースとバンド結成したりしつつ、最近はスモールフェイセズのロイヤリティの回復に力を入れてるようです。

テツ・ヤマウチ 山内てつ(Bass) (1947.?.?〜)
 ミッキー・カーチス&サムライのメンバーとして渡英。その後Freeを経て、ロニー・レーンの抜けた後に正式加入。フェイセズ解散後は帰国し、ソロアルバムやセッション活動を行う。近年もライヴハウス等で活動中です。





FACES biography  魅惑的な酔いどれ天使たち

 1970年代前半の英国を代表するロックバンドは数あれど、フェイセズほど見るものをステージに釘付けにし、聴くものをレコード盤の前から捉えて離さなかったバンドはいない・・・・・ブルーズ、ソウル、フォーク、ロックンロールなど醍醐味をブギーのリズムで痛快にかっ飛ばしたバンド、それがフェイセズだ。
 1969年の夏、スティーヴ・マリオットの抜けたスモールフェイセズ(ロニー・レイン〈Ba〉
、イアン・マクレガン〈Key〉、ケニー・ジョーンズ〈Dr〉)に、ジェフ・ベック・グループから流れてきたロッド・スチュワート〈Vo〉とロン・ウッド〈G〉が参加して結成。70年3月発表の1stアルバム「ファースト・ステップ」は、まだぎこちのなさの残る作品ながらも、英米を中心としたライブツアーを数多く行い、バンドの結束と音楽性を固めていった。ロック界随一と言われる酒量の多いバンドとしても知られ、ライヴには全員が酒を浴びてから臨んでいたとか。
 一方、ロッドはフェイセズ加入前からソロ活動もスタジオワークを中心に行っており、「ロッド・スチュワート・アルバム」「ガソリン・アレイ」を発表、ロックンロール、ソウル色の濃いフェイセズとは異なり、英国トラッドフォーク色が色濃く、ロッドのボーカルを味わう作品となっている。71年、ロッドは3rdアルバム「エブリピクチャ・テルズ・ア・ストーリー」からのシングル「マギー・メイ」が英米共に1位に輝き、続いてフェイセズも3rdアルバム「馬の耳に念仏」では「スティ・ウィズ・ミー」がバンド最大のヒットとなり、バンドとロッドのソロの両方の成功でフェイセズは全盛期を迎えた。
  しかし、ロッドの人気はバンドのそれを次第に凌駕し、73年5月、バンドの精神的支柱だったロニー・レインが脱退。これによりバンドの活動はロッド主体の活動に舵を一層切らせる結果となった。
 新メンバーに山内テツを加えたフェイセズは相変わらずライヴでは好調さを堅持。74年2月には日本ツアーも行い、人気は世界的なものへ広がっていく。しかしフェイセズとしてのスタジオアルバムを作ることができず、逆にロッド、加えてロンのソロアルバム発表も続き、さらに75年夏、ロンがローリング・ストーンズのツアーにサポート参加するに至っては解散は決定的となり、同年12月にロッドが脱退を発表。ロンもそのままストーンズに正式参加し、残ったイアン・マクレガンとケニー・ジョーンズはスモール・フェイセズの再結成へと向かい、フェイセズの歴史はここにピリオドを打つ。
 しかしフェイセズの残した痛快無比なロックンロールと、酔いどれ天使たちの陽気にプレイする姿は今もロックファンの心を捉えて離すことはない・・・・・・。

 =アルバム・シングル発表 =ツアー、ライブ

1969
3月8日

6月


7月
9月
10月

11月
12月
●ジャージー・スプリングフィール劇場のライブを最後にスティーヴ・マリオットがスモール・フェイセズを脱退。
●ロッド・スチュワートがマーキュリーレコードと契約。
●ロニー・ウッドがスモール・フェイセズに加入。
ロッドとスモールフェイセズ、クワイエットメロンの名でケンブリッジ大学のコンサートに出演。
●ロンドンのスタジオでクワイエット・メロンでレコーディング
●ジェフ・ベック・グループ解散。
ジェフ・ベック・グループのラストアルバム「コザ・ノストラ・ベック・オラ」発売。
●ロッド、スモール・フェイセズに参加。
●スモール・フェイセズ(フェイセズ)、ワーナーと契約。
スモール・フェイセズがスイスでライヴを行う
ロッドのファーストアルバム「ロッド・スチュワート・アルバム」発売。英国発売は翌年2月(タイトルはアン・オールド・レインコート・ウォント・レット・ユー・ダウン」。) 
スモール・フェイセズがイギリスで初のライヴを行う。

1970


初め頃
 3月


10月
11月

11月
●「ロッド・スチュワート・ヴィジッツ・ヒズ・フレンズ」と題されたプロモライヴが米のFM曲でオンエア。
スモール・フェイセズのシングル「フライング」発表。
フェイセズとして初のアメリカツアー
ワーナーより「ファースト・ステップ」がスモール・フェイセズ名義で発表。(英45位、米119位) 
2度目のアメリカツアー。
ロッドのセカンドアルバム「ガソリン・アレイ発表。(英62位、米27位)
英を含む欧州ツアー。
フェイセズのセカンドシングル「ハッド・ミー・ア・リアル・グッド・タイム」

