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イアン・マクレガンのリアル・ロックンロール・ライフ!

(1)【再評価だよマクレガン】

 時代がめぐり、別に古いロックすべてがゴミじゃないと理解されるようになりました。数年前は、「ペット・サウンズ」ボックスのおかげでビーチボーイズが再評価され、そして今年はスモール・フェイセズです。イギリスではキャッスル・コミュニケーションズがイミーディエットの音源を再発し始め、後のロックに強い影響を残した「オグデンス・ナット・ゴーン・フレイク/Ogden's Nut Gone Flake*1」 と 「オータム・ストーン/Autumn Stone*2」 のほか、スモール・フェイセズのイミーディエット時代のシングルを集めたボックスまで、いずれもこぎれいなパッケージでリリースされています。*3  
  もちろんこの再発の問題はといえば、当時あのアンドリュー・ルーグ・オールダムが主宰していたイミーディエットから、スモール・フェイセズは一銭も支払われていないということです。ただ、彼らはこの手の問題には慣れっこになっています。というのもイミーディエットの前に所属していたレコード会社のデッカから印税の支払いを受けるのに、実に長い年月待たされたからです。当時の他の若手のバンドと同じく、彼らもいい様に巻き上げられていたのです。いずれにせよ、バンドの2人のメンバー、スティーヴ・マリオットとロニー・レインにとっては、今となっては遅すぎた話ではありますが。

 しかしイアン・マクレガン(以下マック)の場合は遅くはありません。マックはまだ現役でばりばりで(スモール・フェイセズのドラマーだったケニー・ジョーンズも現役で、現在は「オグデン・・」のアニメ映画の制作に携わっています。*4)、最新アルバム「ベスト・オブ・ブリティッシュ/Best of British*5」リリースと自伝「オール・ザ・レイジ/All the Rage*6」を出版し、まさに絶好調。それに加えてビリー・ブラッグのサポートメンバーとして、世界中を回っています。
 今50代半ばになったマックは、気さくで魅力的、そして気の効いた笑いを絶やさない実に活動的な男です。ここで、マックの自伝と同じ内容を扱って、同じエピソードを焼き直し、同じ人物のことを語れば楽でしょうが、それはやめておきます。なぜかって?彼のホームページ(http://www.macspages.com)に行けば、自伝の抜粋を読んで、さらには彼から直接購入することができるからです。郵便ポストに投函する前に、彼はサインまで付けてくれるのです。そしてまもなく内容を一部書き足したペーパーバック版も発売になる予定で、こちらが売れるのもマックはお望みのはず。ただ、地元の本屋で探すのはやめた方がいいでしょう。この自伝はアメリカでは発売されていないからです―少なくとも、今のところは。閉鎖的な出版界ではイアンマクレガンの存在が知られていないようです。もちろん彼らが損しているに違いないのですが。


*1Small Faces, Ogden's Nut Gone Flake (Remastered) Castle ESMCD477 1998年10月15日イギリス発売
*2Small Faces, Autumn Stone (Remastered) Castle ESMCD478 1998年10月30日イギリス発売
*3Small Faces, The Singles Collection (6-CD box set) Castle ESBCD725 1998年3月19日イギリス発売
*4現在進行中の映画の計画では、ピート・タウンゼントが新たに作曲で協力するほか、ハッピー・スタンの声優としてコックニー訛りのフィル・コリンズが出演するとの話。
*5Ian McLagan & Bump Band, Best of British Maniac 1999年6月1日アメリカ発売
*6Ian McLagan, All the Rage   Sidgwick & Jackson 1998年11月20日イギリス発売
 

