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エッセイ「風色のスケッチブック」F |
photo&essay by masato souma |
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臨月を迎えた家内が夜中に破水し、急遽入院することになった。
夫の立ち会いを奨励している産院なので、ぼくはその日の朝、再び病院に行った。
狭い陣痛室に入ると、「ヒーヒーフー」と額に汗を流しながら呼吸(ラマーズ法)をしている
家内の姿があった。ぼくも家内の傍らに座り、ためらいながらも、もうすぐだろうと
気楽な思いで家内と声を合わせた。
ところが昼を過ぎても一向に産まれる気配がなく、医師の回診の間隔も徐々に短くなっていった。
陣痛も周期が狭まり、その時が近づいているような気がするのだが、次第にこわばっていく
医師の表情を見ると、どうも事態が思わしくない方向に傾いているように感じられた。
陣痛室の中はライトグレー一色で、ベッドの横にぶら下がっている小さなぬいぐるみが、
何事もないかのようにじっとぼくたちを見つめている。ぼくは苦しんでいる家内の傍らに
いながらどうるすこともできず、ただひたすら「神よ。」と心の中で叫んだ。
6時間以上が過ぎただろうか。内診しながら心電計を見やる医師は、
眉間にしわを寄せ、何か意を決した様子だった。しばらくするとぼくは外のロビーに呼び出され、
帝王切開の必要を告げられた。細かい説明をする医師の声は次第に遠のき、
15時間がんばり続けてすっかりむくんでしまった家内の顔が脳裡をよぎった。
再び陣痛室に戻り、まだ何も知らされず痛みをこらえながら苦しそうに息をついている
家内の姿を見ると、思わず涙があふれた。
「もうがんばらなくていいよ。もうすぐ楽になるから・・・。」
そう言葉をかけたかったが、込み上げてくる涙に遮られ、一言も口に出せなかった。
やがて家内を乗せたベッドは冷たい手術室へと消えていった。
手術開始後まもなく、元気な赤ちゃんの産声が手術室から聞こえてきた。
初めて自分の子供を抱いた時のいのちの重みは、今でも忘れることができない。
爛漫と咲き誇る春を迎え、神が創造された新しいいのちのほとばしりを感じるたびに、
瞼に浮かぶ懐かしい思い出である。
月刊『恵みの雨』('00/4月号)より |
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