1971
    2月

3月
6月
7月
9月

10月
11月
12月
3度目の米ツア ー。ロッドはスケジュールの合間にロンドンでロング・ジョン・ボールドリー、エルトン・ジョンとのアルバムレコーディング。
セカンドアルバム「ロング・プレーヤー」発売(英31位、米29位)
ロッド、サードアルバム「エブリピクチャー・テルズ・ア・ストーリー」発表(英国1位、米1位)
4回目のアメリカツアー。
英でのウィリー・フェスティバルでライヴを行なう。 さらにバングラディッッシュのためのチャリティコンサートがロンドンのオーバル・クリケット・グラウンドで行われ、ザ・フーともに出演。 
「マギー・メイ」が米で10月2日より5週、イギリスで9日より5週チャートのトップを飾る。 
23日から5回目の米ツアー。26日、マディソン・スクエア・ガーデン公演。  
フェイセズの3作目、「馬の耳に念仏」発表(英2位、米6位)「スティ・ウィズ・ミー」がヒット(英6位、米17位)      

1972

5月
7月
11月
12月
フリートウッド・マックとともにアメリカツアー。
英ツアー。ビーチボーイズ、ロキシーミュージックらとともにグレート・ウエスタン・フェスティバルに出演。
ロッド、4枚目のアルバムネヴァー・ア・ダル・ア・モーメント」発表。(英1位、米2位)
ロッド、「エンジェル」をシングル発表。 
ロッド、ザ・フーのロック・オペラ「トミー」に出演。ピンボール・ウィザウト英ツアー。

1973
初め頃
2月
4月

5月
7月


8月

9月
11月

12月

●ケニー・ジョーンズ、ロンドンでジェリー・リー・ルイスのレコーディングに参加。
「いとしのシンディ」発表。(英2位、米48位)
4枚目のアルバム「ウー・ラ・ラ」発表。(英1位、米21位)
アメリカツアー。
●BBCでのライヴを最後にロニー・レイン脱退。代わって山内テツ加入。
ロッドのベストアルバム「シング・イット・アゲイン・ロッド」発表。(英1位)
テツ山内加入後初の欧州ツアー。16日〜29日
●マンチェスターではケニーが体調を壊す。
アルバム未収録シングル「オー・ノー・ノット・マイ・ベイビー」発表(英6位)   
●レディング・フェスティバル出演   
12日から5週間の米ツアー。
テツ加入後初のフェイセズのシングル「玉突きリチャード」発表(英8位)
英公演。29日のイーストハイムのグラナダ劇場から開始される。
2日 ブリストルでの公演。
13日、14日 ロッド、ザ・フーの「トミー」に出演。ロンドン、エドモントンのサンダウン劇場まで。
カリフォルニア公演をレコーティングしたライブアルバム「コースト・トゥー・コースト」発売。クレジットはロッド・スチュワート&ザ・フェイセズ。

1974

1月
2月
5月

6月
7月
8月
9月



10月
11月
ワールドツアー開始。オーストラリア、ニュージーランド、日本へ。
19日、20日 フェイセズ、日本武道館にて初公演。    
●ロニー・ウッドの家にミック・ジャガー、ミック・テイラー、エリック・クラプトン、ジョージ・ハリスンら集まり、ウイックススタジオでセッションを行なう。  
マキシシングル(いとしのシンディ、メンフィス、スティ・ウィズ・ミー、玉突きリチャード発売 
ロニー、アルバムプロモーションのためロンドンのキルバーン・ステイト・シネマでTV収録を兼ねてコンサートを行なう。
バクストン・フェスティバルでの公演。
3つのアメリカン・フェスティバルで演奏。
欧州ツアーを英で終わる。
13日 ロッドの5枚目のアルバム「スマイラー」発表。シングル「フェアウェル」、「ブリング・イット・ホーム・トゥー・ミー〜ユー・センド・ミー」発表。
ロン、初ソロアルバム「俺と仲間」ワーナーより発表。    
ケニー、初シングル「レディ・オア・ノット」キャンペーンを行なう。
ラストシングル「 ユー・キャント・メイク・ミー・ダンス」発表。(英12位)
ロンドンより英ツアーが始まる。キルバーン・ゴーモンでの最後のブリティッシュ・クリスマス・コンサートはキース・リチャーズがゲスト出演。TV収録もされ、放送された。
ロンドン、ルイシャムでのコンサートではポール&リンダ・マッカートニーがゲスト出演。 

1975
初め頃

3月
4月
6月
7月

8月

9月

12月
アメリカへ2ヶ月間のツアー。
●ロサンゼルスのスタジオでのレコーディングは不調に終わる。
●ロッド、グラミーノミネートされ授賞式に出席。
●ロッド、アメリカへ移住。
ロン、ストーンズのサポートとしてアメリカツアーに同行。
●ケニー、フェイセズの在り方に不満を表明。
ロン、セカンドアルバム「ナウ・ルック」発表
ロッド、シングル「セイリング」発表。(英1位)
アメリカ35都市を廻るツアーに出発。
ロッド、フェイセズのメンバーを使わずに作った米移住後初のアルバム「アトランティック・クロッシング」発表。(英1位、米9位) 
●フェイセズの解散が正式発表される。●