(2)【スモール・フェイセズ参加】

  というわけで、小話もおふざけもなしで、今のマックにそのまま登場してもらうことにします。そのまえに簡単な経歴だけを紹介しましょう。スモール・フェイセズに加入するまでは、彼の愛するR&Bを演奏するマイナーなバンドにいくつか所属して、ハウリン・ウルフをはじめ、アメリカから来たブルース・シンガーたちのバックも務めていました。それからスモール・フェイセズに入って、それはフェイセズへと発展します。1978年にはザ・フーのドラマー、キース・ムーンの妻だったキムと結婚します。(因みに、スモール・フェイセズとフーの絡まった歴史に注目すると、周知の通りケニー・ジョーンズがムーンの死後代わりにフーに入っています。)そのころストーンズと、ロンのバンド、ニュー・バーバリアンズのツアーとセッションに参加し、ロン・ウッドの各ソロ・アルバムで演奏、そしてボニー・レイットの不遇時代にバンドメンバーとして数年活動を共にしていました。イギリスからロサンジェルスに移ったことは、決して幸せではありませんでしたが、自ら結成したバンドのバンプ・バンドで、2枚のアルバムと1枚のEPを発表、そしてついにテ キサス州のオースティンに移り住み、現在まで数年間にわたって幸せに生活を送っています。バンプ・バンドでは最新作を発表したほか、いまでもセッションに参加し(トニ・プライスの最近作で彼のトレードマークであるエレピの音を聞いてみるといいでしょう)、ツアーもしています。我々の誰もが憧れるようなロックンロール人生ですね。

 ただもちろん、いつも楽だったわけではありません。甘い面には辛い面がつきもので、特にマネージメントの問題がそうでした。「鮫のような奴と仕事してきたよ。地球のくずのような連中とね。」とマクレガンは語ります。「ただいいマネジャーも何人かはいた。ジェイソン・クーパーがいただろ、それから…一人しか思い付かないぞ!」その「くず」の一人が、スモール・フェイセズの最初のマネジャー、ドン・アーデンでした。最近、雑誌"Mojo"に掲載されたアーデンのインタビュー*7で、印税を支払うまでにどうしてこれほど時間がかかったかと聞かれて多少の言い逃れの弁を弄したのを除けば、アーデンは一貫して、1人当り週25ポンドでいいと主張したのはスモール・フェイセズの方で、自分は実際にはメンバーの親たちに一人週125ポンドを支払っていたと主張していました。この話をマックは強力に否定しています。「Mojoにはうんざりしたね、それしか言いようがないよ。奴の言ったことは、汚い嘘さ。そんな話をでっちあげて、まったくのでたらめさ。親たちは一銭ももらっちゃいないよ。それだけじゃないんだ。この記事はオーストラリアから帰る飛行機で読んだん だけどね。あいつの嘘は全部下線を引いたんだ、そしたら全部インクで真っ黒さ。奴は大したうそつきだね。僕の本では彼を泥棒とも嘘つきとも書けなかったんだ、名誉毀損になるからね。」アーデンはその後、ムーヴ、ELOそしてブラック・サバスのマネージメントを担当した人物。すでに30年以上の時が経過した今でも、マックの怒りはひしひしと伝わってくるほどです。



(3)【ソウル・R&Bの影響】

  ただこれはビジネスの話で、音楽はといえば、マックは今でも情熱的です。試しに彼の新作を聴いてみれば、いろんな音楽が少しずつすべて詰め込まれているのがわかります。「ウォーム・レイン/Warm Rainはスタックス時代のメンフィスで生まれたといってもいいような音だし(実際マックは昔からブッカーTの大ファンだ)、「ハロー・フレンド/Hello Old Friend」とともに故ロニー・レインについて歌った「ドント・レット・ヒム・アウト・オブ・ユア・サイト/Don't Let Him Out of Your Sight」はカントリー色がたっぷり出ています。「人にお前の音楽はなんだと聞かれると、僕はロックンロールだと答えてる。」とマックは語る。「でもロックンロールって言うと、僕にとってはバディ・ホリー、ジェリー・リー・ルイス、エルヴィス、それにチャック・ベリーなんだよね。ただ、ニュー・ウェイヴでもないし、ソウルでもブルースでもないし、もちろんジャズじゃないし、だから何て呼んだらいいか分からないね。ソウルやR&Bの影響は濃厚だよ。『シー・ストール・イット/She Stole It』はすごくモータウンっぽくて、これを演るときは、アール・ヴァン・ダイクとかマーヴィン・ゲイのピアノを弾いている気分になってやるんだ。でも、カントリーの影響も強い。ついこの間、完全にカントリーの曲を書き上げたところだよ。ただ男が嘘つきだという内容はちょっとカントリーっぽくないんだけどね。ナッシュヴィルの誰も書かないようなカントリー・ソングなんだ。

 彼の音楽的なルーツが全てアメリカ発だというのは、別に驚くことではありません。1940年代に生まれたイギリスのミュージシャンにとっては、自分たちの国にはブルースもロックもまったくありませんでした(あえて挙げれば、イギリスでは新しかったクリフ・リチャードやトミー・スティールが例外といえるかもしれれませんが)。基本的に彼らこそがブリティッシュ・ロックの先駆者の世代であり、大西洋の向こうから発想を得て、新しい物に生まれ変わらせたのです。「もちろんさ。僕が育った頃は、音楽も映画もすべてアメリカ産だったよ。イギリスはひどくさえない場所だった。」しかし、多くのバンドが生まれたものの、成功したのは少数だった。ロックンロールはいつの時代も脳天やら足元に訴えかけるもので、頭脳を使うものではありませんでした。初期のイギリスのミュージシャンにとっては、譜面を読めることよりもアメリカのアイドルたちと同じフィーリングが出せるかどうかがずっと大事だったからです。ブルースだろうが、カントリー、ロック、ソウルでも、フィーリングこそが血の通った繋がりで、それがなければ、音楽は死んでしまうでしょう。マックが長けている のもまさにこの点なのです。「僕は今でも楽譜は読めないけど、僕が恵まれているのはフィーリングさ、音楽を感じて、グルーヴを感じ取る。それしかない時もあるんだけどね、人には内緒にしておくのさ!

 このフィーリングというのは、もちろんスモール・フェイセズにも存在したもの。「レイジー・サンデー/Lazy Sunday」や「イチクー・パーク/Itchycoo Park」といった曲がもっともよく知られているでしょうが、彼らはサイケデリアに移る前は、多分にソウル・バンドでした。マリオットはイギリスの偉大なシンガーの一人で、フィーリングは彼らのオリジナル曲(「ソーリー・シーズ・マイン/Sorry She's Mine」)にもカヴァー(「シェイク/Shake」、「ユー・リアリー・ガッタ・ホールド・オン・ミー/You Really Got a Hold on Me」)にも溢れていました。オリジナル・キーボードのジミー・ウィンストンの代わりに加入したマックは、他のメンバーと同じく身長165センチほどと背が低く、音楽の好みも合って、彼の加入でスモール・フェイセズは本物のソウルフルなバンドになったのです。「彼らに会ったとき、僕が、マディ・ウォーターズとか、レイ・チャールズ、オーティス・レディング、モータウン、ブッカー・T&ザ・MGズなんかが好きな人間だと分かって、そりゃ驚いていたよ。僕たちはすぐロックをかまし、グルーヴを決めた。あの頃僕たちがライヴをやるときはヒットを2曲もやれば、それで観客は大興奮さ。グルーヴに乗ってね。何をやっても女の子たちがわめき叫んで、変わり者たちは大喜びさ。僕たちはラリってたから、ロックンロールできたんだ。最初のころはソウルをやってた。でもだんだん離れていって、ついに『ティン・ソルジャー/Tin Soldier』にたどり着いたんだ。

 ヒットが続き、スモール・フェイセズは概して幸せな時期を過ごしました。しかし、スティーヴ・マリオットが脱退して新バンドのハンブル・パイで自分のサウンドを追求することに決めたことで、グループはだめになったです。「スモール・フェイセズでスティーヴと4,5年も一緒にやってきてね、僕はしまいには奴の顔は二度と見たくないと思ったよ。実際は後で一緒にツアーをやったんだけど。」とマックは回想する。「ケニーとロニー(・レイン)には一度も愛想を尽かしたことはないんだ。ロニーの方は僕にうんざりしたことがあったとは思うけど。ただ少なくとも3年間は僕たちは(スモール・フェイセズとして)仲良くやって、やっている音楽に満足していたよ。一銭も金が入ってこないってことに気付き始めてはいたけど、グループの中は驚くほどうまくいっていたんだ、スティーヴが手に負えなくなるまではね。僕はスティーヴとロニーの間にはさまれてたんだ。今考えると、そう思う。フェイセズではウッディ(=ロン・ウッド)がその役だったね。




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インタビューの原文は雑誌「 Discoveries」第135号(1999年8月号)に掲載されたものです。
翻訳:むさしさん(夜明けの口笛吹き)、編集:Hazex